筑紫まり
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つくし まり 筑紫 まり | |
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本名 | 松原淳子 |
別名義 | 相良 智代 |
生年月日 | 1926年6月7日 |
没年月日 | 1988年10月30日(62歳没) |
出生地 | 日本・熊本県人吉市 |
国籍 | 日本 |
配偶者 | 松原貞夫 |
筑紫 まり(つくし まり、1926年6月7日 - 1988年10月30日)とは元宝塚歌劇団月組トップ娘役の人物である。舞踊家・松原貞夫の妻。六本木で歌える店『まり』を経営した。熊本県人吉市出身。本名は松原淳子[1]。宝塚歌劇団時代の愛称はジュンちゃん。入団時の芸名は相良 智代(さがら ともよ)。
来歴・人物
[編集]1945年、33期生として、宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は13人中4位[2]。
1959年2月28日付[2]で、宝塚歌劇団を退団。最終出演公演の演目[2]は雪組公演『秋の踊り (日本の旋律)/戯れに恋はすまじ』である。
宝塚歌劇団時代の主な舞台出演
[編集]- 『雨』(月組)(1951年1月1日 - 1月30日、宝塚大劇場)
- 『蜜蜂の冒険』『春のおどり』(月組)(1951年5月1日 - 5月30日、宝塚大劇場)
- 『アンニー・ローリー』(月組)(1953年12月2日 - 12月28日、宝塚大劇場)
- 『サッカ・ローラ』(月組)(1954年6月1日 - 6月29日、宝塚大劇場)
- 『紅孔雀』(月組)(1955年5月1日 - 5月31日、宝塚大劇場)
- 『虹に歌えば』(月組)(1955年9月1日 - 9月29日、宝塚大劇場)
- 『インディアン・ラヴ・コール』(月組)(1956年8月1日 - 8月30日、宝塚大劇場)
- 『源氏物語』(月組)(1957年3月1日 - 3月25日、宝塚大劇場)
- 『マンハッタン物語』(月組)(1957年6月1日 - 6月30日、宝塚大劇場)
- 『夏と祭り』『ハワイ・コールス』(星組)(1957年7月2日 - 7月30日、宝塚大劇場)
- 『秋の踊り(日本の旋律)』『戯れに恋はすまじ』(雪組)(1958年11月1日 - 11月30日、宝塚大劇場)
主な映画出演
[編集]- 『娘十八お転婆時代』(1952年、東宝)*特別出演
- 『忍術罷り通る』(1953年、東宝)
- 『蝶々夫人』(1955年)
- 『疾風の晴太郎』(1955年、東宝)- 小松屋おゆう 役
- 『男の花道』(1956年、東宝)
主なドラマ出演
[編集]- 『新・三等重役』(1959年11月5日~1960年10月27日、NET)
- 『青春の言葉』(1964年12月3日~1965年1月21日、日本テレビ)[3]
- 『あね、いもうと』(1966年3月31日、NHK)
出典
[編集]- ^ a b 『現代物故者事典 1988~1990』(日外アソシエーツ、1993年)p.414
- ^ a b c d 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』、阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、P41。ISBN 9784484146010
- ^ 高野昭二『株式会社宝塚映画製作所 宝塚映像株式会社 作品譜』、宝塚映画製作所OB会有志、2010年11月1日、P39