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「豊橋市」の版間の差分

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;2015年愛知県議会議員選挙
;2015年愛知県議会議員選挙

2020年11月1日 (日) 09:39時点における版

とよはしし ウィキデータを編集
豊橋市
豊橋市旗
1963年7月1日制定
豊橋市章
1909年6月6日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
市町村コード 23201-7
法人番号 3000020232017 ウィキデータを編集
面積 262.00km2
総人口 363,332[編集]
推計人口、2024年8月1日)
人口密度 1,387人/km2
隣接自治体 豊川市新城市田原市
静岡県浜松市湖西市
市の木 くすのき
市の花 つつじ
市の歌 豊橋市歌、躍進
豊橋音頭、ちぎり音頭
豊橋市役所
市長 浅井由崇
所在地 440-8501
愛知県豊橋市今橋町1番地
北緯34度46分9秒 東経137度23分29.5秒 / 北緯34.76917度 東経137.391528度 / 34.76917; 137.391528 (豊橋市)座標: 北緯34度46分9秒 東経137度23分29.5秒 / 北緯34.76917度 東経137.391528度 / 34.76917; 137.391528 (豊橋市)
豊橋市役所
豊橋市役所
地図
市庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

豊橋市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト
名鉄電車と豊橋市街地遠景
豊橋市中心部広小路通
豊橋市中心部駅前大通

豊橋市(とよはしし)は、愛知県の南部に位置する中核市に指定されている。

東三河地方の中心都市であり、同地方の人口の約半数を占める。人口は愛知県において一宮市に次いで5位である。

概要

吉田城吉田大橋(のち豊橋)

愛知県の南東部に位置する。東三河地方における経済・交通の中心であり、愛知県の県庁機能の一部を有している[1][2]。人口約67万人の豊橋都市圏[3]を形成している。ただし2015年には昼夜間人口比率は97%まで低下している[4]

中世から江戸時代まで市の中心部は吉田(よしだ)と呼ばれていた。吉田という地名は全国各地にあったため、三州吉田と呼ばれることが多かった。

吉田は豊川朝倉川の合流地点であり、渥美郡宝飯郡、そして八名郡の境目に当たる。江戸時代には 吉田藩城下町吉田宿宿場町豊川水運で栄えた湊町であった。明治2年6月(1869年)の版籍奉還で、吉田から豊橋に改称した。

市徽章は、江戸時代末、吉田城に8代君臨した長沢・松平大河内(ながさわ・まつだいら・おおこうち)家が用いていた馬印を横から見た形の千切(ちぎり)である。

三河港と豊川用水を擁し、貿易港と農業を主軸とする。16世紀の今橋城(のち吉田城と改称)建築以来、東三河の中心に台頭し、江戸時代は特に、三州吉田藩の城下町、東海道五十三次吉田宿二川宿があった。幕末の石高は7万石であり、岡崎藩西尾藩を上回って三河国内では最大だった。

市名の由来

吉田と今橋

伊勢神宮の神領の一覧表である神鳳鈔に、吉田御園と記載があり、神宮雑書にも、建久3神領注文、外宮領、承平年間宣下、長寛1免租。神宮雑書・建久3神領注文 = 吉田御園、外 = 給主故少納言重綱(藤原ヵ)所由 = 件御園、雑(新ヵ)神戸内往古神領也、承平以後官符宣旨重畳之上、長寛元年重被下奉免宣旨也 = 供祭物、上分米3石、雑用料17石、件上分米近年不究済之・神鳳鈔 = 吉田御園 = 外宮上分3石菓子、雑用20石・諸国御厨御園帳 = 吉田御園 = 3石、菓子、栗6篭。このことから、平安時代には、吉田の地名が確認できる。

今橋の初見は、応永5年11月21日の足利義満御判御教書の今橋御厨である。

貞応3年(1224年)頃の豊川は飽海川と呼ばれており、そこに架けられた橋の名前が今橋とされた。その後、大永2年(1522年)頃に今橋から吉田と改名されたという[5]

牧野氏による吉田城築城のくだり(牛窪記)や、天文年中の牧野氏・今川氏の書状に見え、今橋跡職、名字之知にて御座候間、という今川氏への訴状。藩翰譜の牧野氏の項目に、今橋城が吉田城と改名されたという解説。天文年中の今川氏の書状で三州吉田という用語が見え、今橋が使用されなくなっている事実などから、牧野氏が治めていた時代には今橋が使用されていたが、今川氏が直轄支配の時代になると、吉田がもっぱら使われ、今橋は使用されなくなる。

徳川家の史料である三河物語家忠日記では一貫して吉田となっており、伊勢神宮の史料でも吉田御園であり、今川氏による三河国領土化・吉田城の取得以後、一貫して吉田と呼称され、今橋が廃号となっていることなどからも、今橋が吉田に改称されたとは言い切れないだろう。

遊嚢賸記には、今橋ハ渡津ノ今道ヘカケタル故ノ名ナルベシ、という記述があり、東関紀行の文中にある、渡津の今道、という文言に今橋は由来するという。

明治維新により豊橋と改名

前述の通り明治新政府は当時の三河国吉田藩の藩名が伊予国吉田藩(宇和島藩の支藩)(旧愛媛県北宇和郡吉田町、現愛媛県宇和島市)に似て紛らわしいとのことで藩名変更の命を下した[6]。その命を受け藩主は「豊橋、関屋、今橋」の3つの名を選んだ。新政府はその一番目の「豊橋」を採用して、正式に「豊橋藩」という藩名とすることを命じた。その後廃藩置県の後も豊橋の名が使われる。

豊橋(とよはし:吉田大橋)

