コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

沢田研二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
さわだ けんじ
沢田 研二
出生名 澤田 硏二(読み同じ)
生誕
出身地 日本の旗 日本京都府京都市
学歴 京都府立鴨沂高等学校中退
ジャンル
職業
担当楽器 ボーカル
活動期間 1967年 -[注釈 1]
レーベル
事務所
共同作業者
公式サイト 沢田研二オフィシャル
沢田 研二
身長 171 cm
血液型 A型
ジャンル 映画テレビドラマ
配偶者 伊藤エミ(1975年 - 1987年)
田中裕子(1989年 - )
著名な家族 田中隆三(義弟)
主な作品
映画
太陽を盗んだ男
魔界転生
ヒルコ/妖怪ハンター
夢二
幸福のスイッチ
キネマの神様
土を喰らう十二ヵ月
テレビドラマ
悪魔のようなあいつ
山河燃ゆ
はね駒
琉球の風
オードリー
受賞
報知映画賞
主演男優賞
第4回『太陽を盗んだ男
ゴールデン・アロー賞
映画賞
第17回
高崎映画祭
最優秀主演男優賞
第6回『夢二
日本映画批評家大賞
主演男優賞
2007年幸福のスイッチ
毎日映画コンクール
男優主演賞
2023年土を喰らう十二ヵ月
キネマ旬報ベスト・テン
主演男優賞
2023年土を喰らう十二ヵ月
全国映連賞
男優賞
2022年度『土を喰らう十二ヵ月』
その他、歌手としての受賞歴は受賞歴参照
テンプレートを表示

沢田 研二(さわだ けんじ、1948年昭和23年〉6月25日 - )は、日本歌手俳優ソングライターザ・タイガース及び、PYGボーカル[注釈 3]。本名:澤田 硏二(読み同じ)。身長171cm。血液型A型。

両親の実家がある鳥取県岩美郡津ノ井村(現・鳥取市)生まれで京都府京都市育ち。ニックネームは『ジュリー[注釈 4][4]。妻は女優の田中裕子。義弟は俳優の田中隆三。前妻は歌手の伊藤エミ

1960年代後半のグループ・サウンズ全盛期から最前線で活躍し、ソロとしてのシングル総売上は1,241万枚を記録。1982年から1991年までの9年間は歴代1位の座を保つ[注釈 5]。アルバムも合わせた総売上は約1572万枚。ザ・タイガースPYG時代も含めたシングルの総売上は1,668万枚に上る。

来歴

[編集]

生い立ち

[編集]

1948年6月25日、両親の実家がある鳥取県岩美郡津ノ井村(現:鳥取市津ノ井)で出生[5][6]。戸籍上の名前では、“硏”という文字の右下に点がある。父親は若い頃、役者を目指し長谷川一夫内弟子だったことがあり[6]美男は親譲りであった[6]。父はその後、映画のスチールカメラマンになって衣笠貞之助宅に夫婦で同居したことがある[6]。沢田が生まれた頃は、父は舞鶴市内の火薬研究所の取引先に勤務しており、二番目の子だったため「研二」と命名された[7]。兄妹がいる次男である[6][8]。3歳まで鳥取で育ち[6]、父が京都左京区浄土寺東田町に家を建てたため[6]、以降は京都の同地で育った[6]京都市立第三錦林小学校[6]、同・岡崎中学校卒業後[6]1964年4月、京都府立鴨沂高等学校入学、2年生の2学期に同校を中退。中学時代は"ケンカのサワケン"と洛東の学校に名を響かせるワルだった[6]

なお、同じ高校の同学年に女優の大信田礼子がいた。少年時代はプロ野球選手に憧れ、選手では川上哲治藤尾茂が好きだった。中学では野球部のキャプテンを務め[6]、ポジションは一塁手。京都市大会で4位になり、京都府大会に進出したが、ここで負けたことで野球選手の夢は諦めたという[9]。高校では空手部に所属した[9]

ザ・タイガース期

[編集]

京都のダンス喫茶「田園」でドアボーイのアルバイトをしている時にサンダースに声をかけられ、17歳でローディーボーカリストになった。そのステージを見たサリーとプレイボーイズサリー(岸部修三=現・岸部一徳)からリード・ボーカルとして誘われ、翌年の元日にサリーとプレイボーイズに正式加入、グループ名は「ファニーズ」と改めた。

ファニーズは、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」に出演した際に、上条英男、スパイダクション(現・田辺エージェンシー)、そして共演したロック歌手の内田裕也からも声をかけられた。しかし具体的な話が進まなかったため、当時リーダーであった瞳みのるが東京・代々木上原の内田裕也の愛人宅を訪ね、瞳の熱意の甲斐あってメンバー全員が渡辺プロと契約。上京後、ザ・ヒットパレードのプロデューサーであったすぎやまこういちによって、テレビ番組の出演直前に「ザ・タイガース」と新たに名付けられる[10]。この時、内田に『沢ノ井謙』と言う芸名を勧められたが、本名でやりたいと拒否している[4]

1967年2月5日にシングル「僕のマリー」でデビュー。セカンド・シングル「シーサイド・バウンド」で人気が爆発し、続く「モナリザの微笑」、そして「君だけに愛を」で一気にグループ・サウンズ (GS) の頂点へと躍り出る。とりわけ端整な容姿を持ち、貴公子的存在として10代の少女や20代の女性を中心に熱狂的な人気を獲得した。

1968年8月12日にザ・タイガース後楽園球場で開催した「真夏の夜の祭典」は、日本で初めてのスタジアムコンサート[11]。なお、ソロとしてのスタジアムコンサートは田園コロシアム(ザ・タイガース、PYGとしても開催)、大阪スタヂアムナゴヤ球場横浜スタジアム東京ドーム京セラドーム大阪で開催している。

1969年3月1日、アメリカの音楽雑誌の中でも歴史が長く、最も権威ある音楽雑誌の一つ『ローリング・ストーン[12] (Vol.28) の表紙に登場。日本版が刊行される前の同誌において、日本人が表紙を飾ったのは、これが最初で最後だった。

1971年1月24日、日本武道館で行われた「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」でグループは解散した。

PYG期

[編集]

ザ・タイガースの解散後、1971年2月1日、新たなバンド・PYGに参加する。英米で結成されたクリームやブラインド・フェイスのようなスーパー・グループで、ザ・スパイダースから井上堯之大野克夫ザ・テンプターズから萩原健一大口広司、ザ・タイガースから沢田と岸部修三という6人のメンバーによって結成された。このバンドは沢田と萩原によるツインボーカルで、井上、大野、岸部ら作詞や作曲、演奏ができる技巧派が揃い、本格的なニューロックを目指した[13]

しかし、日本ではまだ反体制のジャンルとされていたロックを、当時最大手の芸能事務所だった渡辺プロダクションの所属ミュージシャンが演奏することに対し、「商業主義」「芸能界が創り出したもの」として、コンサートではPYGにトマトや空き缶を投げつける聴衆もいた[14]

ソロ活動の開始

[編集]

1971年11月1日発売のシングル「君をのせて」でソロデビューしたが、オリコン週間チャートでの最高位は23位、累計売上は10万枚だった。GSの先輩であったザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦プロデュースの下、長く音楽ランキングトップ10にチャートインし続けた沢田のソロ活動のスタートであった。

1972年3月11日発売の「許されない愛」がオリコン最高位4位を記録し、ソロとして初のオリコントップ10入りを果たした。一方、PYGのもう1人のボーカルである萩原健一の俳優活動が本格化してPYGは実質的に形骸化、他のメンバーは沢田のバックバンド 井上堯之バンドとして活動していくことになった。またテレビドラマ「太陽にほえろ!」第20話に犯人役でゲスト出演し、マカロニ刑事の萩原健一に撃たれ死ぬ役を演じた。(番組の企画段階では殿下役としてキャスティングされていた[15]。)

1973年4月21日発売の「危険なふたり」が大ヒットし、ソロ初のオリコン1位を獲得、第4回日本歌謡大賞を受賞(歌謡大賞歴代最高視聴率の47.4%を記録)し、ソロとしての人気を確固たるものとした。この作品以降、斬新なファッションが確立されることになった。翌1974年には「追憶」が2曲目のオリコン1位を獲得した。同年7月21日、日比谷野外音楽堂でのコンサートを皮切りに「Julie Rock'nTour」と題し日本で初めての全国ツアーを行った(16都市34公演)[11]。以降も2019年まで毎年、全国ツアーを決行した。(2020年は疫病の蔓延により全公演が中止。2021年から再開している。)

1975年1月にはシングル「愛の逃亡者 THE FUGITIVE」でイギリス、「MON AMOURE JE VIENS DU BOUT DU MONDE」(日本語版「巴里にひとり」)でフランスに進出。フランスでは週間ラジオチャートでトップ4に入るヒットとなった[16]。さらに20万枚のヒットとなり、フランスのゴールデンディスク賞を日本人として初めて受賞する。以降、1978年にかけてフランス、イギリス、ドイツ、ベルギー等でシングル盤を発売した。また、1974年にハワイ、1977年・1978年にグアム、1979年にシンガポール、1980年・1982年に香港でそれぞれコンサートを開催している。

1975年6月4日、7年間の交際を経てザ・ピーナッツ伊藤エミ(当時34歳)と結婚[17]。同年7月20日、比叡山延暦寺で結婚式を行った。同日に開催した比叡山フリーコンサートにおいて夫婦揃ってステージに上がり、ファンに対して結婚報告を行った。二人の間には後に長男が生まれている[18]

1975年8月21日に発売された「時の過ぎゆくままに」は5週連続オリコン1位、シングルセールスが90万枚を超え、ソロにおける最大のヒット曲となった。同曲は、沢田との仕事を熱望していた久世光彦が渡辺プロダクションに企画書を持ち込んだ3億円事件をテーマに製作されたTBSドラマ「悪魔のようなあいつ」の挿入歌として使用され大ヒットとなった。主演の沢田が歌う劇中歌でもあった。なお、共演した岸部修三はこのドラマの放映開始から間もなく井上堯之バンドを脱退、後に岸部一徳と改名し俳優の道を進んだ。

1975年12月、東京駅新幹線ホームにて出迎えの女性ファンの行動をなじった同駅職員に頭突きを加え、書類送検される[19]

1976年5月、新幹線の車内で乗客とトラブルを起こし、暴行事件を起こす。こちらは被害者が示談より、沢田に対する書類送検は行われたものの起訴猶予以下が相当とされ、不起訴処分となった。この影響で1ヶ月間謹慎した[20]

同年9月に久世光彦(小谷夏名義)作詞、沢田作曲の「コバルトの季節の中で」を発売。同12月、武道館で初のコンサート。この年、NHK紅白歌合戦、賞レースは暴行事件の影響で全て辞退した。

1977年5月に発売された「勝手にしやがれ」は、オリコン週間チャート1位を獲得。5週にわたって1位を獲得した。この曲で、第19回日本レコード大賞を受賞。受賞シーンでは、萩原健一や岸部一徳などのザ・タイガース・PYG時代からの仲間が駆けつけた(レコード大賞で歴代最高視聴率の50.8%も記録)。その他第8回日本歌謡大賞(視聴率46.3%)など、同年の主要な賞レースを独占した。

ヴィジュアル路線へ

[編集]

1974年の「Julie Rock'nTour」でインディアンのようなチークをしたり、1975年の比叡山フリーコンサートでブルーのラメ入りのアイシャドーをするなど化粧はステージでは行っていたが、お茶の間に流れる一般のテレビ番組では控えていた。しかし、これまでの意識を変え、1977年の「さよならをいう気もない」では金色キャミソールを着て歌唱した。以降、ヴィジュアルを重視したスタイルをエスカレートさせていく[21]

1978年に発売された「サムライ」では、刺青風の模様が施されたシースルーの上にナチスのロゴが入った軍服を羽織り、同年1月30日放送の夜のヒットスタジオではスタジオに畳を敷き詰め歌唱した。「LOVE (抱きしめたい)」ではスタジオに雨を降らせ、血で染まった包帯を手に巻くなど、前述のようにヴィジュアルはどんどん奇抜な方向に進んでいった[22]

