有明月子 (初代)
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初代有明 月子(ありあけ つきこ、1905年〈明治38年〉12月18日[1] - 没年不明)は、元宝塚少女歌劇団月組主演娘役クラスの人物である。男役も経験した。大阪府[1]大阪市北区中津出身[2]。本名・横沢夏子[3][4]、旧姓・福井[5]。夫は元プロ野球監督、プロ野球選手の横沢三郎の兄[3]。
今來むと 言ひし許りに 長月の 有明の月を 待ち出でつる哉 (いまこむと いひしばかりに ながつきの ありあけのつきを まちいでつるかな)
から命名された。
略歴
[編集]1918年(大正7年)、7期もしくは8期生として、宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)に入団。
1926年(大正15年)6月9日、宝塚歌劇団を20歳で退団。
1928年(昭和3年)、宝塚歌劇団に22歳で復帰。雪組に配属される。
1931年、宝塚歌劇団を退団。
宝塚歌劇団時代の主な舞台出演
[編集]- 『日の御子』(月組)(1922年1月1日 - 1月25日、宝塚新歌劇場(公会堂劇場))
- 『春の流れ』『鼻の詩人』『酒茶問答』(月組)(1922年3月15日 - 4月30日、宝塚新歌劇場(公会堂劇場))
- 『金の羽』『瓜盗人』(月組)(1922年7月15日 - 8月20日、宝塚新歌劇場(公会堂劇場))
- 『ラッサの女王』(月組)(1922年9月20日 - 10月24日、宝塚新歌劇場(公会堂劇場))
- 『吉例三番叟』『琵琶記』(月組)(1923年3月20日 - 4月10日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『死の勝利』(月組)(1923年5月11日 - 6月10日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『桶祝言』(月組)(1923年8月20日 - 9月20日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『天狗草紙』『角移し』(月組)(1923年10月25日 - 11月30日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『月下氷人』(月組)(1924年3月2日 - 3月31日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『山の悲劇』(月組)(1924年4月16日 - 4月30日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『女郎蜘蛛』(月・花組)(1924年7月19日 - 9月2日、宝塚大劇場)
- 『フルスピード』(月組)(1924年10月1日 - 10月31日、宝塚大劇場)
- 『巡禮唄』(月・花・雪組)(1925年1月1日 - 1月31日、宝塚大劇場)
- 『武藏野内裏』『幻』『神楽狐』(雪組)(1926年2月1日 - 2月28日、宝塚大劇場)
- 『お菊物語』(雪組)(1928年10月1日 - 10月31日、宝塚大劇場)
- 『草摺引』『吃又』『春のをどり』(雪組)(1929年5月1日 - 5月31日、宝塚大劇場)
- 『光源氏旅日記』(雪組)(1929年8月1日 - 8月31日、宝塚大劇場)
- 『千姫』(雪組)(1929年11月1日 - 11月30日、宝塚大劇場)
- 『浪速膝栗毛』(雪組)(1930年3月1日 - 3月31日、宝塚大劇場)
- 『新家庭風景』『五月雨双紙』『シャクンタラ姫』(雪組)(1930年6月1日 - 6月30日、宝塚大劇場)
- 『百萬圓』『じゃがたら文』(雪組)(1930年9月1日 - 9月30日、宝塚大劇場)
- 『羅久女』(雪組)(1930年12月1日 - 12月28日、中劇場)
- 『ミス・上海』(雪組)(1931年5月1日 - 5月31日、宝塚大劇場)
- 『明治から昭和』『壺の小町』『ローズ・パリ』(雪組)(1931年8月1日 - 8月31日、宝塚大劇場)
脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 河原蓬『寳塚歌劇少女の生活』育文館書店、1922年11月25日。doi:10.11501/911938。
- 藤波楽斎(藤波岩太郎)『歌劇と歌劇俳優』文星社、1919年7月1日。doi:10.11501/906129。