『三州吉田記』の記述にあるように、酒井忠次の吉田川(豊川)への架橋以前に、橋は存在しておらず、鎌倉時代の史書(『東関紀行』・『海道記』・阿仏尼の『うたたねの記』および『十六夜日記』)にも、川の浅瀬を渡っていることが記述されている。 徳川氏の武将の酒井忠次が、1570年元亀元年)、関屋口から下地にかけて吉田川(豊川)に吉田大橋(土橋)を架ける土木工事を実施した。[7]その後、池田輝政が、船町を整備し前城主・酒井忠次が吉田川に架けた土橋の吉田大橋を木橋に架け替え、その位置も整備した下流の船町に移動させた。『三州吉田記』に「元亀元年、関屋之渡口始メテ土橋ヲ架ス」とあり、1591年天正19年)にこの土橋を船町へ移すと記す。江戸時代には、江戸幕府が整備、管理する長さ120間の大橋であった。

この船町の吉田大橋(吉田橋)は、明治時代に架け替えた時、とよはしと名称を変更した。さらに、昭和に入ってから国道1号を整備した際、その上流(関屋口から下地)に新たに掛けられた橋を、以前の船町で呼称していた吉田大橋(よしだおおはし)と、再び名付けた。この国道整備により、かつての東海道は愛知県道496号白鳥豊橋線として県道になり、正式にはもともと架かっていた県道の大橋(西側の橋)の名を豊橋(とよはし)とするようになった。ただ、市名と橋名を区別するため、橋名を(とよばし)と呼ぶようになった。国土交通省は、豊橋(橋)の名前を(とよはし)として、登録している。

豊川(とよかわ)・豊川(とよがわ)の違い

豊川(とよわ)というのは、古代律令制の三河国宝飯郡豊川郷に由来する。平城宮出土木簡に「参河国寶飯郡豊川郷」。長岡京出土木簡に、「延暦10年豊川里」。鎌倉時代になって鎌倉街道が整備されると「豊川宿」として機能した。鎌倉時代の史書では『海道記』に「豊河の宿」とある。『東関紀行』に「豊川といふ宿」と記載される。そして、現在の愛知県豊川市に至る。

豊川(とよわ)は、古代律令制では飽海川(あくみがわ)と呼ばれた[要出典]。飽海(あくみ)とは渥美郡のことであり、7世紀までは、飽海(あくみ)と書かれたことが835年承和5年)の木簡(太政官符)で確認されている。その後、室町時代から江戸時代までは吉田川と呼ばれた。[要出典] ことが『三河国聞書』から確認できる。1622年元和8年)成立の『三河物語』においても、吉田河と記載されている。1849年嘉永2年)の『徳川実紀』においても、吉田川と記載されている。愛知県図書館所蔵の江戸後期の三河国図においても、吉田川と記載されている。

中世から江戸時代まで、豊橋は吉田(三州吉田)と呼ばれていた。明治2年6月の版籍奉還で、吉田を豊橋と改めた。明治2年9月に成立した伊那県足助庁作成の三河国全図に、豊川(とよがわ)と記載されている。

地理

豊橋市中心部周辺の空中写真。市街地の北部を豊川が曲流する。1988年撮影の37枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

愛知県の南東部に位置している。渥美半島の付け根部分であり、豊橋平野の上に市域が広がっており、高い山はほとんどない(主な山は北東部の石巻山(358メートル)など)。南部は高師原天伯原と呼ばれる台地となっている。市内を、豊川梅田川などが流れ、北東部は低い山々(弓張山地)が存在し、静岡県との境界を形成している。市西部の豊川、梅田川河口は三河湾と、市南部沿岸は太平洋と接している。

太平洋岸は片浜十三里(表浜海岸)と呼ばれ、ウミガメの産卵で知られる。三河湾と接する地域は大規模な埋め立て地があり、工業地の他、神野新田など穀倉地帯となっている

中心部を東海道が横断し、吉田宿二川宿など古くから城下町、宿場町として栄えた。現代でも東海道沿いに中心部を国道1号JR東海東海道新幹線東海道本線名古屋鉄道名古屋本線が通っている。三河湾岸の三河港は、自動車や貨物などの輸出入の重要拠点となっている。

気候は年間を通じて比較的温暖であり、冬季の降雪や積雪はほとんどない。

地形

山地

主な山

河川

主な川

海岸

市内の町名

人口

豊橋市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 258,547人
1975年(昭和50年) 284,585人
1980年(昭和55年) 304,273人
1985年(昭和60年) 322,142人
1990年(平成2年) 337,982人
1995年(平成7年) 352,982人
2000年(平成12年) 364,856人
2005年(平成17年) 372,479人
2010年(平成22年) 376,665人
2015年(平成27年) 374,765人
2020年(令和2年) 371,920人
総務省統計局 国勢調査より

国勢調査に基づいた2018年10月1日時点の推計人口は373,592人であり、2,320,361人の名古屋市、425,848人の豊田市、386,639人の岡崎市、380,235人の一宮市に次いで愛知県第5位だった[8]。外国人市民が多く、2018年12月時点で17,775人が居住しており、県内では名古屋市と豊田市に次ぐ数である[9]。これは市民全体の約4.6%に当たる。そのため当市は外国人市民への対応を積極的に進めてきた[10]

隣接している自治体・行政区

愛知県の旗愛知県
静岡県の旗静岡県

歴史

原始時代から弥生時代まで

瓜郷遺跡

縄文時代の遺跡として嵩山(すせ)の蛇穴遺跡など数件が、弥生時代の遺跡として瓜郷遺跡がある。市域に流れる川の流域には4世紀から7世紀頃の古墳(円墳、前方後円墳)も多く発見されている。なお、豊橋市牛川町で1957年と1959年に約十万年前のものとされる人骨が発見され、牛川原人(牛川人)として紹介されていたが、2001年にお茶の水女子大学の教授である松浦秀治がその骨をフッ素年代測定法で調査したところ、ナウマンゾウのすねの骨という結果が出た。そのため人骨である可能性は低いとされる。

