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藤波洸子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤波 洸子(ふじなみ こうこ、1925年8月10日 - 1983年11月7日[1])とは元宝塚歌劇団(元花組組長)の女優滋賀県彦根市出身。東洋英和女学校出身。宝塚歌劇団時代の芸名は久松一聲が命名。宝塚時代の愛称はヤマコ。

来歴・人物

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1940年に宝塚音楽舞踊学校(現在の宝塚音楽学校)に入学し、1942年30期生として、宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は16人中3位[2]

1952年に花組組長就任し、1953年に退任。

1956年[2]に宝塚歌劇団を退団。最終出演公演の演目は花組公演『浮かれ大名/天使と山賊』[2]である。

1959年より東宝演劇部に所属[3]

1983年11月7日、翌年に控えた宝塚70周年を見ることなく58歳で死去。

映画

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  • かっぱ六銃士(1953年、東宝)- X二十八号 役
  • 蝶々夫人(1955年)- 芸者 役
  • 恋すれど恋すれど物語(1956年、東宝)- おつた 役
  • 新しい背広(1957年)- 紺野加代 役
  • 女の花道(1971年、東宝)- おりん 役

テレビドラマ

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  • 片恋(NTV、1958年10月8日)
  • 雪解け(NHK、1959年3月20日)
  • 春夏秋冬(NTV、1959年5月24日)
  • 求婚旅行(NET、1959年10月1日 - 1959年10月8日)*藤浪洸子名義
  • 華族女房(NET、1959年11月1日)
  • 共犯者CX、1960年1月2日)
  • 夫婦百景(NTV)
    • 第90回「母型女房」(1960年1月25日)
    • 第98回「小心亭主」(1960年3月21日)
    • 第101回「おせっかい亭主」(1960年4月11日)
    • 第110回「くいちがい夫婦」(1960年6月13日)
    • 第120回「家の皇后さま」(1960年8月22日)
    • 第127回「お荷物亭主」(1960年10月10日)
    • 第138回「スポンサー女房」(1960年12月26日)
    • 第153回「相惚れ夫婦」(1961年4月10日)
    • 第165回「ある旅役者夫婦」(1961年7月3日)
    • 第220回「駅弁夫婦」(1962年7月23日)
    • 第231回・第232回「女房馬鹿」(1962年10月8日 - 1962年10月15日)
    • 第346回「禁酒禁言」(1964年12月21日)
    • 第353回「H?亭主」(1966年4月26日)
  • 泥かぶら(NTV、1960年4月13日)
  • おかあさん
    • 第50回「山の灯」(KR、1960年9月29日)
    • 第72回「つむじ風」(TBS、1961年3月2日)
  • エデンの海(NTV、1962年8月30日)

脚注

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  1. ^ 藤波洸子とは-辞書辞典解説@JLogos
  2. ^ a b c 『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』監修:小林公一阪急コミュニケーションズ2014年4月1日、P38。ISBN 9784484146010
  3. ^ JLogos | 日外アソシエーツ「芸能人物事典」| 俳優 | |【藤波洸子】

関連項目

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外部リンク

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