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鳳八千代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおとり やちよ
鳳 八千代
本名 西尾 季佐子[1]
別名義 鳳 八千世(旧芸名)
生年月日 (1933-04-21) 1933年4月21日(91歳)
出生地 日本の旗 日本東京都
職業 女優声優
活動期間 1950年 -
活動内容 映画、テレビドラマ、舞台
著名な家族 朝風みどり(妹)[2]
受賞
第32回文化庁芸術祭賞優秀賞(1978年
第9回日本映画批評家大賞ゴールデン・グローリー賞(2000年
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鳳 八千代(おおとり やちよ、1933年4月21日[1][3] - )は、日本の女優。東京都出身[1]宝塚歌劇団出身(1950年入団、1958年退団)。宝塚歌劇団37期生。旧芸名は鳳八千世。妹は女優の朝風みどり[2]

来歴

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1950年埼玉県立越ヶ谷高等学校を中退して宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は43人中5位[4]。配属組[4]は最初月組で、その後、花組である。宝塚歌劇団在団中は主演娘役として活躍し、1955年花組の舞台『キスメット』(相手役のトップスターは春日野八千代)はカラーフィルムが現存する。1958年3月31日[4]をもって、宝塚を退団。最終出演公演の演目は花組公演『赤と黒』である[4]

宝塚退団後は松竹に入社し映画に出演[3]。その後、吉田史子事務所[1]劇団欅[1]劇団昴に所属し[1]新劇の舞台でも活躍した。テレビドラマへの出演も多数ある。

現代演劇協会の理事長である福田恆存は、イプセン生誕150周年に当たる1978年に『ヘッダ・ガーブラー』を上演の後[5]、鳳の評価を次のように述べている。

が、私は最初から鳳の役者としての資質を高く買つてゐる。せりふの良し悪しや文体を読み分け、それを表現し得る能力を持ち、しかも日本には、殊に映画や商業演劇出身には固より新劇にも珍しく自分を殺して役に成り切らうと努力する役者は珍しい。ブリッヂ(ヘッダ)も出来れば貝合はせ(お蔦)も出来る。正に醒めて踊れる名優である。 — 二つのヘッダ・ガーブラー[6]

2014年、古巣・宝塚歌劇団100周年記念で創設された『宝塚歌劇の殿堂』最初の100人のひとりとして殿堂入り。

エピソード

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映画『蝶々夫人』ではイタリアでの撮影のため、1954年10月2日、鳳と東郷晴子伊吹友木子淀かほる梓真弓筑紫まり朝日奈世志子ら当時の宝塚歌劇団生徒約30名が羽田空港からイタリアへ出発。ローマで先にイタリア入りしていた八千草薫(蝶々さん役)、寿美花代と合流している。鳳ら生徒一行がローマ空港に到着した模様や映画撮影中の模様を伝えるニュースフィルム(モノクロ)が現存する。そして、全撮影を終え、同年11月12日午後10時、羽田空港着のエールフランス機で鳳ら一団は約40日ぶりに帰国した。当時はまだ海外渡航自由化の遥か前で、大変貴重なヨーロッパ行きとなった。映画制作費は当時の約2億円。

出演作品

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舞台

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宝塚歌劇団時代

  • 黄金の河(花組、1954年7月1日 - 7月30日、宝塚大劇場
  • 君の名は(ワルシャワの恋の物語)(星組、1954年12月1日 - 12月27日、宝塚大劇場)
  • キスメット-運命-(花組、1955年8月2日 - 8月30日、宝塚大劇場)
  • 天使と山賊(花組、1956年11月1日 - 11月29日、宝塚大劇場)
  • メリー・ウイドウ(花組、1957年1月1日 - 1月29日、宝塚大劇場)
  • 船遊女(月組、1957年6月1日 - 6月30日、宝塚大劇場)

宝塚歌劇団退団後

映画

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  • 鞍馬天狗 疾風八百八町(1954年)
  • 右門捕物帖 まぼろし変化(1954年)
  • 旗本やくざ(1955年)
  • 蝶々夫人 Madama Butterfly (監督:カルミネ・ガローネCarmine Gallone)。リッツォーリ・フィルム、ガローネ・プロ、東宝によるイタリア&日本合作映画。プッチーニ原作の世界的に有名な同名オペラをそのまま映画のセットで表現した忠実な映画化。撮影は全てローマチネチッタCinecittà)で行われ、鳳も渡伊した。1955年)
  • 女の学校(1955年)
  • 新諸国物語 オテナの塔 前篇(1955年)
  • 新諸国物語 オテナの塔 後篇(1955年)
  • 眼の壁(1958年) - DVD発売。松本清張原作
  • 妻恋道中(1958年)
  • 愛の濃淡(1959年)
  • がんばり娘(1959年) 
  • 月見草(1959年)
  • わかれ(1959年)
  • 手さぐりの青春(1959年)
  • 激闘 (1959年)
  • 正々堂々(1959年)
  • 乾いた湖(1960年)
  • 恋の片道切符(1960年)
  • 野火を斬る兄弟(1960年)
  • 緋ぼたん浪人(1960年)
  • 予科練物語 紺碧の空遠く(1960年)
  • 晴小袖(1961年)
  • 快人黄色い手袋(1961年)
  • 豪快千両槍(1961年)
  • 恋の画集(1961年)
  • 霧と影(1961年)
  • 女系家族 (1963年) - 次女・千寿 DVD発売
  • 八州遊侠伝 男の盃(1963年)
  • 雲切獄門帖(1963年)
  • 関の弥太っぺ(1963年)
  • 愛は惜しみなく(1968年)
  • 男じゃないか 闘志満々(1973年)
  • 神田川(1974年) 
  • 樺太1945年夏 氷雪の門(1974年) - DVD発売
  • 北の宿から(1976年)
  • 走れジュリー(1989年)

テレビドラマ

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吹き替え

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洋画

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海外ドラマ

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テレビ番組

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 「新劇俳優名鑑」『新劇便覧1984』テアトロ、1983年、末95 - 96頁。 
  2. ^ a b 『映画情報』11月号、国際情報社、1960年。 
  3. ^ a b 『タレント名鑑NO2』芸能春秋社、1963年、122頁。 
  4. ^ a b c d 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ2014年4月1日、47頁。ISBN 9784484146010
  5. ^ 『ヘッダ・ガーブラー』 昴No.10 – 現代演劇協会 デジタルアーカイヴ”. onceuponatimedarts.com. 2021年6月22日閲覧。
  6. ^ 福田恆存 せりふと動き、玉川大学出版部、1979年、pp.122-123。

関連項目

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