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「京阪電気鉄道」の版間の差分

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回送列車については、2013年3月16日のダイヤ改定以前は室内灯を点灯したままで運転していたが、同日以降は一般的となっている、室内灯を消灯しての運転に変更した。京阪が回送列車での室内灯点灯を廃止したため、同日以降は回送列車でも営業列車と同様に客室の室内灯を点灯させて運転している大手私鉄は東武のみとなった。
回送列車については、2013年3月16日のダイヤ改定以前は室内灯を点灯したままで運転していたが、同日以降は一般的となっている、室内灯を消灯しての運転に変更した。京阪が回送列車での室内灯点灯を廃止したため、同日以降は回送列車でも営業列車と同様に客室の室内灯を点灯させて運転している大手私鉄は東武のみとなった。

==== 方向幕・方向板の色 ====
[[ファイル:Keihan Midnight Express-1.jpg|thumb|250px|深夜急行の方向幕]]
以下において行き先の駅名は一例。
* <span style="background-color:#FF66CC; color:white"> 快速特急 </span>(桃色地に白文字で、以前に運行されていた「<span style="background-color:#FF66CC; color:white"> ''K'' 特急 </span>」も同じ。方向板は一時使用されていた。なお8000系で運用されるときは鳩マークも掲げて運転される)。現在は別の愛称および愛称の付かない臨時運転の快速特急のみで掲出。
* <span style="background-color:#ffffff; border:1px solid #FF66CC; text-align:center;"><span style="background-color:#FF66CC; color:white">快速特急</span><span style="background-color:#ffffff; color:#FF66CC; border:0px solid white; text-align:center;">洛楽</span></span>(列車種別部分は桃色地に白文字、愛称部分は反転させてその逆。2017年7月15日の祇園祭臨時快速特急「洛楽」より順次使用開始)
* <span style="background-color:red"> [[特別急行列車|<span style="color:white">特急</span>]] </span><span style="background-color:red"> <span style="color:white">臨時特急</span> </span>(赤地に白文字。1970年代の方向幕設置開始当時特急専用車両は白地に赤の斜体文字で「<span style="background-color:#ffffff; color:red; border:1px solid #000000; text-align:center;"><span style="background-color:#ffffff; color:red; border:0px solid white; text-align:center;"> ''特急'' </span></span>」、一般車は斜体文字でない「<span style="background-color:#ffffff; color:red; border:1px solid #000000; text-align:center;"><span style="background-color:#ffffff; color:red; border:0px solid white; text-align:center;"> 特急 </span></span>」。その後黒地に赤文字で「<span style="background-color:black; color:red"> 特急 </span>」に変更し、2003年のダイヤ改正に合わせ現在のスタイルに再度変更された。方向板は鳩マークだった。「臨時特急」の表示は、LED表示車のみ用意され、幕車は中之島線開業以降の新幕では存在せず、幕車が臨時特急で運用する場合は「臨」の丸形の副標識を取り付ける)
* <span style="background-color:#ffffff; color:red; border:1px solid #000000; text-align:center;"><span style="background-color:#ffffff; color:red; border:0px solid white; text-align:center;"> ライナー </span></span>(白地に赤文字。英字部分の左右に赤帯が入る。原則8000系で運用されるが、鳩マークは掲げない)
* <span style="background-color:purple"> [[快速急行|<span style="color:white">快速急行</span>]] </span> <span style="background-color:purple; color:white"> 通勤快急 </span>(紫地に白文字)
*<span style="background-color:orangered; color:white"> 急行 </span> <span style="background-color:orangered; color:white"> 深夜急行 </span> <span style="background-color:orangered; color:white"> 臨時急行 </span>(橙地に白文字。方向板の時代は丸形で京阪間直通は赤地白文字、区間列車は白地赤文字。1970年代の方向幕設置開始当時は白地に赤文字で「<span style="background-color:#ffffff; color:red; border:1px solid #000000; text-align:center;"><span style="background-color:#ffffff; color:red; border:0px solid white; text-align:center;"> 急行 </span></span>」(1981年まで設定されていた京津線急行も同様)。その後反転した赤地に白文字の「<span style="background-color:red; color:white"> 急行 </span>」に変更ののち、現在のスタイルに再度変更。登場当初の新3000系では赤地に白文字だったことがある。「臨時急行」の表示は、LED表示車のみ用意され、幕車は中之島線開業以降の新幕では存在せず、臨時急行も定期運行の急行と同じ表示をする)
* <span style="background-color:blue; color:white"> 準急 </span> <span style="background-color:blue; color:white"> 通勤準急 </span>(青地に白文字で、京津線準急は「<span style="background-color:blue; color:white"> 準急 浜大津 </span>」のように行き先と一体化していた。方向板は丸形で白地青文字、1970年代の方向幕設置開始当時は白地に青文字で「<span style="background-color:#ffffff; color:#000000; border:1px solid #000000; text-align:center;"><span style="background-color:#ffffff; color:blue; border:0px solid white; text-align:center;"> 準急 </span></span>」)
* <span style="background-color:green; color:white"> 区間急行 </span>(緑地に白文字。方向板は四角で白地に緑文字、さらに以前は四角で赤文字の「急」、1970年代の方向幕設置開始当時は白地に緑文字で「<span style="background-color:#ffffff; color:#000000; border:1px solid #000000; text-align:center;"><span style="background-color:#ffffff; color:green; border:0px solid white; text-align:center;"> 区急 </span></span>」と表記されていた。その後2008年の中之島線開業に合わせ、「<span style="background-color:green; color:white"> 区急 </span>」から「<span style="background-color:green; color:white"> 区間急行 </span>」に変更された)
* <span style="background-color:black; color:white"> 普通 </span> <span style="background-color:black; color:white"> 臨時 </span> 行き先「<span style="background-color:black; color:white"> 淀屋橋 </span>」(黒地に白文字で、以前の「<span style="background-color:black; color:white"> 試運転 </span>」も同じ。京津線普通は準急と同じく、一体型だった「<span style="background-color:black; color:white"> 普通 浜大津 </span>」と「<span style="background-color:black; color:white"> 普通 四宮 </span>」のみ。現在の京津線と石山坂本線普通は種別表示はなく、行き先のみ。1970年代の方向幕設置開始当時は白地に黒文字)
* <span style="background-color:#ffffff; color:#000000; border:1px solid #000000; text-align:center;"><span style="background-color:#ffffff; color:#000000; border:0px solid white; text-align:center;"> 回送 </span></span> <span style="background-color:#ffffff; color:#000000; border:1px solid #000000; text-align:center;"><span style="background-color:#ffffff; color:#000000; border:0px solid white; text-align:center;"> 試運転 </span></span>(白地に黒文字。以前は行き先も「<span style="background-color:#ffffff; color:#000000; border:1px solid #000000; text-align:center;"><span style="background-color:#ffffff; color:#000000; border:0px solid white; text-align:center;"> 三条 </span></span>」のように白地に黒文字だった)
* <span style="background-color:yellow; color:black"> 快速 </span>(黄地に黒文字。以前の方向板は同じ色で「<span style="background-color:yellow; color:black"> 天満橋 </span>」や、石山坂本線の行き先で使用されていた。)
* LED表示は新3000系・13000系・リニューアル工事を施工した車両は上記の色と同じ表示となるが、800系は上の日本語表示が黒地に橙文字で「<span style="background-color:black; color:orange"> 太秦天神川 </span>」、下の英文字表示が黒地に赤文字で「<span style="background-color:black; color:red"> UZUMASA TENJINGAWA </span>」
* 上記の変遷において、急行以下の種別の地色と文字色を反転させたのは1983年に登場した6000系からで、他の在来車も更新等に際して順次新しいデザインに交換された。
* 方向幕が故障した場合は方向板が取り付けられることがあるが、現在丸形のみとなっている。教習は丸形の「教」が使用される。


=== 発車メロディ ===
=== 発車メロディ ===

2020年12月5日 (土) 02:03時点における版

京阪ホールディングス > 京阪電気鉄道
京阪電気鉄道株式会社
Keihan Electric Railway Co.,Ltd.
ロゴ 社章
ロゴ(左)と社章(右)
本社がある大阪マーチャンダイズ・マートビル(大阪市中央区)
本社(大阪マーチャンダイズ・マートビル)
種類 株式会社
略称 京阪、京阪電車、京阪電鉄
本社所在地 日本の旗 日本
540-6591
大阪府大阪市中央区大手前一丁目7番31号(大阪マーチャンダイズ・マートビル
北緯34度41分24.8秒 東経135度31分6.5秒 / 北緯34.690222度 東経135.518472度 / 34.690222; 135.518472座標: 北緯34度41分24.8秒 東経135度31分6.5秒 / 北緯34.690222度 東経135.518472度 / 34.690222; 135.518472
本店所在地 573-0032
大阪府枚方市岡東町173番地の1
(京阪電気鉄道枚方事務所)
設立 2015年平成27年)4月1日
(京阪電気鉄道分割準備株式会社)
業種 陸運業
法人番号 5120001189816 ウィキデータを編集
事業内容 鉄道事業
レジャー事業
代表者 代表取締役会長 加藤好文
代表取締役社長 中野道夫
資本金 1億円(2019年3月31日現在)[1]
売上高 583億6800万円(2020年03月31日時点)[2]
営業利益 88億4800万円(2020年03月31日時点)[2]
経常利益 78億7500万円(2020年03月31日時点)[2]
純利益 53億1300万円(2020年03月31日時点)[2]
純資産 652億9900万円(2020年03月31日時点)[2]
総資産 1925億2800万円(2020年03月31日時点)[2]
決算期 3月31日
主要株主 京阪ホールディングス株式会社 100%
(2018年3月31日現在)[3]
関係する人物 渋沢栄一
岡崎邦輔
渡邊嘉一
土居通夫
太田光凞
佐藤一男
村岡四郎
青木精太郎
角田寛
宮下稔
金馬昭郎
佐藤茂雄
上田成之助
外部リンク https://www.keihan.co.jp/
特記事項:2016年4月1日、同日に純粋持株会社に移行した(旧)京阪電気鉄道株式会社(現商号は京阪ホールディングス株式会社)より吸収分割にて事業を継承、京阪電気鉄道分割準備株式会社より現商号に変更。
(旧)京阪電気鉄道の設立日は1906年明治39年)11月19日1949年昭和24年)12月1日
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京阪電気鉄道株式会社(けいはんでんきてつどう、: Keihan Electric Railway Co.,Ltd.)は、大阪府京都府滋賀県に路線網を持つ鉄道会社。京阪ホールディングスの子会社である。通称は京阪電鉄または京阪電車で、略称は京阪。日本の大手私鉄の一つである。

本社事務所は大阪府大阪市中央区大手前一丁目7番31号 大阪マーチャンダイズ・マートビル(OMMビル)内、登記上の本店所在地は大阪府枚方市岡東町173番地の1である。営業キロ程は91.1 km(2008年10月19日現在)。

京阪電気鉄道と、その子会社75社(有価証券報告書への記載義務のある連結子会社および有価証券報告書への記載義務のない非連結子会社を合わせた全子会社数)、および持分法適用関連会社3社から構成されている京阪グループの中核企業である。

概要

スローガンは「こころまち つくろう」である。2008年4月15日までの京阪グループ共通スローガンは「街をつなぐ、心をむすぶ KEIHAN GROUP」であった。新スローガン導入と同時にテレビCMではサウンドロゴも併せて導入した。

テレビCMではこれまで全国的に知名度の高いタレントを起用してきたが、2000年12月からは「京阪のる人、おけいはん」をキャッチフレーズに各種キャンペーンを展開している(「歴代CM出演者・おけいはん」を参照)。

営業路線の京阪本線沿線に、グループ会社が運営する日本最古の遊園地である「ひらかたパーク(通称:ひらパー)」を持つ。

この会社の設立以来、大阪証券取引所第一部(2013年に東京証券取引所に統合)に単独で株式を上場していたが、2006年3月22日には東京証券取引所第一部にも上場した。また、同年11月13日に開業100周年を迎える2010年を目処に純粋持株会社へ移行することが発表され、その傘下に置かれる運輸業不動産業流通業レジャーサービス業の各事業会社を統括する形態になると説明していたものの[4]、経済情勢の変化により、設立予定としていた2010年5月に持株会社への移行を見送ることを明らかにしていた[5]。その後、経営の効率化により各事業の収支が改善したことから、2016年4月1日に「京阪ホールディングス株式会社」に社名変更した上で純粋持株会社移行を目指すことが2015年1月29日と4月30日に発表された[6][7][8]。4月30日の発表によると京阪ホールディングス傘下に鉄軌道事業などを継承する京阪電気鉄道株式会社、不動産販売業を継承する京阪電鉄不動産株式会社、その他京阪グループ各社を置く体制で、2016年4月1日に純粋持株会社体制に移行した。

2011年、JICAの第3回「協力準備調査(PPPインフラ事業)」に対し、社団法人海外鉄道技術協力協会と株式会社野村総合研究所との三者共同で、「ベトナム ハノイ5号線整備事業準備調査」について応募提案[9] して8月末に本契約を締結したり、日本国外の鉄道プロジェクトに対してコンサルティング事業を行う新会社「日本コンサルタンツ」への出資[10] や、中国瀋陽市での複合開発プロジェクトに東京建物と参画するなど、事業の日本国外展開をはじめている[11]

スルッとKANSAIでカードに印字される符号はKHである。

社章・グループシンボルマーク

社章は1906年12月21日に制定された。大阪市章の澪標を6つ円形に配置して「京」の形を表現し、合わせて「京阪」としたものである[12]。現在はほとんど使用されておらず[注釈 1]、専らグループ共通の京阪グループシンボルマークが用いられる。

京阪グループシンボルマークはイニシャルの「K」を2つの三角形に図案化し、上はオレンジ色で「暖かさ、趣」を思わせる旗を、下はブルーグレー色で「安全安心、やさしさ、心のこもった」グループの基盤を表現し、風になびく旗と基盤が一体となって「人を思い、潤いのある“街と暮らし”を共に創る」というブランドコンセプトを表現している[13]

なお、2008年(平成20年)4月に現在使用されている京阪グループシンボルマーク及びロゴマークが発表される以前までは、現行ロゴマークに相当するロゴマークと「K」をモチーフとしたエンブレムが使用されていた。旧ロゴマークは京阪が発行する媒体などに使用され、エンブレムは6000系から10000系までの車両と6000系登場以降に車体更新を実施した車両(2400系、1000系、5000系、初代3000系)の前面に取り付けられていた(旧塗装)。旧ロゴマークは現行ロゴマーク発表直後に、エンブレムは旧塗装車消滅と共に使用を終了した。

歴史

京阪天満橋駅京阪シティモール

大阪と京都の間には1876年明治9年)、淀川右岸(西側)に官営鉄道(現・東海道本線JR京都線〉)が敷かれたが運賃が27銭と高く、上り12銭・下り10銭の淀川の蒸気船が貨客輸送の主力だった。そこで左岸(東側)の京街道沿いに大阪と京都を結ぶ電気鉄道を建設する計画として、東京の渋沢栄一岡崎邦輔などの実業家グループの私設鉄道法による「京阪鉄道」と、村野山人や松本重太郎などの京阪神地区の財界人らの軌道条例による「畿内電気鉄道」の建設計画が同時期に立てられた。両派は競願のムダを避けて話し合いの末に一本化し畿内電気鉄道株式会社として設立。1903年(明治36年)11月9日改めて畿内電気鉄道として軌道条例による路線特許が申請された。その後1905年(明治38年)8月30日の発起人会・設立委員会で京都 - 大阪を結ぶ鉄道ということをあらわす「京阪電気鉄道株式会社」に名称変更すること、運輸だけでなく電力供給事業・同関連事業を兼業することが決められた。1906年(明治39年)8月25日に軌道敷設の特許がおり、同年11月19日に東京商業会議所で創立総会を開催し京阪電気鉄道株式会社が設立された。

建設に当たり用地買収と路線の実測を開始すると大阪市の行政指導(市営モンロー主義)や淀川沿いの軟弱地盤・用地買収の遅れ・京都での琵琶湖疏水堤防上への変更などで十数か所にわたりルートの変更を余儀なくされ1908年(明治41年)9月にようやく全路線の青写真が出来上がり、同年10月より4工区に分割され建設工事が開始された。そして1910年3月に軌道の敷設は完了した。

1910年(明治43年)4月15日に最初の路線として大阪・天満橋 - 京都・五条(現・清水五条)間が開業した。阪神電気鉄道などと同様に軌道特許で開業したため、当初は併用軌道や急曲線が至る所にあり、「京阪電鉄“カーブ”式会社」とも揶揄されたほどであったが、それを克服するため様々な技術開発が行われた。また集客策として10月から12月にかけて香里園にあった香里遊園地で『菊人形展』を開催、1912年からは枚方市に隣接する1万m2を買収(のちのひらかたパーク)して10月6日から11月25日にかけて菊人形展が開催された。

1911年10月(明治44年)には森小路(現在の千林に相当) - 香里(現・香里園)間の沿線で電灯電力供給事業を開始。翌1912年には摂津電気を買収し淀川右岸への電力供給事業を手に入れ、1921年(大正10年)7月に和歌山水力電気を、1926年(大正15年)12月に日高川水力電気を合併し、京阪沿線だけでなく和歌山県の電力供給の約75パーセントを京阪が供給することとなった。

1922年ごろより営業エリアの滋賀県琵琶湖周辺への拡大を狙い京津電気軌道との合併交渉を開始するが、京津電気軌道の一部役員が京都電燈との合併を望み、話し合いの結果、電力供給は京都電燈へ売却、軌道部門は京阪電鉄に合併されることが決まり、1925年2月に京津電気軌道を合併。続けて湖南汽船から増資を引き受けて1926年7月に湖南汽船を子会社化した。これに対抗して大津電車軌道・湖南鉄道・太湖汽船は合併して琵琶湖鉄道汽船を設立。しかしこうした争いは「双方にマイナスになる」と、湖南汽船の社長の仲介により琵琶湖鉄道汽船との合併交渉が進められ、鉄道部門の大津電車軌道部分を京阪へ、湖南鉄道部分は別会社の八日市鉄道(のちに近江鉄道に合併)として独立、船舶部門は湖南汽船に譲渡して(新)太湖汽船(のちの琵琶湖汽船)となった。これにより琵琶湖を自社の営業エリアに収めた(京阪の社史では「湖上制覇」と表現している)。

また、並行線を他社によって敷設されることを阻止する企業防衛のために新京阪鉄道(現・阪急京都本線)を建設。奈良電気鉄道(奈良電、現在の近鉄京都線)・阪和電気鉄道(現・西日本旅客鉄道〈JR西日本〉阪和線)への関与、さらには和歌山(阪和と和歌山軌道線)への進出など積極的な拡張策を展開した。しかし、投資が回収できないうちに昭和恐慌に見舞われ、債務処理のため1930年(昭和5年)5月和歌山地区の電力供給部門・軌道部門は合同電気株式会社へ譲渡され、同年9月新京阪鉄道を合併し債務の圧縮を図るなど逼塞を余儀なくされる。

この時期は節電に大規模な投資が行われた、1932年(昭和7年)12月、正雀・守口・伏見の3変電所に大容量の蓄電池を設置、深夜電力を充電して電力使用ピーク時に放電する「ピークカット用蓄電池」が設置された。この投資に当時60万円が投入されたが電力料金を年間20万円の節約でき、1934年の室戸台風では電力会社からの送電が回復前に一部区間で列車の運転をさせることができた[14]。翌1933年(昭和8年)4月には日本初のコンパウンド(複巻)モーターによる回生ブレーキ付き電車50型4両が京津線に投入された[15]

