宝塚歌劇団15期生
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宝塚歌劇団15期生(たからづかかげきだん15きせい)とは、1925年(大正14年)に宝塚歌劇団(当時の名称は宝塚音楽歌劇学校/宝塚少女歌劇団[注釈 1])に入団し、1926年(大正15年)に初舞台を踏んだ35人を指す[2]。
概要
[編集]初舞台の公演演目は、深雪鏡子が月組公演「寅童子」[3]で、その他は不明である。
一覧
[編集]同じ初舞台グループで分けている[2]。
芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
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御雲ひで子 | みくも ひでこ | 1929年 | 改名後は水島百合子(みずしま ゆりこ)[2] | ||||||
深雪鏡子 | みゆき きょうこ | 3月29日[4] | 1936年 |
芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
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早川和子 | はやかわ かずこ | 1928年 | 在団中に死去[5] 姉は春日花子[6] |
芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
明石みさを | あかし みさを | 1929年 | |||||||
旭光子 | あさひ みつこ | 1932年 | |||||||
吾妻千里 | あづま ちさと | 1931年 | |||||||
葛城のぼる | かつらぎ のぼる | 1929年 | 改名後は葛城たつ子(かつらぎ たつこ)[2] | ||||||
香山きみ子 | かやま きみこ | 9月25日[4] | 1936年 | ||||||
如月早苗 | きさらぎ さなえ | 1926年 | |||||||
雲間月子 | くもま つきこ | 1月15日[4] | 娘役 | 1937年 | |||||
呉服千恵子 | くれは ちえこ | 1931年 | 改名後は呉服千重子[2] | ||||||
小波鷺子 | さざなみ さぎこ | 1926年 | 改名後は小波たへ子(さざなみ たえこ)[2] | ||||||
三條絵美子 | さんじょう えみこ | 1932年 | |||||||
東雲とし子 | しののめ としこ | 1930年 | |||||||
白濱小浪 | しらはま さなみ | 1930年 | 娘は音羽滝子[7] 姉は音羽瀧子[8] 義兄は堀正旗 | ||||||
隅田蓉子 | すみだ ようこ | 1930年 | |||||||
象潟浪子 | ぞうかた なみこ | 1930年 | 改名後は美野登代子(よしの とよこ)[2] | ||||||
高山みね子 | たかやま みねこ | 1926年 | |||||||
橘薫 | たちばな かおる | 3月28日[4](1914年[9][注釈 2]) | 北海道山越郡長万部町[10] | 金健二が命名[10] | エッチン[11] | 両役 | 1939年 | シャンソン歌手、1963年[12]11月4日、胃癌により五十一歳で死去[13]、本名神谷悦子[14]。 | |
千草真砂子 | ちぐさ まさこ | 1931年 | |||||||
千鳥露子 | ちしま つゆこ | 1926年 | |||||||
渚まゆみ | なぎさ まゆみ | 大分県別府市[15] | 1930年 | ||||||
夏美初子 | なつみ はつこ | 1932年 | |||||||
葉山輝子 | はやま てるこ | 1929年 | |||||||
東千穂豊子 | ひがしちほ とよこ | 1926年 | |||||||
藤波ゆかり | ふじなみ ゆかり | 5月28日[4] | 1935年 | ||||||
美奈月黎子 | みなづき れいこ | 1929年 | |||||||
若草すみ子 | わかくさ すみこ | 1931年 | |||||||
若水幸子 | わかみず さちこ | 4月25日[4] | 兵庫県神戸市[15] | 1935年 |
芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
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曙陽子 | あけぼの ようこ | 1930年 |
芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
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繪波ひとよ | えなみ ひとよ | 1932年 |
芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
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秋津幸子 | あきつ さちこ | 1930年 | |||||||
由良うしほ | ゆら うしほ | 1930年 |
芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
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丘みどり | おか みどり | 3月30日[4] | 1936年 |
芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
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砂河水無子 | さがわ みなこ | 1932年 | 改名後は佐川みな子[2] |
ギャラリー
[編集]-
橘薫
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 90年史 2004, p. 180.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 100年史(人物) 2014, p. 12.
- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1935年3月、180号
- ^ a b c d e f g 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1933年1月、154号
- ^ 100年史(人物) 2014, p. 76.
- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1926年3月1日、72号
- ^ 80年史 1994, p. 196.
- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1929年6月1日、111号、P69
- ^ スタア1937年3月号、36頁
- ^ a b 『エスエス』、東宝発行所、1938年2月号
- ^ 90年史, p. 64.
- ^ https://kotobank.jp/word/-1672384
- ^ 週刊現代1964年11月26日号20~21頁
- ^ スタア1934年11月号、28頁
- ^ a b 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1929年1月1日、106号
参考文献
[編集]- 企画・構成・執筆:橋本雅夫 著、編集統括:北川方英 編『夢を描いて華やかに―宝塚歌劇80年史―』宝塚歌劇団、1994年9月9日。ISBN 4-924333-11-5。
- 執筆:國眼隆一 著、編集:森照実・春馬誉貴子・相井美由紀・山本久美子 編『すみれ花歳月を重ねて―宝塚歌劇90年史―』宝塚歌劇団、2004年4月1日。ISBN 4-484-04601-6。 NCID BA66869802。全国書誌番号:20613764。
- 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14601-0。