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大浦みずき

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおうら みずき
大浦 みずき
本名 阪田 なつめ(さかた なつめ)
別名義 なつめ、ナーちゃん(愛称)
生年月日 (1956-08-29) 1956年8月29日
没年月日 (2009-11-14) 2009年11月14日(53歳没)
出生地 日本の旗 日本東京都中野区
身長 168 cm
血液型 A
職業 女優、エッセイスト、歌手
ジャンル 舞台
活動期間 1974年 - 2009年
活動内容 1974年宝塚歌劇団入団
1975年雪組に配属
1979年星組に異動
1983年:花組に異動
1988年:花組トップスター就任
1991年:宝塚歌劇団退団、以降舞台中心に活躍。
1992年:宝塚OGとして海外公演で主演を張る
2005年菊田一夫演劇賞受賞
著名な家族 阪田寛夫(父)
主な作品
舞台
ヴェネチアの紋章(1991年)
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大浦 みずき(おおうら みずき、本名:阪田なつめ1956年8月29日 - 2009年11月14日[1])は元宝塚歌劇団花組トップスターで、女優エッセイスト歌手東京都中野区出身。中野区立第八中学校卒業。愛称なつめ、ナーちゃん。公称身長168 cm。血液型A型。特技:アルゼンチンタンゴ(歌・ダンス)・ジャズ・社交ダンス。

略歴

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  • 家族は両親と姉(啓子)。父は小説家阪田寛夫
  • 小学校4年生からバレエを習っていた。初舞台は小学校4年生の12月に公演した「くるみ割り人形」の子ねずみの役。最後の舞台は高校入学試験の前日に行われた「白鳥の湖」だった[2]
  • 父が大の宝塚ファンで、小さい頃から「宝塚に入れるぞ」と小言のように言われていた。ところが、宝塚音楽学校受験を決心したところ、当初はなぜか父親から反対された。最終的に中学卒業を条件に1回だけの受験を認められ、試験に合格した[3]
  • 1974年、60期生として宝塚歌劇団に入団、『虞美人』で初舞台。入団時の成績は3番[4]。芸名は作家庄野潤三(父とは小中学校時代の同級生で、朝日放送の同僚で親交の深かった)が命名。
  • 雪組〜星組を経て花組へ。ダンスの名手として鳴らし(宝塚の「フレッド・アステア」と評される[5])、同期の磯野千尋朝香じゅん瀬川佳英幸和希安寿ミラ真矢みきらと共に当時の花組トップ高汐巴を盛り立てた。
  • しかし高汐がトップ後期の1987年に膝の半月板損傷・手術により長期休演を余儀なくされた。懸命のリハビリで故障克服、怪我以前よりダンスを磨き舞台復帰。
  • 1988年 - 1991年まで、ひびき美都を相手役に花組トップスターを務める。「(当時の)宝塚で最も高いプロ意識を持ち」[6]「ダンスの花組」と呼ばれる一時代を築いた。宝塚時代の代表作は『キス・ミー・ケイト』(1988年トップ就任作)、『会議は踊る』(1989年)、『ベルサイユのばら』(1990年、フェルゼン役)、『ヴェネチアの紋章』(1991年サヨナラ公演作)。
  • 1989年には歌劇団のニューヨーク公演でメインを張った。
  • 多くの名シーンを残したが、自身が一番好きだったものは退団後の取材によると、デュエットダンスでは『メモアール・ド・パリ』の「パッシィの館」、男役のダンスは『ショー・アップ・ショー』の「ピーターガン」、歌はオリジナルでは「心の翼」、「この世にただ一つ」、ジャズでは「Night & Day」だった(このうちの多くがサヨナラショーで再現された)[7]
  • 宝塚退団後も舞台を中心に女優(主に脇役や男性主役の相手役)として、又ダンス公演でも活躍。また退団後の1992年のニューヨーク公演では海外公演で初の"メインが(現役生徒でなく)歌劇団卒業生"という異例の大役を任ぜられたが、現役時代と遜色ないステージをこなした。
  • 2009年11月14日7時、肺がんのため東京都内の病院で死去。53歳没[1]。前年より「胸膜炎のため」(所属事務所等の発表)として出演予定の舞台を降板し、2010年早々からの仕事復帰を期して療養中のさなか帰らぬ人となった[1]。12月2日のお別れの会では、共演者、OGの峰さを理平みち杜けあき一路真輝麻路さき稔幸湖月わたるなどの元トップスターも参列し、ファンら計約3000名が駆け付けた。私生活は独身を通した。
  • 一周忌の2010年11月に、都内のホテルで「大浦みずきさんを偲ぶ会」が開催され、実姉・内藤啓子(父・阪田寛夫の秘書を経て、大浦みずき事務所代表取締役)による書き下ろし回想エッセイ『赤毛のなっちゅん‐宝塚を愛し、舞台に生きた妹・大浦みずきに』(中央公論新社)が上梓された。
  • 2014年、宝塚歌劇団100周年を記念して設立された宝塚歌劇の殿堂の最初の100人のひとりとして殿堂入り[8][9]。殿堂入りしたタカラジェンヌの中で、大浦は4番目の若さで没している[注釈 1]