1941年8月発布の配電統制令により電力供給事業を関西配電(のちの関西電力)に現物出資の形で失い、太平洋戦争中には陸上交通事業調整法に基づき阪神急行電鉄と合併し、京阪神急行電鉄(のちの阪急電鉄、現在の阪急阪神ホールディングス)となる。

戦後、1947年にやはり戦時体制で合併した旧・南海鉄道が近畿日本鉄道から南海電気鉄道として分離すると、京阪出身者[注釈 2]からは京阪神急行電鉄からの再分離が強く唱えられるようになる[16]。背景には旧京阪線が阪急に比べて復興が遅れていたという事情もあった[16]1949年12月、京阪神急行電鉄から京阪電気鉄道株式会社として再発足した。この分離に際しては新京阪の路線は阪急側に残ることとなり、京阪本線・交野線・宇治線・京津線・石山坂本線の5路線、子会社も太湖汽船(現・琵琶湖汽船)、京阪自動車(現・京阪バス)での再発足となった[注釈 3]。京阪神急行電鉄社長の太田垣士郎は、分離を正式決定した1949年(昭和24年)9月27日の臨時株主総会後に「淀川西岸の各線(新京阪線と旧:阪急各線)は日本国有鉄道(国鉄)との競合が大きく、高速化や新車投入などを積極的に行う必要があるのに対し、東岸の各線(京阪線・大津線)は観光輸送面での特色を発揮する必要があり、双方のためにもこの地域ブロックによる分離を行うのが妥当」という内容のコメントをおこなっている[17]。京阪側は新京阪線も手許に残す形での分離を望んだが、すでに戦争中に新京阪線から宝塚線経由で梅田駅乗り入れがおこなわれていたのに対して京阪線とは直接線路がつながっていなかったこと、加えて役員構成で数にまさる阪急側に「押し切られる形」になったことが、この結果につながったとされる[16][注釈 4]

また近畿日本鉄道との間で奈良電気鉄道をめぐって株式の争奪戦をしたが、1962年に当時の関西電力社長で京阪再発足時の京阪神急行社長であった太田垣士郎の仲介により、京阪の持つ奈良電気鉄道の株式を近鉄に譲渡、代わりに近鉄の持つ京福電気鉄道の株式を京阪に売却することになり、奈良電は近鉄に合併されて近鉄京都線に、京福電鉄は京阪の子会社になった。その前年(1961年)近畿日本鉄道と西武鉄道が株式の買い集めをおこなっていた江若鉄道(現・江若交通)を子会社化している[18]

これらの経験が、他の関西大手私鉄と比べて事業の多角化に慎重で、「本線の淀屋橋延長」「複々線区間の延長」「鴨東線」の開通と本業を重視し、京阪沿線の不動産開発や京阪百貨店の開業など地域密着する傾向につながった。再発足から25年間社長を務めた村岡四郎は、就任時に「大阪中心部への乗り入れ」「京阪線曲線部の改良」「鴨東線の建設」を公約に掲げ、「当社の事業はどこまでも電気鉄道中心だ」「不動産事業もそれからデパートにしても、あるいはその他の雑多な事業でも、やはり鉄道というのが一つの大きな骨格になっている」と語っていたという証言が残されている[19]。この時期には、南日本航空(現・かんこう)、宇治田原自動車(宇治京阪タクシー京阪宇治交通の母体)などに出資、子会社化した。

しかし、並行路線である大阪市営地下鉄谷町線守口市大日への延長・京都市営地下鉄烏丸線の開業・JR東西線の開業と片町線の近代化などによる乗客数の減少、さらに少子高齢化により鉄道事業のみでは今後の発展は望めないとして、観光事業を強化。1985年4月に福井県小浜市に「小浜フィッシャマンズ・ワーフ」を開業、1988年4月に瀬戸大橋のたもと与島に「瀬戸大橋京阪フィッシャマンズ・ワーフ」を開業した。だがバブル崩壊と瀬戸大橋の高額な通行料金により利用客が減少。2003年3月末に若狭湾観光と京阪フィッシャマンズ・ワーフの全株式を売却、京阪グループから分離された。

その後、本業の鉄道事業では2001年中之島新線の建設着手を決定、建設主体となる第三セクター中之島高速鉄道を設立、2003年5月着工、2008年10月19日に開業した。

2006年には、開業100年(2010年)を迎えるのにあたり、持株会社化の方針を表明するとともにエリア外(特に関東地方)での事業多角化を進めることを明らかにした。京都への団体観光客誘致に関東・中部に進出した京阪交通社に続き、2003年に京阪電鉄不動産ジューサーバーが関東に進出し、「ホテル京阪」や流通事業についても全国展開を進めている。2009年6月6日には、北海道札幌市内に「ホテル京阪札幌」が、同年11月21日には東京都台東区内に、「ホテル京阪浅草」も開業した。

京阪グループ全体の持株会社化に備えて、2008年に中間持株会社の京阪タクシーシステムズを、2009年には京阪バスシステムズと不動産賃貸管理子会社の京阪ビルディングを京阪電鉄本体に吸収合併したほか、京阪建設を京阪エンジニアリングサービスへ合併、京阪福井国際カントリーを売却、2010年には京阪タクシーなど京阪タクシー関連7社を第一交通産業北九州市)へ譲渡、2011年7月には旅行代理業務をJTBとの合弁会社であるJTB京阪トラベルへ移管(同時に関東・中部の営業所を閉鎖)した後、京阪交通社を解散するなど、子会社の整理統廃合も進められている。

なお、2007年6月より、社長/会長制度から、大手私鉄では初めてCEO/COO制度に移行している。さらに2016年4月1日に、純粋持株会社体制へ移行した。

年表

本年表で「客車」とあるのは電車(電動客車)のことである。

畿内電気鉄道

  • 1901年(明治34年):渋沢栄一、成田鉄道社長佐分利一嗣らを中心とした関東の実業家、ならびに衆議院議員岡崎邦輔が、官設鉄道東海道本線のルートから外れた旧京街道(現在の国道1号に相当)大阪市 - 京都市間を結ぶ電気鉄道を私設鉄道法に基づく京阪鉄道として敷設することを計画。
  • 1902年(明治35年):村野山人、松本重太郎らを中心とした京阪神地区の財界人が、官設鉄道東海道本線のルートから外れた旧京街道に沿って大阪市 - 京都市間を結ぶ電気鉄道を軌道条例に基づく畿内電気鉄道として敷設することを計画。
  • 1903年(明治36年)
    • 11月9日
      • 渋沢栄一、佐分利一嗣成ら関東の実業家、ならびに岡崎邦輔、村野山人、松本重太郎らを中心とした京阪神地区の財界人が合流し、畿内電気鉄道株式会社を創立。
      • 軌道条例に基づき、畿内鉄道 大阪市東区高麗橋詰町(現在の大阪市中央区東高麗橋付近) - 京都市下京区朱雀町五条大橋東詰(現在の京都市東山区朱雀町付近)間の電気軌道敷設の特許を内務省に請願。現在の京阪本線の起源。
  • この間
    • 内務省が、逓信省鉄道作業局が運営する官設鉄道東海道本線 大阪 - 京都間の路線と競合することなどを理由に、畿内鉄道が計画する大阪市東区高麗橋詰町 - 京都市下京区朱雀町五条大橋東詰間の電気軌道敷設の特許下付に難色を示す。
    • 渋沢栄一、佐分利一嗣ら関東の実業家、ならびに岡崎邦輔が内務省および逓信省鉄道作業局との折衝を図る。
  • 1906年(明治39年)
    • 8月25日原敬内務大臣から大阪市東区高麗橋詰町 - 京都市下京区朱雀町五条大橋東詰間の電気軌道敷設の特許状、ならびに命令書が下付。
    • 8月30日:畿内電気鉄道株式会社起人総会が開催され、渋沢栄一が創立委員長に就任し、創立委員6名を選任。