同年発売の「ダーリング」では、日本有線大賞を受賞し沢田自身5曲目のオリコン1位を獲得した。「LOVE (抱きしめたい)」は第20回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。同年の第29回NHK紅白歌合戦では、ロック・ポップス歌手として初めての大トリをつとめる。この1978年を例にとると、年間のテレビ出演700本以上、ラジオ300本、取材300本、地方公演100日に上った。この年のシングルの売上は、「サムライ」52万枚、「LOVE(抱きしめたい)」48万枚、「ダーリング」44万枚であり、様々な大ヒット作を世に送った。

1979年に発売された「カサブランカ・ダンディ」ではウイスキーを口にふくんで霧のように吹く演出が大きな話題となり、同曲でTBS系列の歌番組「ザ・ベストテン」で前年のダーリングにつぎ1位を獲得したが、西城秀樹の28枚目のシングル「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」大ヒット中だったため同曲での1位獲得は1週のみとなり、ザ・ベストテンでの1位獲得は同曲で最後となった。「OH! ギャル」では当時日本ではまだ珍しかったマニキュアを施し、マレーネ・ディートリヒをオマージュしたメイクをした。

1980年1月1日に発売された「TOKIO」では、電飾が施されたスーツを身に纏い、スタジオ全体が隠れてしまうほどの巨大なパラシュートを背負って歌唱する奇抜なパフォーマンスが大きな話題を呼んだ。

同年の「恋のバッド・チューニング」では青や金色のカラーコンタクトを装着するパフォーマンスをみせた。井上堯之バンドのリーダー井上堯之は、グラマラスなコスチュームに走る沢田についていけず、井上堯之バンドは80年1月24日に解散した。同年4月に胃潰瘍で1ヶ月間入院した。のちにオーディションを経て新しいバックバンドであるオールウェイズ、翌年にはEXOTICSを結成。

ス・ト・リ・ッ・パ・ー」では、沢田自身作曲のシングルとしては最高の36万枚のセールスを記録。「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」は、ザ・ベストテンで最高位3位、オリコンで最高位6位を記録した。同曲でオリコントップテン以内ランクイン、ザ・ベストテンへの出演は最後となった。

ソロ活動と並行して1981年1月、ザ・タイガースが瞳みのるを除くメンバーで10年ぶりに再結成。GS時代に縁のあった日劇が取り壊されることとなり、最後の日劇ウエスタンカーニバルに出演するためだったが、これを契機に同年秋、「ザ・タイガース同窓会」と銘打った企画で11年ぶりにシングル「十年ロマンス」を発売、翌年に発売された2枚目となるシングル「色つきの女でいてくれよ」は約42万枚を売り上げる大ヒットを記録した。また、武道館を含む全国ツアーも行った。

第34回NHK紅白歌合戦では、アダム&ジ・アンツ風ジャングル・ビートの「晴れのちBLUE BOY」で金杯を獲得。軍服サーチライトを装着したコスチュームで登場した。

俳優としては1979年に公開された映画太陽を盗んだ男』で原子爆弾を作る理科教師を演じ、第4回報知映画賞でグランプリにあたる作品賞と主演男優賞を受賞、キネマ旬報読者選出日本映画ベスト・テン第1位に選ばれた。日本アカデミー賞では主演男優賞にノミネートされた。1981年に天草四郎役で主演した映画『魔界転生』は、観客動員数200万人、配給収入10億5千万円を記録した[23]

独立期

[編集]

1985年1月からの半年間の休養を経て、デビュー以来所属してきた渡辺プロダクションから独立。旧知の音楽プロデューサーである大輪茂男らとともに株式会社ココロ(CO-CóLO Corporation)を設立し、レコード会社ポリドールから東芝EMIに移籍した。

同年6月に自叙伝『我が名は、ジュリー』(玉村豊男編 / 中央公論社)を刊行。8月発売の移籍第1弾の作品は、沢田自身が作詞・作曲したシングル「灰とダイヤモンド」。新たなバックバンドとしてチト河内を中心にCO-CóLOを結成。アルバムでは「架空のオペラ」をリリース。

1985年に日米合作映画「Mishima: A Life In Four Chapters」(日本未公開)で劇中劇「鏡子の家」に出演、カンヌ映画祭緒形拳らと共に出席。同作品は芸術貢献賞を受賞。

1986年に発表したアルバム『CO-CóLO 1 〜夜のみだらな鳥達〜』をはじめとしたCO-CóLOの3部作は、沢田の作詞した作品を技巧派のバンドメンバーがダークなメロディラインで曲を作った。音楽関係者の評価は変わらず高かったが、当時のミュージックシーンには受け入れられなかった。

1987年1月、伊藤に慰謝料18億1,800万円を支払い離婚[17]1986年8月から別居しており、1982年の映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』で共演した田中裕子と不倫関係にあった[17]。田中とは1989年11月に出雲大社で再婚することとなる[17]。1987年3月に京都公演中のステージから転落し、左肘骨折・肋骨打撲で1ヶ月間入院。

1988年、3年間活動を共にしたCO-CóLOは解散。

1989年EXOTICSのメンバーだった吉田建をプロデューサーに迎え、村上'ポンタ'秀一を加えて新バンドJAZZ MASTERを結成し、アルバム『彼は眠れない』を発表。同年、10年間にわたって継続する音楽劇『ACTシリーズ』がスタート。横浜アリーナで行われたタイガースメモリアルクラブバンドのコンサートに参加した。同年末の「第40回NHK紅白歌合戦」ではシングル「DOWN」の他、ザ・タイガースとしても出場し、「花の首飾り」と「君だけに愛を」のヒットメドレーを披露した。同番組の出場者としては初めて同一回で2度出場した。1991年、デビュー25周年を記念してCD化されていなかった旧譜が東芝EMIより発売。25周年にちなみ、NHK-BS2では5日間計25時間の特集番組「美しき時代の偶像」が放送された。

1994年、「HELLO」で5年ぶりに紅白歌合戦に出場。1995年、「これからは、自分のやりたい音楽を、やりたいようにやっていきたい」とセルフ・プロデュースを宣言し、23年ぶりのセルフ・プロデュースアルバム「sur←」を発表した。以降、現在に至るまで一貫して沢田自身がアルバムのプロデュースを手掛けている。

1997年には岸部一徳森本太郎とともにユニット"TEA FOR THREE"を結成し、「君を真実に愛せなくては他の何も続けられない」を発表。

1980〜90年代にかけて俳優としてはNHKの連続テレビ小説はね駒』や大河ドラマ『山河燃ゆ』『琉球の風』、映画『カポネ大いに泣く』『夢二』ほか、フジテレビ『プロ野球ニュース』の準レギュラーとして出演した。

2000年 - 2019年

[編集]

2001年、それまで控えていたテレビの音楽番組への出演を再開し、フジテレビ「新常識クイズ!目からウロコ」の司会も担当するなど積極的なメディア露出を行ったが、翌年からは再びテレビ露出をセーブ。

2002年、自主レコードレーベルとなるJULIE LABELを設立。このレーベルからリリースされた沢田のオリジナル・アルバムには、目玉焼きやホットケーキといった独特のパッケージ・デザインが施されている。

2005年には、ポリドール在籍時代のアルバム21タイトルと3枚のベスト・アルバムのリマスター盤が相次いで再発売され、そのうちベスト盤『ROYAL STRAIGHT FLUSH』がオリコン週間アルバムチャートで最高49位を記録した。

2008年、還暦を記念して、初の二大ドームコンサート「人間60年・ジュリー祭り」を開催し、東京ドーム京セラドーム大阪両日で5万4,000人を集めた。このうち、数曲において1000人のコーラス隊を従え、約6時間半でフルコーラス80曲を歌いきるという圧巻のステージを敢行。このコンサートは、第21回ミュージック・ペンクラブ音楽賞のコンサート・パフォーマンス賞を受賞した。

2010年、プロデューサーとして沢田の全盛期を支えた加瀬邦彦率いるザ・ワイルド・ワンズと組んで『ジュリー with ザ・ワイルドワンズ』を結成[24]。シングル『渚でシャララ』、アルバム『JULIE with THE WILD ONES』を発表し、全国ツアーを行った[25]。第23回ミュージック・ペンクラブ音楽賞コンサート・パフォーマンス賞「JULIE with THE WILD ONES LIVE “僕達ほとんどいいんじゃあない”」 受賞。

2011年、長年交流を絶っていた元ザ・タイガースの瞳みのるが40年ぶりに芸能界に復帰。岸部一徳、森本太郎らタイガースのメンバーと共に、全国33都市38公演に及ぶ沢田の全国ツアー「沢田研二 LIVE 2011~2012」にゲストとして帯同した。ツアー最終日の2012年1月24日、会場となった日本武道館には岸部四郎も参加し、1971年1月24日で解散した時のメンバーが再集結したメモリアルコンサートとなった。第24回ミュージック・ペンクラブ音楽賞コンサート・パフォーマンス賞「沢田研二Live2011-2012ゲスト:瞳みのる・森本太郎・岸部一徳」受賞。

2012年3月11日、前年の同日に起こった東日本大震災被災地への祈りを込めたミニアルバム「3月8日の雲」を発表した。以降、毎年3月11日に「祈り」をテーマにした新曲を発表している。

2013年12月3日、44年ぶりとなるオリジナルメンバーによるザ・タイガースのコンサートを日本武道館において行った[26]。12月27日のツアーファイナルは、東京ドームに45,000人を動員。この時も岸部四郎が登場し、初めて6人によるザ・タイガース全員の集結が実現した。

2017年7月16日、自身の芸能生活50周年を記念した全国ツアー「沢田研二 50周年記念LIVE 2017-2018」をNHKホール公演を皮切りにスタート。50周年にちなんで往年のヒット曲から最新の楽曲まで50曲をワンコーラスずつ歌った。

2018年7月から2019年2月にかけて、アリーナクラス10公演を含む全67公演に及ぶ大規模な古希記念ライブツアー「沢田研二 70YEARS LIVE 『OLD GUYS ROCK』」を開催した。なお、当該ツアー中、10月17日に予定されていたさいたまスーパーアリーナでの公演にて、観客動員が当初9000人の予定が7000人であったことが契約違反だとして、開演直前になって急遽中止になるトラブルが発生した。このトラブルは各メディアで大々的に取り上げられ騒動に発展、翌18日には、自宅近くの公園で取材に応じ釈明した[27][28]。なお、今ツアーから、バック演奏は柴山和彦のギター1本で演奏するという体制となっていた(2021年まで[注釈 6])。

2020年以降

[編集]

2020年、全27公演の全国ツアーが予定されていたが、新型コロナウイルス感染症感染拡大防止の為、全公演が中止となった。同年5月、映画『キネマの神様』(2021年公開)で、新型コロナウイルス感染症による肺炎で急逝した志村けんの代役として主演する事が明かされた。沢田の映画出演は『幸福のスイッチ』以来15年ぶり[29]。同年12月、新型コロナウイルス感染症の収束が見えない現状を踏まえ、ファンクラブ「澤會」を解散すると公式サイトで発表した。

2021年、ソロ活動50周年を記念したライブ「沢田研二 2021 ソロ活動50周年LIVE『BALLADE』」を前半3公演、後半12公演の計15公演の全国ツアーを敢行した。ほとんどバラード調の楽曲で構成し、マスクの着用、検温、歓声歓談の禁止など、新型コロナウイルス感染症の感染対策を万全に施した厳戒態勢で開催された。同年11月、永年京都市の文化の向上に多大な功労をしたとして、「京都市文化功労者」として表彰された[30]2022年には、第40回京都府文化賞功労賞を受賞[31]

2022年に公開された映画『土を喰らう十二ヵ月』では主人公を演じ、第77回毎日映画コンクールで男優主演賞を受賞[32]、第96回キネマ旬報ベスト・テンでも主演男優賞を受賞[33]、2022年度全国映連賞で男優賞を受賞した[34]

2020年頃から新型コロナウイルス感染症の影響で、個人事務所である株式会社ココロ(CO-CóLO Corporation)を閉鎖していた[35]が、2023年5月に妻の田中裕子の個人事務所であるアニマ出版株式会社(ANIMA)に吸収合併され、株式会社ココロは解散した[36][37]

