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* [[はぐれ刑事]] 第13話「冬よ せめて美しくあれ」(1975年、NTV / [[国際放映]])
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*[[伝七捕物帳]] 第83話 「母と名乗れぬ忍ぶ草」 (1975年、NTV)- おきん
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* [[古谷一行の金田一耕助シリーズ#横溝正史シリーズI・II|横溝正史シリーズII]] / [[夜歩く]](1978年、MBS / 東宝) - 古神お柳 役
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* [[土曜ドラマ (NHK)|土曜ドラマ]] / [[一年半待て#1978年版|松本清張シリーズ・一年半待て]](1978年、NHK) - 高森たき子 役
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* [[ゆうひが丘の総理大臣]](1979年、NTV / [[ユニオン映画]]) - しずえ 役
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2021年4月18日 (日) 10:44時点における版

みなかぜ ようこ
南風洋子
南風洋子
1956年
本名 若杉洋子
生年月日 (1930-01-22) 1930年1月22日
没年月日 (2007-08-19) 2007年8月19日(77歳没)
出生地 日本の旗 日本・兵庫県神戸市
死没地 日本の旗 日本・神奈川県横浜市鶴見区
配偶者 若杉光夫
著名な家族 若杉民
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南風 洋子(みなかぜ ようこ、本名:若杉 洋子(わかすぎ ひろこ)、1930年1月22日 - 2007年8月19日)は、日本の女優。劇団民藝に所属していた。兵庫県神戸市出身。夫は映画監督演出家若杉光夫。娘は女優の若杉民。元宝塚月組のさつきりせ(五月梨世、尾上五月)は遠縁にあたる。

来歴・人物

戦後、満州から引揚者となって神戸に引揚げてきた後に、学生演劇に熱中していたおり、関西学院劇研の顧問をしていた宝塚歌劇団の演出家・堀正旗に勧められて、兵庫県立第一神戸高等女学校(当時。現在の兵庫県立神戸高等学校)卒業後の1948年宝塚音楽学校に入学して、翌年に宝塚歌劇団に入団[1]宝塚歌劇団36期生。宝塚入団時の成績は首席[2]。同期生の有馬稲子とコンビを組んで男役スターとして人気を博したが、1953年3月25日[2]に退団。在団中の愛称ノロ(ちゃん)。

退団後は新東宝と契約。1959年宇野重吉のすすめで劇団民藝に入団。以後も舞台、映画、テレビなどで活躍した。1985年紀伊國屋演劇賞1995年菊田一夫演劇賞受賞。

2007年8月19日、膵臓癌のため横浜市鶴見区の病院で死去。享年77。戒名は南風院光室智洋大姉。

出演

テレビドラマ

映画

舞台

  • 奇蹟の人(ケイト・ケラー)
  • オットーと呼ばれる日本人(瀬川夫人)
  • にんじん(ルピック夫人)
  • 林の中のナポリ
  • 巨匠(女教師)
  • 放浪記(1990年・1996年) - 日夏京子 役

テレビアニメ

脚注

  1. ^ 南風洋子 『涙を真珠にかえて…』新日本出版社、2007年、24-26頁
  2. ^ a b 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ2014年4月1日、45-46頁。ISBN 9784484146010