初代・京阪電気鉄道

  • 1906年(明治39年)
    • 9月3日:畿内電気鉄道株式会社創立委員会が開催され、定款が決定されるとともに、社名を京阪電気鉄道株式会社と変更し、資本金700万円(現在の貨幣価値に換算して約189億4,500万円)、株式の額面(1株当たり)を50円、発行株式総数を14万株とすることが決定。
    • 11月19日:東京市麹町区有楽町1丁目(現・東京都千代田区有楽町1丁目)の東京商業会議所(現・東京商工会議所)において京阪電気鉄道株式会社(初代)創立総会が開催され、取締役に岡崎邦輔、桑原政、村野山人、佐分利一嗣、林謙吉郎、井上保次郎、渡邊嘉一が、監査役には田中源太郎、田辺貞吉、村井貞之助がそれぞれ就任し、その取締役会において専務取締役に渡辺嘉一が、相談役に渋沢栄一がそれぞれ就任。京阪電気鉄道株式会社の設立。
    • 12月19日山縣伊三郎逓信大臣から電気鉄道事業経営の許可書、ならびに命令書が下付。
    • 12月21日:京阪電気鉄道株式会社設立の法人登記を完了。京阪電気鉄道株式会社の発足。
  • 1907年(明治40年)
    • 3月12日:職制を制定し、総務課、運輸課、建築課、電気課の4課を設置。
    • 4月20日東京市麹町区有楽町1丁目の東京商業会議所において第1回定時株主総会を開催。
    • 春:専務取締役渡辺嘉一が有望な人材を探し出て引き抜くため、帝国鉄道庁を訪問し、同庁運輸部庶務課長の太田光熈にその人選を依頼する。
    • 7月16日:大阪事務所を大阪市東区北浜2丁目29番屋敷(現在の中央区北浜2丁目付近)から大阪市東区今橋3丁目2番地(現在の中央区今橋3丁目付近)に移転。
    • 7月28日城北村毛馬(現・都島区毛馬町)において毛馬発電所の起工式を挙行。
  • 1908年(明治41年)
    • 9月26日:大阪市電との調整を図るため、大阪市と市営電車軌道共用、ならびに市内乗入契約を締結。
    • 10月25日
      • 大阪市と市営電車軌道共用、ならびに市内乗入契約に基づき、電気軌道敷設計画の大阪市内における起点地を定めた定款第2条の「高麗橋東詰」を「京橋一丁目天満橋南詰」と改正。
      • 定款第2条の「一般運輸ノ業ヲ営ミ」以下を削除し、「前項ノ附帯事業トシテ電気ノ供給、娯楽機関ノ経営 及び土地家屋ノ賃貸営業ヲ為スコトヲ得」を加えて改正。
    • 11月:臨時株主総会において、電気軌道敷設計画の大阪市内における起点地を高麗橋東詰から天満橋南詰へ変更することが決議(承認)。
    • 12月8日:支配人に太田光熈が就任。
  • 1909年(明治42年)
    • 4月:大阪市北区東野田網島(現・都島区網島町)に車両工場、ならびに車庫の建設を開始。
    • 6月:大阪府北河内郡守口町(現・守口市)、大阪府北河内郡枚方町(現・枚方市)、京都府紀伊郡伏見町(現・京都市伏見区)に変電所の建設を開始。
    • 7月7日:渋沢栄一が相談役を辞任。
    • 9月24日:大阪事務所を大阪市東区今橋3丁目2番地大阪市北区東野田網島に移転。
  • 1910年(明治43年)
    • 1月27日:大阪府下の各駅が竣工。
    • 2月9日:京都府下の各駅が竣工。
    • 3月11日:高崎親章大阪府知事から全線8区、1区間につき5銭。大阪市内区間、甲2銭、乙4銭。他に回数乗車券、普通定期乗車券、学生定期乗車券。往復運賃は大阪市内区間をのぞき1割引とする旅客運賃を認可。
    • 3月31日:大阪・天満橋 - 京都・五条(現・清水五条)間46.57kmの軌道敷設工事が竣工。
    • 3月:客車30両を新造。
    • 4月2日:守口変電所、枚方変電所、伏見変電所の建設工事がそれぞれ竣工。
    • 4月11日:大阪・天満橋 - 京都・五条間で試運転を開始。
    • 4月13日:大阪・天満橋 - 京都・五条間の旅客営業の開始が認可。
    • 4月15日:現在の京阪本線、大阪・天満橋 - 京都・五条間46.57kmが開業。天満橋 - 五条間を1時間40分で結ぶ。
    • 6月7日:取締役会長に渡辺嘉一が、専務取締役に桑原政がそれぞれ就任。
    • 6月25日:取締役井上保次郎が死去。
    • 7月12日:大阪・天満橋 - 京都・五条間の所要時間を1時間30分に短縮。
    • 8月30日:電気供給事業兼営の許可状、ならびに命令書が下付。
    • 10月15日:第1回菊人形を香里遊園地(1912年3月閉園)で開催(12月10日まで)。のちの「ひらかた大菊人形」の始まり。
    • 10月29日:株主配当を年間5分とすることを決定。
    • 11月19日:取締役に太田光熈が就任。
    • 11月22日:宇治電気鉄道株式会社が所有する中書島 - 宇治間の電気軌道敷設の特許状、ならびに命令書の譲受が認可。
    • 12月25日:本店所在地を大阪府北河内郡枚方町岡604番地(現在の枚方市岡東町付近)に移転。
    • 12月:客車19両を新造。
  • 1911年(明治44年)
    • 1月17日:渡辺嘉一が取締役会長を、桑原政が専務取締役を、岡崎邦輔が取締役を、田辺貞吉が監査役をそれぞれ辞任し、専務取締役に太田光熈が就任。
    • 2月6日:社長、常務制を採用し、取締役社長に田辺貞吉元監査役が、常務取締役に太田光熈が、監査役に岡崎邦輔元取締役がそれぞれ就任。
    • 4月1日:350万円の増資を実施し、資本金を1050万円に増額。
    • 5月24日:電灯電力供給工事の施工認可が下付。
    • 10月8日:第2回菊人形を香里園遊園地で開催。
    • 10月13日:大阪地区での電気供給事業を開始。
    • 10月28日:定款第2条の末尾を「附帯事業トシテ電気ノ供給、娯楽機関ノ経営、貸家経営ノ資金ニスル目的ヲ以テ土地顔家屋抵当トスル金銭ノ貸付 及ビ土地家屋ノ賃貸経営ヲナスコトヲ得」と改正。
    • 12月28日:岡崎邦輔が監査役を辞任。
  • 1912年(明治45年)
    • 2月14日:大阪市との市営電車軌道共用、ならびに市内乗入契約を解除[20]
    • 1月13日:監査役に岡崎邦輔元監査役が就任。
    • 1月23日:大阪府東成郡城北村(現在の大阪市旭区 城北公園付近)、ならびに大阪府東成郡榎並村(現在の大阪市高速電気軌道〈Osaka Metro〉谷町線 野江内代駅付近)への電気供給を開始。
    • 3月3日:大阪・天満橋 - 京都・五条間の所要時間を1時間28分に短縮。
    • 4月29日:株主配当を0.5分増配し、年間5分5厘と改定することを決定。
    • 5月1日:大阪・天満橋 - 京都・五条間の所要時間を1時間25分に短縮。
  • 1912年(大正元年)
    • 9月9日:取締役の桑原政が死去。
    • 9月11日:動力供給のため、京都電燈株式会社と電力供給契約を締結し、その送電工事を開始。
    • 9月13日:明治天皇大喪のため、23時00分から3分間、全線において電車の運転を停止し、敬悼遥拝。
    • 9月14日:京都電燈への電力供給を開始。
    • 9月末:動力供給のための京都電燈への送電工事が竣工。
    • 10月6日:菊人形を枚方遊園地(現・ひらかたパーク)に移して開催(11月25日まで)。
    • 10月29日
      • 株主配当を1分増配し、年間6分5厘と改定することを決定。
      • 摂津電気株式会社の株式買収を決定。
      • 田辺貞吉が取締役社長、ならびに佐分利一嗣が取締役を辞任し、取締役社長に土居通夫が、取締役に岡崎邦輔監査役、ならびに岩本栄之助が、監査役に秋岡義一がそれぞれ就任。
    • 11月21日:伏見変電所から京都電燈への高圧送電を開始。
    • 12月2日:大阪・天満橋 - 京都・五条間の所要時間を1時間20分に短縮。
    • 12月20日京都電気鉄道(のちの京都市電)と京津電気軌道(現・京津線)との連絡運賃が認可。
  • 1913年(大正2年)
    • 1月:宇治支線(現・宇治線) 中書島 - 宇治間の電気軌道敷設工事を着工。
    • 3月:200型貨車1両を新造。
    • 4月15日:「社報」第1号を発行。
    • 5月29日:京都市に対して三条 - 五条間の電気軌道敷設特許状、ならびに命令書が下付。
    • 5月:霧島人形を枚方遊園地で開催。
    • 6月1日
      • 宇治支線 中書島 - 宇治間開業、中書島 - 宇治間を20分で結ぶ。
    • 7月4日:貨物営業を開始。
    • 7月20日:宇治線 中書島 - 宇治間の所要時間を17分に短縮。
    • 9月13日:村野山人が取締役を辞任。
    • 10月1日:摂津電気株式会社を合併し、西国街道(現在の国道171号に相当)沿いの大阪府三島郡高槻町(現在の高槻市高槻町付近) - 大阪府三島郡千里村(現在の阪急電鉄千里線 千里山駅付近)間の大阪府三島郡21町村、ならびに大阪府豊能郡豊津村(現在の吹田市豊津町付近)、西成郡西中島村(現在の大阪市淀川区西中島付近)ほか4村、合計27町村(いずれも大阪府北部)への電灯電力供給事業を継承。
  • 1914年(大正3年)
    • 1月
      • 日本で初めての色灯三位式自動閉塞信号機をアメリカ合衆国に発注。1915年4月1日に使用開始。
      • 客車10両を新造。
    • 2月5日:電灯営業で炭素線電球に代わり、タングステン電球の使用を開始。
    • 5月15日:天満橋駅、五条駅をそれぞれ午前0時30分に発車する深夜1往復のノンストップ急行列車の運転を開始し、大阪・天満橋 - 京都・五条間の所要時間を1時間に短縮。日本初の電車による急行運転の開始。
    • 7月10日:天満橋駅の新築拡張工事を竣工。
    • 9月18日井上密京都市長と京都市電気軌道鴨東線 三条 - 五条間の軌道使用契約を締結。
    • 10月28日:株主配当を0.5分減配し、6分と改定することを決定。
    • 12月17日京都市会において、京阪電気鉄道株式会社に対する京都市電気軌道鴨東線 三条 - 五条間の軌道貸与契約案が可決。
  • 1915年(大正4年)
    • 2月6日:臨時株主総会において、京都市長と締結した京都市電気軌道鴨東線 三条 - 五条間の軌道使用契約が承認。
    • 3月16日:社債250万円の募集を決定。
    • 4月1日
      • 天満橋 - 五条間において日本初の色灯三位式自動閉塞信号機の使用を開始。
      • 午前と午後、上下それぞれ2本の急行電車を増発。
    • 4月28日:株主配当を1分減配し、年間5分と改定することを決定。
    • 7月23日:鴨川線 五条 - 三条間の電気軌道敷設工事が認可。
    • 8月10日:鴨川線 五条 - 三条間の電気軌道敷設工事を着工。
    • 10月20日:鴨川線 五条 - 三条間の電気軌道敷設工事を竣工。
    • 10月27日:鴨川線 五条 - 三条間1.5kmが開業。現在の京阪本線の一部区間。
  • 1916年(大正5年)
    • 4月1日
      • 従来の急行電車を四条駅にのみ停車し、天満橋 - 三条間を1時間で結ぶ最急行電車とする。
      • 枚方東口駅(現・枚方市駅)、八幡駅(現・石清水八幡宮駅)、中書島駅、伏見桃山駅、稲荷駅、七条駅、五条駅、四条駅の8駅に停車し、天満橋 - 三条間を1時間10分で結ぶ急行電車を新設し、24分間隔で8分間隔の普通電車2本あとに運転。
    • 4月28日:株主配当を1分増配し、年間6分と改定することを決定。
    • 7月16日:京津電気軌道との連絡乗車券の発売を開始。
    • 8月1日:最急行電車を廃止。
    • 10月1日:大阪電灯と大阪府東成郡鯰江町(現在の大阪市営地下鉄蒲生四丁目駅付近)、ならびに大阪府東成郡榎並町の電灯供給区域の協定を締結。
    • 10月27日:岩本栄之助取締役が死去。
    • 10月29日:株主配当を0.5分増配し、年間6分5厘と改定することを決定。
  • 1917年(大正6年)
    • 1月17日:午前4時50分、深草車庫内の車両から出火し、深草車庫の建物、および客車15両、貨車4両を焼失。
    • 4月:客車6両、貨車3両を新造。
    • 6月
      • 天満橋本社事務所の新築工事を着工。
      • 守口車庫の新築工事を着工。
    • 9月9日:土居通夫取締役社長が死去。
    • 9月18日:取締役社長に岡崎邦輔が就任。
    • 10月1日:「大正大洪水」河川堤防決壊などで京阪線・宇治線が不通に。
    • 11月28日:株主配当を1分増配し、年間7分5厘と改定することを決定。
    • 11月:100型客車1両を新造。
  • 1918年(大正7年)
    • 1月20日:本社新事務所が大阪市東区京橋前ノ町3番地に竣工し、本社を移転。
    • 3月1日:守口駅(現・守口市駅)京都側に守口車庫(1972年、寝屋川車庫に移転。現在の京阪百貨店守口店)が竣工し、網島車庫を移転。
    • 4月16日:本線(現・京阪本線) 野江駅から分岐して淀川を渡り、大阪府三島郡の諸町村を経て京都府乙訓郡大山崎町に至り、同町を右折して久世郡淀町(現・京都市伏見区)付近で再び本線に合流する野江 - 淀間の淀川西岸支線(現在の阪急電鉄京都本線の一部)の敷設特許を請願。
    • 4月28日:取締役に浜崎健吉、篠野乙次郎がそれぞれ就任。
    • 9月:将棊島貨物駅の新設工事を竣工。
    • 10月28日:取締役に馬場斉吉が就任。
    • 12月2日:淀川支線の敷設特許、ならびに命令書を返上。
    • 12月27日
      • 淀川西岸支線延長線 大山崎 - 四条大宮間15.2kmの電気鉄道敷設特許を請願。
      • 守口第2変電所が竣工し、守口変電所 - 守口第2変電所間の送電を開始。
  • 1919年(大正8年)
    • 4月1日
      • 安威川水力電気株式会社を合併し、電気供給事業を譲り受ける(3月5日認可)
      • 資本金550万円を増資し、1600万円となる。
    • 4月30日:大阪電灯からの受電(1万kW契約の一部)を開始。
    • 4月:100型客車2両を新造。
    • 5月16日:城北支線敷設の特許が下付。
    • 5月29日:城北支線延長線敷設の特許を請願。
    • 7月21日
      • 野江 - 淀間支線の敷設の特許状が下付。
      • 淀川西岸支線延長線の軌道敷設の特許状が下付。
    • 8月30日:淀川西岸支線建設の測量に着手。
    • 9月10日:淀川西岸支線特許線短縮の許可を出願。
    • 9月11日:北大阪電気鉄道に十三支線 十三 - 淡路間の電気鉄道敷設、ならびに淀川 - 吹田間の官設鉄道東海道本線の旧線跡の払下げ免許が下付。
    • 9月:淀川西岸線沿線の開発のため、吹田、茨木、高槻、山崎、桂付近で景勝地約24万坪を買収。
    • 10月29日:株式配当を0.5分増配し、年間8分とすることを決定。定款を変更し第2条に城北支線、淀川西岸線を追加。
    • 10月:枚方遊園地での菊人形の開催を中止し、宇治で開催。
    • 11月8日木曽電気興業との共同出資で大阪送電株式会社(のちの大同電力)を創立し、その取締役に太田光熈、林謙吉郎、岡崎邦輔が、監査役に渡辺嘉一、秋岡義一がそれぞれ就任。
    • 12月20日:城北支線の延長が特許。
  • 1920年(大正9年)
    • 1月:100型客車10両を新造
    • 2月13日:野江 - 淀間の特許線の短縮が許可。
    • 2月21日:官設鉄道城東線(現在のJR西日本大阪環状線の大阪 - 天王寺間)の旧線跡一部敷地の払下げ願書を提出。
    • 3月:守口 - 伏見間の5万V送電線建設の工事を竣工。
    • 4月1日:城北支線延長路線の変更が許可。
    • 4月28日:株主配当を1分増配し、9分とすることを決定。
    • 5月20日:官設鉄道城東線の旧線跡一部敷地の払下げが許可。
    • 5月24日:淀川西岸線の起点を大阪市北区本庄葉村町に変更すことを請願。
    • 7月9日:支配人に三上真吾が就任。
    • 8月27日:取締役林謙吉郎が死去。
    • 10月19日:天満橋駅の拡張工事を完了。
    • 10月29日:株主配当を1分増配し、年間1割とすることを決定。
  • 1921年(大正10年)
    • 3月: 旧形客車10両を急行用客車100型に改造。
    • 5月1日:資本金2000万円を増資し、3600万円となる。
    • 7月22日:天満橋京阪食堂を大阪市東区京橋1丁目に開設。
    • 10月26日:淀川西岸電気鉄道路線の一部変更が免許。
    • 10月28日:取締役に大原孫三郎、三上真吾がそれぞれ就任し、篠野乙次郎取締役が退任。
    • 10月:深草車庫内に機械工場、組立工場がそれぞれ竣工。
    • 12月:寝屋川運動場用地として、4万9,500m2を買収。
  • 1922年(大正11年)
    • 1月29日:和歌山水力電気の合併を決定。
    • 1月:寝屋川運動場の建設工事を着工。
    • 2月8日:運動場前臨時駅の設置が認可。
    • 3月23日
    • 3月:旧形客車5両を急行用客車100型に改造。
    • 4月3日:監査役田中源太郎が死去。
    • 4月21日:京阪グラウンドに陸上競技場を竣工。
    • 4月24日:淀川西岸電気鉄道新線を地方鉄道法による経営変更が許可。
    • 5月10日:淀川西岸新線敷設免許の権利義務を新京阪鉄道株式会社発起人に譲渡する仮契約を締結。
    • 5月:京阪グラウンドの野球場、庭球場の建設工事を着工。
    • 6月28日:淀川西岸の高速新線建設のため、資本金2500万円の新京阪鉄道株式会社を設立し、社長に岡崎邦輔が、常務取締役に太田光熈が、取締役に渡辺嘉一、村井貞之助、永田仁助、井上周、大野盛郁が、監査役に浜崎健吉、島村安次郎、湯浅七衛門がそれぞれ就任。
    • 7月1日
      • 和歌山水力電気株式会社を合併し、和歌山地区の電気供給事業と軌道事業(のちの南海電気鉄道和歌山軌道線。1971年4月1日全線廃止)を継承。電気供給事業は和歌山支店となる。
      • 資本金1152万円を増資し、4752万円となる。
    • 7月24日
      • 取締役に島村安次郎、監査役に津村紀陵がそれぞれ就任。
      • 資本金2000万円増資し、淀川西岸新線建設費、官設鉄道城東線 旧線跡払下げ代金その他に充当することを決定。
    • 8月1日:和歌山支店を和歌山市岡山町9番地に設置。
    • 8月12日:十三 - 千里山間の路線(のちの十三線、ならびに千里山線。現在の阪急電鉄京都本線、ならびに阪急電鉄千里線の一部区間)の経営を行っていた北大阪電気鉄道の社長に秋岡義一が、取締役に太田光熈、竹田三七が、監査役に渡辺嘉一、篠野乙次郎がそれぞれ就任し、北大阪電気鉄道の経営権を握る。
    • 9月1日:和歌山水力電気合併による増資株(い号株式)23万400株を発行。
    • 10月9日:淀川西岸電気鉄道新線敷設権を新京阪鉄道に譲渡することが鉄道大臣から認可。
    • 11月12日:高槻変電所、ならびに高槻送電線がそれぞれ竣工。
    • 11月21日:新京阪鉄道と容量1万kWの電力需給契約を締結。
    • 11月27日:株主配当を1分増配し、年間1割1分とすることを決定。
    • 12月23日:和歌山支店 琴の浦火力発電所の建設工事が竣工。
    • 12月25日:新京阪鉄道に電気鉄道敷設権譲渡に伴う前期事業譲渡が逓信大臣から認可。
    • 12月28日:三条駅の拡張工事を完了。
    • 12月31日:和歌山支店 琴の浦火力発電所の使用を開始。
  • 1923年(大正12年)
    • 1月24日:天満橋 - 守口間で2両連結の客車の運転が認可。
    • 2月1日:譲受代金370万1722円24銭とする北大阪電気鉄道から新京阪鉄道への電気鉄道事業譲受契約を締結。
    • 3月19日:旧形客車5両を急行用客車100型に改造。
    • 4月1日:北大阪電気鉄道が電気鉄道事業を新京阪鉄道に譲渡し、社名を京阪土地と改称。新京阪鉄道の開業。
    • 4月16日:和歌山軌道線の和歌浦支線終点延長の免許を請願。
    • 5月10日:旧形客車5両を急行用客車100型に改造。
    • 7月12日:和歌山支店 船津水力発電所の使用を開始。
    • 10月:菊人形を枚方遊園地で復帰開催。
    • 11月1日:旧形車両5両を急行用客車100型に改造。
    • 12月6日:旧形客車5両を急行用客車100型に改造。
  • 1924年(大正13年)
    • 1月20日:新設の毛馬変電所が竣工。
    • 1月:天満橋駅で急行用客車100型客車1両を焼失。
    • 3月:旧形客車10両を急行用客車100型に改造。
    • 4月19日:天満橋 - 守口間2両連結運転に伴う駅改築が認可。
    • 4月:霧島人形を枚方遊園地で開催。
    • 6月25日:京阪電気鉄道同友交通労働組合が発足(6月28日承認)
    • 8月29日:1000型客車10両を新造。
    • 8月30日:京津電気軌道と合併に関する仮契約を締結。
    • 9月27日:京津電気軌道との合併に伴い定款を変更。
    • 10月1日:1000型2両連結運転を天満橋 - 守口間で開始。
    • 12月11日:蒲生 - 守口間の軌道工事方法の変更が認可。
    • 12月:新京阪鉄道 天神橋 - 淡路間が着工。
  • 1925年(大正14年)
    • 1月27日:京津電気軌道との合併が鉄道大臣、ならびに内務大臣から認可。
    • 1月30日:京津電気軌道との合併が逓信大臣から認可。
    • 2月1日
      • 京津電気軌道株式会社を合併し、電気供給事業と三条大橋 - 札ノ辻間の軌道事業、ならびに札ノ辻 - 浜大津(現・びわ湖浜大津)間の軌道線延伸工事を継承。
      • 資本金325万円を増資し、5077万円となる。
    • 3月31日:監査役秋岡義一が死去。
    • 4月16日:岡崎邦輔が取締役社長を辞任。
    • 4月24日:取締役社長に太田光熈が就任。
    • 4月29日:高野山鉄道の敷設権および財産譲渡を決定。
    • 5月5日:京津電気軌道から継承事業であった札ノ辻 - 浜大津間の延伸工事が竣工し、開業。
    • 6月20日大阪市電谷町寝屋川線 京阪東口 - 馬場町間(1968年12月18日廃止)の開業に伴い、野田橋交差点の使用を開始。
    • 7月7日:京阪線 守口 - 枚方間の2両連結運転が認可。
    • 7月27日:京阪線 旧形客車6両を急行用客車100型に改造し、急行用客車100型1両を新造。
    • 10月6日:島村安次郎取締役が死去。
    • 10月29日
      • 監査役に永田仁助が就任。
      • 日高川水力電気の合併を決定。
      • 京津電気軌道から継承した電気供給事業、ならびに水力発電所の京都電燈への譲渡を決定。
    • 11月3日:日高川水力電気と合併契約を締結。
  • 1926年(大正15年)
    • 3月1日:日高川水力電気株式会社を合併。
    • 9月1日:京津線沿線の電気供給事業を京都電燈に譲渡。
    • 9月7日:京阪電鉄初の踏切警報機を古川橋府道に設置。
  • 1926年(昭和元年):京阪線の一部車両の集電装置にパンタグラフを採用[21]。トロリーポール式と混在するようになった。
  • 1927年(昭和2年)
    • 2月1日:京阪自動車株式会社(現・京阪バス)の株式の77%を取得し、子会社化。
    • 8月31日:日本初の全鋼製ロマンスカー1550型)を新造。
    • 10月28日:京都府紀伊郡堀内村(六地蔵) - 大津市馬場町間軌道(六地蔵線)敷設特許[22]
  • 1928年(昭和3年)
    • 3月1日:京阪土地(元の北大阪電気鉄道)を合併。
    • 10月1日:貴賓車16号(2代目)を新造。
    • 12月27日:六地蔵線六地蔵 - 2哩72鎖(宇治郡醍醐村)間工事施行認可を申請(翌年8月26日認可)[22]
  • 1929年(昭和4年)
    • 4月11日:琵琶湖鉄道汽船株式会社を合併。船舶部門(旧太湖汽船)は湖南汽船に譲渡。鉄軌道路線のうち石山 - 浜大津(現・びわ湖浜大津) - 坂本(現・坂本比叡山口)間を京阪に編入するが、それ以外は八日市鉄道に売却。
    • 4月25日:六地蔵線宇治郡醍醐村 - 大津市上関寺町間工事施行認可を申請[22]
  • 1930年(昭和5年)
    • 4月25日:六地蔵線大津市上関寺町 - 同市馬場町間工事施行認可を申請[22]
    • 5月10日;合同電気株式会社に和歌山支店管内の電気供給事業と軌道事業を譲渡。
    • 9月15日:新京阪鉄道株式会社を合併し、天神橋 - 西院間の路線を新京阪線、十三 - 淡路間の路線を十三線、淡路 - 千里山間の路線を千里山線、桂 - 嵐山間の路線を嵐山線とする。
  • 1931年(昭和6年)
    • 3月31日:新京阪鉄道からの継承事業であった新京阪線の西院 - 京阪京都(現・阪急大宮)を延伸開業(関西初の地下鉄道)。
    • 10月14日:京阪本線の蒲生信号所 - 守口(現・守口市)間の併用軌道(通称「野江の七曲り」)を廃止。同区間の線路を移設の上、立体交差化。
  • 1932年(昭和7年)
    • 9月:京阪線の車両の集電装置をトロリーポールからパンタグラフへ変更[23]
    • 10月15日:京阪線の全車両のパンタグラフ化が竣工[24]
    • 11月15日白木屋などと共同出資で京阪デパートを設立(資本金100万円)。
    • 11月19日:毛馬発電所設備を撤去。
    • 12月1日:食堂事業を京阪デパートへ譲渡。
    • 12月:尖頭裁除(せんとうせつじょ)用蓄電池を正雀・守口・伏見の3変電所に設置(当時、世界最大の尖頭せつ除用蓄電池)。
  • 1933年(昭和8年)
    • 2月1日:日本初のコンパウンドモーターによる回生ブレーキ付き車両50型4両を新造(末尾55-58)。
    • 12月29日:京阪本線の蒲生信号所 - 守口(現・守口市)間を複々線化。
  • 1934年(昭和9年)
    • 3月19日:日本初の連接車「びわこ号」60型竣工。
    • 4月2日:三条(三条大橋)経由、天満橋(京阪本線) - 浜大津(京津線)間直通の特急「びわこ号」の営業運転を開始(戦時中に一時休止)。
    • 9月21日室戸台風が関西に来襲。守口車庫など50棟以上が全半壊など建物被害・牧野付近の浸水、路盤の流失をはじめ全線で大きな被害を受ける。同月24日京阪線運転再開・27日より全線平常運転。
  • 1935年(昭和10年)
    • 6月29日:鴨川大水害。三条 - 七条間で浸水、路盤倒壊など大きな被害を受ける。この災害を受け、鴨川の河川改修(鴨川の掘り下げと拡幅)に合わせて京阪線を地下化する計画が策定される。
    • 8月11日:水害(宇治川氾濫)で中書島-枚方東口間、宇治線が運転不能、同月13日復旧。
  • 1936年(昭和11年)10月28日:太田光凞が取締役会長、有田邦敬が取締役社長に就任。
  • 1937年(昭和12年)
    • 2月26日:六地蔵線起業廃止許可[22]
    • 9月28日:新京阪鉄道からの継承事業であった山科線起業廃止許可[22]
  • 1939年(昭和14年)
    • 3月1日:大阪陸軍兵器支廠禁野倉庫の爆発事故で被災、香里園 - 樟葉間運転休止。
    • 9月30日:太田光凞が取締役会長を辞任し、相談役に就任(10月14日死去)。
  • 1941年(昭和16年)
    • 7月9日:子会社、宇治交通(現・京阪タクシー)を設立。
    • 12月21日:取締役社長の有田邦敬死去。
  • 1942年(昭和17年)
    • 1月26日:取締役会長に大槻信治、取締役社長に喜多市松が就任。
    • 4月1日:電力統合政策により電気供給事業を関西配電(関西電力の前身)に現物出資。

京阪神急行電鉄

  • 1943年(昭和18年)10月1日:戦時企業統合政策(陸上交通事業調整法)による政府からの勧奨を受け、阪神急行電鉄株式会社と合併し、京阪神急行電鉄株式会社(のちの阪急電鉄株式会社・法人としては現在の阪急阪神ホールディングス株式会社)が発足(書類上の存続会社は阪神急行電鉄株式会社)。
  • 1945年(昭和20年)
    • 1月25日近江神宮での「大化の改新1300年祭」に天満橋駅から京阪線・京津線を経由、石山坂本線の近江神宮駅へ直通列車が運転される(60型63号使用)。
    • 5月1日:交野電気鉄道株式会社の事業を譲り受け、交野線とする。
    • 12月21日:奈良電気鉄道(現・近鉄京都線)が京阪本線の丹波橋 - 三条間に乗り入れ開始。
  • 1947年(昭和22年)4月1日:京阪線の電車が奈良電気鉄道の丹波橋 - 京都間に乗り入れ開始。
  • 1948年(昭和23年)日時不明:運輸省規格電車1300系10両を導入。
  • 1949年(昭和24年)
    • 8月7日:京津線四宮車庫で火災。車庫・変電設備と車両22両を焼失。
    • 11月25日:京津線三条大橋駅を京阪線三条駅に統合。