奈良時代から鎌倉時代まで

律令制(国郡制)の下で、三河国渥美郡宝飯郡八名郡に属したとされる。律令制の下で班田制が敷かれていたとされる遺跡が、嵩山や賀茂などで見つかっている。また、初期の東海道が設置され、飽海川(あくみがわ、現在の豊川)河口には渡し場が置かれた。これは飽海川の渡しと呼ばれ、後に志香須賀(しかすが)の渡しとして『枕草子』の「渡は」の段などでも言及されており、よく知られている。飽海川はその後、吉田川に改称され、明治以降に豊川に改称された。「豊川」とは、現在の豊川市にあった古代集落・宝飯郡豊川郷を指す。

室町時代から安土桃山時代まで

復元された吉田城の鉄櫓

交通の要衝のこの地に目を付けた戸田全久(宗光)が二連木城(豊橋市仁連木町)を築城(1493年)、その後、西方の至近距離に、牛窪城豊川市牛久保町)の牧野古白(成時)が今橋城(豊橋市今橋町)を築城した(1505年)。

また、この当時、東三河に今川氏の影響力が及んでおり、北条早雲を総大将とする今川氏親軍が三河国に侵攻し、今橋合戦で今橋城の牧野古石を討つなどしたが、松平長親との井田野合戦(岡崎市井田町)で敗北している。

その後、三河牧野氏と、二連木城等を有する戸田氏の間で抗争が起きたが、やがて、西三河をまとめた岡崎城松平清康が東三河に侵攻、吉田城に篭る牧野信成、宇利城に篭る熊谷氏が防戦したが、戸田氏他の東三河の勢力も清康に降参し、ここに初めて、松平家による三河国統一が実現される。

しかしながら、森山崩れによって松平清康が横死したため、三河国は大混乱に陥り、東から今川義元、西から織田信秀が侵攻し、三河国は彼らの属領争奪の場と化す。領国の蚕食を受けた松平氏は衰退し、今川氏の傘下となる。松平氏が撤退した後の吉田城は、城番の牧野成敏が城主となったが、その後これを略取した戸田宣成が、牧野氏の要請を受けた今川氏により討たれ、今川氏の直接支配となった。

1560年永禄3年)桶狭間の戦い今川義元織田信長に討たれると、徳川家康は岡崎城に入城し、今川氏真を見限って独立を宣言。1565年(永禄8年)3月に吉田城が開城し、所属の今川軍と主将小原鎮実は遠江国に撤退した。家康は、重臣の酒井忠次を吉田城に入城させ、東三河の旗頭となした。そして、翌1566年(永禄9年)5月には牛久保城(豊川市)に残存勢力を結集していた牧野氏などの土豪なども家康の降伏の勧めに応じて、三河国は家康によりほぼ再統一された。

安土桃山時代1590年天正18年)に、関東移封で徳川家康が駿府から江戸に遷ると、池田輝政が東三河4郡を統べる吉田城主(15万2千石)となり、城の拡張や城下町の形成、吉田川(豊川)への吉田大橋(現在の豊橋)の建設(酒井忠次による土橋から木橋へ)などが行われた。

江戸時代

関ヶ原の戦いの後、江戸時代に入ると、吉田藩が設置され、3万石から8万石程度の譜代大名が治めた。吉田は城下町、湊町(吉田湊)、宿場町吉田宿)として栄え、二川(豊橋市二川町、大岩町)も二川宿として栄えた。海道の脇街道として姫街道八名郡嵩山(すせ)に嵩山宿が置かれた。吉田大橋(豊橋)は東海道におけるその重要性から、江戸幕府直轄の橋として管理された。 1752年には、藩主松平信復により吉田城内に藩校時習館が置かれた。

幕末慶応3年7月27日1867年8月)、牟呂村(現豊橋市牟呂町)で伊勢神宮のお札が降ったといわれる。江戸時代、最後の藩主は、大河内長沢松平家大河内信古である。そのため、今の市役所の徽章が大河内長沢松平家の徽章になっている。

明治から現在まで

広小路通

版籍奉還直後の明治2年6月(1869年)、吉田は伊予吉田藩との混同を避けるため、明治政府の命により、豊川に架けられていた橋からとって、豊橋と改名された[11]。明治4年7月(1871年)、廃藩置県により豊橋県となり、11月には額田県、明治5年(1872年)に愛知県に統合された。大区小区制が施行され、豊橋は第十五大区として管理され、愛知県の豊橋支庁が置かれた。1878年(明治11年)制定の郡区町村編制法により町村が置かれ渥美郡豊橋町となり、1889年(明治22年)に郡制及び町村制を施行し、1906年(明治39年)には豊岡村花田村を合併し市制を施行した。1932年(昭和7年)に、下地町、高師村、牟呂吉田村、下川村、石巻村多米を編入した。

1888年(明治21年)に東海道線が開通し豊橋駅が開業した。渥美線は1924年(大正13年)に高師 - 豊島間が開業した後、1925年(大正14年)までに三河田原まで開業した。路面電車豊橋鉄道東田本線)は1925年に開業した。1931年(昭和6年)、豊橋初の百貨店として豊橋丸物(広小路通。1950年(昭和25年)に駅前大通に移転、1973年(昭和48年)に西武との提携で豊橋西武となる)、豊橋市公会堂(八町通)が竣工した。

明治4年8月(1871年)に吉田城趾に名古屋鎮台が置かれた後、1885年(明治18年)には陸軍歩兵第18連隊が置かれたほか、1908年(明治41年)から1925年(大正14年)までは高師原に陸軍第15師団が置かれるなど、豊橋は軍都として繁栄した。また明治から昭和の初めまでは養蚕業、製糸業が非常に盛んであった。太平洋戦争の最中には、1944年(昭和19年)12月7日の東南海地震と、1945年(昭和20年)6月20日のB29、136機による空襲(豊橋空襲)によって、市街地の7割が焼失した。