2023年6月25日、沢田の75歳の誕生日にさいたまスーパーアリーナにて『沢田研二 LIVE 2022-2023「まだまだ一生懸命」ツアーファイナル バースデーライブ!』が開催された[38]。さいたまスーパーアリーナでの公演は2018年10月に公演が急遽中止となり騒動となった以来初であり、リベンジ的な意味合いを持って開催され[39]約1万9,000人を動員、チケットは完売した[40]。また、この公演ではザ・タイガースから、瞳みのる森本タロー岸部一徳の3人がゲスト参加した[41]。なお、本公演はWOWOWで生中継された[42]。本公演に先立ち、6月13日にはBS-TBSで2時間特番「沢田研二 華麗なる世界 永久保存必至!ヒット曲大全集」が放送された[43][44]

人物

[編集]

評価

[編集]

楽曲

[編集]

交友関係

[編集]
  • 志村けんとは盟友とも言える関係で志村やザ・ドリフターズとのコント他、志村との舞台やラジオ番組には積極的に出演した。当時の志村は髪も薄くなく風貌も沢田と似ていたため、二人で向かい合って鏡に映る姿を演じるコントを行ったこともある。
  • 2007年阿久悠が死去した際、コンサートにて、阿久が沢田に作詞した最初の曲である『時の過ぎゆくままに』を観客とともに合唱し、その死を悼んだ[52]
  • 2015年、長年沢田のプロデューサーを務めた加瀬邦彦が死去した。同年の全国ツアーでは、新曲以外すべての曲で加瀬の作曲した曲でセットリストを構成し、その死を悼んだ。
  • 2019年萩原健一の死去に際して、同年5月のコンサートの中で以下の発言をし、その死を悼んだ[53]
時間はすぎてゆく、年齢はかさねていく、死んだ人もいる。長生きすることが必ずいいことだとは思いませんが、さすがにショーケンが死んだ時はこたえた。あいつなんかが死んだら、俺なんかと比べられるんだよ。昔の事とはいえ「ショーケンと言えばジュリー」と言われちゃうんだよ。俺は腹が立った。ショーケンはそんな奴じゃないぞ。もっと凄い奴だぞ。俺だって生き方が上手じゃない、けどショーケンはもっと上手じゃなかった。でもそれが萩原健一、萩原敬三(萩原の本名)だ。俺はあいつが大好きだ。見守っていてくれな。3秒間の黙とうを。
  • 吉田拓郎とはメールでやり取りする仲である。
  • 桂ざこばと交流があり、桂ざこばをモデルとした曲『TOMO=DACHI』(2008年)という曲を発表している。
  • 2019年末から個人事務所の社長に岸部一徳が就任した[54]

影響

[編集]

その他

[編集]
  • 朴一は著書「僕たちのヒーローはみんな在日だった…芸能・スポーツ界のKパワー」で、イニシャルながらも沢田のことを在日韓国・朝鮮人であると虚偽の決めつけ記事を掲載した。過去に「李花幻(いいかげん)」というペンネームで作詞・作曲していたことも誤解を招くきっかけとなった。これに対し沢田は、著書「我が名は、ジュリー」(中央公論社)に戸籍謄本のコピーを掲載し、日本国籍であると記しており、朴の主張は誤りである。
  • 父親は戦前、俳優を目指し衣笠貞之助の付き人をしていた[56]
  • 普段は関西弁である。
  • 歌唱時マイクは基本的に左手で持つ。
  • 1966年ビートルズが来日し、日本武道館でコンサートを開催した当時のファニーズのファンから「絶対見た方がいいよ」とコンサートのチケットを渡され足を運んだ。このコンサートを見た沢田は「こんなものにはなれないと思った」と語っている[57]
  • ザ・タイガース時代に運転免許の取得を試み、挫折したが、1979年に主演した映画『太陽を盗んだ男』で運転シーンがあったため、このシーンのために仕事の合間を縫って上北沢自動車学校に通い取得した。

作品

[編集]

シングル

[編集]
通番 発売日 タイトル 規格品番 備考 リリース国
1 1971年11月1日 君をのせて DR-1650
2 1972年3月10日 許されない愛 DR-1679
3 1972年6月25日 あなただけでいい DR-1700
4 1972年9月20日 死んでもいい DR-1720
5 1973年1月1日 あなたへの愛 DR-1736
6 1973年4月21日 危険なふたり DR-1765 初のオリコン1位を獲得
7 1973年8月10日 胸いっぱいの悲しみ DR-1785
8 1973年11月21日 魅せられた夜 DR-1810
9 1974年3月21日 恋は邪魔もの DR-1840
10 1974年7月10日 追憶 DR-1870
11 1974年11月21日 愛の逃亡者 THE FUGITIVE DP-1955
- 1975年01月20日※ MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE - 巴里にひとり』のフランス語バージョン
※フランスでの発売日
フランスの旗 フランススイスの旗 スイスカナダの旗 カナダ オーストリアギリシャの旗 ギリシャ ノルウェーベルギーの旗 ベルギーオランダの旗 オランダ
- 1975年01月21日※ THE FUGITIVE - ※イギリスでの発売日 イギリスの旗 イギリスオーストラリアの旗 オーストラリアシンガポールの旗 シンガポールニュージーランドの旗 ニュージーランド香港の旗 香港
12 1975年3月1日 白い部屋 DR-1915
- 1975年5月20日※ ATTENDS MOI - ※フランスでの発売日 フランスの旗 フランスカナダの旗 カナダベルギーの旗 ベルギースイスの旗 スイススペインの旗 スペインオランダの旗 オランダ
13 1975年5月21日 巴里にひとり DR-1935
14 1975年8月21日 時の過ぎゆくままに DR-1965 自身最大のヒット曲
- 1975年10月15日※ FOU DE TOI - ※フランスでの発売日 フランスの旗 フランスベルギーの旗 ベルギーオランダの旗 オランダ
15 1976年1月21日 立ちどまるな ふりむくな DR-3010
16 1976年5月1日 ウィンクでさよなら DR-6001
- 1976年5月15日※ ELLE - ※フランスでの発売日 フランスの旗 フランスベルギーの旗 ベルギーオランダの旗 オランダ
- 1976年5月15日 WHEN THE LIGHT WENT OUT - イギリスでのみリリース イギリスの旗 イギリス
17 1976年9月10日 コバルトの季節の中で DR-6045
18 1977年2月1日 さよならをいう気もない DR-6070
- 1977年2月21日 JULIE LOVE - フランスでのみリリース フランスの旗 フランス
19 1977年5月21日 勝手にしやがれ DR-6105 第19回日本レコード大賞受賞曲
- 1977年7月30日 MEMORIES - 西ドイツでの先行リリース ドイツの旗 ドイツ
20 1977年8月10日 MEMORIES DPQ-6065
21 1977年9月5日 憎みきれないろくでなし DR-6140
- 1977年※ TU AS CHANGE - ※フランスでの発売日 フランスの旗 フランス
- 1977年10月10日※ ROCK'NROLL CHILD - ※西ドイツでの発売日 ドイツの旗 ドイツベルギーの旗 ベルギーオランダの旗 オランダ
22 1978年1月21日 サムライ DR-6175
- 1978年1月21日 IN THE CITY - 西ドイツでのみリリース ドイツの旗 ドイツ
23 1978年5月21日 ダーリング DR-6215
24 1978年8月1日 ヤマトより愛をこめて DR-6235 映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』主題歌
25 1978年9月10日 LOVE (抱きしめたい) DR-6245
26 1979年2月1日 カサブランカ・ダンディ DR-6280
27 1979年5月31日 OH! ギャル DR-6310
28 1979年9月21日 ロンリー・ウルフ DR-6355
29 1980年1月1日 TOKIO DR-6385
30 1980年4月21日 恋のバッド・チューニング DR-6410
31 1980年9月21日 酒場でDABADA 7DX-1015
32 1980年12月23日 おまえがパラダイス 7DX-1035
33 1981年5月1日 渚のラブレター 7DX-1085
34 1981年9月21日 ス・ト・リ・ッ・パ・ー 7DX-1125
35 1982年1月10日 麗人 7DX-1150
36 1982年5月1日 おまえにチェックイン 7DX-1170
37 1982年9月10日 6番目のユ・ウ・ウ・ツ 7DX-1195
38 1983年1月1日 背中まで45分 7DX-1215
39 1983年5月10日 晴れのちBLUE BOY 7DX-1234
40 1983年9月21日 きめてやる今夜 7DX-1265
41 1984年2月10日 どん底 7DX-1280
42 1984年4月25日 渡り鳥 はぐれ鳥 7DX-1305
43 1984年9月25日 AMAPOLA 7DX-1340
44 1985年8月8日 灰とダイヤモンド WTP-17750 東芝EMI移籍第一弾
45 1986年4月23日 アリフ・ライラ・ウィ・ライラ 〜千夜一夜物語〜 WTP-17843
46 1986年10月22日 女神 WTP-17907
47 1987年3月21日 きわどい季節-Summer Graffiti- WTP-17948
48 1987年7月22日 STEPPIN' STONES WTP-17982
49 1987年11月16日 CHANCE RT07-2023
50 1988年6月25日 TRUE BLUE RT07-2111(EP)
XT10-2022(8cmCD)
51 1988年10月26日 Stranger -Only Tonight- RT07-2226(EP)
XT10-2226(8cmCD)
52 1989年5月24日 muda RT07-2339(EP)
XT10-2339(8cmCD)
53 1989年9月20日 ポラロイドGIRL RT07-2427(EP)
XT10-2427(8cmCD)
54 1990年2月7日 DOWN TODT-5076
55 1990年5月23日 世界はUp & Fall TODT-2517
56 1991年5月17日 SPLEEN 〜六月の風にゆれて〜 TODT-2669
57 1992年5月1日 太陽のひとりごと TODT-2831
58 1993年10月20日 そのキスが欲しい TODT-3121
59 1994年11月16日 HELLO / YOKOHAMA BAY BLUES TODT-3356 両A面
60 1995年11月29日 あんじょうやりや TODT-3621
61 1996年9月6日 愛まで待てない TODT-3790
62 1997年6月10日 オリーヴ・オイル TODT-3983
63 1997年8月27日 サーモスタットな夏 TODT-5023
64 1997年10月16日 恋なんて呼ばない TODT-5048
65 1998年6月24日 永遠に TODT-5160
66 1999年8月6日 鼓動 TODT-5334
67 2000年8月9日 耒タルベキ素敵 TOCT-22097
68 2001年6月8日 あの日は雨 TOCT-22157
69 2002年9月1日 忘却の天才 COLO-0820 JULIE LABEL第一弾
70 2003年4月25日 明日は晴れる COLO-0425
71 2004年2月25日 オーガニック オーガスム COLO-0225
72 2005年5月9日 greenboy COLO-0509
73 2006年4月21日 俺たち最高 COLO-0421
74 2007年6月25日 そっとくちづけを COLO-0625
75 2008年5月25日 ROCK'N ROLL MARCH COLO-0525
76 2017年3月11日 ISONOMIA COLO-1703
77 2019年3月11日 SHOUT! COLO-1903
78 2020年3月11日
2020年3月14日(一部店舗)
Help! Help! Help! Help! COLO-20200311
79 2022年6月25日 LUCKY/一生懸命 ANIM-20220625
80 2022年11月11日 いつか君は ANIM-20221111 映画『土を喰らう十二ヵ月』主題歌

オリジナル・アルバム

[編集]

ソロデビュー以来、毎年必ず新作アルバムを発表し、他に例を見ない連続記録といわれた[58]。 2014年3月26日には『JULIE』〜『NON POLICY』、2015年9月16日にはEMI所属時代に発売されたアルバムのうち『架空のオペラ』〜『HELLO』がユニバーサルミュージックからSHM-CDとして再発売された(『sur←』〜『新しい想い出 2001』は個人レーベルJULIE LABELから再発売されている[59])。