2代・京阪電気鉄道

  • 1949年(昭和24年)
    • 12月1日:京阪神急行電鉄より、京阪本線・交野線・宇治線・京津線・石山坂本線の各路線が分離譲渡される形で京阪電気鉄道株式会社(2代)が発足[注釈 5]。京阪神急行電鉄副社長の村岡四郎が社長に就任。
  • 1950年(昭和25年)
    • 9月1日:京阪本線の天満橋 - 三条間に特急の運行を開始、天満橋 - 三条間を53分で結ぶ。
    • 10月11日:宇治川の志津川発電所への資材運搬軽便鉄道を利用して天ヶ瀬 - 大峯間3.2kmに「おとぎ電車」が開業(遊戯施設の扱い)。
    • 11月16日:子会社、京阪国際観光自動車設立(資本金800万円・1998年6月30日会社解散)。
  • 1951年(昭和26年)
    • 3月30日:特急専用車1700系10両を新造。特急電車の「マンダリン・オレンジ」と「カーマイン・レッド」のツートンカラーがこの車両から始まる。
    • 12月22日:琵琶湖汽船とタイアップ、天満橋 - 浜大津間に直通スキー列車を運転開始(浜大津でマキノ行きの船に連絡)。
  • 1952年(昭和27年)
  • 1953年(昭和28年)
    • 7月10日:若狭湾観光が設立(1962年京阪の出資を受け傘下に、2003年6月・株式売却により京阪グループより離脱)。
    • 7月22日:1800系特急用電車2両を新造。
    • 9月25日:台風13号で京都府南部に被災。宇治川の堤防決壊・山科川への逆流などで京阪線・宇治線・おとぎ電車で浸水・築堤倒壊・路盤流失など大きな被害を受けた(京阪線・宇治線は同年10月1日仮復旧・おとぎ電車は翌年3月末復旧)。
  • 1954年(昭和29年)
    • 9月3日:京阪線の特急でテレビを設置したテレビカーの運行を開始。
    • 10月1日:奈良電気鉄道京都駅から丹波橋経由で枚方公園駅まで臨時急行「ひらかた号」が運転。
    • 11月18日:子会社、滋賀京阪タクシーを設立。
  • 1955年(昭和30年)
    • 6月25日:京阪線天満橋 - 塩小路間の貨物営業を廃止、塩小路貨物駅廃止。
    • 12月3日:鋼索線 八幡市 - 男山山上間開業。
    • 12月23日:子会社、ひらかた園芸企画(現・京阪園芸)設立、資本金100万円。
  • 1956年(昭和31年)
    • 1月10日:線路名称制定。
    • 6月20日:日本初の電車用空気ばね台車「KS-50」を1759号に取り付け試運転開始。
  • 1957年(昭和32年)
  • 1958年(昭和33年)
    • 2月7日:子会社、京阪土地興業(現・京阪産業)を設立。
    • 3月19日:子会社、比叡山自動車道を設立(資本金8000万円・4月19日営業開始)。
    • 12月1日:寝屋川車庫の使用を開始。
  • 1959年(昭和34年)
    • 6月25日:宇治田原自動車に出資、京阪宇治交通に社名変更の上、子会社化(2006年3月末に京阪バスに合併)。
    • 8月6日:日本初の平坦線回生ブレーキを常用した2000系電車の運用を開始。
  • 1960年(昭和35年)
    • 5月31日:「おとぎ電車」休止、廃線跡のほとんどは大峰ダムとともに天ヶ瀬ダム湖に沈む。
    • 8月15日:南日本航空(現・かんこう)に出資、関西航空に改称の上、子会社化(1976年に関西航空測量と改称)
  • 1961年(昭和36年)
    • 7月:江若鉄道(現・江若交通)に出資、子会社化。
    • 8月12日:京津線で各停用回生ブレーキ車80型の使用を開始。
  • 1962年(昭和37年)
  • 1963年(昭和38年)
    • 4月15日:京阪本線淀屋橋 - 天満橋間の地下新線が延伸開業。同時に、駅名標を「天滿橋」→「天満橋」、「三條」→「三条」のように、旧字体から新字体に変更。
    • 7月9日:子会社、敦賀京阪タクシー(現・敦賀第一交通)を設立。
    • 9月16日:子会社、京阪レストラン設立(10月1日営業開始)。
    • 11月29日:京阪電鉄初の不動産賃貸ビル、京阪淀屋橋ビル竣工。
  • 1964年(昭和39年)
    • 3月12日:子会社、ケーテー自動車工業設立。
    • 5月8日:子会社、京阪ビルディング設立(2009年10月1日付で京阪電鉄本体に吸収合併)。
    • 7月7日:日本初の駅冷房を京阪本線の淀屋橋駅で開始。
    • 7月20日:子会社、宇治パワーステションサービスを「天ヶ瀬ダム周辺の観光開発」を目的に京阪電鉄70%、関西電力30%の出資で設立。1987年会社解散。
  • 1965年(昭和40年)4月21日:ダイヤ改正。朝のラッシュ時に宇治発三条行の直通急行を新設。
  • 1966年(昭和41年)
    • 4月23日:「京阪レークセンター」竣工。
    • 8月3日:蒲生信号所前で列車追突事故が発生。これをきっかけにATS導入が決まる。
    • 10月8日:子会社、宇治京阪タクシーを設立。京阪宇治交通よりタクシー部門を譲受、1967年1月1日より営業開始。
  • 1967年(昭和42年)
    • 6月15日:日本初の官民一体型のニュータウン「くずはローズタウン」造成工事起工式。
    • 8月1日:淀屋橋 - 大和田間(複々線区間の緩行線をのぞく)にATSの地上設備を設置完了、特急列車のATS使用開始。関西私鉄初ATS設置運用開始。以後9月28日にまでに京阪本線の全区間にATSの地上設備の設置を完了した。
  • 1968年(昭和43年)
    • 1月29日:宇治線ATS使用開始。
    • 7月16日:交野線ATS使用開始。
    • 9月12日:京阪本線全列車にATS車上装置を搭載完了。
    • 12月20日:近鉄京都線(旧奈良電気鉄道)との相互乗り入れを廃止。
  • 1969年(昭和44年)
  • 1970年(昭和45年)
    • 4月15日:京橋駅ビルに京阪ショッピングモール(現・京阪モール)が開業。
    • 5月15日:通勤冷房車(2400系)の営業運転での冷房装置使用開始。
    • 11月1日:京阪本線の天満橋 - 野江間を複々線化。
    • 12月22日:日本初の5ドア車両5000系が竣工。京阪電鉄初のアルミ車両。
  • 1971年(昭和46年)
    • 3月6日:男子寮「黎明寮」竣工。
    • 7月1日:京阪電鉄初の冷房付き特急専用車3000系(初代)の運用を開始。
  • 1972年(昭和47年)
    • 2月2日:寝屋川車両工場竣工。守口車両工場・守口車庫廃止。
    • 4月1日:樟葉駅前にくずはモール街が開業。
    • 7月1日:鴨川電気鉄道株式会社設立。
  • 1973年(昭和48年)
    • 3月24日: 京阪レンタサイクル開業(三条・嵐山・宇治・浜大津・京都パレスサイドホテルに営業所開設)。
    • 4月2日:子会社、株式会社大山レークホテル設立(1999年10月1日付でホテル京阪に吸収合併)。
  • 1974年(昭和49年)
    • 2月25日:鴨川電気鉄道が鴨東線の地方鉄道敷設免許取得。
    • 8月3日:びわこローズタウンの第一期分譲を開始(向陽地区50区画)。
  • 1975年(昭和50年)
    • 5月28日:村岡四郎社長死去(6月6日に青木精太郎が社長に就任)。
    • 7月1日:社員に対して週休2日制を実施。
    • 11月15日: 全車両に「優先座席」を設定。
  • 1976年(昭和51年)
    • 3月: 駅置きの月刊広報誌「くらしの中の京阪」創刊(2000年4月より『K PRESS』に統合される)。
    • 9月12日: 京阪本線の守口市 - 門真市間高架複々線化。
    • 11月20日:京阪で初めて駅に点字ブロックを設置(香里園駅)。以後順次各駅に設置へ。
  • 1977年(昭和52年)
    • 9月1日:子会社、ホテル京阪設立(資本金5000万円)。
    • 11月22日:取締役会で株式配当を年1回から年2回することが決議される。
  • 1978年(昭和53年)
    • 3月1日:子会社、京阪ビルサービス(現・京阪カインド)が資本金300万円で設立。
    • 3月30日:京阪電鉄初の分譲マンション「ローズマンション藤森(戸数225)」が竣工。
    • 3月31日:第1回物上担保附1号転換社債50億円発行。
    • 7月30日:京阪本線の門真市 - 寝屋川信号所間の高架複線を使用開始。
    • 8月8日2600系電車が運用を開始。
    • 9月1日:社員に対して給与振り込み制度を実施。
  • 1979年(昭和54年)
    • 1月20日:主要12駅に京阪電鉄初の点字運賃表を設置。
    • 6月20日:第2回物上担保附1号転換社債50億円発行。
    • 8月10日:子会社、京阪建設設立(2008年3月末京阪エンジニアリングサービスへ合併)。
  • 1980年(昭和55年)
    • 2月20日:磯島曲線(枚方市 - 御殿山間)で京都行急行電車が置き石により脱線、転覆する事故が発生(京阪電気鉄道置石脱線事故)。
    • 3月16日:京阪本線の土居 - 寝屋川信号所間が高架複々線化。京阪本線の天満橋 - 寝屋川信号所間12.6kmが私鉄最長(当時)の複々線区間となる。淀車庫竣工、深草車庫廃止。
    • 3月23日:ダイヤ改正で「土曜ダイヤ」導入(日本初)。
    • 5月28日:最初の「京阪時刻表」を刊行。
  • 1981年(昭和56年)
  • 1982年(昭和57年)
    • 3月29日:京阪本線の土居 - 寝屋川信号所間が高架複々線化工事竣工。淀屋橋 - 寝屋川信号所間14.1kmの立体交差化が完了。
    • 4月1日:適格退職年金制度・社員持ち株制度を導入。
  • 1983年(昭和58年)
  • 1984年(昭和59年)
    • 4月1日:京津線ATS設置完了。
    • 6月27日:京阪線で弱冷房車を導入。
    • 7月29日:6000系が鉄道友の会より「ローレル賞」を京阪電鉄で初めて受賞。
    • 11月12日:子会社、京阪エンジニアリング設立。資本金1千万円
  • 1985年(昭和60年)
    • 4月22日:京阪本線の淀屋橋 - 樟葉間で朝夕ラッシュ時に8両編成の急行列車を運転開始。
    • 4月25日:子会社、若狭湾観光が福井県小浜市に「若狭フィッシャーマンズ・ワーフ」を開業。
    • 9月18日:社員女子寮「こがね寮」廃止
    • 10月12日:守口市駅前(旧守口車庫跡地)に京阪百貨店が開業。
  • 1986年(昭和61年)
    • 4月1日:第4回物上担保附1号転換社債50億円発行。
    • 12月1日:全駅で朝夕のラッシュ時に「禁煙タイム」を実施。
  • 1987年(昭和62年)
    • 2月26日:第1回米ドル建てワラント債7000万ドルを発行。
    • 3月9日:資本金200億円を突破。
    • 5月24日:京阪本線の東福寺 - 三条間が地下化(総工費580億円)。
    • 12月10日:京阪線で自律分散式列車運行管理システム (ADEC) の使用を全面的に開始。
  • 1988年(昭和63年)
    • 4月1日:京阪社員へ完全週休2日制を実施。
    • 4月11日:子会社、京阪フィッシャーマンズ・ワーフ(1987年8月20日設立)が香川県坂出市与島に「瀬戸大橋京阪フィッシャーマンズ・ワーフ」を開業。
    • 5月18日:第2回米ドル建てワラント債、1億5000万ドルを発行。
    • 7月16日:京阪社員の保養所「京阪つるが荘」開設。
    • 9月1日:地下線の7駅が終日禁煙化。
    • 10月1日:株式事業を三井信託銀行(現・三井住友信託銀行)へ委託。
    • 10月11日:資本金300億円を突破。
  • 1989年平成元年)
    • 4月1日:鴨川電気鉄道株式会社を合併。京阪線の車両冷房化率100%達成。
    • 7月4日:電力指令所の更新工事が竣工。
    • 9月4日:京阪初のVVVFインバーター制御電車7000系竣工、同月11日より運行開始。
    • 9月27日:鴨東線完成に併せたダイヤ改正で京阪線の特急がすべて7両編成化(3000系の一部の6両編成に新特急車8000系中間車を組み込む)。
    • 10月1日:プリペイドカード「Kカード」の発売を開始。
    • 10月5日:鴨川電気鉄道からの継承事業であった鴨東線の三条 - 出町柳間開業(総工費650億円)。8000系特急用電車運用開始。
  • 1990年(平成2年)
    • 3月23日:資本金が400億円を超える。
    • 4月1日:運輸関係従事者の制服制帽を更新。
    • 6月20日:回数乗車券を磁気カード化した「Kカード回数券」発売。
  • 1991年(平成3年)
    • 7月22日:本社機能を大阪ビジネスパークの「クリスタルタワー」へ移転、業務開始。
    • 11月29日:京福電気鉄道の100%出資子会社であった叡山電鉄の増資分を出資。株式の60%を取得し筆頭株主となる。
    • 12月1日:知的障害者旅客運賃割引の取り扱い開始。
  • 1992年(平成4年)
    • 2月15日:七条駅 - 出町柳駅の「京都地下駅の色彩計画」が、第7回『公共の色彩賞-環境色彩10選』に選ばれる(主催「公共の色彩を考える会」(財)日本色彩研究所。表彰状のレプリカが三条駅コンコースに設置されている)。
    • 5月12日:京阪東ローズタウン街開き。
    • 11月5日:第1回スイスフラン建てワラント債、1億スイスフランを発行。
  • 1993年(平成5年)
    • 2月22日:ユーロ建て普通社債を発行。
    • 7月1日:会社組織改編。「運輸・まちづくり・流通・ビジター」の4つの事業本部制を導入。
  • 1994年(平成6年)
    • 5月1日:全駅で喫煙所をのぞき、全面禁煙化。
    • 6月13日:黎明寮(男子寮)全面改修竣工。
  • 1995年(平成7年)
    • 1月17日:阪神・淡路大震災が発生。目立った被害がなかったため午前8時ごろから運転を再開[27]。なおこの震災を契機に様々な地震対策や設備の耐震補強が行われる。
    • 9月1日:時差割引回数券(オフピークチケット)と土曜休日割引回数券(サンキューチケット)の発売開始。
    • 11月1日:Kカード回数券で自動改札を利用可能にすると同時に指定駅のみに認められていた途中下車制度を廃止。
    • 12月25日:京阪線の特急専用車に2階建車両を連結開始。
  • 1996年(平成8年)
    • 2月21日:長期経営計画「ACT21」策定。
    • 3月28日:京阪線に地震計測・制御システム導入。
    • 9月12日:資本金500億円突破。
    • 10月1日:宇治駅が京阪初のグッドデザイン賞を受賞。
  • 1997年(平成9年)
    • 4月1日:京阪線の駅構内でワゴン販売「プラットボーイ」を開始(同年10月1日にグッドデザイン賞選定)。
    • 4月21日:コンビニエンスストアアンスリー」の1号店が樟葉駅構内に開業。
    • 7月31日:芙蓉寮(香里女子寮)を廃止。
    • 9月30日:石山坂本線の穴太 - 坂本間が複線化され、鋼索線をのぞく鉄・軌道線全線の複線化を達成(一部複々線)。
    • 10月12日:京都市営地下鉄東西線の開通に伴い京津線の京津三条 - 御陵間を廃止。京都市営地下鉄東西線御陵 - 京都市役所前間に乗り入れ開始。それに伴い乗り入れ対応車800系電車の運行開始。大津線の架線電圧を直流600Vから1500Vに昇圧。「京阪電車の冷房車率100%」と「大津線電車の回生ブレーキ車率100%」を達成(大津線に在籍していた非冷房車および吊り掛け駆動車両の全廃によるもの)。
  • 1998年(平成10年)
    • 4月1日:「ボランティア休暇制度」新設。
    • 4月29日:京阪線の特急専用車への2階建車両連結と8両編成化を完了。
    • 10月1日:浜大津アーカスグランドオープン。
  • 1999年(平成11年)
  • 2000年(平成12年)
    • 4月1日:開業90周年記念乗車券を発売。
    • 4月3日:子会社、京阪ザ・ストア京阪レジャーサービス設立
    • 6月21日:子会社、京阪電鉄不動産株式会社設立(10月1日付で「まちづくり事業本部」を京阪電鉄不動産へ移管)。
    • 7月24日:本社事務所をOMMビルに移転、業務開始。
    • 9月19日:「第1回近畿の駅百選」に宇治駅と坂本駅が認定。
    • 9月22日:「ひらかたパーク」がISO14001の認証をうける(遊園地として日本初)。
  • 2001年(平成13年)
    • 3月23日:取締役会で「中之島新線」建設事業着手を決定。
    • 8月31日:個人向け社債(愛称「おけいはんボンド」)100億円を発行。
    • 9月21日:「第2回近畿の駅百選」に萱島駅と枚方市駅が認定。
  • 2002年(平成14年)
    • 2月19日:「京阪グループ新生計画Re Born21」を発表。同年7月1日計画推進のために組織改正して事業本部制を廃止。
    • 3月1日:京津線にも「スルッとKANSAI」システムを導入。
    • 3月29日:京福電気鉄道より叡山電鉄の全株式を取得、完全子会社とする。
    • 4月15日:交野線・宇治線で10000系電車の運用を開始。
    • 6月3日:子会社、京阪ライフサポート設立(10月1日京阪宇治交サービスより営業譲受)。
    • 6月15日:使用済み乗車券をリサイクルして作ったお香「チケット セラピー」発売。
    • 11月30日:京津線全列車ワンマン運転化。
  • 2003年(平成15年)
    • 3月31日:子会社、京阪フィッシャーマンズ・ワーフの全株式を売却。「瀬戸大橋京阪フィッシャーマンズ・ワーフ」の運営より撤退。
    • 5月28日:中之島新線起工式。
    • 10月4日:石山坂本線全列車ワンマン運転化。
  • 2004年(平成16年)
    • 3月15日:鉄道会社では日本初となる「ISO14001」認証を会社全体で取得。
    • 4月 : 京都銀行との共同事業「スーテーションATM『エキバンク』」をスタート。淀屋橋・天満橋・京橋・門真市・寝屋川市・枚方市の6駅に京都銀行のATMを設置[28]
    • 6月18日:子会社、若狭湾観光の全株式を売却、若狭湾での観光船事業・「若狭フィッシャーマンズ・ワーフ」の運営より撤退。
    • 8月1日:スルッとKANSAI共通ICカードシステムPiTaPa導入(ただし、この時点では大津線には導入されず。また鋼索線は導入対象外)し、「e-kenet PiTaPa」発行。
  • 2005年(平成17年)
    • 4月1日:比叡山自動車道より『ガーデンミュージアム比叡』の施設を購入、比叡山自動車道へ貸し出す。
    • 12月4日:ひらかた大菊人形の歴史に幕が下りる。
  • 2006年(平成18年)
  • 2007年(平成19年)
    • 4月1日:大津線にもPiTaPaが導入(乗り入れ先の京都市交通局の地下鉄路線も同時導入)され、鋼索線をのぞく京阪全線でPiTaPaの使用が可能となった。
    • 6月16日:全線に「早期地震警報システム」導入。
    • 6月17日:京阪線の「列車運行管理システム (ADEC) 」を更新。
    • 9月22日:交野線でワンマン運転開始。
  • 2008年(平成20年)
    • 1月16日:京都市営地下鉄東西線の路線延長により京津線の乗り入れ区間を京都市役所前から太秦天神川まで延長。
    • 4月15日:新シンボルマークとスローガンを導入。
    • 10月1日:京阪電気鉄道が子会社、株式会社京阪タクシーシステムズを吸収合併。
    • 10月19日:中之島線、中之島 - 天満橋間が開業。3000系電車(2代)の運用を開始。
  • 2009年(平成21年)
    • 3月30日:大手町北東急ビル(東京)を購入、『京阪大手町ビル』とし、首都圏での不動産賃貸を開始[注釈 6]
    • 6月15日:3000系電車(2代)が鉄道友の会より「ローレル賞」を受賞(1984年の6000系以来2度目)。
    • 8月26日:子会社、京阪福井国際カントリー株式会社(福井県あわら市)の全株式を売却、運営より撤退。
    • 10月1日:京阪電気鉄道が子会社、京阪ビルディング、京阪バスシステムズを吸収合併。
    • 10月1日:3000系電車(2代)と中之島線の4駅(中之島・渡辺橋・大江橋・なにわ橋)がグッドデザイン賞を受賞。
    • 12月15日2010年5月から、JR西日本との間でICOCAによる連絡定期券の販売を、JR西日本の定期券販売箇所で発売し、2011年6月1日より、京阪線でのICOCAの販売および、京阪線のICOCA定期券(JRとの連絡定期券を含む)の販売を開始すると発表[29]
  • 2010年(平成22年)
    • 4月15日:開業100周年を迎え、中之島線中之島駅で記念発車式挙行。
    • 9月3日:「近畿運輸局バリアフリー化推進功労者表彰」を受賞。
    • 10月1日:子会社京阪タクシー、宇治京阪タクシー、大阪京阪タクシー、汽船タクシーの4社の全株式を第一交通産業北九州市)に売却、京阪タクシーの100%子会社のトラベル京阪、滋賀京阪タクシー、敦賀京阪タクシーも京阪グループから離脱し、タクシー事業から撤退。
    • 10月1日:京阪線で列車防護無線装置の使用開始。
  • 2011年(平成23年)
    • 5月28日:淀駅の上り線が高架化。
    • 6月1日:京阪線各駅でのICOCA、およびICOCA定期券(京阪線内定期券、およびJR連絡定期券)の発売を開始。
    • 7月25日:経営破綻した林原グループから京都センチュリーホテルを譲受、10月13日株式交換により完全子会社化[30]
    • 8月31日:社団法人海外鉄道技術協会・野村総合研究所との共同で応募した「ベトナムハノイ5号線整備事業準備調査」が採用され本契約成立[31]
    • 10月22日:京阪線で臨時快速特急として京橋 - 七条間ノンストップのノンストップ京阪特急運行開始。同年12月4日まで運行。2012年春の運行から「洛楽」の愛称が付く。
  • 2012年(平成24年)
    • 1月27日:イースタン興業の全株式を購入、子会社化[32]
    • 4月14日:京阪線で13000系電車の運用を開始。
    • 12月1日:近鉄のICOCAおよびICOCA定期券発売開始に伴い、京阪 - 近鉄の2社連絡・京阪 - JR西日本 - 近鉄の3社連絡(JRは発売せず)の各連絡定期券発売開始(SMART ICOCAはJR西日本のみ、KIPS ICOCAは近鉄のみ取扱い)[33]
  • 2013年(平成25年)
  • 2014年(平成26年)
    • 3月12日:くずはモールの大規模リニューアル工事が完成。
    • 10月1日:株式会社ビオ・マーケットを完全子会社化。株式会社京阪エンジニアリングサービスを分社化、社名を京阪ビルテクノサービス株式会社に変更。子会社、株式会社京阪エンジニアリングサービスを設立。
    • 12月19日:淀屋橋駅と北浜駅に「ホーム異常通報装置」が設置され、京阪の全駅に『ホーム異常通報装置』が完了[36]
  • 2015年(平成27年)
    • 4月1日:持株会社体制移行時に京阪電気鉄道の鉄軌道事業・レジャー事業を継承する子会社、京阪電気鉄道分割準備株式会社を設立[8]
    • 5月29日:株式会社大阪マーチャンダイズ・マートを完全子会社化。
    • 12月5日:京阪本線 深草駅 - 三条駅間・鴨東線でK-ATS使用開始[37]
  • 2016年(平成28年)
    • 3月19日:快速特急「洛楽」の定期運転開始。
    • 3月24日:淀車庫遊休地に建設していた物流倉庫「京阪淀ロジスティックスヤード」が竣工、同年4月1日より日本通運・つばめ急便が使用開始[38]