終戦後には将来の発展を見越して市街地の大規模な土地区画整理戦災復興都市計画が実施されている。また、食料対策として高師原、天伯原の開墾と神野新田等の自作農化が行われた。一方で、日本紡績(現・ユニチカ)を始めとした工場誘致活動を積極的に行い、郊外に工場が建てられていった。農工業の発展で新たな水源が求められていた中、1968年(昭和43年)には豊川用水が完成し農業・工業の発展に寄与した。

1970年代から30年間にもわたって、全国の都市の中で農業粗生産額第1位を続けた。1959年(昭和34年)に完成した豊橋港(現在は三河港の一角)は、三河港の中心として発展した。1980年代以降、市街地の郊外化が進んだ。1999年(平成11年)には中核市に指定された。

年表(明治維新以後)

市域における自治体の変遷
明治22年以前 明治22年10月1日 明治22年 - 明治45年 大正1年 - 大正15年 昭和1年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在


吉田城 豊橋船町 豊橋町 明治28年1月25日
合併 豊橋町
明治39年7月15日
合併 豊橋町
明治39年8月1日
市制 豊橋市
豊橋市 豊橋市 豊橋市 豊橋市
豊橋湊町
豊橋上伝馬町
豊橋八町
豊橋関屋町
豊橋本町
豊橋札木町
豊橋呉服町
豊橋曲尺手町
豊橋下モ町
豊橋鍛冶町
豊橋松葉町
豊橋萱町
豊橋花園町
豊橋三浦町
豊橋指笠町
豊橋新銭町
豊橋魚町
豊橋紺屋町
豊橋神明町
豊橋清水町
豊橋手間町
豊橋吉屋町
飽海村  
豊橋村
 
豊橋村
 
仁連木
 
東田村 東田村 豊岡村 豊岡村
瓦町村 瓦町村
下岩崎村 岩田村 岩田村
田尻村
平川新田
上岩崎村 岩崎村
手洗村
飯村
三ノ輪村
花ケ崎村 花田村 花田村 花田村
羽田村
高足村 高師村 高師村 高師村 明治39年8月31日
合併 高師村
高師村 昭和7年9月1日
豊橋市に編入
高足新々田
高足原尾先新田
藤並新田
森田新田
芦原新田
橋良村 福岡村 福岡村 福岡村
小浜村
小池村
佐藤村
山田村
小松新田
大崎村 大崎村 大崎村
東植田村 植田村 植野村 明治24年11月10日
分立 植田村
西植田村
津田新田
野依村 野依村 明治24年11月10日
分立 野依村
仏餉村
切反ケ谷村
草間村 磯辺村 磯辺村 磯辺村 磯辺村
向草間村
松井新田
上原新田
上牟呂村 牟呂村 牟呂村 牟呂村 明治39年7月1日
合併 牟呂吉田村
牟呂吉田村
中牟呂村
下牟呂村
松島新田
富田新田
野田村 豊田村 東豊田村 吉田方村 吉田方村
吉川村
三相村
馬見塚村 西豊田村
高須新田
青竹新田 青野村
茅野新田 茅野新田
土倉新田
下野新田
富久縞新田
加藤新田
牧新田
中村新田


下地村 下地村 明治24年10月16日
町制 下地町
明治39年7月1日
合併 下地町
下地町
大磯村 大村 大村 大村 大村
沖木村
住吉村
柴屋村
大蚊里村
長瀬村
下五井村 鹿菅村 鹿菅村
瓜郷村
横須賀村 津田村
藪下新田
清須新田


五井村 西下条村 下条村 下条村 明治39年7月1日
合併 下川村
下川村
八反ケ谷村
天王村
暮川村
藤ケ池村 東下条村
竹之内村
堀之内村
白石新田
犬之子村
牛川村 牛川村 牛川村 牛川村
浪之上村
若宮村
野川新田
忠興新田
小鷹野新田
中沢新田
田中新田
多米村 多米村 美米村 明治25年12月23日
分立 多米村
明治39年7月1日
合併 石巻村
石巻村
赤岩村
神郷村 三輪村 明治25年12月23日
分立 三輪村
石巻村 昭和30年3月1日
豊橋市に編入
金田村
神ケ谷村 神ケ谷村 玉川村 玉川村 玉川村
森岡新田
高井村
和田村
長楽村
嵩山村 嵩山村 嵩山村 嵩山村
月ケ谷村
長彦村
平野村 平野村 西郷村 西郷村
中野田新田
入文村 小野田村
成沢村
馬越村
西川村
萩平村
中山村


大岩村 大川村 明治26年6月23日
町制 大川町
大川町 明治39年7月1日
合併 二川町
二川町 二川町
二川村 二川村
大脇新田
雲谷村 谷川村 明治29年7月1日
分立 谷川村
原村
中原村
上細谷村 五並村 上細谷村 細谷村 細谷村
下細谷村 下細谷村
小島村 小島村 小沢村 小沢村
小松原村 小松原村
寺沢村 寺沢村
西七根村 七根村 高根村 高根村 明治39年8月31日
合併 高豊村
高豊村 高豊村
東七根村
高塚村 豊南村 高塚村
城下村
赤沢村 豊南村 豊南村 豊南村
万場新田
西伊古部村 伊古部村
東伊古部村
北大津村 老津村 老津村 老津村 老津村 老津村
南大津村
森崎新田


前芝村 前芝村 前芝村 前芝村 前芝村 前芝村
青木新田
山内新田
日色野村
梅藪村


杉山村 合併
杉谷村
(一部)
分立
杉山村
杉山村 杉山村 明治39年9月10日
合併
杉山村(一部)
杉山村(一部) 杉山村(一部) 昭和30年4月1日
豊橋市に編入
神吉新田


