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初瀬音羽子

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初瀬 音羽子(はつせ おとわこ、1902年明治35年〉2月7日[1] - 1993年平成5年〉9月19日)は、宝塚少女歌劇団月組男役・元月組組長女優。本名:村田八重。旧姓:東海林[1]。出身については秋田県とするもの[2]東京府とするもの[1]がある。入団時の芸名は初瀬乙羽子(はつせ・おとわこ)[1]

この芸名は小倉百人一首の第74番:源俊賴朝臣

憂かりける 人を初瀨の 山颪よ 激しかれとは 祈らぬもの (うかりける ひとをはつせの やまおろしよ はげしかれとは いのらぬもの

から命名された。

略歴

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1918年、東京高等女学校(現・東京女子学園中学校・高等学校)卒業後に、宝塚歌劇団7期もしくは8期生として宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)に入団。

1921年? - 1928年、月組組長。

1928年、宝塚少女歌劇団を26歳で退団。

退団後、新国劇の女優・初瀬乙羽として活躍[3]

1993年9月19日逝去。享年91。

宝塚少女歌劇団時代の主な舞台出演

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  • 『膝栗毛』(1919年7月20日 - 8月31日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
  • 『燈籠嶋』『ジヤンヌ・ダルク』(1919年10月20日 - 11月30日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
  • 『魔法の種』(1920年1月1日 - 1月20日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
  • 『亂菊草紙』(1920年7月20日 - 8月31日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
  • 『雀のお宿』(1921年1月1日 - 1月20日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
  • 『邯鄲』『由良の荘忍ぶ草』(月組)(1921年9月20日 - 10月18日、公會堂劇場)
  • 『吉備津の鳴釜』(月組)(1922年1月1日 - 1月25日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
  • 『久米の仙人』『山の悲劇』(月組)(1922年7月15日 - 8月20日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
  • 『丹波與作』(月組)(1922年9月20日 - 10月24日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
  • 『夜の潮』(月組)(1923年3月20日 - 4月10日、宝塚新歌劇場(中劇場))
  • 『東天紅』『采女禮讃』『權利』(月組)(1923年5月11日 - 6月10日、宝塚新歌劇場(中劇場))
  • 『湖水の妖女』『淀殿』『浮世』(月組)(1923年8月20日 - 9月20日、宝塚新歌劇場(中劇場))
  • 『政岡の局』『褒姒』(月組)(1924年3月1日 - 3月31日、宝塚新歌劇場(中劇場))
  • 『山の悲劇』(月組)(1924年4月16日 - 4月30日、宝塚新歌劇場(中劇場))
  • 『身替音頭』(花・月・雪組)(1924年7月19日 - 9月2日、宝塚大劇場
  • 『蔦の葉』『お夏笠物狂』(月組)(1924年10月1日 - 10月31日、宝塚大劇場)
  • 『巡禮唄』(花・月・雪組)(1925年1月1日 - 1月31日、宝塚大劇場)
  • 『エレクトラ』『姉と妹』(月組)(1925年4月1日 - 4月30日、中劇場)
  • 『看板供養』『毒の花園』『野心家』(月組)(1925年7月1日 - 7月31日、宝塚大劇場)
  • 『車供養』『かぐや姫』『笑ひの似顔繪』(月組)(1925年10月1日 - 10月31日、宝塚大劇場)
  • 『花物語』『寅童子』『陽春』(月組)(1926年1月1日 - 1月31日、宝塚大劇場)
  • 『傀儡船』『平等院大臣』(月組)(1926年4月1日 - 4月30日、宝塚大劇場)
  • 『孫悟空』(月組)(1926年7月1日 - 7月31日、宝塚大劇場)
  • 『夢見懺悔品』(月組)(1926年10月1日 - 10月31日、宝塚大劇場)
  • 『兜』(月組)(1927年11月1日 - 11月30日、宝塚大劇場)
  • モン・パリ』(月組)(1928年6月1日 - 6月30日、宝塚大劇場)
  • 『お光狂亂』(月組)(1928年9月1日 - 9月30日、宝塚大劇場)

水戸黄門第7部第3話「人情喧嘩まんじゅう」おまき役

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d 藤波 1919, p. 98.
  2. ^ 『寶塚の歌劇少女』橋詰せみ郎著、新正堂書店、1923年12月5日、P.65
  3. ^ 橋本雅夫『素晴らしい宝塚歌劇―夢とロマンの85年―』阪急電鉄コミュニケーション事業部、1999年9月10日、175頁。ISBN 4-89485-013-3 

参考文献

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  • 藤波楽斎(藤波岩太郎)『歌劇と歌劇俳優』文星社、1919年7月1日。doi:10.11501/906129