3代・京阪電気鉄道

  • 2016年(平成28年)4月1日:京阪電気鉄道・京阪電鉄不動産・京阪百貨店・ホテル京阪などの各社を直轄する持株会社、京阪ホールディングスに移行。同日付で鉄軌道事業・レジャー事業は会社分割によって京阪電気鉄道分割準備株式会社に継承させた上で同社を京阪電気鉄道株式会社(3代)に社名変更、不動産販売事業は会社分割によって京阪電鉄不動産株式会社に継承、旧京阪電気鉄道を京阪ホールディングス株式会社に社名変更[8]
  • 2017年(平成29年)
  • 2018年(平成30年)
    • 2月 : 2次元レーザーを用いた踏切障害物検知装置の実証実験を京阪線丹波橋通り踏切で開始。2020年6月より本使用開始[43]
    • 9月4日 : 台風21号の接近に備え京阪線・大津線全線で計画運休を初めて実施。同月30日にも台風24号の接近に伴い計画運休を実施。
  • 2019年令和元年)
    • 6月19日:鋼索線の1・2号(2代)をリニューアルし、それぞれ「あかね」「こがね」に塗色変更。これにより京阪から旧特急塗装が消滅。
    • 10月1日:鋼索線の愛称を「男山ケーブル」から「石清水八幡宮参道ケーブル」に改称。
    • 10月31日 : ドライブレコーダーを京阪線・大津線の全編成に設置完了[44]
  • 2020年(令和2年) 3月: 2次元レーザーを用いた踏切障害物検知装置の本使用を京阪線丹波橋近くの京町踏切で開始。

沿革

企業
  箕面有馬電気鉄道
明治40年10月19日
創立
    日高電灯
明治44年2月27日
設立
田辺電灯
明治43年4月7日
設立
高野山電灯
明治44年12月4日
設立
和歌山電灯
明治29年5月
設立
粉河電灯
明治43年7月
設立
大川水力電気
明治39年9月
設立
摂津電気
明治43年12月
設立
京阪電気鉄道
明治39年11月19日
創立
京津電気軌道
明治43年3月28日
創立
大津電車軌道
明治44年1月8日
創立
太湖汽船
明治15年5月1日
創立
湖南鉄道
明治45年4月18日
創立
湖南汽船
明治19年12月23日
創立
日高川水力電気
大正5年8月25日
設立
和歌山水力電気
明治38年5月25日
設立
安威川水力電気
明治44年10月
創立
京阪電気鉄道
大正2年10月1日
摂津電気と合併
生駒電気鉄道
大正10年7月15日
創立
信貴生駒電気鉄道
大正8年12月6日
創立
阪神急行電鉄
大正7年2月4日
箕面有馬電気鉄道より社名変更
大阪住宅経営
大正9年3月10日
創立
  北大阪電気鉄道
大正7年11月24日
創立
日高川水力電気
大正5年11月15日
日高電灯および田辺電灯と合併
和歌山水力電気
明治44年5月20日
粉河電灯と合併
京阪電気鉄道
大正8年4月1日
安威川水力電気と合併
新京阪鉄道
大正11年6月28日
創立
高野山電灯
大正10年2月
和歌山水力電気と合併
京阪電気鉄道
大正11年7月1日
合併
信貴生駒電気鉄道
大正13年7月6日
生駒電気鉄道と合併
日高川水力電気
大正11年8月
高野山電灯と合併
京阪電気鉄道
大正14年2月1日
京津電気軌道と合併
信貴生駒電鉄
大正14年11月5日
創立
新京阪鉄道
大正12年4月1日
事業譲受
京阪土地
大正12年4月1日
北大阪電気鉄道より社名変更
京阪電気鉄道
大正15年3月1日
日高川水力電気と合併
京阪電気鉄道 9月1日
京津線管内の電気供給事業を京都電灯へ譲渡
琵琶湖鉄道汽船
昭和2年1月21日
大津電車軌道と太湖汽船が合併により設立
新京阪鉄道
昭和3年11月
大阪住宅経営と合併
京阪電気鉄道
昭和3年3月1日
京阪土地と合併
  琵琶湖鉄道汽船
昭和2年5月28日
湖南鉄道と合併
太湖汽船
昭和4年3月30日
湖南汽船より社名変更
琵琶湖鉄道汽船 八日市鉄道
昭和4年3月29日
設立
琵琶湖鉄道汽船
京阪電気鉄道
昭和4年4月11日
琵琶湖鉄道汽船より軌道事業(螢谷 - 坂本)譲受
八日市鉄道
昭和4年4月11日
新八日市 -近江八幡間鉄道事業譲受
太湖汽船
昭和4年4月11日
琵琶湖鉄道汽船より船舶事業譲受
京阪電気鉄道 5月10日
和歌山支店の事業を合同電気へ譲渡
京阪電気鉄道
昭和5年9月15日
新京阪鉄道と合併
 
信貴生駒電鉄
昭和39年10月1日
近畿日本鉄道と合併
交野電気鉄道
昭和14年4月24日
創立
京阪電気鉄道 4月1日
電気供給事業を関西配電へ譲渡
京阪神急行電鉄
昭和18年10月1日
阪神急行電鉄と合併・社名変更
 
京阪神急行電鉄
昭和20年5月1日
交野電気鉄道より事業譲受
八日市鉄道
昭和19年3月1日
近江鉄道と合併
京阪神急行電鉄 京阪電気鉄道
昭和24年12月1日
京阪神急行電鉄より分離・設立
    太湖汽船
阪急電鉄 鴨川電気鉄道
昭和47年7月1日
設立
琵琶湖汽船
  京阪電気鉄道
平成元年4月1日
鴨川電気鉄道と合併

路線

京阪本線・鴨東線・中之島線・交野線・宇治線を京阪線、京津線・石山坂本線を大津線と総称している。京阪線、大津線のほかに鋼索線(通称、石清水八幡宮参道ケーブル)がある。決算資料などによると、京阪線の運輸収入が500億円弱、大津線が17億円前後と、大きな開きがある。関西大手私鉄の中で唯一、キタ梅田)やミナミ難波)に拠点を持たない。

営業区間

1997年9月30日に石山坂本線の穴太駅 - 坂本駅(現在の坂本比叡山口駅)間が複線化されたことで、鋼索線を除いて保有路線はすべて複線(一部複々線)となった。大手私鉄では東京地下鉄とともに保有路線が全線複線である[注釈 7]

路線図(クリックで拡大)

廃止区間

未成区間

  • 梅田線
  • 六地蔵線
    • 大阪から大津への短絡ルートとして六地蔵線(六地蔵 - 醍醐 - 大津市馬場間 12.5 km)が京阪の手で1926年(大正15年)7月14日出願され、翌1927年(昭和2年)10月28日特許されるが、1937年(昭和12年)2月26日付で「六地蔵線起業の廃止」が許可されている[22]。当時の計画では六地蔵駅を西側へ移設、奈良街道沿いに北上する計画だった。線路敷設予定地の一部が伏見区石田合場橋-伏見・山科両区の区境付近で「新奈良街道(京都府道36号大津宇治線)」として利用され、新京阪山科線と接続予定であった山科駅の予定地が京阪バス山科営業所(山科区大宅)となっている[45]
  • 大津市内
    • 大津電車軌道時代に石山坂本線の現・坂本比叡山口駅から北に400mの延長および、三井寺駅から現・JR大津駅への1.7kmの支線を特許出願し、大津から堅田への延長を計画していた。[要出典]

このほか、1952年11月に大和田駅から分岐して森ノ宮駅との間を結ぶ10.8kmの新線の特許を申請している。これは大阪市営地下鉄4号線との間での需要を見込んだもので、相互乗り入れも画策された[46][47]。また1971年には京都市伏見区三栖(中書島 - 淀間)から分岐する「第2京阪線」の構想を表明したり[注釈 8]、寝屋川信号所 - 交野市(約7km)の新線計画[49]、など京阪本線のバイパスとなる路線を立案したことがあったが、いずれも具体化せずに終わっている。

また、次節に述べる和歌山水力電気を合併していた当初は、同社が保有していた高野下駅 - 高野山駅の免許をそのまま保持したが、1925年8月1日付で、同年3月に新設された高野山電気鉄道に譲渡している[50]。この区間は同社が開通させた後、南海高野線の一部となった。

他社への譲渡路線

京阪子会社の新京阪鉄道が経営していた路線を1930年に同社の合併で直営としたものである。戦中の1943年に京阪が阪神急行電鉄(阪急)と合併して、京阪神急行電鉄の路線となり、戦後京阪が再分離する際に阪急側に残存した。

1922年に和歌山水力電気を買収したことで直営路線(京阪和歌山支社)となったものである。すなわち京阪が本来の営業エリアではなく飛地(和歌山県)で路線を持っていた。事業整理の一環で1930年には合同電気へ譲渡された。なお、この路線はその後も変遷を遂げ、南海電気鉄道の路線(和歌山軌道線)となった後、1971年までに廃止された。

他社線との直通運転

京阪電鉄自身は京都市営地下鉄東西線直通運転しているが、関西大手5私鉄の中で唯一他社局からの直通運転がない[注釈 9]。ただし、過去には京阪線で近鉄京都線(旧奈良電気鉄道)と相互直通運転を行っていた。

過去の事例

路線の形成過程

現有路線の免許(特許)・開業日

京阪電気鉄道(1943年まで)(京阪本線宇治線 - 軌道線)
開業区間 キロ程 特許年月日 開業年月日 備考
天満橋 - 五条間 46.2 km 1906年8月25日 1910年4月25日 1931年10月13日まで蒲生(現在の京橋付近) - 守口(現・守口市)間は併用軌道区間
五条は現在の清水五条
五条 - 三条間 1.5 km 1913年5月29日 1915年10月27日 京都市が所有する特許線を借用
五条は現在の清水五条
中書島 - 宇治間 7.8 km 1907年1月26日 1913年6月1日  
京阪神急行電鉄と改称 1943年10月1日 阪神急行電鉄との合併による社名変更(書類上京阪電気鉄道は一旦消滅)
京阪神急行電鉄から分離 1949年12月1日 (現)京阪電気鉄道設立
地方鉄道線への変更
天満橋 - 東福寺間、中書島 - 宇治間
1978年3月10日 東福寺 - 三条間はのぞく
鉄道線への変更
東福寺 - 三条間
2013年12月20日[51] 京阪本線の全線が鉄道線となる
京津電気軌道(京津線 - 軌道線)
開業区間 キロ程 特許年月日 開業年月日 備考
古川町 - 札ノ辻間 10.0 km 1907年1月24日 1912年8月15日 古川町はのちの東山三条
札ノ辻は現在の上栄町 - びわ湖浜大津間にあった駅
古川町 - 三条大橋間 0.6 km 1912年12月13日 1923年2月20日 三条大橋はのちの京津三条
札ノ辻 - 浜大津間 0.4 km 1924年5月8日 1925年5月5日 浜大津は現在のびわ湖浜大津
浜大津 - 湊町間 1928年9月11日  
京阪電気鉄道に吸収合併 1924年2月1日  
大津電車軌道→琵琶湖鉄道汽船(石山坂本線 - 軌道線)
開業区間 キロ程 特許年月日 開業年月日 備考
大津 - 膳所間 3.0 km 1907年9月21日 1913年3月1日 大津は現在のびわ湖浜大津。膳所は現在の膳所本町
1965年までは国鉄東海道本線貨物支線との二重線籍
石山駅 - 粟津間 0.9 km 1907年9月21日 1914年1月12日 石山駅は現在の京阪石山
石山駅 - 唐橋前間 0.7 km 1907年9月21日 1914年1月17日  
唐橋前 - 蛍谷間 0.8 km 1907年9月21日 1914年2月15日 蛍谷は現在の石山寺
1914年6月4日
膳所 - 粟津間 1.4 km 1907年9月21日 1914年5月1日  
浜大津 - 三井寺間 0.4 km 1907年9月21日 1922年5月7日 浜大津は現在のびわ湖浜大津
三井寺 - 兵営前間 0.6 km 1907年9月21日 1927年5月15日 兵営前は現在の別所
兵営前 - 山上間 0.4 km 1907年9月21日 1927年9月10日  
山上 - 松ノ馬場間 5.3 km 1907年9月21日 1927年5月15日  
松ノ馬場 - 坂本間 0.6 km 1907年9月21日 1927年8月13日 坂本は現在の坂本比叡山口
琵琶湖鉄道汽船に改称 1927年1月21日  
京阪電気鉄道に吸収合併 1927年4月11日  
信貴生駒電鉄→交野電気鉄道(交野線 - 地方鉄道線)
開業区間 キロ程 免許年月日 開業年月日 備考
私市 - 枚方東口間 6.9 km 1920年9月27日 1929年7月10日 枚方東口は現在の枚方市
1931年7月以降京阪電気鉄道に経営委託
交野電気鉄道に譲渡 1939年5月1日  
京阪神急行電鉄に譲渡 1945年5月1日  
京阪電気鉄道(1949年 - 1978年)(京阪本線 - 軌道線)
開業区間 キロ程 特許年月日 開業年月日 備考
淀屋橋 - 天満橋間 1.3 km 1959年2月23日 1963年4月16日 全区間地下線
地方鉄道線への変更 1978年3月10日  
京阪電気鉄道(1949年以降)(鋼索線
開業区間 キロ程 免許年月日 開業年月日 備考
八幡町 - 男山山上間 0.4 km 1955年4月8日 1955年12月3日 (旧)男山鉄道の路盤を転用
京阪電気鉄道(1949年以降)(鴨東線 - 鉄道線)
開業区間 キロ程 免許・許可年月日 開業年月日 備考
三条 - 出町柳 2.3 km 1974年2月25日 1989年10月5日 子会社の鴨川電気鉄道が取得。1989年4月1日合併。
この区間は京都電燈京福電気鉄道の前身)が1924年に免許を取得、工事着手していたが、1974年2月20日に失効させた。
全区間地下線
中之島 - 天満橋 2.3 km 2001年11月7日 2008年10月19日 京阪電気鉄道は第二種鉄道事業者。
中之島高速鉄道が第三種鉄道事業者(許可日同じ)。