養父村 金沢村 金沢村 金沢村 金沢村 昭和26年4月1日
合併
双和村(一部)
御薗村

行政

歴代市長

1906年(明治39年)8月1日に豊橋市が成立した。歴代市長は以下のとおりであるが、市長不在時期も多々ある。

氏名 就任 退任
1 大口喜六 1907年1月7日 1912年1月10日
2 高橋小十郎 1912年2月12日 1913年3月8日
3 柳原弁吾 1913年8月29日 1914年3月28日
4 大口喜六 1914年4月27日 1916年2月20日
5-6 細谷忠男 1917年1月18日 1923年8月20日
7 吉川一太郎 1924年6月10日 1925年12月8日
8 田部井勝蔵 1926年8月5日 1930年8月4日
9 丸茂藤平 1930年8月30日 1934年8月29日
10 神戸小三郎 1934年9月3日 1938年7月7日
11 大口喜六 1938年9月17日 1940年12月10日
12 近藤寿市郎 1941年4月18日 1945年4月17日
13 水野保 1945年5月6日 1946年1月29日
14 横田忍 1946年3月29日 1947年4月4日
15-16 大竹藤知 1947年4月5日 1952年6月28日
17-18 大野佐長 1952年7月28日 1960年6月30日
19-22 河合陸郎 1960年7月1日 1975年3月26日
23-24 青木茂 1975年4月30日 1983年4月26日
25-28 高橋アキラ 1983年4月27日 1996年10月2日
29-31 早川勝 1996年11月17日 2008年11月16日
32-33 佐原光一 2008年11月17日 現職
市役所

豊橋市役所 〒440-8501 豊橋市今橋町1番地

財政

2019年度(平成31年度)当初予算案[13]

会計名 予算額 前年度対比
一般会計 1,297億4,000万円 1.1%減
特別会計 639億5,300万円 4.2%増
企業会計 619億6,100万円 2.9%増
全会計 2,556億5,400万円 1.1%増

資料で確認できる範囲では2000年(平成12年)から2005年(平成17年)まで、普通交付税交付団体であった。「三位一体の改革」により交付税の削減が行われ、2006年(平成18年)度には交付税不交付団体になった。

県政
その他
  • 「豊橋市歌」は、市政50周年を期に298編の応募のあった歌詞から選定される。作詞補詩が地元ゆかりの丸山薫、作曲が古関裕而(妻:古関金子の地元豊橋市の縁)
  • キャッチコピーは、「ええじゃないか豊橋」[14]
  • マスコットキャラクターは、「トヨッキー」が務めている[15]

議会

豊橋市議会

  • 定数:36人
  • 任期:2019年5月1日 - 2023年4月30日[16]
  • 議長:豊田一雄(自由民主党豊橋市議団)
  • 副議長:堀田伸一(自由民主党豊橋市議団)
会派名 議席数 議員名(◎は代表者)
自由民主党豊橋市議団 20 ◎坂柳泰光、伊藤篤哉、松崎正尚、近藤修司、山田静雄、二村真一、本多洋之、伊藤哲朗、
石河貫治、山本賢太郎、尾崎雅輝、近藤喜典、市原享吾、小原昌子、向坂秀之、堀田伸一、
豊田一雄、古関充宏、田中敏一、近田明久
公明党豊橋市議団 5 ◎鈴木博、尾林伸治、宍戸秀樹、梅田早苗、沢田都史子
まちフォーラム 4 ◎芳賀裕崇、星野隆輝、及部克博、廣田勉
日本共産党豊橋市議団 3 ◎斎藤啓、鈴木みさ子、中西光江
紘基会 1 寺本泰之
元輝会 1 川原元則
豊橋だいすき会 1 長坂尚登
とよはし みんなの議会 1 古池もも
36

議会を構成する委員会は大きく3つに区分される。4つの常任委員会はそれぞれ9名ずつ所属する。

  • 常任委員会(36名)
    • 総務委員会(9名)
    • 環境経済委員会(9名)
    • 福祉教育委員会(9名)
    • 建設消防委員会(9名)
  • 議会運営委員会(10名)
  • 特別委員会
    • 予算特別委員会
    • 一般会計予算特別委員会
    • 決算特別委員会
    • その他特定目的の委員会

愛知県議会

2019年愛知県議会議員選挙
  • 選挙区:豊橋市選挙区
  • 定数:5人
  • 投票日:2019年4月7日
  • 当日有権者数:298,625人[17]
  • 投票率:38.75%[17]
候補者名 当落 年齢 党派名 新旧別 得票数
浅井由崇 57 無所属 22,147票
丹羽洋章 50 自由民主党 20,841票
杉浦正和 43 自由民主党 18,314票
荻原宏悦 54 公明党 15,865票
中村竜彦 39 自由民主党 15,305票
下奥奈歩 31 日本共産党 12,819票
服部文一 52 立憲民主党 8,783票
2015年愛知県議会議員選挙
  • 選挙区:豊橋市選挙区
  • 定数:5人
  • 投票日:2015年4月12日
  • 当日有権者数:292,645人[18]
  • 投票率:38.21%[18]
候補者名 当落 年齢 党派名 新旧別 得票数
浅井由崇 53 民主党 25,637票
鈴木孝昌 70 自由民主党 22,748票
丹羽洋章 46 自由民主党 20,128票
渡会克明 62 公明党 16,443票
下奥奈歩 27 日本共産党 14,057票
服部文一 48 維新の党 11,190票

衆議院

  • 選挙区:愛知15区(豊橋市、田原市
  • 任期:2017年10月22日 - 2021年10月21日
  • 投票日:2017年10月22日
  • 当日有権者数:353,398人
  • 投票率:55.43%
当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
根本幸典 52 自由民主党 95,568票
比当 関健一郎 39 希望の党 77,224票
野澤康幸 29 日本共産党 18,574票

