渡辺栄一
渡辺 栄一 わたなべ えいいち | |
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生年月日 | 1918年10月11日 |
出生地 | 岐阜県美濃加茂市 |
没年月日 | 1997年6月16日(78歳没) |
出身校 |
名古屋高等商業学校卒業 (現・名古屋大学) |
前職 | 酒造業 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 | 勲一等旭日大綬章 |
親族 | 渡辺直由(長男) |
第43代 建設大臣 | |
内閣 | 第2次大平内閣 |
在任期間 | 1979年11月9日 - 1980年7月17日 |
選挙区 | 旧岐阜2区 |
当選回数 | 10回 |
在任期間 | 1963年11月22日 - 1993年6月18日 |
初-3代 美濃加茂市長 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1954年4月25日 - 1963年10月28日 |
岐阜県太田町長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1947年 - 1954年 |
渡辺 栄一(本姓:渡邉榮一[1]、わたなべ えいいち、1918年(大正7年)10月11日[2] - 1997年(平成9年)6月16日[2])は、日本の政治家、酒造家。自由民主党衆議院議員(10期)。
岐阜県美濃加茂市出身[2]。1990年(平成2年)勲一等旭日大綬章受章[2]。
来歴・人物
[編集]御代桜醸造社長・渡辺栄三郎の息子として生まれた[2]。1938年(昭和13年)名古屋高等商業学校(現・名古屋大学)卒業[1][2][3]。卒業後は家業の酒造業・御代桜に従事[2]。徴兵され陸軍主計大尉に進み除隊した[1]。
岐阜県太田町長を2期務め[1][2]、1954年からは新たに誕生した美濃加茂市の初代市長を3期務めた[1][2]。市長在任中の1963年(昭和38年)第30回衆議院議員総選挙に旧岐阜2区から自民党公認で出馬し初当選[4](当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。
以降、1990年(平成2年)第39回総選挙まで連続当選10回を重ねたが[1][2][5]、1972年の第33回総選挙では、和良村が村ぐるみで渡辺を支援した結果、村長、助役、村議会議長、村議らが選挙違反で逮捕され、村議会も自主解散に追い込まれるという事件が発生した[6]。
国会議員時代には船田中に師事し、船田派のメンバーであった。船田中が亡くなった後には竹下登率いる経世会に所属した。
第2次佐藤内閣・建設政務次官、第3次佐藤内閣・文部政務次官、衆議院建設委員長、同懲罰委員長、同決算委員長、自民党治水治山海岸対策特別委員長、同国対副委員長、同副幹事長、同総務、同経理局長、同全国組織総局長、同岐阜県連会長などを務め[1][2]、1979年11月、第2次大平内閣の建設大臣として初入閣した[1][2]。1993年(平成5年)政界引退[2]。
著作
[編集]- 『住宅と私』行政問題研究所、1982年。
親族
[編集]- 長男は元・美濃加茂市長の渡辺直由。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
関連項目
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議会 | ||
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先代 中村靖 |
衆議院決算委員長 1990年 - 1991年 |
次代 渡辺省一 |
先代 天野公義 |
衆議院懲罰委員長 1987年 - 1988年 |
次代 林大幹 |
先代 天野光晴 |
衆議院建設委員長 1976年 |
次代 北側義一 |
公職 | ||
先代 渡海元三郎 |
建設大臣 第43代:1979年 - 1980年 |
次代 斉藤滋与史 |
先代 発足 |
美濃加茂市長 初代:1954年 - 1963年 |
次代 岸東八郎 |