通番 発売日 タイトル 規格品番 備考 リリース国
1 1969年12月15日 JULIE MP-1465 ザ・タイガース在籍中にリリースされた作品
2 1971年12月21日 JULIE II MR-5011
3 1972年9月10日 JULIE IV 今僕は倖せです MR-5018
4 1973年8月21日 JULIE VI ある青春 MR-2237
5 1974年9月10日 JEWEL JULIE 追憶 MR-2258
6 1974年12月21日 THE FUGITIVE 愛の逃亡者 MP-2419
- 1975年1月21日 KENJI - 内容は『THE FUGITIVE 愛の逃亡者』と同一 イギリスの旗 イギリスインドネシアの旗 インドネシア香港の旗 香港
7 1975年12月21日 いくつかの場面 MR-2280
- 1976年2月1日 KENJI SAWADA - 内容は日本版と同一 フランスの旗 フランスドイツの旗 ドイツオランダの旗 オランダベルギーの旗 ベルギー
8 1976年4月21日 KENJI SAWADA MR-2289
9 1976年12月1日 チャコール・グレイの肖像 MR-3035
10 1977年11月15日 思いきり気障な人生 MR-3090
- 1978年4月 rock'n'roll child - 日本国外のみでのリリース フランスの旗 フランスドイツの旗 ドイツ
11 1978年8月10日 今度は、華麗な宴にどうぞ。 MR-3130
12 1978年12月1日 LOVE 〜愛とは不幸をおそれないこと〜 MR-3150
13 1979年11月25日 TOKIO MR-3210
14 1980年7月21日 BAD TUNING 28MX-1005
15 1980年12月23日 G.S.I LOVE YOU 28MX-1020
16 1981年6月10日 S/T/R/I/P/P/E/R 28MX-1040
17 1982年6月1日 A WONDERFUL TIME 28MX-1100
18 1982年12月10日 MIS CAST 28MX-1125
19 1983年3月5日 JULIE SONG CALENDAR KLA-1303 当初カセットテープのみで発売された
20 1983年10月1日 女たちよ 28MX-1149
21 1984年6月5日 NON POLICY 28MX-1171
22 1985年9月21日 架空のオペラ WTP-90353
23 1986年6月25日 CO-CóLO 1 〜夜のみだらな鳥達〜 WTP-90409
24 1987年5月25日 告白-CONFESSION- WTP-90468
25 1988年7月24日 TRUE BLUE RT28-5252
26 1989年10月11日 彼は眠れない CT32-5536
27 1990年6月20日 単純な永遠 TOCT-5712
28 1991年6月14日 PANORAMA TOCT-6154
29 1992年6月10日 Beautiful World TOCT-6511
30 1993年11月17日 REALLY LOVE YA!! TOCT-8245
31 1994年12月14日 HELLO TOCT-8657
32 1995年12月13日 sur← TOCT-9271(旧盤)
COLO-9512(再発盤)
33 1996年9月19日 愛まで待てない TOCT-9535(旧盤)
COLO-9609(再発盤)
34 1997年6月25日 サーモスタットな夏 TOCT-9872(旧盤)
COLO-9706(再発盤)
35 1998年7月15日 第六感 TOCT-10348(旧盤)
COLO-9807(再発盤)
36 1999年8月25日 いい風よ吹け TOCT-24185(旧盤)
COLO-9908(再発盤)
37 2000年9月13日 耒タルベキ素敵 TOCT-24403/4(旧盤)
COLO-0009/10(再発盤)
2枚組アルバム。全23曲
38 2001年6月20日 新しい想い出 2001 TOCT-24613(旧盤)
COLO-0106(再発盤)
39 2002年9月1日 忘却の天才 COLO-0209 初回ブック型特殊ケース仕様
40 2003年4月25日 明日は晴れる COLO-0304 初回盾形特殊ケース仕様
41 2004年2月25日 CROQUEMADAME & HOTCAKES COLO-0402 初回クロックマダム型特殊ケース仕様
42 2005年5月9日 greenboy COLO-0505 初回6Pチーズ型特殊ケース仕様
43 2006年4月21日 俺たち最高 COLO-0604 初回サイコロ型特殊ケース仕様
44 2007年6月25日 生きてたらシアワセ COLO-0710
45 2008年5月25日 ROCK'N ROLL MARCH COLO-0805

ミニ・アルバム

[編集]

2008年まで毎年行ってきたアルバム制作を縮小し、2009年からは4〜6曲程度収録したミニアルバムを発表するようになった[注釈 7]。2012年からは、前年の東日本大震災をきっかけに「祈り」をテーマにした楽曲を制作しており、作詞は全て沢田が手がけている。

通番 発売日 タイトル 規格品番 備考
1 2009年6月10日 Pleasure Pleasure COLO-0906
2 2010年9月1日 涙色の空 COLO-1009
3 2012年3月11日 3月8日の雲 COLO-1203
4 2013年3月11日 Pray COCOLO-1303
5 2014年3月11日 三年想いよ COLO-1403
6 2015年3月11日 こっちの水苦いぞ COLO-1503
7 2016年3月11日 un democratic love COLO-1603
8 2018年3月11日 OLD GUYS ROCK COLO-1803

カバー・アルバム

[編集]
通番 発売日 タイトル 規格品番 備考
1 1970年 ジュリーのロックカクテル - ザ・タイガース在籍時にリリース
2 1991年12月4日 A SAINT IN THE NIGHT TOCT-9589

ベスト・アルバム

[編集]
通番 発売日 タイトル 規格品番 備考 リリース国
1 1973年6月10日 沢田研二 GLORIOUS 20 MR-8535/6 LP2枚組
2 1974年4月10日 パーフェクト MR-9801/2 LP2枚組
3 1975年4月25日 沢田研二 パーフェクト14 MR-7501
4 1976年9月10日 FOREVER 〜沢田研二ベスト・セレクション〜 MR-9201/2 LP2枚組
5 1977年12月15日 沢田研二大全集 MRA-9610〜4 LP5枚組限定版
6 1977年7月25日 Kenji Sawada Nice Songs 勝手にしやがれ KSF-1060 カセットテープのみ
7 1977年7月25日 Rock'n Julie with Tigers KSF-1057 カセットテープのみ
- 1978年4月 YESTERDAY TODAY - 香港のみでのリリース 香港の旗 香港
8 1978年5月25日 ダーリング・Julie KSF-1101 カセットテープのみ
9 1979年4月1日 ROYAL STRAIGHT FLUSH MR-3170 CD再発
10 1980年2月25日 沢田研二全曲集 - カセットテープのみ
11 1980年9月25日 酒場でDABADA KLA-1144 カセットテープのみ
12 1981年1月25日 沢田研二全曲集 - カセットテープのみ
13 1981年5月25日 沢田研二作品集 KLA-1187 カセットテープのみ
- 1981年 KENJI SAWADA Greatest Hits - 香港のみでのリリース 香港の旗 香港
14 1981年12月15日 ROYAL STRAIGHT FLUSH[2] 28MX-1080 CD再発
15 1982年10月25日 ジュリー・CMソング・コレクション KSA-1112 カセットテープのみ
16 1983年10月25日 沢田研二全曲集 - カセットテープのみ
17 1984年3月25日 ROYAL STRAIGHT FLUSH[3] 28MX-1170 CD再発
18 1985年9月1日 Royal Straight Flush SPECIAL H32P-20044
19 1986年6月1日 Julie Special 〜沢田研二 A面コレクション〜 H75P-20082〜4 ポリドール所属期のソロシングルA面全曲と「灰とダイヤモンド」を収録 CD再発(SHM-CD仕様)3枚組
20 1986年8月21日 我が名は、ジュリー KLF-1178〜1182
KSF-1474
カセットテープのみ(20周年記念カセット6本セット限定盤)
21 1987年9月13日 SUPER BEST CT25-5344/5 2枚組
22 1996年11月20日 沢田研二 B面コレクション SPCD-1593〜5 30周年記念32タイトルCD再発予約特典(非売品)オリジナルアルバム未収録のシングルB面曲(「君をのせて」〜「muda」まで)を収録
後にJULIE LABELからコンサート会場限定再発売。3枚組
23 1996年12月11日 AFTERMATH TOCT-9710 バラード・セレクション
24 1997年12月10日 Royal Straight Flush 1971-1979 TOCT-10014/5 収録曲は「君をのせて」〜「ロンリーウルフ」までのシングルA面 2枚組。2015年9月16日にSHM-CD仕様で再発売(ユニバーサルミュージック)
25 1997年12月10日 Royal Straight Flush 1980-1996 TOCT-10016/7 収録曲は「TOKIO」〜「愛まで待てない」までのシングルA面(「HELLO / YOKOHAMA BAY BLUES」は両曲収録) 2015年9月16日にSHM-CD仕様で再発売(ユニバーサルミュージック)2枚組
26 1997年12月10日 Distortion Love TOCT-10018 アルバム『彼は眠れない』〜『HELLO』からのセレクションベスト
27 2008年6月25日 Cocolo No oto COLO-086251〜5 セルフプロデュース期の沢田研二作詞曲69曲を収録、アートディレクションは森本千絵。5枚組
28 2008年8月27日 SINGLE COLLECTION BOX Polydor Years UPCY-9152〜94 ポリドール在籍時の全シングルのCD-BOX
29 2012年6月6日 ロイヤル・ストレート・フラッシュ 1 2 3 UPCY-9202〜4 3000セット限定

ライブ・アルバム

[編集]
通番 発売日 タイトル 規格品番 収録・備考
1 1972年3月10日 JULIE III SAWADA KENJI RECITAL AR-9001/2 1971年12月24日 日生劇場 LP2枚組
2 1972年12月21日 JULIE V 沢田研二 日生リサイタル MR-9121/2 1972年10月17日-21日 日生劇場 LP2枚組
3 1973年12月21日 JULIE VII THE 3rd 沢田研二リサイタル MR-9127〜9 1973年10月10日 中野サンプラザ LP3枚組
4 1975年10月21日 沢田研二比叡山フリーコンサート MR-9150/1 1975年7月20日 蛇ヶ池人工スキー場 LP2枚組
5 1977年8月10日 沢田研二リサイタル ハムレット・イン・ジュリー MRA-9608/9 1977年6月29日-30日 NHKホール LP2枚組
6 1978年10月25日 JULIE ROCK'N TOUR '78 田園コロシアムライブ KMF-1021 1978年8月31日 田園コロシアム(カセットテープのみ)
7 1979年8月25日 JULIE ROCK'N TOUR '79 KRZ-5001 1979年7月28-29日 渋谷公会堂(カセットテープ2枚組)
8 1981年3月21日 サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル K69-1001 1981年1月25日 日本劇場
(カセットテープのみ。1998年11月26日CD再発)
9 1986年12月25日 架空のオペラ '86 T32-1105〜8 正月歌劇: 1986年1月16-18日 NHKホール、1月21-28日 フェスティバルホール
SUMMER LIVE '86: 1986年10月8-9日 新宿厚生年金会館、10月10日 フェスティバルホール(20周年記念LP/CD4枚組限定盤)
10 1992年1月16日 武道館コンサート "Julie Mania"
(25周年記念コンサートCD2枚組)
TOCT-6411/2(旧盤)
COLO-9110/11(再発盤)
1991年10月11日 日本武道館(25周年記念コンサートCD2枚組)
11 1996年11月20日 沢田研二 ライブセレクション SPCD-1592 30周年記念32タイトルCD再発予約特典(非売品)
12 2009年7月25日 人間60年・ジュリー祭り COLO-0812 2008年12月に行われた東京ドーム公演『人間60年・ジュリー祭り』の模様を収めたCD6枚組(全82曲完全収録)。

企画盤

[編集]
通番 発売日 タイトル 規格品番 媒体 備考
1 1973年 いま、このときめきを - ソノシート 作詞作曲:よしだたくろう
フジカラーのCMソングに起用。非売品。
2 1997年 TIME IS ON MY SIDE PCDSZ-1101 シングル 高橋幸宏玉置浩二とともにローリング・ストーンズタイム・イズオン・マイ・サイドをカバー。トヨタクレスタのCMソングに起用。非売品。
3 1997年3月26日 君を真実に愛せなくては他の何も続けられない TODT-3927 シングル 森本太郎岸部一徳と共に“TEA FOR THREE”名義で発売
4 2001年10月24日 まごころよりどころ TKDA-72236 シングル 松坂慶子とのデュエット“研二と慶子”名義で発売
映画『カタクリ家の幸福』劇中歌
5 2010年2月10日 渚でシャララ YICD-70060 シングル ザ・ワイルドワンズと共に“ジュリー with ザ・ワイルドワンズ”名義で発売
6 2010年3月24日 JULIE with THE WILD ONES YICD-70072 アルバム ジュリー with ザ・ワイルドワンズ”名義で発売