国家機関

厚生労働省

  • 豊橋労働基準監督署
  • 豊橋公共職業安定所(ハローワーク豊橋)
    • 豊橋地方合同庁舎1階
    • 大国ビル庁舎2階(豊橋外国人職業相談センター・豊橋学生等就職支援コーナー)

国土交通省

財務省

農林水産省

防衛省

法務省

検察庁はすべて豊橋市大国町111番地の「豊橋合同庁舎」の最上階である。

出入国在留管理庁
名古屋矯正管区

裁判所

3つの裁判所が同じ庁舎に存在する。所在地は豊橋市大国町110番地。地方裁判所[注釈 2]と家庭裁判所の豊橋支部の管轄範囲は、豊橋市、豊川市蒲郡市新城市田原市北設楽郡である。また簡易裁判所の管轄は豊橋市、豊川市、蒲郡市、田原市である。

施設

警察

交番
  • 下地交番(下地町)
  • 牛川交番(牛川通1丁目)
  • 多米交番(多米西町3丁目)
  • 岩田交番(東岩田1丁目)
  • 二川交番(大岩町)
  • 飯村交番(飯村北5丁目)
  • つつじが丘交番(佐藤3丁目)
  • 西幸交番(西幸町)
  • 高師交番(西高師町)
  • 南稜交番(大清水町)
  • 牟呂交番(神野新田町)
  • 吉田方交番(高洲町)
  • 旭東田交番(東田町)
  • 向山交番(向山町)
  • 南部交番(富本町)
  • 羽田交番(羽根井西町)
  • 豊橋駅前交番(花田町)
  • 東陵交番(緑ヶ丘1丁目)
駐在所
  • 賀茂駐在所(賀茂町)
  • 平野駐在所(石巻平野町)
  • 玉川駐在所(石巻本町)
  • 谷川駐在所(中原町)
  • 東細谷駐在所(東細谷町)
  • 小松原駐在所(小松原町)
  • 野依駐在所(野依町)
  • 伊古部駐在所(伊古部町)
  • 杉山駐在所(杉山町)
  • 老津駐在所(老津町)
  • 大崎駐在所(大崎町)
  • 前芝駐在所(前芝町)

消防

本部
消防署
  • 豊橋市中消防署(豊橋市東松山町23番地)
    • 東分署
      • 前芝出張所
      • 石巻出張所
  • 豊橋市南消防署(豊橋市曙町字南松原118番地)
    • 西分署
      • 二川出張所
      • 大清水出張所

医療

主な病院
保健所

文化施設

郵便局

主な郵便局(集配局)

運動施設

対外関係

姉妹都市・提携都市

国外

姉妹都市
友好都市
パートナーシティ[19]
  • 1992年(平成4年) パートナーシティ提携
  • 2008年(平成20年)8月 パートナーシティ提携
フレンドシップ相手国

2005年に開催された愛知万博で、愛知県内の市町村(名古屋市を除く)が120の万博公式参加国をそれぞれ「一市町村一国フレンドシップ事業」としてフレンドシップ相手国として迎え入れた。[20]

国内

その他

在住外国人

三河港や、近隣の豊田から浜松にかけて、自動車産業を中心に労働力の需要が高いため、ブラジルを初めとした南米系の外国人労働者が増えた。2007年(平成19年)5月1日現在の豊橋市における外国人登録者数は19,376人にのぼる。愛知県内では、名古屋市(約6万)に次いで外国人が多い。人口に占める外国人の比率は5%に達する。

経済

大清水町にあるキャベツ畑

かつては製糸・紡績業が盛んだった。1927年時点の製糸生産高は長野県諏訪郡平野村(現在の岡谷市)に次いで全国第2位であり、大正・昭和戦前期には工業生産高の60-80%を製糸業が占めていた[21]。岡谷市や群馬県前橋市などとともに代表的な製糸都市であり、『豊橋音頭』には「三州豊橋糸の町」と唄われている[21]。また、1996年まで豊橋乾繭取引所があった。

第一次産業

市南部は畑が多く、キャベツ白菜トマトなど、露地または施設における野菜の栽培が盛んであり、牛、豚、鶏などの畜産も行われている[22]。市西部は水田が多く、稲作を中心としながら露地や施設の園芸が行われている。市北部ではなしぶどうなどの果樹栽培が盛んである[22]ちくわや寒天ゼリーといった加工食品も多く生産されている[23]。 農業産出額(農業粗生産額)では1967年(昭和42年)から2004年(平成16年)まで全国の自治体で第1位だった[22]。2006年の農業産出額は474億円であり、724億円の田原市に次いで愛知県第2位、全国第6位だった[24]

第三次産業

主な商業施設
豊鉄ターミナルホテル
ココラアベニュー
駅前大通
豊橋駅周辺
向山町、柳生橋駅周辺
藤沢町、橋良町
神野新田町
野依町、大清水駅周辺

第二次産業

主な工業施設

三河港明海付近の工業施設に関しては、明海町を参照。

港湾施設

豊橋市に拠点を置くフォルクスワーゲン グループ ジャパン本社
ライフポートとよはし豊橋港
カモメリア(神野埠頭)

豊橋を中心とした三河港は国内屈指の国際貿易港である。特に自動車の輸出入は金額・台数とも全国第一位であり、ドイツブレーマーハーフェン港と並ぶ自動車輸出入港である。

取り扱われている自動車メーカー

本社を置く企業

情報通信

マスメディア

豊橋に拠点を置くマスメディアは、テレビ局1社、FM局1社、新聞社2社である。なお、名古屋に本社のあるメディアの中日新聞社東海テレビ放送CBCテレビ名古屋テレビ放送中京テレビ放送東海ラジオ放送(一度撤退したが、2011年頃に再び「三河支局」の名で設置した)及びNHKは市内~三河地域の取材・営業拠点等の業務のため、支社・支局を置いている。なおその他の新聞社(朝日新聞社毎日新聞社読売新聞中部支社日刊工業新聞社静岡新聞社静岡放送)も置いているところがある。