2001年の鉄道事業法改正で免許制から許可制に変更。

過去の運営路線の免許(特許)・開業日

和歌山水力電気(南海和歌山軌道線 - 軌道線)
開業区間 キロ程 特許年月日 開業年月日 備考
和歌山 - 県庁前間 4.7 km 1904年12月14日 1909年1月23日  
県庁前 - 和歌山市間 2.0 km 1904年12月14日 1909年2月12日  
和歌浦 - 紀三井寺間 1.5 km 1904年12月14日 1909年11月25日  
紀三井寺 - 琴ノ浦間 3.0 km 1904年12月14日 1911年11月3日  
琴ノ浦 - 黒江間 0.6 km 1904年12月14日 1912年4月17日  
和歌浦 - 新和歌浦間 1.2 km 1904年12月14日 1913年9月30日  
黒江 - 日方口間 0.9 km 1904年12月14日 1918年6月21日  
日方 - 海南駅前間 0.7 km 1916年10月7日 1929年6月1日  
京阪電気鉄道に吸収合併 1922年7月1日  
合同電気に譲渡 1930年5月10日 東邦電力、和歌山電気軌道を経て南海電気鉄道和歌山軌道線となり、1971年4月1日に全線廃止。
北大阪電気鉄道新京阪鉄道阪急京都本線千里線嵐山線 - 地方鉄道線)
開業区間 キロ程 免許年月日 開業年月日 備考
十三 - 淡路間 4.2 km 1919年9月12日 1921年4月1日 路盤の一部は官営鉄道東海道本線の旧線跡を転用
淡路 - 千里山間 5.1 km 1916年9月1日 1921年10月26日 路盤の一部は官営鉄道東海道本線の旧線跡を転用
天神橋 - 淡路間 3.3 km 1916年9月1日 1915年10月15日 免許は北大阪電気鉄道が取得
淡路 - 上新庄間 1.9 km 1923年6月18日 1928年1月16日  
上新庄 - 高槻町間 14.4 km 1922年4月24日 1928年1月16日 免許は京阪電気鉄道が取得
高槻町は現在の高槻市
高槻 - 京都西院間 21.4 km 1922年4月24日 1928年11月1日 京都西院は現在の西院
桂 - 嵐山間 4.1 km 1924年5月13日 1928年11月9日 免許(松尾 - 桂 - 海印寺間)は京都電燈(京福電気鉄道の前身)が取得
京都西院 - 京阪京都間 1.4 km 1922年4月24日 1931年3月31日 全線地下線で関西初の地下鉄道線
京阪京都は現在の大宮
新京阪鉄道に譲渡 1923年4月1日  
京阪電気鉄道に吸収合併 1930年9月15日  
京阪神急行電鉄に吸収合併 1943年10月1日 1949年12月1日の(現)京阪電気鉄道設立後も京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)に残留

営業廃止日

京津線(軌道線)
開業区間 キロ程 許可年月日 廃止年月日 備考
京津三条 - 御陵間 3.9 km 1997年9月10日 1997年10月12日  

未成区間の免許(特許)・失効日

経由地の地名は免特許取得時のもの。郡は省略。

京阪電気鉄道(1943年まで)(軌道線)
区間 キロ程 特許年月日 失効年月日 備考
大阪市北区空心町 - 同市東野田町間 1.5 km 1910年9月15日 1919年1月21日 京阪電気鉄道の大阪市域延長線
大阪府清水村 - 城北村赤川 - 城北村友淵間 2.9 km 1919年5月16日 1942年9月26日 京阪電気鉄道の城北支線
大阪府城北村友淵 - 豊崎村北長柄間 0.8 km 1919年12月20日 1942年9月26日 京阪電気鉄道の城北支線延長線
豊崎村北長柄 - 大阪市北区川崎町間 0.4 km 1919年12月20日 1926年10月27日 京阪電気鉄道の城北支線延長線
野江 - 京都府大山崎村 - 淀間 30.4 km 1919年7月21日 新京阪線の原型
1922年4月24日 鉄道免許へ変更
京都府大山崎村 - 四条大宮間 15.1 km 1919年7月21日 新京阪線の原型
1922年4月24日 鉄道免許へ変更
京都府堀内村(六地蔵) - 滋賀県大津市馬場町間 12.5 km 1927年10月28日 1937年2月26日 六地蔵線[22]
滋賀県大津市地内 1.7 km 1922年5月25日 1930年6月25日 大津電車軌道が取得
石山坂本線三井寺付近から大津駅前への支線
滋賀県大津市地内 0.4 km 1926年5月5日 1930年6月25日 大津電車軌道が取得
石山坂本線坂本駅からの延長線
京阪電気鉄道(1943年まで)(地方鉄道線)
区間 キロ程 免許年月日 失効年月日 備考
連絡線 0.6 km 1942年9月25日 城北支線と梅田支線の赤川付近での接続線
城北村赤川(赤川町) - 大阪市北区中野町間 2.4 km 1922年4月24日 1942年9月25日 京阪電気鉄道、新京阪鉄道の梅田支線[52]
大阪市北区中野町 - 同区葉村町間 1.5 km 1922年4月24日 1942年9月25日 京阪電気鉄道、新京阪鉄道の梅田支線
大阪市北区葉村町 - 同区角田町間 0.8 km 1928年8月7日 1942年9月25日 葉村町からの大阪駅付近延長線
千里山 - 大阪府山田村間 2.3 km 1931年12月23日 1936年12月2日 千里山線の延長[53]
新京阪鉄道(地方鉄道線)
区間 キロ程 免許年月日 失効年月日 備考
上新庄 - 城北村赤川(赤川町)間 3.2 km 1922年4月24日 1942年9月25日 新京阪線 城北京都線の未成区間
東長岡 - 奥海印寺間 2.1 km 1924年5月13日 1930年2月27日 京都電燈が取得
京阪京都 - 河原町間 2.0 km 1927年10月18日 全区間地下線
京阪京都は現在の大宮
1949年12月1日の(現)京阪電気鉄道設立以降も京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)に所属
1963年6月17日に京阪神急行電鉄によって開業
西向日町 - 山科間 12.1 km 1928年11月6日 1937年9月28日 深草谷口町から山科大宅付近の計画線は省線東海道本線の旧線跡とほぼ一致[22]

車両

京阪線用車両においては、車体製造後35年以上を経過した車両が全体の約半数を数える状態であるが、高水準の車両の保守技術をもって大きなトラブルもなく運用されている。1959年から製造された2000系の車体および一部機器を流用した2600系0番台は今なお少数が現役であり、製造から50年またはそれ以上が経過した2200系2400系、旧700系の車体流用車である1000系、多扉車の5000系は今でも幅広く運用されている。

日本でも希少のダブルデッカーを連結した京阪特急専用車をはじめ、日本初の多扉車となった5000系、ホームドア付き地下鉄区間から急勾配急カーブの連続の山岳区間に大津市内の併用軌道といった極端に性格の異なる区間の直通運転に対応して設計された800系(2代)など、個性的な車両が多い関西私鉄の象徴的存在として知られる。1954年から2013年まで特急専用車両に設置されたテレビカーは、日本初ではなかったものの、登場当時はとても斬新な接客設備であった。

京阪電鉄においては、以前は単一車両の形式呼称に「型」を使用していたが、鉄道事業法の施行の際に監督官庁への届出様式に従って「形」に変更している[54][注釈 10]。また、車両竣工図表などの社内の公式文書では創業時に「号型」という呼称も使用され、京阪1000型電車 (2代)まで(「型」との併用が)確認できるという[55]。形式は京阪線が4桁または5桁、大津線が3桁の数字のみで、「モハ」「クハ」「サハ」といった記号は使われていない。

車体は、以前は日本車輌ナニワ工機1970年にアルナ工機に改称、のちのアルナ車両)、帝國車輛工業(のちの東急車輛製造、現在の総合車両製作所)、田中車両(およびその後身の近畿車輛、戦後は大津線区のみ)、日立製作所(初代鋼索客車・大津線の260形の一部)製もあったが、2400系以降の新系列車は川崎重工業製である。6000系以降の車体は8000系ダブルデッカー車や800系(2代)をのぞいてアルミニウム合金製となっており、大手私鉄では阪急電鉄と共にステンレス車の導入実績が無い。

電装品は一部の例外(350形では日立製作所の電装品も使用)をのぞき東洋電機製造製が一貫して用いられているが、これは同社が京阪出身者などによって創設されたという経緯によるものである(戦後高性能車の一部には三菱電機WNカルダンを使用した時期もあり、1900系の一部において使用されていた。なお同社は現在はクーラーと換気扇で採用している)。加えて、阪急京都線の車両が東洋電機製造の電装品を用いているのもこれに由来する。なお京阪や阪急京都線以外で電装品をほぼ東洋電機としているのは京成電鉄(モーターは三菱製も多い)程度しかない。

台車は川崎重工業と日本製鉄(旧・住友金属工業)から供給を受けている。川崎重工業とは吸収合併された汽車製造会社の時代から共同で台車の研究をおこなった時期があり、日本最初の空気ばね台車もそこから誕生した。ボルスタレス台車については、試用は行われたが曲線の多い同社線では性能が満足いくものではないとされ、採用は見送られた。

2020年現在、VVVFインバータ制御車は全704両中270両を占めており、関西大手私鉄では最もVVVF車の比率が少ない。

6000系以降は編成の両端に動力車が来るようにしているが、同系列と8000系・10000系は編成の両端に固めている一方で、7000系7200系9000系3000系(2代)京浜急行電鉄と同様に編成の両端と中央に配置している。

パンタグラフは京阪線・大津線ともに東洋電機製造製で、3000系(2代)にシングルアーム型の「PT-7163A」、それ以外は下枠交差形の「PT-4805A」と、その改良型[注釈 11] が使われている。大津線系統では、京都市営地下鉄に乗り入れる800系に「PT-7201」シングルアーム型を、それ以外は「PT-4303A」を採用している。シングルアーム型に関しては、1971年に2000系の2000型にフランス・フェブレ社製のシングルアーム型を日本で初めて試験的に装着したが、採用には至らなかった[56]

車掌スイッチは3000系、10000系と13000系以外は乗務員ドア上部に設置されている。スイッチは握った手が滑り落ちないよう「逆T字型」になっていて、客用扉を開扉するときはスイッチを上から下へ引き出す。閉扉するときはスイッチを下から上へ押し戻す。この形の車掌スイッチは関東の大手私鉄では採用されていない[注釈 12]。ただし、ワンマン改造がされた大津線の600形、700形はスイッチの形・設置場所が異なる。3000系、10000系と13000系は乗務員ドア横の胸の位置位に設置されている。

また安全装置としてデッドマンブレーキを標準装備、京阪線では自動列車停止装置 (ATS) も京阪型速度照査ATSと2015年度から順次使用しているK-ATSの両方を搭載、列車防護無線の設置が進み、ホームの無い場所で誤開扉を防止する「ホーム検知装置」の搭載が大津線では2017年3月に完了、京阪線でも3000系・10000系・13000系に搭載が完了し、6000系・8000系に順次搭載が進んでいる。また、旅客乗降時に列車が動かないようにする「転動防止ブレーキ」の搭載が大津線では完了、2021年度中に京阪線の全車両にも搭載される。その他、すべての編成にドライブレコーダーが搭載されている[57]

京阪本線香里園駅から1kmの場所に京阪が勧請した成田山大阪別院明王院があり、全車両に成田山の御守が飾られている。京阪本線の車両の先頭と後方を北と南にすると、御守は北東と南西の方向に設置されている。これは鬼門と裏鬼門から遮断するために設置されたという一説もある。ただし、鋼索線には石清水八幡宮の御守が飾られているが、これは鋼索線のある男山の山頂に石清水八幡宮が鎮座することによる。

一部の車両では「ばねで跳ね上がるタイプの吊り手[注釈 13]」をドアスペースに設置している(「つり革#ドアスペース上のつり革」を参照)。

編成両数は宇治線・交野線・京津線が4両、石山坂本線が2両に統一されているが、京阪本線・中之島線・鴨東線では8両と7両が混在している。一般車の8両編成車には、運転台窓の進行方向右側に、緑地に白抜き文字でそれを示す「8」ステッカーが貼られている。これは中書島駅 - 七条駅間でホーム有効長が7両のため8両編成の旅客扱いが不可能な駅があり、運用上の識別の目的で貼られているものである。なお、8両編成の旅客扱いが不可能な駅に通常は停車しない特急車および3000系(2代)には貼られていないが、8000系のダブルデッカー組み込みの過渡期には、両数の識別上、ダブルデッカー組み込み済み編成に貼られていたことがある。また、2016年9月からプレミアムカー改造に伴い一部編成が7両化されていたため、再び8両編成には「8」ステッカーが貼られていた。

京阪線系統用車両の塗装は2008年の3000系(2代)投入を皮切りに、2013年6月までに全車の新塗装化が施行された。「車両カラー」の節を参照のこと。

ラッピング車両は石山坂本線用車両で盛んに行われている。2006年からは不定期に交野線(年にっては京阪本線・石山坂本線)で、「きかんしゃトーマス」のラッピング列車が運行されている。主に支線用の10000系にラッピングが施されており、2018年までに8回にわたり運行された[注釈 14]

現有車両

下記のうち2600系0番台・2200系が老朽化で、5000系はホームドア設置に向けた対応で廃車が開始されており、外された部品の一部は2400系・10000系・13000系で、パンタグラフや台車は叡山電鉄で再利用されている。

また列車運用面から省エネを図るため電力回生率の高い車両を高効率で運用すべく、かつては2200系回生ブレーキ車を8連から7連に、近年では7連で運用された6000系を8連に戻して、回生ブレーキの電力回生効率の高い7200系・9000系の一部を8連から7連に減車し、両系から減車された車両を同じく電力回生効率の高い10000系に編入させ、同系の一部を4連から7連に増車させて京阪線全線で運用している。

2003年の2600系の編成替えで6両編成が廃止され、大手私鉄昇格時にはすでに6両編成を有していなかった相模鉄道に次いで6両編成を所有していない2社目の大手私鉄となった。

2014年(平成26年)からは8000系を皮切りに京阪線・大津線の在来車各系列の前照灯がLEDに改造[58] され、在来車のLED化改造が進行していたが、2018年(平成30年)9月に5000系シールドビーム車の廃車と2600系の2601F, 2633FのLED化改造を最後に京阪線全編成のLED化改造が完了しシールドビーム車が消滅した[注釈 15]

車内の自動放送設備は8000系、新旧3000系、10000系、13000系、および大津線用車両にのみ装備され、本線系統においては装備する系列の快速急行以上の種別での運用にのみ使用されている他、近鉄などと同様にタブレット式による多言語自動放送も京阪線全車両に導入されている。また、6000系以降の新造車では開扉時の自動放送と閉扉時の発車ブザーが設置されており、現在では2600系を除く全車両に標準装備されている。

京阪線

特記なければ、主に京阪本線中之島線鴨東線(本線系統)で運用、車体塗装は2008年から採用の新塗装。

系列 画像 摘要
8000系 特急専用車両。
1998年より4号車に二階建て車両(ダブルデッカー)、2017年より6号車に全席有料指定席のプレミアムカーを備える。
快速特急「洛楽」・特急・ライナーで運用。
3000系(2代) 登場時は快速急行用。現在は主に特急で運用。一般車だが優等列車の設備を有し、ライナーを除く全種別に対応可能。
2021年に本系列にも新造車のプレミアムカーを導入予定。
13000系 7両編成は京阪本線・中之島線・鴨東線で運用。編成組み換えによる4両・8両での運用も可能。
4両編成は宇治線交野線で運用。
以下、通勤列車用。
10000系 4両編成で登場し、宇治線・交野線で運用されていたが、
一部は2016年から他系列を組み込み7両編成を組成して京阪本線・中之島線・鴨東線にも進出。
9000系 基本は7両編成だが、1編成のみ8両編成も存在する(登場時は全編成8両)。
7200系 7両編成だが、登場時は8両編成も存在した。鋼索線を除いて京阪線最少車両数系列(3編成)。
7000系 京阪初のインバータ制御車両。
6000系 7200系 京阪最多車両数系列。
一般車では2代目3000系を除いて唯一の8両編成専用で、朝夕ラッシュ時には特急でも運用。
5000系 7200系 日本初の多扉車。日本唯一の昇降式座席を装備し、平日朝ラッシュ時は5扉車、通常時は3扉車として運用される。
ホームドア整備に伴い、2020年度をもって運用終了予定。
2600系 モノコック構造のいわゆる卵型電車系列群の一つ。
0番台は2000系を昇圧対応、冷房改造した車両。30番台は純新造車(写真の車両)。
2400系 モノコック構造のいわゆる卵型電車系列群の一つで2200系の改良型。関西地区初の通勤冷房車。
2200系 モノコック構造のいわゆる卵型電車系列群の一つで2000系の急行用として登場。
系列としては京阪最古[注釈 16]であり、京阪唯一の抵抗制御車(現在は一部のみ)。
1000系 吊り掛け駆動方式だった旧700系を昇圧対応、カルダン駆動化、冷房改造した車両。

大津線

系列 画像 摘要
800系(2代) 京津線京都市営地下鉄東西線直通用。
700形(3代) 石山坂本線用。地下鉄東西線開通前は京津線で運用。
600形(3代) 石山坂本線用。地下鉄東西線開通前は京津線で運用。

鋼索線

系列 画像 摘要
1・2号(2代) 鋼索線(石清水八幡宮参道ケーブル)用。

非営業用

以下の車両は、かつて営業用として運用されていたが、現在は寝屋川車庫内で「機械扱い」で使用されている。

事業用
系列 画像 摘要
70型 かつて京津線で使用された70型のうち72号車が、車籍はないが寝屋川車庫内で「構内入換車」として使用されている。
2014年9月には「ワガヤネヤガワ号」の愛称が付けられ、外観の復元がなされた。
教材車
系列 画像 摘要
2600系 2615号車(京都方)・2820号車(大阪方)の2両。写真は大阪方の2820号車。
寝屋川車庫内で「教材車」として使用されている。車籍はなく営業用として使用されることはない。
京阪線唯一の旧一般塗装車。なお、該当2両はいずれも元2000系1次車。

過去の車両

京阪線

大津線

鋼索線

営業用貨車

現在京阪では貨物輸送は行っていないが、1913年(大正2年)7月4日から1955年(昭和30年)6月25日まで、約42年間貨物営業を行っていた。

  • 201・202 - 1912年9月竣工、のちに魚菜車に改造、また2度の改番を受け、1945年に休車、1949年11月8日付で廃車。
  • 204・205 - 京阪1型を改造して造られた。204は300に改番された廃車、205は301→2001と改番され1934年10月廃車。
  • 302・303・304・305 - 京阪1型を100形に改造の際、旧車体を流用して1923年8月に造られた。302は1939年1月に守口駅構内での追突事故で廃車、のこりは1934年10月までに廃車になった。
  • 2003・2004 - 304・305の代替として1933年5月1934年11月に竣工、2004は2002に改番され1945年6月の空襲で天満橋駅構内で全焼、翌年11月に復旧された。この2両が貨物輸送の廃止まで営業貨車として使用された。貨物輸送廃止後は2003は守口車庫の牽引車をへて京阪線の救援車3021号に、2002は大改造され大津線事業用貨車3022号のちの122号となった。

事業用貨車

ファイル:事業用101.jpg
事業用101(左は1700系)

現在は保線車両などは機器扱いで車籍はないが、初代3000系特急車導入のため、それまで貨車が使用していた3000番台を1970年11月末で3桁に改番された時点では、大津線に122形が1両が配備されバラストの輸送などに1997年の1500V昇圧まで使用された。京阪線では無蓋貨車の101-151-111 102-152-112 103-153-113 と固定編成化され運用された、ほかにも事故発生時の補修機材を搭載した有蓋貨車の121、移動変電所の181-182が配属されていた。しかし、この時期マルチプルタイタンパー、バラストクリーナー・軌道モーターカー・ダンプトロリーなどの保線機器が導入され、1979年3月に 101F・102F が廃車となった。103Fはバキュームカーを搭載して大阪地下線内での汚水処理に運用され1983年12月の昇圧で121号、移動変電所181-182とともに廃車となった。

京阪線1500V化に併せて2代目101-151 111の3両が1300系・1800系の車体と1700系の床下機器を利用して製造された。101-151は寝屋川車庫に配置され大阪地下線での事故発生時の救援車両だけでなく、151の荷台にバキュームカーを搭載して大阪地下線内での汚水処理に運用を引き継いだ[60]。111は京都地下線での大規模事故発生時に救援車となるために淀車庫で待機しており、定期点検のために淀車庫 - 寝屋川工場間を2600系に引かれて走るのがまれに見られた[61] が、保線機器の充実で運用が見直され3両とも2001年末で廃車にされた。大津線に残った122も1997年10月の大津線の1500V昇圧に伴い廃車となった。