映像作品(ライブ・テレビ)

[編集]

ソロデビュー以降、恒例の東京・大阪を中心とした正月コンサートと、全国ツアーを行っている。以下、映像化されたものを記す。

通番 発売日 タイトル 媒体 規格品番 収録 備考
1 1980年7月21日 JULIE PRESENTS'80 BAD TUNING VHSβ - 1980年5月24日 横浜スタジアム 2002年VHSのみ再発
2 1983年3月10日 JULIE CONCERT TOUR'83 MIS CAST VHS、β - 渋谷公会堂 2003年VHSのみ再発
3 1991年3月 KENJI SAWADA With Jazz Master VHS、DVD COLO-99010 1990年10月28日 一橋大学 兼松講堂 DVDは数量限定
4 1992年1月16日 武道館コンサート ジュリーマニア VHS、DVD APVF-9001(VHS)
COLO-99110(DVD)
1991年10月11日 日本武道館
5 1992年7月 A SAINT IN THE NIGHT VHS、DVD COLO-99202 1992年2月22日 NHKホール DVDは数量限定
6 1994年4月25日 REALLY LOVE YA!! VHS、DVD COLO-99401 1994年1月6日 渋谷公会堂
7 1995年1月5日 ZU ZU Songs VHS、DVD COLO-99410 1994年10月2日 渋谷公会堂
8 1996年6月 あんじょうやりや VHS、DVD COLO-99603 1996年3月8日 ティアラこうとう
9 1997年6月 Concert Tour 96 and 97 愛まで待てない VHS、DVD COLO-99702 1997年2月8日 パルテノン多摩
10 1997年10月 tour'97 サーモスタットな夏 VHS、DVD COLO-99710 1997年10月18日 日比谷野外音楽堂
11 1998年6月 ROYAL STRAIGHT FLUSH VHS、DVD COLO-99801 1998年1月6日 渋谷公会堂
12 1999年1月 1998 ROCKAN' TOUR VHS、DVD COLO-99810 1998年10月3日 松戸森のホール21 DVDは数量限定
13 1999年5月 1999正月コンサート VHS、DVD COLO-99901 1999年1月9日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
14 2000年3月 いい風よ吹け VHS、DVD COLO-99911 1999年11月14日 東京厚生年金会館 DVDは数量限定
15 2000年6月 祝・2000年正月大運動会 VHS、DVD COLO-90001 2000年1月8日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
16 2000年12月 耒タルベキ素敵 VHS、DVD COLO-90009 2000年9月24日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
17 2001年4月 21世紀初三大都市公演 VHS、DVD COLO-90101 2001年1月6日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
18 2002年 新しい想い出 VHS、DVD COLO-90112 2001年12月8日 大宮ソニックシティ DVDは数量限定
19 2002年9月 糸車のレチタティーボ VHS、DVD COLO-90201 2002年1月7日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
20 2002年11月12日 快傑ジュリーの冒険 VHS、DVD COLO-9999 フジテレビ番組『クイズドレミファドン』出演時の映像を収録(1976年-1987年、全28話)
21 2003年7月 忘却の天才 VHS、DVD COLO-90210 2002年10月26日 府中の森芸術劇場 DVDは数量限定
22 2003年7月 LOVE & PEACE VHS、DVD COLO-90301 2003年1月7日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
23 2004年3月 明日は晴れる VHS、DVD COLO-90311 2003年11月3日 大宮ソニックシティ DVDは数量限定
24 2004年7月 爛漫甲申演唱会 VHS、DVD COLO-90401 2004年1月18日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
25 2005年5月25日 CROQUEMADAME & HOTCAKES DVD COLO-90411 2004年11月6日 大宮ソニックシティ
26 2005年6月1日 師走 RomantiX DVD COLO-90412 2004年12月25日 東京国際フォーラム ホールA
27 2006年5月15日 greenboy DVD COLO-90511 2005年11月19日 大宮ソニックシティ
28 2007年5月3日 ワイルドボアの平和 DVD COLO-90701 2007年1月14日 渋谷C.C.Lemonホール
29 2008年2月2日 生きてたらシアワセ DVD COLO-90710 2007年10月13日 渋谷C.C.Lemonホール
30 2009年6月25日 人間60年・ジュリー祭り DVD COLO-90812 2008年12月3日 東京ドーム 4枚組DVD
31 2011年12月21日 沢田研二 in 夜のヒットスタジオ DVD POPD-22036 フジテレビ番組『夜のヒットスタジオ』出演時の映像を収録(1975年5月5日-1990年2月21日、全102回) 6枚組DVD
32 2012年6月29日 沢田研二 LIVE 2011〜2012 ゲスト:瞳みのる・森本太郎・岸部一徳 DVD COLO-91201 2012年1月24日 日本武道館
33 2020年12月4日 沢田研二 BEST OF NHK DVD-BOX DVD NSDX-24672 NHK出演時の映像を収録 5枚組DVD
34 2021年4月28日 沢田研二 TBS PREMIUM COLLECTION DVD POBD-25094〜100 ザ・ベストテン出演映像を含むTBS出演時の映像を収録 7枚組DVD
35 2024年1月24日 沢田研二 LIVE 2022-2023「まだまだ一生懸命」ツアーファイナル バースデーライブ Blu-ray ANIM-240112 2023年6月25日 さいたまスーパーアリーナ
ゲスト:瞳みのる・森本太郎・岸部一徳
2024年1月12日からライブ会場他で先行販売

映像作品(舞台)

[編集]

1989年から1998年まで続いた音楽劇「ACT」シリーズ(演出・加藤直)では、ほぼ1人芝居で哲学的な内容を演じている。9枚組のCD全集が発売されている。

通番 公演年 タイトル 媒体 規格品番 公演場所・収録日・その他 備考
1 1977年 ロックオペラ・ハムレット レコード MRA-9608/9 1977年6月29日-30日 NHKホール
2 1989年 YOKOHAMAスーパーオペラ“海光”公演記念盤 CD、VHS CT32-5496 演出:市川猿之助(現:市川猿翁)音楽:加藤和彦 脚本・作詞:安井かずみ
3 1990年 ACT BORIS VIAN VHS、DVD COLO-99003 1990年3月7日-27日 東京グローブ座・新神戸オリエンタル劇場 夭折したフランスの芸術家を演じた1人芝居
4 1991年 ACT NINO ROTA VHS、DVD COLO-99103 1991年3月3日-24日 東京グローブ座・神戸オリエンタル劇場 フェデリコ・フェリーニ監督の音楽を務めた作曲家がモチーフ
5 1992年 ACT SALVADOR DALI VHS、DVD COLO-99203 1992年3月4日-22日 東京グローブ座・神戸オリエンタル劇場 スペインの幻影的な作風で知られる画家ダリがモチーフ。助演:篠井英介
6 1993年 ACT SHAKESPEARE VHS、DVD COLO-99303 1993年3月公演 東京グローブ座・神戸オリエンタル劇場 音楽は例年のcobaに加えてドラム村上“PONTA”秀一、ベース高橋ゲタ夫が参加。
7 1994年 ACT Edith Piaf VHS、DVD COLO-99406 1994年東京グローブ座・新神戸オリエンタル劇場で6-7月公演 フランスのシャンソン歌手エディツト・ピアフの生涯を歌と芝居でえがく
8 1995年 ACT BUSTER KEATON VHS、DVD COLO-99505 1995年6月-7月 東京グローブ座、新神戸オリエンタル劇場で全22公演 喜劇役者パスター・キートンがモチーフ
9 1996年 DORA 100万回生きたねこ CD PCDZ-1463 1996年6月に東京芸術劇場でスタートし、国内全88公演+フランス公演 演出・振付:フィリップ・ドゥクフレ
10 1996年 ACT 宮沢賢治 VHS、DVD COLO-99611 1996年11月14日東京グローブ座で収録、新神戸オリエンタル劇場などで 全21公演 ベートーベンの「運命」に「雨にも負けず…」と詩をのせて歌った
11 1997年 ACT ELVIS PRESLEY VHS、DVD COLO-99705 1997年5月15日東京グローブ座で収録。神戸オリエンタル劇場をあわせて全21公演 ロックの王様プレスリーがモチーフ
12 1998年 ブルーエンジェル CD PCDZ-1598 1998年2月-3月 シアターコクーン全61公演 ロイヤル・シェイクスピアカンパニー初演、映画にもなった「嘆きの天使」の翻訳ミュージカル
13 1998年 ACT むちゃくちゃでごじゃりまするがな VHS、DVD COLO-99811 1998年11月19日収録。東京グローブ座など全21公演
14 1999年 ACT 大全集 CD COLO-0117 9枚組 ACTシリーズ全10公演のうち9公演を収録
15 1999年 ミュージカル ザ・近松 VHS、DVD COLO-99902 1999年2月27日 日生劇場。全32公演 演出:大谷亮介
16 2001年 音楽劇 いつかヴァスコ・ダ・ガマのように VHS、DVD COLO-90109 2001年9月-10月 シアターコクーンなど東京・名古屋・大阪で全40公演 演出:久世光彦
17 2002年 風狂伝'02 VHS、DVD COLO-90206 2002年6月28日 東京ル・テアトル銀座、大阪ドラマシティで全33公演 演出:久世光彦
18 2003年 沢田・志村の「さあ、殺せ!」 VHS、DVD COLO-90307 2003年 シアターコクーン 演出:久世光彦
19 2004年 歌劇 人情酸漿蛍 DVD COLO-90408 2004年7月-9月 シアターコクーンなど 演出:久世光彦
20 2005年 センセイの鞄 DVD COLO-90508 2005年8月-9月、シアターコクーンをはじめ東京・神戸・名古屋で公演。 演出:久世光彦、原作:川上弘美
21 2006年 音楽劇モダン出世双六 天国を見た男 DVD COLO-90607 2006年 東京芸術劇場収録、シアタードラマシティ・名鉄ホールで全27公演 演出:マキノノゾミ
22 2008年 音楽劇ぼんち DVD COLO-90804 2008年4月19日 東京紀伊國屋サザンシアター収録。全28公演 演出:マキノノゾミ
23 2009年 探偵〜哀しきチェイサー DVD COLO-90904 2009年4月 東京紀伊國屋サザンシアター収録。公演は東京・大阪で26公演 演出:マキノノゾミ
24 2010年 新・センセイの鞄 DVD COLO-91004 2010年4月3日 東京紀伊國屋サザンシアターで収録 演出:マキノノゾミ。全26公演
25 2012年 お嬢さんお手上げだ DVD COLO-92103 2012年4月 東京紀伊國屋サザンシアターなど全30公演 演出:マキノノゾミ
26 2013年 探偵〜哀しきチェイサー・雨だれの挽歌 DVD COLO-91303 2013年3月〜5月 東京紀伊國屋サザンシアターなど全35公演 演出:マキノノゾミ
27 2014年 悪名〜The Badboys Return! DVD COLO-91404 2014年3月〜5月 東京紀伊國屋サザンシアターなど全34公演 演出:マキノノゾミ
28 2015年 お嬢さんお手上げだ・明治編 DVD COLO-91504 2015年3月〜5月 東京紀伊國屋サザンシアターなど全44公演 演出:マキノノゾミ
29 2017年 大悪名〜The Badboys Last Stand! CD COLO-1706 2017年5月〜6月 東京芸術劇場など全22公演 演出:マキノノゾミ

提供曲

[編集]

ザ・ピーナッツ「東京の女」、内田裕也「きめてやる今夜」、高樹澪シブがき隊リタ・クーリッジ西城秀樹、田中裕子など、多くの歌手や俳優に詞・訳詞・曲を提供している。中でも、1982年にアン・ルイスに提供した「ラ・セゾン」(作詞は三浦百恵)は、オリコン週間チャート最高3位、累計売上35.4万枚を記録し、アン・ルイス最大のヒットシングルとなった。