お別れの会に寄せられた芳志について

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  • お別れの会に寄せられた芳志の一部が以下の活動、団体に寄付された(大浦が生前参加したことのある活動、病が癒えたらチャリティしたいと希望していた団体)。
  • LAFFOO(ラフー)-Let's act for the future of Ourselves!-(アジアの子供たちの教育と生活向上を支援する活動)
    • LAFFOO(ラフー)に寄付された芳志で、2011年1月、プノンペン市の孤児院の多目的ホールが設立されることが決定した[10]。ついで7月、その多目的ホールが完成した[11]
  • ユニセフ
  • 財団法人対馬丸記念会 対馬丸記念館

受賞歴

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宝塚歌劇団在団中

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  • 1979年 年度賞<総合新人賞>
  • 1980年 年度賞<努力賞>
  • 1981年 年度賞<努力賞(ダンス)>
  • 1982年 年度賞<努力賞>
  • 1983年 年度賞<優秀賞>
  • 1986年 年度賞<団体賞>(『ショー・アップ・ショー』の「ビート・ラプソディ」のメンバーとして)
  • 1988年 月刊「ミュージカル」ベストテン<タレント部門(男女混合)>第5位(『キス・ミー・ケイト』での演技に対して)
  • 1989年 年度賞<特別賞>
  • 1990年 年度賞<団体賞>(『ザ・フラッシュ!』の「ダンシング・オン・ザ・ベニーグッドマン」のメンバーとして)

退団後

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  • 第13回日本映画批評家大賞 ミュージカル大賞:「イーストウイックの魔女たち」
  • 第30回菊田一夫演劇賞:「ナイン THE MUSICAL」(TPT)のリリアン・ラ・フルール役、「NEVER GONNA DANCE」(フジテレビ)のメイベル・プリット役の演技に対して
  • 第13回読売演劇大賞優秀女優賞:「ナイン THE MUSICAL」(TPT)のリリアン・ラ・フルール役、「カルテット」(TPT)のメルトイユ役の演技に対して

宝塚歌劇団時代の主な舞台

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1974年

1975年

1978年

  • 10月〜11月 中南米公演『ザ・タカラヅカ』に参加

1979年

1980年

  • 4月 『恋の冒険者たち』- ブライアン、新人公演:クリス(本役:瀬戸内美八)
  • 6月 『虹の橋-ある騎士の物語-』(宝塚バウホール)- ハンス(バウ初主演)
  • 9月 『響け!わが歌』- 右近、新人公演:伊賀小四郎(本役:瀬戸内美八)
  • 10月〜11月 『アナトール』(宝塚バウホール)- アナトール

1981年

1982年

  • 1月〜2月 『魅惑』- (「音のスパークル」のショーのワンシーンで)青年
  • 6月〜8月 『ザ・ストーム』- 風の青年ほか
  • 12月 第2回東南アジア公演『ジャパン・ファンタジー』/『タカラヅカ・ドリーム』に2番手格で参加

1983年

  • 3月 花組に組替え
  • 4月 『オルフェウスの窓 -イザーク編-』(東京)- ダーヴィト (東京公演のみ)新人公演:クラウス(本役:榛名由梨)
  • 8月 『マイ・シャイニング・アワー』(宝塚バウホール)- Mr.ナツメ、オープン・アームスの歌手
  • 9月〜11月 『紅葉愁情』- 雪丸。『メイフラワー』- ロバート・トロンプ
  • 11月〜12月 『アンダーライン』(宝塚バウホール)- レナード・バレル

1984年

1985年

1986年

1987年

1988年

1989年

1990年

1991年

宝塚歌劇団退団後の主な舞台

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  • 『TAKARAZUKA 夢』(1992年)
  • 『ザ・シンギング』(1994年)*主演 - メアリ 役
  • 『シーソー』(1994年) *主演
  • 『リトル・ミー』(1995年) *主演
  • 『女中たち』(1995年)
  • 『花粉熱』(1996年3月 博品館劇場
  • 蜘蛛女のキス』(1996年) - マルタ 役
  • 『JERRY'S GIRLS』(1997年)
  • GALAXY EXPRESS 999』(1997年) - メーテル 役
  • レ・ミゼラブル』(1999年) - ティナルディエの妻
  • 『ワルツが聞こえる?』(1999年) *主演
  • 『レミング』(2000年)
  • 三文オペラ』(2001年) - ピーチャム夫人 役
  • 『絹 SETA』(2001年) - マーサ 役
  • 『マレーネ』(2002年) *主演
  • ミュージカルショー『ボーダーレスII ガーディアンエンジェルス』(2003年2月 博品館劇場)
  • イーストウィックの魔女たち』(2003年・2008年) - フェリシア 役
  • 『時間ト部屋』(2003年)
  • 『ナイン THE MUSICAL』(2004年) - リリアン 役
  • 『千年の三姉妹』(2004年)
  • 『NEVER GONNA DANCE』(2005年)
  • 『スウィングボーイズ』(2005年)
  • 『道成寺-近代能楽堂-』(2005年)
  • 『カルテット』(2005年)
  • 『椅子の上の猫』(2005年)
  • 『ミュージカル・ピッピ』(2006年)
  • 民衆の敵』(2006年) - スドウトモコ博士 役
  • 『母アンナフィアリングとその子供たち』(2007年) - アンナ 役
  • 『TANGO 2008 アラベスク』(2008年)
  • 『帰り花』(2008年) - 吉田松陰