名古屋の放送局は豊橋中継所を設置している。かつてはCBCラジオが豊橋放送局内に設置した「向山スタジオ」から独自放送を行っていたが、2001年(平成13年)3月にスタジオを閉鎖した。また、東海ラジオも2000年(平成12年)頃まで豊橋放送局独自の番組を放送していた。

放送局

ケーブルテレビ局
ラジオ放送

詳細は“豊橋中継局”を参照。

AM放送
FM放送(県域局及び外国語放送)

親局送信設備については東山タワーを参照。

  • NHK名古屋FM 豊橋 85.3MHz/名古屋 82.5MHz
  • エフエム愛知(FM AICHI) 豊橋 81.3MHz/名古屋 80.7MHz
  • ZIP-FM 豊橋 77.1MHz/名古屋 77.8MHz
  • Radio NEO 名古屋79.5MHz

いずれも空中線電力50W。

FM放送(コミュニティFM局)

新聞社

他の県内各市町村同様中日新聞が多数を占めている。次いで朝日新聞読売新聞毎日新聞などが続く。地元紙の東愛知新聞東海日日新聞は1万部以下と極めて苦戦している。なお静岡県と隣接する地域なので、静岡県の地方紙である静岡新聞も購読可能である。

中継局

本宮山」(岡崎市・旧額田町)の山頂に豊橋中継局(テレビ、FMラジオ)が設置されている。テレビは場所によっては二川中継所や田原中継所を利用する。AMラジオの豊橋中継所は豊橋市内に有る。

生活基盤

中部ガス本社の入るココラフロント

ライフライン

電力

ガス

水道

電信

教育

豊橋技術科学大学
愛知大学

大学

国立
私立

専修学校

市立
私立

高等学校

県立
市立
私立

中学校

豊橋市立
私立

小学校

豊橋市立


特別支援学校

県立
市立

インターナショナルスクール

ブラジル学校
朝鮮学校

学校教育以外の施設

指定保育士養成施設
  • 愛知県立保育大学校(平成12年度で閉校)

交通

東西の幹線として東海道新幹線東海道本線国道1号が通り、南北の連絡線として飯田線国道151号などが通る。このため、三遠信における交通の要衝ともなっている。

鉄道

豊橋中心部を走る路面電車
概説

鉄道事業法上の鉄道駅として中心となる豊橋駅は花田町にあり、全国初の民衆駅である。 市内の鉄道はJR名鉄豊橋鉄道の三社によって運営されている。

東海道新幹線が停車し、市内及び、周辺都市への玄関口となっている。 飯田方面にはJR飯田線が、田原方面には豊橋鉄道渥美線が伸びている。市内には豊橋鉄道の路面電車東田本線)(軌道法適用の併用軌道)が走っており、旧吉田城下(豊橋公園前停留場市役所前停留場)と豊橋駅新豊橋駅ができたかつての渥美郡花田村駅前停留場)を結んで市民の足として親しまれている。

鉄道網一覧

豊橋駅前
東海旅客鉄道(JR東海)
名古屋鉄道
豊橋鉄道

バス

路線バス

道路

国道1号・国道23号(蒲郡街道)・国道259号(田原街道)が交わる西八町交差点
豊橋市道路元標
小坂井バイパス料金所

市街地を縦断する国道1号、市街地を避けて通る地域高規格道路国道23号名豊道路の一部である豊橋バイパス豊橋東バイパスが、自動車交通の中心となっている。 バイパス開通前までは、中心部では交通量が多く全て平面交差であるため、慢性的な渋滞が発生していた。特に、西八町交差点では国道1号国道23号蒲郡街道)、国道259号田原街道)が交わるため渋滞が発生しやすく、周辺道路にも影響を与えていた。 バイパスは田園地帯を貫くように建設され、豊橋東バイパス・豊橋東IC - 豊橋バイパス・豊川為当IC(豊川市)は2013年6月に暫定2車線で全線開通(一部区間は4車線)し、市街地の渋滞緩和へ大きく寄与した。 一部区間を構成する豊川橋はかつて有料道路であったが2005年に無料化された。 田原市緑ヶ浜、明海町方面の交通分散化のため、国道259号バイパスの建設が進められている。

環状線では豊橋環状線および東三河環状線が、ゆっくりではあるが着実に整備が進められている。また、豊橋・豊橋東バイパスの開通に合わせ、各インターチェンジと市街地を結ぶ都市計画道路の建設・拡幅工事も行われている。

東名高速道路は、市域の北端を通過しているが、市内にはインターチェンジは設置されていない。このため、豊川IC豊川市)や音羽蒲郡IC(豊川市)、三ヶ日IC浜松市北区)、浜名バイパスを経由して浜松IC(浜松市東区)や、浜松浜北IC(浜松市浜北区)などを利用するしかない。このような状態を解消するため、豊橋北バスストップ付近に豊橋新城スマートインターチェンジを設置する計画がある[25]

市内を通る有料道路は、国道23号豊橋バイパスの一部である豊川橋2005年に無料化されたのに続き、本坂トンネル2008年に、小坂井バイパス2016年にそれぞれ無料化され、現在は存在しない。また、市内東部の国道1号の県境付近の上り線では、静岡県警電光掲示板が設置されている。交通情報・交通案内は静岡県の物に準ずる。