歌手名 曲タイトル 作詞 作曲 編曲 年度 備考
荒木隼人 KITTO! KITTO! KITTO! 沢田研二 沢田研二 沢健一 1981年 「涙のスピード」B面
荒木隼人 涙のスピード 三浦徳子 沢田研二 沢健一 1981年 シングルEP
アン・ルイス Clumsy Boy 三浦百恵 沢田研二 1982年 「ラ・セゾン」B面
アン・ルイス ラ・セゾン 三浦百恵 沢田研二 伊藤銀次 1982年 シングルEP
糸井重里 I LOVE YOU TOO 糸井重里 沢田研二 1980年 アルバム『ペンギニズム』
伊東真由美 今夜だけナルシスト 竹内まりや 沢田研二 1988年 アルバム『CITY CATS』
内田裕也 きめてやる今夜 沢田研二 沢田研二 ジョニー大倉 1977年 シングルEP
内田裕也 真珠は困りもの 東海林良 沢田研二 大野克夫 1981年 アルバム『さらば愛しき女よ』
奥村チヨ いたずら 山上路夫 沢田研二 川口真 1970年 アルバム『くやしいけれど幸せよ』
影山ヒロノブ ブロンズ・シュガー 竜真知子 沢田研二 水谷公夫 1982年 「ほとんどクレイジー」B面
影山ヒロノブ ほとんどクレイジー 竜真知子 沢田研二 水谷公夫 1982年 シングルEP
木の実ナナ 美しき女 三浦徳子 沢田研二 1984年 アルバム『ALL THAT NANA-20-』
研ナオコ レインな別れ 岡田冨美子 沢田研二 1983年 アルバム『スタンダードに悲しくて
小島拓也 オルフェの伝言 阿木燿子 沢田研二 チト河内 1983年 シングルEP
小島拓也 本能 沢田研二 沢田研二 チト河内 1983年 アルバム『青春共和国』
小島拓也 やさしく LOVE ME DO 沢田研二 沢田研二 後藤次利 1983年 「オルフェの伝言」B面
西城秀樹 アイ・ビリーブ・イン・ミュージック Mac Davis/沢田研二(訳詞) Mac Davis 渡辺茂樹 1973年 ライブ・アルバム『西城秀樹オン・ステージ
佐藤隆 白夜のエトランゼ ETRANGE 沢田研二 佐藤隆 1984年 アルバム『男と女』
佐藤隆 慕情 沢田研二 佐藤隆 1986年 アルバム『日々の泡』
佐藤隆 短くも狂おしく燃え 沢田研二 佐藤隆 1984年 アルバム『男と女』
ザ・ピーナッツ 青白いバラ 山上路夫 沢田研二 宮川泰 1970年 シングルEP「大阪の女」B面
ザ・ピーナッツ 男と女の世界 山上路夫 沢田研二 クニ河内 1970年 シングルEP
ザ・ピーナッツ 北国の恋 山上路夫 沢田研二 宮川泰 1971年 「なんの気なしに」B面
ザ・ピーナッツ しあわせの誓い 山上路夫 沢田研二 クニ河内 1970年 「男と女の世界」B面
ザ・ピーナッツ 白い小舟 山上路夫 沢田研二 クニ河内 1970年 EP「東京の女 沢田研二 作品をうたう」A面2曲目収録
ザ・ピーナッツ 東京の女 山上路夫 沢田研二 宮川泰 1970年 シングルEP
ザ・ピーナッツ なんの気なしに 山上路夫 沢田研二 宮川泰 1971年 シングルEP
佐山雅弘 Most Beautiful[注釈 8] 沢田研二 佐山雅弘 1997年 アルバム『a point of the globe』
ザ・ワイルドワンズ バカンス事情 岩里祐穂 沢田研二 矢島賢 1983年 アルバム『ロマン・ホリディ』
ザ・ワイルドワンズ LOVE ISLAND 秋元康 沢田研二 吉田建 1983年 アルバム『ロマン・ホリディ』
シブがき隊 WEATHER GIRL 沢田研二 沢田研二 渡辺茂樹 1982年 アルバム『シブがき隊 ボーイズ & ガールズ
シブがき隊 ハートでCOME ON! 沢田研二 沢田研二 小笠原寛 1982年 アルバム『シブがき隊 ボーイズ & ガールズ』
高樹澪 恋に罰あたり 沢田研二 沢田研二 吉田建 1986年 アルバム『ぴぃー・かぁー・ぶぅー』
高樹澪 生活美人 原真弓 沢田研二 チト河内 1983年 シングルEP
高樹澪 戯れてSUNSET 沢田研二 沢田研二 吉田建 1982年 シングルEP
多岐川裕美 黒のオートバイ 三浦徳子 沢田研二 小笠原寛 1982年 シングルEP
多岐川裕美 今夜だけナルシスト 竹内まりや 沢田研二 小笠原寛 1981年 アルバム『紅夜想曲』
多岐川裕美 火の鳥 三浦徳子 沢田研二 小笠原寛 1982年 アルバム『夢見心地』
田中康夫高橋章子 ブリリアントなクリスタルカクテル 田辺聖子 沢田研二 1982年 ビックリハウス企画アルバム収録
田中裕子 チャイナドール 松本一起 沢田研二 1986年 シングルEP
田中裕子 プリマドンナ 沢田研二 沢田研二 1986年 アルバム『泳いでる…』
田中裕子 リラの男 沢田研二 沢田研二 1986年 アルバム『泳いでる…』
田中裕子 夢飾り 阿久悠 沢田研二 1987年 アルバム『女が男を愛せる瞬間』
田中裕子 ロマンチストは肩身がせまい 阿久悠 沢田研二 1988年 シングルEP「純愛のススメ」B面
堤大二郎 ぎりぎり愛して 有川正沙子 沢田研二 大谷和夫 1982年 シングルEP
堤大二郎 レーザー・アイズ 有川正沙子 沢田研二 大谷和夫 1982年 「ぎりぎり愛して」B面
原辰徳 いくつもの季節 藤公之介 沢田研二 大野克夫 1982年 アルバム『サムシング』
原辰徳 恋はうたかた 藤公之介 沢田研二 大野克夫 1982年 アルバム『サムシング』
藤圭子 愛と罰 石坂まさを 沢田研二 1973年 アルバム『演歌全集』
藤真利子 薔薇 山口洋子 沢田研二 岡田徹 1981年 アルバム『狂躁曲』
藤真利子 モナリザの伝説 微美杏里 沢田研二 白井良明 1983年 アルバム『アブラカダブラ』
藤真利子 YAI YAI YAI 微美杏里 沢田研二 白井良明 1983年 アルバム『アブラカダブラ』
街田祐子 片思い症候群 来生えつこ 沢田研二 大村憲司 1981年 シングルEP
松金よね子 おばあチャンバ 高平哲郎 沢田研二 後藤次利 1982年 シングルEP
松金よね子 ウルトラがサバドゥビャ 高平哲郎 沢田研二 後藤次利 1982年 「おばあチャンバ」B面
松金よね子 眠れないなら -アニマル・ララバイ- 高平哲郎 沢田研二 大野克夫 1982年 シングルEP
松金よね子 燃えよもやしっ子 高平哲郎 沢田研二 大野克夫 1982年 「眠れないなら -アニマル・・ララバイ-」B面
松平健 Boyと呼ばれた頃に 尾崎亜美 沢田研二 小林信吾 1984年 アルバム『花』
松平健 行方知れずのセシル 北中治美 沢田研二 1984年 アルバム『花』
松本友里 SAYONARAを止めて 秋元康 沢田研二 大谷和夫 1985年 シングルEP
森本タローとスーパースター 若すぎた愛 沢田研二 井上堯之 1974年 シングルEP
森本タローとスーパースター 太陽のロマン 沢田研二 井上堯之 1974年 「若すぎた愛」B面
森本タローとスーパースター Long Good-by[注釈 9] 岸部一徳/沢田研二 森本太郎 2008年 アルバム『J.S.T ROCK'N'ROLL』
安井かずみ ビアフラの戦い〜誰よりも 安井かずみ 沢田研二 1970年 アルバム『ZU ZU』
山田邦子 永遠の恋人 近田春夫 沢田研二 1982年 アルバム『贅沢者』
山田邦子 涙のGOOD VIBRATION 山田邦子 沢田研二 1982年 アルバム『贅沢者』
リタ・クーリッジ 美しき女 LOVE FROM TOKYO 三浦徳子/Ralf F.McCarthy 沢田研二 1984年 シングルEP
ロック・パイロット 風にそよぐ葦[注釈 10] 安井かずみ 沢田研二 1971年 シングルEP
ロック・パイロット ひとりぼっちの出発 安井かずみ 沢田研二 1971年 シングルEP
ロック・パイロット ブルージンブルース 安井かずみ 沢田研二 1971年 アルバム『ロック・パイロット』
渡辺えり スペシャルボーイ 沢田研二 沢田研二 白井良明 1987年 アルバム『夢で逢いましょう』

受賞歴

[編集]
1972年
1973年
1974年
1975年
  • 第3回FNS歌謡祭 上期特別賞『巴里にひとり』
  • 第4回東京音楽祭 国内大会 ゴールデンスター賞『巴里にひとり』
  • ゴールデンディスク賞『MON AMOUR, JE VIENS DU BOUT DU MONDE』(フランス)
  • 第4回FNS歌謡祭 下期優秀歌唱賞『時の過ぎゆくままに
  • 第1回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 年間話題賞『時の過ぎゆくままに』
  • 第6回日本歌謡大賞 放送音楽賞『時の過ぎゆくままに』
1977年
  • 第19回日本レコード大賞 大賞『勝手にしやがれ[63]
  • 第8回日本歌謡大賞 大賞『勝手にしやがれ』
  • 第10回日本有線大賞 大賞『勝手にしやがれ』
  • 77あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 ゴールデングランプリ『勝手にしやがれ』
  • 第6回東京音楽祭 国内大会 ゴールデンカナリー賞『勝手にしやがれ』
  • 第6回東京音楽祭 世界大会 銀賞『勝手にしやがれ』
1978年
1979年
1980年
1981年
1982年
1983年
1991年
1992年
2007年
2009年
2011年
  • 第23回ミュージック・ペンクラブ音楽賞 ポピュラー部門 録音・録画作品賞『JULIE with THE WILD ONES/ジュリー with ザ・ワイルドワンズ』[注釈 11]
  • 第23回ミュージック・ペンクラブ音楽賞 ポピュラー部門 コンサート・パフォーマンス賞『JULIE with THE WILD ONES LIVE “僕達ほとんどいいんじゃあない”』[注釈 11]
2012年
  • 第24回ミュージック・ペンクラブ音楽賞 ポピュラー部門 コンサート・パフォーマンス賞『沢田研二Live2011−12ゲスト:瞳みのる・森本太郎・岸部一徳』
2021年
  • 令和3年度 京都市文化功労者
2022年
  • 第40回京都府文化賞 功労賞
2023年

出演

[編集]

NHK紅白歌合戦出場歴

[編集]

ソロ・デビュー翌年の1972年(昭和47年)に紅白歌合戦に初出場して以来、17回紅白出場を果たしている。初出場以前の第21回では、出場したザ・ピーナッツに提供した「東京の女」の作曲者として曲名とともにテロップで紹介された。1976年(昭和51年)は不祥事により出場しなかった。また、1978年(昭和53年)には、紅組の山口百恵と共にポップス歌手としては初めて、紅白のトリ(大トリ)を務めた。これは沢田にとって唯一のトリである。また1989年(平成元年)にはザ・タイガース名義でも出場し、1回に別名義で2度出場した。1983年(昭和58年)は、出場歌手から紅白1組ずつ表彰される制度(金杯・銀杯)があり、沢田は金杯を授与された。

