高砂松子
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高砂 松子(たかさご まつこ、本名:平松壽子[1]、旧姓:稲垣[2]、1900年(明治33年)1月17日[2] - 1961年(昭和36年)10月8日[3])は元宝塚少女歌劇団花組男役の人物である。鳥取県[2]東伯郡倉吉町(現・倉吉市)[4]。出身。妹は神代錦である[5]。初代春日花子、沖津浪子と共に『宝塚の三幅對』と呼ばれた[6]。
誰をかも 知る人に為む 高砂の 松も昔の 友なら無くに (たれをかも しるひとにせむ たかさごの まつもむかしの ともならなくに)
から命名された。
略歴
[編集]宝塚少女歌劇団時代の主な舞台
[編集]- 『アンドロクレスと獅子』(1917年3月20日 - 5月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『リザール博士』(1917年7月20日 - 8月31日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『下界』(1917年10月20日 - 11月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『鼠の引越』(1918年1月1日 - 1月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『一寸法師』『新世帶』(1918年3月20日 - 5月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『鼎法師』『お蠶祭』(1918年10月20日 - 11月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『啞女房』『鷽替』(1919年1月1日 - 1月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『こだま』『家庭敎師』(1919年3月20日 - 5月20日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『女醫者』(1919年10月20日 - 11月30日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『文福茶釜』(1920年1月1日 - 1月20日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『酒の行兼』(1920年3月20日 - 5月20日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『八犬傳』『正直者』(1920年7月20日 - 8月31日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『灰酒』(1920年10月20日 - 11月30日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『新道成寺』(1921年1月1日 - 1月20日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『隅田川』(1921年7月20日 - 8月31日、公會堂劇場)
- 『カインの殺人』『戀の老騎士』(花組)(1921年10月20日 - 11月30日、第二歌劇場)
- 『鬼酒』(花組)(1922年4月30日 - 5月31日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『牧神の戯れ』『龜山のゝ兵衛』(花組)(1922年8月1日 - 9月10日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『燈籠大臣』(花組)(1922年11月1日 - 12月1日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『清水詣』『呉服穴織』(花組)(1923年1月1日 - 1月20日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『龍井寺由來』(花組)(1923年4月11日 - 5月10日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『笛争ひ』(花組)(1923年7月10日 - 8月19日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『古柳の嘆き』(花組)(1924年1月1日 - 1月31日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『昔噺帝釋天』『學生通辯』(花組)(1924年5月1日 - 5月21日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『カチカチ山』『小さき夢』(月・花組)(1924年7月19日 - 9月2日、宝塚大劇場)
- 『瓢明神繪巻』『エミリーの嘆き』(花組)(1924年11月1日 - 11月30日、宝塚大劇場)
- 『陰雨』『かいまみ少將』(花組)(1925年6月1日 - 6月30日、宝塚大劇場)
出典
[編集]- ^ 『宝塚小夜曲』丸尾長顕著、ポプラ社、1950年2月20日
- ^ a b c 『歌劇と歌劇俳優』藤波楽斎著、文星社、1919年、P96
- ^ 「平松寿子さん(元宝塚スター高砂松子、宝友会会長)」『読売新聞』1961年10月10日、11面。
- ^ 『寳塚の歌劇少女』橋詰せみ郎著、新正堂書店、1923年12月5日、P57
- ^ 『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、29頁。ISBN 978-4-484-14601-0。
- ^ 『宝塚スター物語』丸尾長顕著、實業之日本社、1949年5月15日、P53
- ^ a b 『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、6頁。ISBN 978-4-484-14601-0。
- ^ 『宝塚スター物語』丸尾長顕著、實業之日本社、1949年5月15日、P44