高速道路

車両の出入りは主として豊川ICを利用する。

一般国道
主要地方道
一般県道

観光

豊橋公園(奥の建物は豊橋市役所)
吉田城の石垣
普門寺の山門
のんほいパーク
豊橋市公会堂
穂の国とよはし芸術劇場PLAT

名所・旧跡

主な城郭
主な寺院
主な神社
主な遺跡
その他の旧跡

観光スポット

自然
博物館
主な公園

文化・名物

祭事・催事

豊橋祇園祭・打ち上げ花火
鬼まつり
主な祭事・催事

音楽

日本アマチュアオーケストラ連盟の本部が置かれている。

スポーツ

豊橋市総合体育館
名称 競技種目 所属リーグ 本拠地 運営会社・団体 設立
三遠ネオフェニックス バスケットボール B.LEAGUE 豊橋市総合体育館 フェニックス 1965年
ラジルFC東三河 サッカー 愛知県社会人サッカーリーグ 豊橋市民球技場 2002年
愛知ベースボール倶楽部 野球 JABA社会人野球 豊橋市民球場 2003年

団体

名産

豊橋筆製作風景

民話

著名な出身者

武家・大名

文化・芸術

芸能・風俗

アナウンサー

学術

政財界・軍事

スポーツ

作品

映画

ドラマ

CM

漫画・アニメ

脚注

注釈
  1. ^ 商業・法人登記の申請業務は岡崎支局で行なわている。
  2. ^ 裁判員の参加する刑事裁判は岡崎支部で行なわれている。
  3. ^ a b 原作漫画は大分県野津町舞台。ドラマ版(第1作)・映画版とも、園子温(豊川市出身)が監督を務め、豊橋、豊川、新城の各市でロケが行われた。
出典
  1. ^ 東三河県庁 | 東三河県庁のポータルサイト | 穂っとネット東三河”. www.higashimikawa.jp. 2020年2月13日閲覧。
  2. ^ 東三河総局 - 愛知県”. www.pref.aichi.jp. 2020年2月13日閲覧。
  3. ^ 都市雇用圏-Urban Employment Area-”. www.csis.u-tokyo.ac.jp. 2020年2月13日閲覧。
  4. ^ 豊橋市の概要”. 2020年2月13日閲覧。
  5. ^ 『豊橋百科事典』(豊橋百科事典編集委員会、2006年)p.73
  6. ^ 『日本歴史知名体系23巻 愛知県の地名』(平凡社、1995年5月) p.1045
  7. ^ 『藩史大事典 第4巻 中部編Ⅱ―東海』(雄山閣出版、1989年1月) p.233
  8. ^ あいちの人口 愛知県
  9. ^ 愛知県内の市町村における外国人住民数の状況(2018年12月末現在) - 愛知県”. www.pref.aichi.jp. 2020年2月17日閲覧。
  10. ^ 外国人市民(がいこくじんしみん)と共(とも)に生(い)きる取組(とりくみ)/豊橋市”. www.city.toyohashi.lg.jp. 2020年2月17日閲覧。
  11. ^ 『伊能図から現代図まで 全国130都市の歴史をたどる 日本200年地図』(2018年10月30日、河出書房出版発行)317ページ。
  12. ^ 明示39年7月5日内務省告示第64号
  13. ^ 平成31年度 予算概要説明資料” (PDF). 豊橋市役所 (2019年2月15日). 2019年2月28日閲覧。
  14. ^ 豊橋市. “ええじゃないかトップページ : ええじゃないか豊橋とは”. 2014年7月7日閲覧。
  15. ^ 豊橋市. “豊橋市のマスコット「トヨッキー」”. 2014年7月7日閲覧。
  16. ^ 市町村選挙情報(平成31年度)”. 愛知県庁. 2019年6月30日閲覧。
  17. ^ a b 平成31年4月7日執行 愛知県議会議員一般選挙 投票状況速報” (PDF). 愛知県選挙管理委員会 (2019年4月7日). 2019年4月7日閲覧。
  18. ^ a b 平成27年4月12日執行 愛知県議会議員一般選挙 投票状況速報” (PDF). 愛知県選挙管理委員会 (2015年4月12日). 2019年4月7日閲覧。
  19. ^ 「海外都市との交流」(海外都市との交流)
  20. ^ 「あいちフレンドシップ交流アルバム」(あいちフレンドシップ交流アルバム)
  21. ^ a b 蚕都豊橋製糸業の発展と衰退 石川繊維資料館
  22. ^ a b c 概要と基礎データ 豊橋市
  23. ^ 『あいちの地場産業』岡崎信用金庫、2012年
  24. ^ 豊橋田原地域の農業 豊橋市
  25. ^ スマートインターチェンジの整備 豊橋市
  26. ^ とよはしネイチャースポット保全マニュアル-嵩山蛇穴・浅間神社周辺(すせのじゃあな・せんげんじんじゃし”. 豊橋市 公式ウェブサイト. 豊橋市. 2020年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月23日閲覧。
  27. ^ 嵩山蛇穴遺跡”. 豊橋市美術博物館 公式ウェブサイト. 豊橋市美術博物館. 2020年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月23日閲覧。
  28. ^ 第2章 環境の現況” (PDF). 日本の旗 日本・愛知県豊橋市: 豊橋市環境部環境政策課. p. 22 (2004年). 2020年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月23日閲覧。 - 豊橋市ホームページの「平成16年度版 とよはしの環境」から「第2章 環境の現況>第1節 自然環境>『気候、地形・地質、植物・動物 PDF 28KB』」をクリックして閲覧可能。
  29. ^ “SKE48・松井玲奈主演の地域ドラマ、第2弾制作決定”. ORICON STYLE (oricon ME). (2013年10月22日). http://www.oricon.co.jp/news/2030003/full/ 2014年3月10日閲覧。 

関連項目

映像外部リンク
豊橋市プロモーションビデオ 全編(5分)
豊橋市プロモーションビデオ トヨッキー編(30秒)
豊橋市プロモーションビデオ 太鼓編(30秒)
関連する氏族

外部リンク

行政
観光