年度 放送回曲目出演順対戦相手備考
1972年第23回許されない愛20/23ちあきなおみ
1973年第24回2危険なふたり16/22欧陽菲菲
1974年第25回3追憶23/25由紀さおり
1975年第26回4時の過ぎゆくままに19/24梓みちよ
1977年第28回5勝手にしやがれ18/24小柳ルミ子
1978年第29回6LOVE(抱きしめたい)24/24山口百恵大トリ
1979年第30回7カサブランカ・ダンディ14/24山口百恵(2)
1980年第31回8TOKIO06/23岩崎宏美
1981年第32回9ス・ト・リ・ッ・パ・ー14/22ロス・インディオスシルヴィア
1982年第33回106番目のユ・ウ・ウ・ツ15/22桜田淳子
1983年第34回11晴れのちBLUE BOY06/21小柳ルミ子(2)金杯受賞
1984年第35回12AMAPOLA12/20髙橋真梨子
1985年第36回13灰とダイヤモンド13/20原田知世
1986年第37回14女神06/20中森明菜
1987年第38回15チャンス13/20金子由香利
1989年第40回16DOWN11/20小比類巻かほる
1994年第45回17HELLO17/25藤あや子

映画

[編集]

テレビドラマ

[編集]

音楽番組

[編集]

バラエティ番組

[編集]

ラジオ番組

[編集]
  • 沢田研二の素晴らしい世界(1972年 - 1973年、ニッポン放送
  • 沢田研二・愛をもとめて(1973年 - 1975年、ニッポン放送)
  • 沢田研二ラブコレクション(1977年 - 1979年、ニッポン放送)
  • 沢田研二と白石冬美のオレンジ通り5番街(1978年 - 1979年、文化放送
  • 沢田研二のサウンド・フリーウエー(1979年 - 1980年、ニッポン放送)
  • 沢田研二の愛の贈りもの(1980年 - 1981年、ニッポン放送)
  • 日産ミッドナイトステーション 沢田研二の夜は気ままに(1981年 - 1983年、TBSラジオ
  • 沢田研二劇場 夜はいいやつ(1981年 - 1982年、ニッポン放送)
  • ジュリープラスアルファ 夜はライバル(1982年 - 1983年、ニッポン放送)
  • 海外ラジオドラマ特集 家族の声(1982年3月15日、NHK-FM
  • 特集サラウンドシアター 帰ってきた男(1990年1月6日、NHK-FM)
  • 特集サラウンドファンタジー 日々の泡:ボリス・ヴィアンのうたかたの日々(1990年8月5日、NHK-FM)
  • FMシアター 星条旗の聞こえない部屋(1993年10月2日、NHK-FM)
  • 沢田研二・志村けんのジュリけん(2001年10月6日 - 2003年3月30日、文化放送、志村けんとの共演)
  • 沢田研二の「そんなんこんなん」(2001年 - 2003年、朝日放送
  • 今日は一日ジュリー三昧(2008年11月3日、NHK-FM放送)

舞台

[編集]

1989年から1998年まで続いた音楽劇「ACT」シリーズ(演出・加藤直)では、ほぼ1人芝居で哲学的な内容を演じている。

  • 唐版・瀧の白糸(1975年3月11日-16日、大映東京撮影所ステージ)- 主演・アリダ
  • ロックオペラ・ハムレット(1977年6月29日-30日、NHKホール)- 主演・ハムレット
  • ロックミュージカル・天草四郎(1978年4月30日-5月2日、帝国劇場)- 主演・天草四郎
  • 貧民倶楽部(1986年12月 帝国劇場)- 主演・千破矢瀧太郎
  • 楽劇 The Anzuchi・麗しき魔王の国(1987年10月3日-26日、銀座セゾン劇場)- 主演・織田信雄
  • 音楽劇 ドン・ジョバンニ〜超人のつくり方(1988年12月3日-26日、銀座セゾン劇場)- 主演・ドン・ジョバンニ
  • ACT KURT WEILL(1989年3月、東京グローブ座ほか)- 主演・クルト・ヴァイル
  • YOKOHAMAスーパーオペラ"海光"(1989年6月22日-26日、横浜アリーナ)- 主演・スサーノ[注釈 26]
  • ACT BORIS VIAN(1990年3月7日-27日、東京グローブ座・新神戸オリエンタル劇場)- 主演・ボリス・ヴィアン
  • ACT NINO ROTA(1991年3月3日-24日、東京グローブ座・神戸オリエンタル劇場)- 主演・ニーノ・ロータ
  • ACT SALVADOR DALI(1992年3月4日-22日、東京グローブ座・神戸オリエンタル劇場)- 主演・サルバドール・ダリ
  • ACT SHAKESPEARE(1993年3月、東京グローブ座・神戸オリエンタル劇場)- 主演・ウィリアム・シェイクスピア
  • 音楽劇 「漂泊者のアリア」藤原義江の生涯(1993年7月、NHKホールほか大阪・名古屋・福岡)- 主演・藤原義江
  • 阿呆劇 三文オペラ(1993年10月、東京シアターコクーン)- 主演・第一の阿呆[注釈 27]
  • 戯曲 かもめ(1994年2月-3月 新神戸オリエンタル劇場ほか)- 主演・ボリス・トリゴーリン
  • ACT EDITH PIAF(1994年6月-7月、東京グローブ座・新神戸オリエンタル劇場)- 主演・エディット・ピアフ
  • ミュージカル ザ・近松(1994年11月、大阪近鉄劇場)- 主演・八右衛門
  • 音楽劇 異邦人・ボーダレスラブ(1995年4月-5月、天王洲 銀河劇場・シアタードラマシティほか)- 主演・佐野碩
  • ACT BUSTER KEATON(1995年6月-7月 東京グローブ座、新神戸オリエンタル劇場)- 主演・バスター・キートン
  • 阿呆劇 フィガロの結婚(1995年10月、シアターコクーン)- 主演・フィガロ
  • DORA 100万回生きたねこ(1996年6月、東京芸術劇場ほか全88公演+フランス公演)- 主演・ドラ
  • ACT 宮沢賢治(1996年11月、東京グローブ座・新神戸オリエンタル劇場など)- 主演・宮沢賢治
  • ACT ELVIS PRESLEY(1997年5月、東京グローブ座・神戸オリエンタル劇場ほか)- 主演・エルヴィス・プレスリー
  • ブルーエンジェル(1998年2月-3月 シアターコクーン)- 主演・ラート教授
  • FINAL ACT むちゃくちゃでごじゃりまするがな(1998年11月、東京グローブ座など)- 主演・花菱アチャコ
  • ミュージカル ザ・近松(1999年、日生劇場、再演)- 主演・八右衛門
  • ミュージカル・ペーパームーン(1999年7月-8月・2000年7月-9月、シアターコクーンほか)- 主演・モーゼス・プレイ
  • 音楽劇 いつかヴァスコ・ダ・ガマのように(2001年9月-10月、シアターコクーンほか)- 主演・海燕のジョー
  • 夢噺 桂春団治(2002年、大阪松竹座ほか)- 主演・桂春団治[注釈 28]
  • 風狂伝'02(2002年、 東京ル・テアトル銀座、大阪ドラマシティ)- 主演・剃刀譲次
  • 沢田・志村の「さあ、殺せ!」(2003年、シアターコクーン)
  • 謎の変奏曲(2004年5月-7月、東京サンシャイン劇場など)- 主演・エリック・ラルセン[注釈 29]
  • 歌劇 人情酸漿蛍(2004年7月-9月、シアターコクーンなど)- 主演・源治/新郎
  • 夫婦善哉(2005年2月-3月、東京新橋演舞場・大阪松竹座など)- 主演・柳吉[注釈 28]
  • センセイの鞄(2005年8月-9月、シアターコクーンなど)- 主演・センセイ(松本春綱)
  • 音楽劇モダン出世双六 天国を見た男(2006年、東京芸術劇場・シアタードラマシティ・名鉄ホール)- 主演・新田雅吉[注釈 30]
  • 桂 春団治(2007年4月-6月 新橋演舞場、博多座、大阪松竹座、再演)- 主演・桂春団治[注釈 28]
  • 音楽劇ぼんち(2008年、東京紀伊國屋サザンシアターなど)- 主演・喜久治
  • 探偵〜哀しきチェイサー(2009年4月、東京紀伊國屋サザンシアターなど)- 主演・花山新太郎
  • 桂 春団治(2009年10月-12月 京都南座など、再々演)- 主演・桂春団治[注釈 28]
  • 新・センセイの鞄(2010年、東京紀伊國屋サザンシアターなど)- 主演・センセイ(松本春綱)
  • 探偵〜哀しきチェイサー(2011年3月18日-5月2日、東京紀伊國屋サザンシアター・神戸オリエンタル劇場、再演)- 主演・花山新太郎
  • お嬢さんお手上げだ(2012年4月 東京紀伊國屋サザンシアターなど)- 主演・安楽満裕士
  • 探偵〜哀しきチェイサー・雨だれの挽歌(2013年3月〜5月 東京紀伊國屋サザンシアターなど)- 主演・花山新太郎
  • 悪名〜The Badboys Return!(2014年3月〜5月 東京紀伊國屋サザンシアターなど)- 主演・村上朝吉
  • お嬢さんお手上げだ・明治編 (2015年3月〜5月 東京紀伊國屋サザンシアターなど)- 主演・安楽満裕士
  • 悪名〜The Badboys Return!(2016年3月〜5月 東京紀伊國屋サザンシアターなど、再演)- 主演・村上朝吉
  • 大悪名〜The Badboys Last Stand!(2017年5月〜6月 東京芸術劇場など)- 主演・村上朝吉

吹き替え

[編集]

CM

[編集]

CMソングのみ(本人出演なし)

[編集]
  • 川島コーポレーション:サニーライフイメージソング「届かない花々」(作詞:沢田研二、作曲:上久保純、編曲:白井良明) ※シングル「オーガニックオーガスム」C/W
  • サントリー:CANビール イメージソング「きわどい季節」
  • JR東日本長野新幹線先行開通CM BGM「TOKIO」
  • ネスレ日本:2002 ネスカフェつづく幸せプレゼントイメージソング「つづくシアワセ」(作詞:沢田研二、作曲:幾見雅博) ※シングル「忘却の天才」C/W。
  • ノエビアコスメティックルネッサンス 1989<春>「女はそれを我慢できない」(作詞・作曲:加瀬邦彦) ※アン・ルイスの曲をカヴァー
  • ハウス食品フルーツミネラルドリンク It's イメージソング「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ 〜千夜一夜物語〜」
  • マックスファクター:1981 夏のキャンペーンソング「渚のラブレター」 ※競合する資生堂が提供する『夜のヒットスタジオ』ではB面曲「バイバイジェラシー」を歌った。
  • 三貴:ブティックJOY イメージソング「堕天使の羽音」(作詞:西尾佐栄子、作曲・編曲:吉田建) ※シングル「DOWN」C/W。
  • 大和證券:「二人はランデブー」(作詞:サエキけんぞう、作曲:吉田建)※シングル「SPLEEN」C/W
  • 本田技研工業トゥデイ E07A型 イメージソング「君をのせて(1990 version)」 ※シングル「愛まで待てない」C/W。

著書・関連書籍

[編集]
  • 『ザ・スター沢田研二』(スポーツニッポン・石原信一著)- 1977年発売
  • 『沢田研二写真集 僕の中の男たち』(ワールドレジャー・稲腰功一撮影)- 1977年発売
  • 『ジョイナス=ブックス 沢田研二』(バンダイ出版事業部)- 1977年発売、表紙は「憎みきれないろくでなし」の衣装。
  • 『水の皮膚』(パルコ出版)- 1980年発売、石岡瑛子プロデュースの写真集。
  • 『我が名は、ジュリー』(中央公論社・沢田研二著、玉村豊男 編集) - 1985年6月に大型本、1986年12月に文庫本がそれぞれ発売された、沢田の自叙伝。
  • 『Paradis,Paradis』(リトルモア)- 2002年2月発売。クリスチャン・ディオールのポスターや、タカラのCMでシーナ・イーストンなどの衣装を担当した早川タケジの衣装・スタイリング・アートディレクションを集大成した大型本。内容は、ほぼ80%以上、沢田の衣装写真である。
  • 『JULIE by TAKEJI HAYAKAWA – 早川タケジによる沢田研二』(SLOGAN・早川タケジ著、熊谷朋哉 編集)- 2022年7月発売