  • 無蓋貨車101-151-111 (3編成)
  • 有蓋貨車121(救援車)
  • 移動変電所181・182(3201・3202)
  • 122(大津線)
  • 101-151 111(2代目、京阪線1500V化後)

標識灯

列車種別種別表示器(方向幕)のほか、先頭車両前面の前部下部標識灯で識別できる。点灯パターンは以下のとおり。

  • 普通・区間急行は消灯(以前は区間急行で急行区間を右側のみ点灯していた)。
  • 急行系統・準急系統(急行区間のみで各停区間は消灯)・回送・試運転は右側のみ点灯。
  • ライナー・快速特急「洛楽」・特急系統・快速急行系統は両側とも点灯。
  • (3000系・13000系)回送は四分円の両側上部のみ点灯。

車両カラー

2008年4月に、同年5月から2012年にかけて、大津線・鋼索線をのぞく既存の京阪線全車両の塗色変更を行うことが発表され[62]、予定より若干遅れた2013年6月に変更が完了したことが発表された[35]

塗色変更時には京阪電鉄が新たに制定したCIロゴが先頭車の前面中央と側面運転台扉上部などに貼付された。なお、これと合わせて塗色未変更車にも順次同様のロゴが貼付された。

最初に塗色が変更されたのは7200系7201編成で、2008年5月23日から運用を開始している[63]。変更の際に車両番号の書体も変更された。

また同年6月30日には、8000系8008編成が、特急の新塗色の第一弾として運行を開始している。変更の際には、車両番号の書体の変更のほか、シートモケットの変更が行われた。ただし当初新塗装化が予定されていた初代3000系に関しては、8000系30番台に改番後、旧塗装のまま2013年3月をもって運行を終了した。

なお、大津線車両および鋼索線1・2号については変更ないが、これらについても京阪の新CIロゴが貼付されている。その後2017年3月13日には、大津線車両についても同年4月から2021年3月にかけて、先に全車が塗装変更された京阪線の一般車両塗装への変更を行うことが発表された[64]

なお、寝屋川車庫の教材車である2615号と2820号の2両に関しては2017年9月現在も旧塗装のままである[65]

初代3000系引退後、京阪で唯一旧特急色を纏っていた[注釈 17]鋼索線2代目1・2号は2019年6月19日から車体塗装がそれぞれ新塗装の「あかね」「こがね」に変更された。これにより、京阪から旧特急色が完全に消滅した[注釈 18]

塗色変更前の車両カラー
特急車両 一般車両
上部 黄色(マンダリン・オレンジ 若草色(ライト・グリーン)
下部 赤色(カーマイン・レッド 青緑色(ダーク・グリーン)
  • 800系は、パステルブルーとグレーに黄色の帯。
  • 9000系は、一般車両カラーに水色の帯を塗り分け部に追加した塗色。
  • 10000系は、ターコイズ・グリーンの1色塗り。
  • 鋼索線1・2号も特急車両と同じ塗色。

塗色変更後の車両カラー
特急車両
タイプ1
「エレガント・サルーン」
中之島直通優等車両(快急車両)
タイプ2
「コンフォート・サルーン」
一般車両
タイプ3
「シティ・コミューター」
上部 赤色(エレガント・レッド) 紺色(エレガント・ブルー) 濃緑色(レスト・グリーン)
帯部 金色(エレガント・ゴールド) 銀色(スマート・シルバー) 黄緑色(フレッシュ・グリーン)
下部 黄色(エレガント・イエロー) 白色(アーバン・ホワイト) 白色(アーバン・ホワイト)(大津線以外)

白色(アトモス・ホワイト)(大津線)[64]

対象車種

乗務員区所

  • 大阪列車区(旧・寝屋川列車区)
    • 大阪列車区淀屋橋分室
  • 京都列車区(旧・中書島列車区)
    • 京都列車区淀分室
  • 大津列車区
    • 大津列車区四宮分室

その他に

  • 大阪列車区淀屋橋駅第二操車
  • 大阪列車区枚方市駅交野線操車
  • 京都列車区出町柳駅操車

がある。

駅管轄

  • 大阪エリア:京阪本線淀屋橋 - 守口市の各駅、中之島線の各駅
    • エリア長・駅長所在駅:淀屋橋・京橋・守口市
  • 枚方エリア:京阪本線西三荘 - 樟葉の各駅、交野線の各駅
  • 伏見エリア:京阪本線橋本 - 鳥羽街道の各駅、宇治線の各駅
  • 京都エリア:京阪本線東福寺 - 三条の各駅、鴨東線の各駅
    • エリア長・駅長所在駅:三条
  • 大津運輸区:京津線の各駅(御陵駅をのぞく)、石山坂本線の各駅

運賃

大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2019年10月1日改定[66]

京阪線(京阪本線・鴨東線・交野線・宇治線)と大津線(京津線・石山坂本線)を京都市営地下鉄東西線を経由して乗車する場合でも、運賃は通算しない。また、京阪線・大津線の各駅相互間を京都市営地下鉄東西線を経由して乗車する場合は1枚の乗車券では利用できず、三条駅および京都市営地下鉄東西線三条京阪駅[注釈 19] でそれぞれ乗車券を別途に買わなければならない。

ライナーに乗車する際は一部区間を除きライナー券またはプレミアムカー券が必要である。快速特急・特急を含む、その他の種別では特急料金は基本的に不要である。

種別にかかわらず、プレミアムカーに乗車する際はプレミアムカー券が必要である。

  • 京阪本線・中之島線・鴨東線・交野線・宇治線
キロ程 運賃(円)
初乗り3km 160
4 - 7 210
8 - 12 270
13 - 17 310
18 - 22 340
23 - 28 360
29 - 34 380
35 - 40 400
41 - 46 410
47 - 52 420
53 - 54 430
鴨東線内のみ、または同線に跨って乗車する場合は60円の加算運賃が適用される。また、中之島線においても、中之島 - 大江橋間(他区間・他線と跨って乗車する場合も含む)で60円の加算運賃が適用される。
  • 京津線・石山坂本線
キロ程 運賃(円)
初乗り5km 170
6 - 10 240
11 - 15 330
例外区間あり
  • 鋼索線
    • 片道200円
JR西日本との乗継割引運賃
京橋駅、東福寺駅での接続で、初乗り区間同士なら20円引になる。
近鉄との乗継割引運賃
丹波橋駅での接続で、初乗り区間同士なら20円引になる。
京都市営地下鉄東西線と京阪大津線(京津線・石山坂本線の総称)との乗継割引運賃
当初は京都市営地下鉄東西線の開業とそれに伴う京津線の乗り入れ開始による急激な運賃高騰を和らげるため、1997年の東西線開業後3年間を目途にという暫定的な処置であったが、現在も期間を延長して継続している。
接続駅 割引対象区間 大人割引額(円)
東西線 大津線 東西線 大津線
御陵 東山・蹴上 京阪山科 - 大谷 60 30 90
東山・蹴上 上栄町・びわ湖浜大津 50 20 70
三条京阪 京阪山科 - びわ湖浜大津 50 20 70
三条京阪 - 蹴上 三井寺 - 坂本比叡山口・島ノ関 - 石山寺 0 20 20
叡山電鉄との乗継割引運賃
初乗り区間相互間(京阪・神宮丸太町 - 祇園四条間と叡山電鉄・元田中 - 修学院間)普通運賃。
  • 大人20円・小人10円
  • 事前に自動券売機での連絡乗車券購入が必要。叡山電鉄側からの場合、連絡乗車券のみ自動券売機稼動時間以外は出町柳駅改札で発売される。
  • (修学院 - 祇園四条間の大人普通運賃は、叡山電鉄1区210円+京阪3kmまで160円+鴨東線加算60円-乗継割引20円=410円となる)
プレミアムカー料金
キロ程 料金(円)
1 - 30 400
31 - 54 500
ライナー料金
京橋・天満橋・北浜の各駅で下り列車に乗車する際は、ライナー券は不要である。
七条・祇園四条・三条の各駅で上り列車に乗車する際は、ライナー券は不要である。
ライナーに連結されているプレミアムカーに乗車する際は、ライナー券が不要でプレミアムカー券が必要である。
キロ程 料金(円)
1 - 30 300
31 - 54 380

運賃計算の特例

中之島線では以下のような特例が適用される[67]

  • 定期券・普通乗車券に適用
    • 天満橋以東の各駅となにわ橋間あるいは大江橋間を乗車する場合、営業キロ程の違いからそれぞれ北浜間・淀屋橋間の運賃に比べ計算上高くなる区間は、それぞれ北浜間・淀屋橋間の運賃と同じ運賃とする。
      • 例:枚方市 - 大江橋間22.1kmの運賃は上の表に当てはめると360円となるが(1km未満の端数は切り上げ)、枚方市 - 淀屋橋間21.8kmで計算した340円とする。
  • 定期券に適用
    • なにわ橋と北浜、淀屋橋と大江橋は、同一の駅とみなし、どちらの駅でも乗降できる。
      • 例:「枚方市 - 淀屋橋」区間の定期券を利用する場合、大江橋やなにわ橋でも乗降できる。

回数券

以下の種類の京阪線・鋼索線の回数券を発売しているが、利用率減少と、交通系ICカードの利用増加に伴い2020年12月30日をもって発売を終了し、2021年3月31日をもって利用を終了することになった[68]

  • 普通回数券 - 11枚で10回分の運賃。
  • 時差回数券(オフピークチケット) - 平日の10 - 16時および休日に利用可能、12枚で10回分の運賃。
  • 土・休日割引回数券(サンキューチケット) - 休日に利用可能、14枚で10回分の運賃。

なお、2011年4月1日より、京阪線では回数券がカード式からきっぷ式に変更された(大津線についてはカード式のままであった)ほか、有効期限が「発売日から3か月」から「購入月の翌月から数えて第3月の末日まで」に延長された(男山ケーブル線をのぞく)[69]。また、休日には年末年始などの土休日ダイヤや特別ダイヤ(大みそかダイヤ・正月ダイヤ)実施日[注釈 20]を含むが、お盆期間中の平日は、京阪線については2016年より土休日ダイヤから平日ダイヤに変更されたため、休日のみ利用できる回数券は使用不可となった(大津線は土休日ダイヤのため2016年は使用可能だった。)[70][71][72]

また、大津線の回数券は2017年1月1日のPiTaPa利用額割引サービス導入に伴い2016年12月31日をもって販売を、2017年3月31日をもって利用を終了した[73]

乗車カード・企画乗車券

以下の各項目を参照。

  • e-kenet PiTaPa(京阪マイレージPiTaPaカード)
    • なお、京阪では、区間指定割引を導入していることやポストペイの特徴を活かしたサービスの充実を図ることなどを理由として、PiTaPa定期は導入していない[74]
  • ICOCA
    • 2011年6月1日より、京阪線系統の各駅にて、プリペイドカードのICOCA、およびICOCA定期券(京阪線内用定期券・JR線連絡定期券とも)の発売を開始。なお、各駅で発売される同カードは、JR西日本各駅で発売のものと同じ仕様(表面のデザイン・裏面の記載とも)となっており、裏面の識別番号も「JW」(JR WEST=JR西日本)より始まっている。2017年からは大津線でもICOCA定期券(大津線内用定期券・JR線と京都市交線連絡定期券とも)の発売を開始。さらに2020年12月1日からは京阪線でICOCAを利用する度にポイントを還元する制度を開始する予定である[75]
    • 2013年3月23日より、各地のIC乗車カードとの間で「全国相互利用サービス」を開始したことで、SuicaJR東日本)・PASMO(首都圏の民鉄・地下鉄・バス事業者)やKitacamanacaTOICAnimocaはやかけんSUGOCAも利用可能となった(一部に相互利用の対象外の事業者あり・電子マネーはPiTaPaをのぞく)。
  • スルッとKANSAI Kカード
  • スルッとKANSAI 3dayチケット
  • ひらぱーGOGOチケット
  • 古代ロマン 飛鳥日帰りきっぷ
  • 京阪×コロプラ 京阪線フリーきっぷ
  • OSAKA海遊きっぷ
  • 大阪周遊パス
  • 高野山1dayチケット
  • 奈良・斑鳩1dayチケット
  • 水都・中之島1dayチケット
  • 関西1デイパス
    • 2009年よりJR西日本との共同企画商品として発売。JR西日本のアーバンネットワークエリアの一日乗車券に、京阪電気鉄道・南海電気鉄道、および近畿日本鉄道(2012年度より)のいずれか一社の一日乗車券への引換クーポンが付属したものである。これまでに「関西1デイ納涼パス/夏の関西1デイパス」・「秋の関西1デイパス」・「冬の関西1デイパス」・「春の関西1デイパス」が発売されている。
  • 『京阪電車×いなり、こんこん、恋いろは。』京阪線フリーチケット

特記事項

運行ダイヤ

一般の鉄道事業者は、年末年始において「土曜・休日ダイヤ」もしくは「日曜・祝日ダイヤ」を適用しているが、大津線をのぞく京阪線全体では正月三が日初詣需要を考慮して通常ダイヤは適用せず、終日に渡り通常ダイヤとは異なる「正月ダイヤ」を適用する。また、大晦日の夜間以降は終夜運転への移行のために、こちらは「大晦日ダイヤ」を適用している。ただし2020年の大晦日については、終夜運転を行わないため大晦日ダイヤは実施しない[76]。大津線は1998年から2005年までの大晦日に深夜2時ごろまでの延長運転を行っていたが、2006年以降は行われていない。

京阪線では1980年のダイヤ改正時に土曜ダイヤが設定され(それまでは土曜は平日ダイヤでの運転)、大手私鉄では先駆けとなるものであった。以後長らく平日(月曜 - 金曜)、土曜、休日の3本立てダイヤが実施され、しかも土曜ダイヤは平日ダイヤの一部列車の運休などの形を取らず完全に独立したものであった(1980年 - 1981年のみ土曜ダイヤのうち一部列車を運休することにより休日ダイヤを作成する形を取っていた)。しかし、2003年のダイヤ改正で他の多くの路線と同様に平日と休日(土曜を含む)の2本立てとなり、現在に至っている。大津線は1997年の京津三条 - 御陵間の廃止までは土曜を平日ダイヤで運行し、その後土曜は休日ダイヤをベースに石山坂本線で朝に一部列車を増発する形態を取った後、2000年以降は土曜と休日を同一ダイヤとしている。

1980年の守口市駅 - 寝屋川信号所間複々線化以降、ダイヤ改正(改定・変更)毎に「京阪時刻表」を発行している。2008年改定[77] 版以降はの同時刻表は編集協力がJTBパブリッシングとなっている。このためJTB時刻表の書式とほぼ同一となった。なお2011年一部変更[78] 版以降は京阪線のみWeb上での配信(PDFファイル)になった[79]。これについて、京阪電気鉄道では「インターネットの普及により、列車ダイヤはパソコンや携帯電話等で検索される方が多くなり、冊子時刻表の販売数は年々減少傾向にあるため、今回は販売を見合わせた」としていた[80]。そのPDFファイルの時刻表も、2020年春に公開を終了した[81]

京阪線系統は関西大手私鉄の中では数少ない、他社線との乗り入れや線路共用がない路線であるため、他社の状況にとらわれないダイヤの柔軟な運用が可能である。例えばお盆期間中の平日については、京阪線系統では1990年代初めごろから適用されてきた土休日ダイヤ(土曜日が土曜ダイヤで運行されていた頃は土曜ダイヤ)[82] に代わり、2016年 - 2019年は平日ダイヤに変更されていたが[70][71][72][83][84]2020年は再び土休日ダイヤとなった[85]

列車種別

南海電気鉄道と同じ名称を持つ列車種別のうち、快速急行以外の案内色は南海と同じだが、準急と区間急行の格が南海と逆転しており、準急が南海の区間急行と、区間急行が南海の準急とそれぞれ同等である。英語表記も京阪の準急と南海の区間急行が「SUB EXPRESS」、京阪の区間急行と南海の準急が「SEMI EXPRESS」という風に逆転している。類似の現象は関東では京成電鉄東武鉄道でも見られ、両社では「快速」が「急行」よりも上位に位置している(ただし京成の急行は現在廃止されている)。京阪においては現在定期列車としての快速種別はないが、過去には「淀快速」・「宇治快速」・「きさいち快速」などの臨時列車としての快速種別が存在し、いずれも京阪本線内では京成や東武と同じく、急行よりも停車駅が少ない上位種別であったが、京阪では快速を正式な列車種別とは取り扱っていなかった。

2008年10月19日改正で列車種別数が大手私鉄最多(当時)であった西武鉄道と阪急の9種別を抜き、10種別となった[86]。2011年5月28日のダイヤ改正で快速特急が廃止され種別数が9に減り、種別数では当時の西武と並び最多ではなくなった[注釈 21]。ただし、その後に臨時列車として快速特急が再度設定され、2016年3月19日のダイヤ改正で休日の快速特急「洛楽」が定期運転化されたために10種別に戻り、再び大手私鉄で最多の列車種別数になった。2017年8月20日からは平日のライナーが設定され、快速特急「洛楽」、特急、ライナー、通勤快急、快速急行、深夜急行、急行、通勤準急、準急、区間急行、普通の11種別体制となり、自社が持つ大手私鉄での最多列車種別数を更新した。

中之島線対応の新しい種別幕(車両の種別表示)は、2003年9月改正時の種別に加え、快速特急・快速急行・深夜急行・通勤快急・通勤急行・通勤準急が追加されている(同時に区間急行の表記がそれまでの「区急」から「区間急行」に変更)。また、淀快速ターフィー号で使用されていた快速や、臨時急行の幕は廃止された。なお「通勤急行」は、中之島線開業に伴う2008年10月19日のダイヤ改定では設定されなかった。2017年8月20日改定で快速特急とは別に快速特急「洛楽」とライナーの表示が追加されている。

回送列車については、2013年3月16日のダイヤ改定以前は室内灯を点灯したままで運転していたが、同日以降は一般的となっている、室内灯を消灯しての運転に変更した。京阪が回送列車での室内灯点灯を廃止したため、同日以降は回送列車でも営業列車と同様に客室の室内灯を点灯させて運転している大手私鉄は東武のみとなった。

発車メロディ

  • 京阪本線鴨東線中之島線交野線宇治線の中の18駅で2007年(中之島線は2008年の開業時)から、元カシオペア向谷実が作曲した発車メロディが採用されている。これらのメロディを順番につなげると1つの曲になる。
  • 発車メロディは快速特急用、特急用、普通用(快速急行から普通まで)のそれぞれ上下線別に作成されている。快速特急用発車メロディは以前まで京橋駅では「朝靄の京橋でお乗り換え」、出町柳駅では「出町柳から」の過去に作成された京阪のイメージソングがそれぞれ使用されていた。
  • 京阪線の発車メロディ設定駅は行き止まりの駅(淀屋橋、出町柳、宇治、私市、中之島)と4線以上のホームがある駅に限られている。ただし、例外的に2線しかない石清水八幡宮駅にも発車メロディが設定されているが、これは隣の淀駅が高架化により島式2面4線のホームとなり、1番線と4番線がのちに使用中止となった[注釈 22] ためである。