映画

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テレビ番組

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ディスコグラフィ

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シングル

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# 発売日 タイトル c/w 規格 規格品番
NECアベニュー
1st 1993年9月21日 MY LOVE 8cmCD NADL-1062
2nd 1994年7月21日 サヨナラ美人 忘れられない 8cmCD NADL-1086

アルバム

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オリジナルアルバム

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発売日 タイトル 規格 規格品番
NECアベニュー
1st 1993年10月21日 MY LOVE CD NACL-1128
2nd 1994年8月21日 …and one CD NACL-1162
  • Party is Over(CD) TMPC-117A 退団記念アルバム
  • Night and Day TMP1105(LP) TMPC-108A(CD)
    • 収録曲
    • 01:Granada
    • 02:A Song For You
    • 03:Up Where We Belong
    • 04:Night And Day
    • 05:New York State Of Mind
    • 06:No More Lonely Night
    • 07:I've Got You Under My Skin
    • 08:So In Love(CDのみ)
    • 09:この世にただひとつ
    • 10:虹を追って
    • 11:レナードのテーマ
    • 12:ミス・マッチ
    • 13:フレッド・アステアのように・・・
    • 14:愛は生死を越えて 

参加作品

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  • 越路吹雪 トリビュートアルバム(CD) TOCT-24191B

ライブアルバム

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発売日 タイトル 規格 規格品番
NECアベニュー
1st 1995年3月21日 ウインドフィッシュツアー'94ライブ CD NACL-1176/7
日本クラウン
大浦みずき&タンゴアンサンブル 名義
2nd 1999年10月21日 3001年へのプレリュード CD CRCP-20233

カヴァーアルバム

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発売日 タイトル 規格 規格品番
日本クラウン
大浦みずき&タンゴアンサンブル 名義
1st 1998年6月5日 Che Tango CD CRCP-20180

著書

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  • 『夢・宝塚』(1991年6月、小学館ISBN 978-4093633710
  • 『なつめでごじゃいます!』(1993年7月、小学館)ISBN 978-4093633727
  • 『Mizuki@mail.宝塚/jp』(1999年11月、小学館)ISBN 978-4094036817
  • 『と・て・ち・て・た』(1999年11月、アスペクトISBN 978-4757205826
  • 『バック・ステージDIARY』(2002年8月、小学館)ISBN 978-4093633765

脚注

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脚注

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  1. ^ これより没年が若いのは園井恵子(32歳没)、佐保美代子(41歳没)、轟夕起子(49歳没)の3人である。
  2. ^ 休演時の代役は宝塚が瀬川佳英、東京が朝香じゅん。

出典

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  1. ^ a b c "元宝塚花組トップスター・大浦みずきさんが肺がんで死去". ORICON NEWS. 2009年11月16日. 2024年1月3日閲覧
  2. ^ 大浦みずき『夢✴︎宝塚』小学館、1991年7月20日、12,16頁。ISBN 4-09-363371-1 
  3. ^ 大浦みずき『夢✴︎宝塚』小学館、1991年7月20日、12,13,14頁。ISBN 4-09-363371-1 
  4. ^ 小林公一・監修『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、P.86
  5. ^ 岸香織、「大浦みずきさん:女優:肺がんのため11月14日死去・53歳」『毎日新聞』、2009年12月16日、13版、27面
  6. ^ 宇佐見正(元朝日新聞編集委員、宝塚担当記者)「プロ意識とユーモア(大浦みずきに贈る言葉)」(「宝塚グラフ」1991年11月号、P.40)
  7. ^ 桜木星子 (2001年10月16日). “大浦みずきさんに聞きました!(2ページ目)”. All About. オールアバウト. 2011年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月閲覧。
  8. ^ 村上久美子 (2014年1月11日). “宝塚が八千草薫ら殿堂100人を発表”. 日刊スポーツ. https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140111-1242409.html 2023年7月23日閲覧。 
  9. ^ 『宝塚歌劇 華麗なる100年』朝日新聞出版、2014年3月30日、134頁。ISBN 978-4-02-331289-0 
  10. ^ LAFFOOオフィシャルブログ「ご報告:大浦みずき記念基金設立」
  11. ^ LAFFOOオフィシャルブログ「ご報告:カンボジアの孤児院の多目的ルーム完成」

外部リンク

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