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ ソロ歌手としては1971年 -
  2. ^ 「JULIE LABEL」は謂わば商標であり、実質的な製作販売は 2002年から2020年まではCO-CóLO Corporation(規格品番:COLO)が、2022年以降の作品はANIMA Publishing,inc.(アニマ出版)(規格品番:ANIM)が行なっている。
  3. ^ PYGは萩原健一とのツインボーカル。
  4. ^ 由来は沢田本人が女優のジュリー・アンドリュースのファンだったため。
  5. ^ オリコン」調べ。1982年8月9日付で歴代1位になった。
  6. ^ 2022年からバンド形式でのライブを再開。
  7. ^ 公式サイト等で「シングル」として紹介されている作品も含むが、本項目では4曲以上収録されている作品について、ミニ・アルバムとして記載する。
  8. ^ ボーカルも沢田が担当。
  9. ^ 2008年にリリースしたアルバム『ROCK'N ROLL MARCH』でセルフカバー
  10. ^ 1972年にリリースしたライブアルバム『JULIE III SAWADA KENJI RECITAL』でセルフカバー
  11. ^ a b ザ・ワイルドワンズとの共同受賞
  12. ^ a b c ザ・タイガースとしての出演
  13. ^ a b c ザ・タイガースとして主演
  14. ^ ノンクレジット
  15. ^ クローディーヌ・オージェとW主演
  16. ^ 千葉真一とW主演
  17. ^ 日本未公開
  18. ^ 松坂慶子とW主演
  19. ^ 同年放送のテレビドラマの再編集劇場版
  20. ^ 菅田将暉とW主演。
    2020年3月に死去した志村けんの代役で出演。
  21. ^ 梶芽衣子とW主演
  22. ^ 武田鉄矢とW主演
  23. ^ 蟹江敬三とW主演
  24. ^ 写真によるカメオ出演
  25. ^ 田中好子とW主演
  26. ^ 大地真央とW主演
  27. ^ 吉田日出子とW主演
  28. ^ a b c d 藤山直美とW主演
  29. ^ 杉浦直樹とW主演
  30. ^ 南野陽子とW主演

出典

[編集]
  1. ^ a b Eremenko, Alexey. Kenji Sawada | Biography & History - オールミュージック. 2021年7月23日閲覧。
  2. ^ a b 沢田研二(サワダケンジ)の情報まとめ”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク株式会社. 2021年7月23日閲覧。
  3. ^ TUNA (2020年9月30日). “桑田佳祐、 宮本浩次がカバーする沢田研二は元祖ロックシンガー – ロックシンガー沢田研二は、テレビでロックを歌い、ビジュアル系を演じ、故志村けんの代役を引き受けた”. 音楽文 powered rockin'on.com. 2021年11月14日閲覧。
  4. ^ a b 『我が名は、ジュリー』p.3
  5. ^ 「NEW YEAR GOLDEN ACE対談 五木ひろし・沢田研二」『近代映画』1974年2月号、近代映画社、93-94頁。 
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 「シリーズ(9) スターのふるさと 沢田研二〔京都〕 ケンカと野球と音楽と京都ですごした燃える青春」『週刊明星』1975年4月27号、集英社、120-124頁。 
  7. ^ 『我が名は、ジュリー』p.2
  8. ^ 週刊平凡1967年12月7日号34頁
  9. ^ a b 『我が名は、ジュリー』p.14
  10. ^ 『ザ・スター沢田研二』pp.65-66
  11. ^ a b prints21 1998年冬「JULIE!JULIE!JULIE!」ほか
  12. ^ http://www.rollingstone.com/
  13. ^ 「内田裕也対談集・音楽をどう生きるか」創樹社、1974年。[要ページ番号]
  14. ^ 「Rock Carnival・B.B.キング初来日コンサート」(ニューミュージック・マガジン1971年8月号)中村とうよう、「京都大学西部講堂で行われたロック・フェスティバル 第1回 MOJO WEST」(団塊パンチ4)木村英輝
  15. ^ 刑事マガジン V 2007年 P.94-95 辰巳出版
  16. ^ http://music-calendar.jp/2015052101
  17. ^ a b c d “伊藤エミさん死去 沢田研二と離婚 慰謝料は18億円超も沢田姓で通す”. スポーツニッポン. (2012年6月28日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/06/28/kiji/K20120628003561920.html 2012年8月18日閲覧。 
  18. ^ 週刊平凡1979年3月22日号27頁
  19. ^ 頭突き事件、いもジュリー事件…ライブ中止「沢田研二」は今も昔も“お騒がせの人””. デイリー新潮. 2023年4月3日閲覧。
  20. ^ 頭突き事件、いもジュリー事件…ライブ中止「沢田研二」は今も昔も“お騒がせの人””. デイリー新潮. 2023年4月3日閲覧。
  21. ^ 「我が名は、ジュリー」中央公論社刊、「グループサウンズ時代の証言者・加瀬邦彦」読売新聞
  22. ^ 『我が名は、ジュリー』pp.87-106「静かな私生活、華麗なる舞台」の章より。
  23. ^ 過去興行収入上位作品 一般社団法人日本映画製作者連盟”. 2014年6月30日閲覧。
  24. ^ ジュリー&ワイルドワンズが合体 毎日新聞 2009年12月10日閲覧
  25. ^ ジュリー、ワイルドワンズと合体! 新曲発売 サンケイスポーツ 2010年1月25日閲覧
  26. ^ ザ・タイガース復活!沢田絶叫「ついにこの日がやってきました」 サンスポ.com 2013年12月4日
  27. ^ 沢田研二、公演ドタキャン騒動への思いを語った公園での27分間の釈明会見”. スポーツ報知 (2018年12月21日). 2021年12月28日閲覧。
  28. ^ 沢田研二、ドタキャン理由…9000人のはずが7000人「僕にも意地がある」”. スポーツ報知 (2018年10月19日). 2021年12月28日閲覧。
  29. ^ “志村けんさん代役に沢田研二…来年公開映画「キネマの神様」”. スポーツ報知. (2020年5月16日). https://hochi.news/articles/20200516-OHT1T50011.html 2021年3月8日閲覧。 
  30. ^ 京都市:令和3年度京都市文化功労者の表彰について”. 京都市情報館. 2021年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月15日閲覧。
  31. ^ http://www.pref.kyoto.jp/koho/kaiken/documents/22010601.pdf
  32. ^ “毎日映画コンクール「ケイコ 目を澄ませて」が大賞に、主演賞は沢田研二と岸井ゆきの”. 映画ナタリー (ナタリー). (2023年1月19日). https://eiga.com/news/20230119/12/ 2023年2月11日閲覧。 
  33. ^ 沢田研二、キネ旬主演男優賞に驚き&喜び「萩原健一のような人が獲るものだと」”. 映画ナタリー. 2023年2月13日閲覧。
  34. ^ https://43a509b1-442f-4091-b96d-e132c2811a52.filesusr.com/ugd/25d85b_1492a6a41f534734a521e4c03d0e9071.pdf
  35. ^ 沢田研二 事務所閉鎖&主演映画公開延期でも貫く「美学」|日刊ゲンダイDIGITAL”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 2021年12月11日閲覧。
  36. ^ アニマ出版株式会社の情報”. www.houjin-bangou.nta.go.jp. 国税庁 法人番号公表サイト. 2023年7月24日閲覧。
  37. ^ 株式会社ココロの情報”. www.houjin-bangou.nta.go.jp. 国税庁 法人番号公表サイト. 2023年7月24日閲覧。
  38. ^ 沢田研二ツアーファイナルは75歳の誕生日、さいたまスーパーアリーナで”. 音楽ナタリー. 2023年5月15日閲覧。
  39. ^ 沢田研二「あのドタキャン大騒動」のリベンジへ!でっぷり太ってもステージで飛び跳ねて… | アサ芸プラス”. www.asagei.com. 2023年5月15日閲覧。
  40. ^ “ジュリー”沢田研二が19000枚チケット完売で「ドタキャン騒動」に決着 「TOKIO」はオリジナルで【ライブレポ】”. dot.asahi.com. 2023年6月26日閲覧。
  41. ^ 沢田研二、全国ツアー最終公演に「ザ・タイガース」3人がゲスト出演 4人そろうのは4年ぶり”. スポーツ報知 (2023年2月19日). 2023年5月15日閲覧。
  42. ^ 沢田研二たまアリ公演をWOWOWで生中継、ザ・タイガースのメンバーも参加”. 音楽ナタリー. 2023年5月15日閲覧。
  43. ^ “ジュリー”こと沢田研二の魅力に迫る2時間特番がBS-TBSで放送決定 “レコ大”や「ザ・ベストテン」秘蔵映像も - モデルプレス”. モデルプレス - ライフスタイル・ファッションエンタメニュース. 2023年5月16日閲覧。
  44. ^ 沢田研二特番で本人がナレーション、インタビューには黒柳徹子や大野克夫ら登場”. 音楽ナタリー. 2023年6月8日閲覧。
  45. ^ 日経エンタテインメント!2000年12月号「J-POP巨人列伝-20世紀を駆け抜けた10人」
  46. ^ 日本史上最高のトップポップスアーティスト100のNo.17(HMV公式サイト, 2003年9月2日 (火)公開)
  47. ^ 好きな70年代男性アイドルのランキング 1位 沢田研二、2位 西城秀樹 https://chosa.nifty.com/hobby/chosa_report_A20171215/1/index.html
  48. ^ STUDIO VOICE2009年2月号【沢田研二「人間60年ジュリー祭り」を観て】、朝日新聞2008年12月18日号「前人未踏・還暦アイドルジュリー祭り」、ミュージック・ペンクラブ「2011年2月号コンサートレビュー」ほか
  49. ^ 女性セブン2008年12月25日号「江國香織が観た沢田研二還暦記念コンサート」
  50. ^ 佐野 洋子 『死ぬ気まんまん』 光文社、2011年。ISBN 978-4334976484[要ページ番号]
  51. ^ ねじめ正一 『母と息子の老いじたく』 中央公論新、2011年。ISBN 978-4120042287[要ページ番号]
  52. ^ 沢田研二がコンサートで阿久悠さん追悼 - 芸能ニュース : nikkansports.com”. www.nikkansports.com. 2022年1月27日閲覧。
  53. ^ 『週刊文春』文藝春秋、2019年5月23日。 
  54. ^ 沢田研二、岸部一徳と急接近で高まる「ザ・タイガース」再結成説を直撃!”. 週刊女性PRIME. 2021年11月4日閲覧。
  55. ^ 『氏神一番『消えた!?イカ天バンド―バンドブームの裏側、まるごと語ります-』』イーストプレス、2000年、112頁。 
  56. ^ Vol.2 沢田 研二さん|法テラス”. www.houterasu.or.jp. 2022年1月23日閲覧。
  57. ^ asahi.com(朝日新聞社):派手にパフォーマンスの裏側は…沢田研二インタビュー - 音楽 - 映画・音楽・芸能”. www.asahi.com. 2022年1月23日閲覧。
  58. ^ BRUTUS 1996年2月1日号
  59. ^ https://web.archive.org/web/20021211223605/http://www.co-colo.com/cd/julie-label.htm
  60. ^ 第14回 日本レコード大賞”. 日本作曲家協会. 2022年5月4日閲覧。
  61. ^ 第15回 日本レコード大賞”. 日本作曲家協会. 2022年5月4日閲覧。
  62. ^ 第16回 日本レコード大賞”. 日本作曲家協会. 2022年5月4日閲覧。
  63. ^ 第19回 日本レコード大賞”. 日本作曲家協会. 2022年5月4日閲覧。
  64. ^ 第20回 日本レコード大賞”. 日本作曲家協会. 2022年5月4日閲覧。
  65. ^ 第21回 日本レコード大賞”. 日本作曲家協会. 2022年5月4日閲覧。
  66. ^ 第22回 日本レコード大賞”. 日本作曲家協会. 2022年5月4日閲覧。
  67. ^ 第23回 日本レコード大賞”. 日本作曲家協会. 2022年5月4日閲覧。
  68. ^ 第24回 日本レコード大賞”. 日本作曲家協会. 2022年5月4日閲覧。
  69. ^ 第25回 日本レコード大賞”. 日本作曲家協会. 2022年5月4日閲覧。
  70. ^ 週刊平凡1970年6月25日号50~51頁
  71. ^ 放送ライブラリー / ラジオCM:サントリーリザーブ「抱擁」 (1995年、サントリー)”. BPCJ 公益財団法人 放送番組センター. 2022年10月15日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]