駅ナンバリング

  • 駅ナンバリングは2014年4月1日の運賃改定に伴う運賃表変更時より順次導入されている[87]。2014年11月26日に駅ナンバリング導入について公式発表され、駅名標などにも順次表示している[88]。2014年の発表では京阪線全60駅を対象駅としていたが、大津線にものちに導入している[88]

駅名

  • かつて京阪の路線だった阪急京都線同様「××市」を名乗る駅が多い(守口市駅門真市駅寝屋川市駅交野市駅枚方市駅)。阪急京都線の場合は「××市」駅と名乗ることで先行して開業した東海道本線の近接駅と区別する機能があるが、京阪の場合はそうした駅が存在しないものが大半である。逆に、同じ市内にありながらJR奈良線の駅とは場所の異なる宇治駅については「宇治市駅」とはなっていない。守口市駅はOsaka Metro谷町線守口駅があるものの、開業は京阪の方が早く、谷町線開業の時点ですでに「守口市駅」であった。また、八幡市については2019年10月に八幡市駅が石清水八幡宮駅に改称されたことで、市内に他に鉄道路線がないにもかかわらず、市名を冠した駅がない形になった。
  • 「京阪」という冠称が付く駅名は大津線にある駅(京阪山科駅京阪膳所駅京阪石山駅京阪大津京駅)に限られている。交通新聞社発行の『JR時刻表』や『コンパス時刻表』の巻頭地図では2011年1月現在も宇治駅を「京阪宇治駅」と表記しているが、正式な駅名には「京阪」は付かない[注釈 23]。なお、新京阪線を保有していた時代には京阪京都駅(のちの京阪神京都駅、現在の大宮駅)が、京阪神急行電鉄時代には交野線に京阪神磐船駅があった。
  • 2008年10月、京都市内の駅のうち五条・四条・丸太町の各駅をそれぞれ「清水五条」「祇園四条」「神宮丸太町」と改称した。これは京都市営地下鉄烏丸線でも同じ駅名(ただし、所在地は相当離れている)が存在していてわかりにくいということが挙げられる。なお、四条と五条の両駅は京阪の方が、丸太町は地下鉄の方がそれぞれ先に開業している。
  • 2018年3月の大津線ダイヤ改正で浜大津・別所・皇子山・坂本の4駅がそれぞれ、「びわ湖浜大津」「大津市役所前」「京阪大津京」「坂本比叡山口」に改称された。
  • 関西の大手私鉄では2000年代に入り、終端駅に対して都市名を付け、「大阪○○駅」「京都○○駅」と改称するケースがみられるが、京阪に関しては正式名称に「大阪○○駅」「京都○○駅」と付く駅は存在しない[注釈 24]
    • ただし、京阪ではかつて、駅の発車標や車内放送で「大阪淀屋橋」「京都出町柳」という表現をしていた時期があり、2003年のダイヤ改正を最後にこの表現は取りやめられたが、2017年頃から再び「大阪淀屋橋」などの表現が復活し、LED式行き先表示器を搭載した車両についてもこの表現が使用されるようになった。

駅中店舗

京阪の駅中店舗の歴史は古く、1951年(昭和26年)に三条駅に駅中店舗が開業している。以後三条駅では1961年(昭和36年)3月1日に御土産物店街の「のれん街」ができ、1963年4月には飲食店街「味のれん」も造られた[89]。しかし「のれん街」は三条駅と四条駅に造られた以外はなく、いくつかの駅中に琵琶湖汽船食堂の立ち食いそば・うどん店「比叡」が造られた程度だった。

平成になってからは駅ナカ店舗の展開を本格化し、1997年(平成9年)6月門真市駅構内にベーカリーショップ、同年8月丹波橋駅に書店が開業、京橋駅にはショットバー、ベルギーワッフル専門店、コンビニエンスストアのアンスリーなどが開業した。2000年(平成12年)8月淀屋橋駅コンコースに「けいはん・ジューサーバー」淀屋橋店が出店、改札内店舗も京橋駅・寝屋川市駅・丹波橋駅に開店、枚方市駅では改札内外両方から買うことができた。2003年(平成15年)12月駅構内売店は「セカンドポシェ (SECOND POCHE) 」としてリニューアルされた。2004年(平成16年)には京都銀行との共同事業として主要駅構内にATMの設置運用を開始し、2006年(平成18年)3月守口市駅構内にユニクロ京阪守口店」がオープン、2008年(平成20年)2月京橋駅に週替りテイクアウトスイーツショップ「SWEETS BOX」が開業した。このように多くの駅に多種多様な店舗が造られている[90]

  • 京阪が展開している駅ナカ店舗は京阪沿線以外でも展開しており、ジューサーバーは首都圏でも展開しているほか、南海難波駅では北口のユニクロ、「SWEETS BOX」のテナント主になっている。

その一方で駅構内のプラットホームに設置されている売店「セカンドポシェ」のほとんどが閉店して自動販売機だけになっている。

乗務員

  • 長らく真夏でもネクタイを外さない(以前の制服の時は冷房のない改札が在ったため、ネクタイを外しても良い規定があった)、年間を通してネクタイを着用するというクール・ビズが浸透した昨今では珍しい服務規則であったが、2010年夏季からは制服のネクタイ着用が省略されている。
  • 待避列車が優等列車の通過待ちの時、待避列車乗務員は必ずホームに立ち列車監視を行う。
  • 列車の運用途中の乗務員交代は、中書島駅淀駅萱島駅、天満橋駅、御陵駅四宮駅近江神宮前駅で行うことがある。

歴代CM出演者・おけいはん

京阪ではイメージキャラクターを起用している。2000年12月からは「おけいはん」シリーズが定着している。

競馬

中央競馬では三大都市圏にある5場で観客輸送を担う大手私鉄が賞を出している。京阪は京都競馬場の観客輸送を担っており、京阪杯 (GIII) で優勝杯を提供している。このほかにも日本中央競馬会と連携して各種イベントを行ったりもしている。最寄り駅は淀駅で「」は京都競馬場の代名詞になっている。

プロ野球球団

「京阪電気鉄道」であった時代においては、関西地方の大手私鉄で唯一プロ野球球団を持ったことがない。

かつては廃止された豊野駅付近に野球場も備えたスポーツ施設「京阪グラウンド」を1922年から1942年まで保有(自社の野球部も使用していた)しており、阪神急行電鉄社長の小林一三がこれも含めた私鉄各社の球場を使用した「電鉄リーグ構想」を、現在のプロ野球が発足する以前に持っていたことがわかっている。しかし、この構想は宝塚運動協会を短期間実現させたにとどまり、具体化しなかった。

1936年に現在のプロ野球が発足した当時、京阪は昭和恐慌から立ち直って間がなく、折しも「従来の多角的な営業方針から運輸一本に主力を置く堅実な営業方針に転換した」時期で、プロ野球に進出する動きはなかった[93]

戦後に再発足した1949年当時は近鉄をはじめとしてプロ野球への参入企業が相次いだが、当時の今田英作専務が「これから新しい事業をやらねばならぬとき、新発足の京阪としてプロ野球のような道楽商売に力を割くべきではない」という見地から「球団は持つべきではない」と社長の村岡四郎に進言し、村岡もこれを取り上げて、やはりプロ野球には進出しなかった[94]

二出川延明

しかし京阪はプロ野球と全く関係がなかった訳ではなく、のちの日本プロ野球史に名を残した人物が在籍していたこともあった。その人物とは、審判時代に「俺がルールブックだ!!」と報道されて一躍有名となり、また1970年に競技者表彰として野球殿堂入りした二出川延明である。二出川は1925年の明治大学卒業と同時に京阪に入社し、旧制中学校の監督に転身するため退社した1929年まで4年間在籍していた。京阪在籍中は同社野球部に所属していた記録がある。二出川は旧制中学校野球部監督の退任後は日米野球のメンバーに選ばれ、1934年から1936年まで読売ジャイアンツなどでプロ野球選手としてプレーしていた。引退後は日本プロ野球を代表する審判となり、1960年より1963年までパシフィック・リーグの2代目審判部長を務めた。

阪神との経営統合計画

2005年9月から2006年6月までの村上ファンドによる阪神電気鉄道に対するM&Aとそれへの対抗措置の中で阪神が京阪との統合を検討していたことが判明した。両社はそれ以前に業務提携の接触も持っており、阪神・村上ファンドともに統合先としては阪急よりも京阪の方が比較的良いという考えを持っていたとされる。しかし、TOB価格で折り合いがつかず、この計画は実現しなかった。詳細は「阪急・阪神経営統合」を参照。

各鉄道・バス事業者との連携

  • JR西日本とは近年関係を強化しつつあり、観光面では2006年の秋からは東福寺駅での接続の改善を行い、京都市東山区一帯の道路渋滞に巻き込まれず移動できる「京都駅→ (JR) 東福寺駅→(京阪)七条駅清水五条駅祇園四条駅」という乗換ルートを案内し、京都タワーの外壁に、「祇園・清水へは京阪電車:JR東福寺駅と直結」と乗換ルートの案内広告を掲示したり、ガイドマップを配布するなどしてPRに努めている。またサービス面でも2009年からは京阪線でICOCAを発売したり、JRの期間限定のフリー乗車券「関西1デイパス」で引換券を利用することによって京阪線の利用を可能にしている。
  • 2008年からは南海電気鉄道とコラボレーションを展開し、「KEIHAN NANKAIええとこどり」と銘打って互いに沿線PRを展開している。また沿線PRのみならず南海沿線の主要駅に広報紙「K-PRESS」を配布したり、南海難波駅北口に「SWEETS BOX」やユニクロなど駅ナカ展開を行っている。
  • 大阪市交通局との間では「OSAKA+KYOTOすてきつなげて」の共同観光誘致キャンペーンを行っている。
  • 2012年からしずてつジャストライン新静岡バスターミナルにおいても広報紙「K-PRESS」を配布している。

その他

  • 京阪電気鉄道は、中之島ゆき(三浦理恵子)が歌唱しているCDを「淀屋レコード」という名義のレコードレーベルで発売している。大手私鉄でレコードレーベルを有しているのは同社のみである。三浦理恵子が中之島ゆき名義で発売したシングル「出町柳から」はタワーレコード梅田店週間インディーズチャートで首位を獲得した。
  • 1958年、京阪特急のテーマソングとして「京阪特急」(作詞・作曲:三木鶏郎/唄:楠トシエ)が作られた。淀屋橋 - 天満橋間が開通した1963年には、「天満橋から三条へ」となっていた歌詞が「淀屋橋から三条へ」に変更されている。
  • 1988年ごろから作家の若一光司をキャラクターに起用し、肉筆エッセイ入りの車内吊沿線広告ポスターをシリーズで展開。そのテーマは「惚れぬいて京都」「琵琶湖遊行」「京阪沿線の名木」「京阪沿線に洋風建築の粋を見る」と変化しつつ、現在も継続中。「琵琶湖遊行」シリーズは単行本化されている。
  • 公衆無線LANは、2013年3月現在auau Wi-Fi SPOTワイヤ・アンド・ワイヤレスのWi2 300が京阪本線・鴨東線・中之島線・交野線・宇治線の各駅に、NTTドコモdocomo Wi-Fiが京阪本線・鴨東線・中之島線の各駅にそれぞれ設置されている[95]
  • 1970年に開催された日本万国博覧会に松下電器産業(現・パナソニック)が出品して大阪城公園に埋められているタイムカプセルには、松下本社の最寄りだった門真駅(現在の西三荘駅の前身)と淀屋橋駅の間の定期乗車券(1970年3月15日から3か月間有効)が納められている[96]
  • 京阪グループの叡山電鉄では2011年以来、「けいおん!」を皮切りにテレビアニメとのタイアップを行なってきたが、京阪電鉄でも2011年夏に「けいおん!」ラッピング電車を運行。2014年には京都市役所からの依頼を受けて「いなり、こんこん、恋いろは。」のタイアップに協賛。2015年の「響け!ユーフォニアム」とのタイアップが好評を博したことから本格的にアニメとのコラボレーションに取り組み出した[97]。タイアップ・コラボレーションした作品は「京阪に関連するメディア」の節も参照。
  • 保有路線が交差する河川はすべて淀川水系である。

京阪と関連する企業

京阪グループに属する全企業の一覧および事業については「京阪グループ」を参照。

京阪に関連するメディア

放送中の提供番組・スポットCM枠

提供クレジットは京阪グループ共通ロゴを使用している。提供読みは長らく京阪電車であったが、現在は京阪ホールディングスとなっておりグループ各社のCMも流れることがある。

過去の提供番組・スポットCM枠

  • BS朝日・『知られざる物語 京都1200年の旅』火曜日 22:00 - 全国で視聴可能
  • テレビ大阪・金曜日の21:54からの「天気予報」枠
  • 毎日放送MBSテレビ)『皇室アルバム』関西地区のみ
  • 朝日放送テレビ(ABCテレビ)・夕方のニュース番組の終了後のスポットCM
    • スーパーJチャンネル』(基本的に土曜日)
      • かつて同局の平日の18時50分から放送していた『ABCフラッシュニュース』(次項参照)に、京阪が提供していたことの名残である。なお、現在のABCの社屋は、中之島線中之島駅が最寄り駅である。
    • ABCフラッシュニュース
      • かつてABCテレビで放送されていた提供番組。同局がJNN系列であったころより、平日の18時50分から(当時はJNNニュースコープの次番組)の枠において、京阪の一社提供(他の時間帯は他社提供)扱いとして放送されていた。番組のオープニングでは、京阪特急(1900系→(旧)3000系)の走行映像も使われていた。1975年4月に、ABCテレビがJNN系列からANN系列へのネットチェンジが行われた後も、同番組での提供枠は継続していた。その後、同番組の終了(2012年現在は「キャスト」枠)により、提供枠としては終了したものの、長らく同時間帯において、京阪グループ各社のCMが放映されることになった(「京阪電車ワンポイントガイド」→「京阪電車テレビインフォメーション」→「エンジョイKEIHAN」のタイトルでCM枠があった)。加えてこのことが、同社のテレビカーにおいて、在阪各局の中でも、比較的ABCテレビが多く放送された理由である、と言われている。現在は前述のとおり、ABCテレビの夕方のニュース番組終了後に放送されるスポットCM枠扱いとして、同社のCMが放送されている。
    • キャスト』(金曜日)
    • おはようコールABC』(金曜日)
  • 関西テレビ放送(KTV)
  • 京阪まんが劇場
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タイアップ・コラボレーション作品

脚注

注釈

  1. ^ 社章は、2016年現在も運転士・車掌の制帽や大津線(石山坂本線)の鉄道車両で使われている。京阪線では2600系以前の車両に設置されている拡声器や冷房用の回転グリルに社章が残っている。
  2. ^ 京阪側でトップだったのは副社長の村岡四郎である。
  3. ^ 旧新京阪系の路線は、京阪分離後阪急京都本線阪急千里線阪急嵐山線となった。
  4. ^ 阪急の労働組合が8年後に刊行した『斗いの記録 組合十年史』(京阪神急行電鉄労働組合、1957年9月10日)には、「太田恒社長はひとりで基本線…新京阪線を阪急が取る代償として、京阪電鉄をスッキリとした形で復活させる…」とある
  5. ^ 会社としての発足順では14番目の大手私鉄である。ただし、この当時は「大手私鉄」という区分は存在せず、使用されるようになったのは1952年以降である(大手私鉄#歴史を参照)。
  6. ^ 続けて9月18日付で「インテージ秋葉原ビル」を取得
  7. ^ 相模鉄道も旅客営業路線は全線複線だが、同社の貨物線である厚木線は単線である。また小田急電鉄も全線複線(一部複々線)に見えるが、JR東海御殿場線へ直通運転するために、小田原線新松田駅付近から御殿場線松田駅へ向かう連絡線(通称・松田連絡線)が単線である。
  8. ^ 同年の京都府交通網整備対策協議会では三栖から京都市営地下鉄烏丸線と相互乗り入れする構想が示されていた[48]
  9. ^ どことも直通運転を行っていない大手私鉄は西日本鉄道があるが、乗り入れ構想がある。
  10. ^ 「型」との表現は現在でも東武鉄道が一部の車両に対して使用しているほか、かつては京王帝都電鉄(現・京王電鉄)が「型」を使用していた。
  11. ^ 1000系と2600系は4805A-M、6000系から4805B-M、7000系以降は4805C-M、10000系と13000系・2400系前期型では廃車になった2600系のパンタグラフを改造したPT-4805A-M改
  12. ^ 関東の大手私鉄の車掌スイッチの大半は乗務員扉内側の脇にあり、スイッチを下から上に操作すると客用扉が開き、逆の手順で扉が閉まる。
  13. ^ 手で持つとアームが下を向きつり輪が下がることで他のつり革と同じように使える。
  14. ^ 京阪線では本線用の7000系・7200系・3000系(2代)、8000系に、大津線では石山坂本線用の600形・700形に施行実績がある。
  15. ^ ただし2600系0番台車の中間にある先頭車のシールドビームは交換されず存置されている。
  16. ^ 1959年(昭和34年)に登場した2000系を改造した2600系0番台が現在も運用中であり、車体履歴に関しては2600系0番台が最古である。
  17. ^ ただし、石山坂本線では一時期「大津線100周年」を記念して600形1編成が期間限定で旧特急色を纏っていた。大津線では旧特急色の車両は急行・準急に使用されていた。
  18. ^ ただし富山地方鉄道では譲渡された初代3000系のうち1編成が旧特急色を纏っている。
  19. ^ 三条京阪駅は地下鉄東西線の駅だが、京津線連絡の乗車券を買うことができる。
  20. ^ 厳密には土・日曜日、国民の祝日・休日、12月31日、1月2日、1月3日、土曜・休日ダイヤ実施日[69]
  21. ^ 2011年当時の大手私鉄で最多の列車種別数は2010年にこれまでの9種別より1種別を廃止したものの、逆に2種別増加した京成の10種別。京成も2015年に1種別廃止されたため現在は阪急と同一の9種別である(ただし阪急では臨時運転の直通特急を、京成では臨時のシティライナーを入れるとそれぞれ10種別となる)。西武は2012年に1種別廃止され一旦は8種別となったが2017年にS-TRAINが設定されて再び9種別体制となり、2018年には拝島ライナーが設定され、京阪に次ぐ10種別となった。
  22. ^ 2018年4月現在、残った2番線と3番線は番線の数字は繰り上がらずに今に至っている。
  23. ^ JTB時刻表』も以前は「京阪宇治」と表記していたが、現在は正式名称の「宇治」に変更されている。
  24. ^ 行き先表示で「淀屋橋」の前に「大阪」が付けられる場合があるが、正式駅名は「淀屋橋」である。また、中之島駅の副駅名は「大阪国際会議場」である。他の関西の大手私鉄では、冠称として「大阪」を付けた駅(阪急の大阪梅田駅、阪神の大阪梅田駅、近鉄の大阪難波駅大阪上本町駅大阪阿部野橋駅)もしくは、固有名詞の一部として「大阪」で始まる駅(南海の大阪狭山市駅、近鉄の大阪教育大前駅)がある。

出典

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関連項目

関連文献

  • 京阪電気鉄道 史料編纂委員会 編 編『鉄路五十年』京阪電気鉄道、1960年12月25日発行。 
  • 『過去が咲いている今』京阪電気鉄道、1990年7月1日発行。
  • 『街をつなぐ 心をむすぶ』企画京阪エージェンシー、京阪電気鉄道、2000年10月1日発行。
  • 『京阪百年のあゆみ』京阪電気鉄道、2011年3月24日発行。

外部リンク

すべて公式サイトである。