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天野香久子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

天野 香久子(あまの かくこ、本名:奥村こと子[1]1904年〈明治37年〉3月7日[1][2] - 没年不明)は元宝塚少女歌劇団花組主演男役クラスの人物。大阪府大阪市東区(現・中央区玉造出身[3]。特技はダンス[1]。在団中は天才的なバレリーナといわれていた[4]

芸名は小倉百人一首の第2番:持統天皇

春過ぎて 夏來にけらし 白妙の 衣乾すてふ 天香具山 (はるすぎて なつきにけらし しろたへの ころもほすてふ あまのかぐやま)

から命名された。

略歴

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  • 1927年(昭和2年)6月頃、宝塚少女歌劇団を23歳で退団。

エピソード

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「血染めの舞踏靴(トウシューズ)」という、天野香久子にまつわる話がある[4]

天野が在団中には立派なトウシューズはまだ無く、直ぐに折れそうな粗悪なトゥシューズしかなかった。けれども、天野は平気でその粗悪で危険なトウシューズを履いて日夜猛練習を重ねていたために、いつも足の爪が破れて、真っ赤な血が粗悪で危険な白色のトウシューズをどろどろに彩っていた。天野がトウシューズで歩いたあとは血で床に印がついたという[5]

宝塚少女歌劇団時代の主な出演

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  • 『罰』(1920年3月20日 - 5月20日、宝塚新歌劇場公會堂劇場〉)
  • 『ネヴヰーライフ』(第一部)(1921年7月20日 - 8月31日、宝塚新歌劇場〈公會堂劇場〉)
  • 『盲目と僧』(花組)(1922年8月1日 - 9月10日、宝塚新歌劇場〈公會堂劇場〉)
  • 『すくなびこな』『龍井寺由來』(花組)(1923年4月11日 - 5月10日、宝塚新歌劇場〈中劇場〉)
  • 『マルチンの望』(花組)(1923年9月25日 - 10月24日、宝塚新歌劇場〈中劇場〉)
  • 『諧謔』(花組)(1924年5月1日 - 5月21日、宝塚新歌劇場〈中劇場〉)
  • 『鼎法師』(花組)(1924年11月1日 - 11月30日、宝塚大劇場
  • 『阿含焔』『鐘曳』(花組)(1925年2月1日 - 2月28日、宝塚大劇場)
  • 『二人袴』(花組)(1925年12月1日 - 12月28日、宝塚大劇場)
  • 『幻』『煙草から』(花組)(1926年3月1日 - 3月31日、宝塚大劇場)
  • 『起居舞』(花組)(1926年5月1日 - 5月31日、宝塚大劇場)
  • 『殿様落ちた』『眞夏の夜の夢』(花組)(1926年9月1日 - 9月30日、宝塚大劇場)
  • 『篁詫狀文』『慈光』(花組)(1927年3月1日 - 3月31日、宝塚大劇場)

出典

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  1. ^ a b c 藤山 1920, p. 144.
  2. ^ 藤波 1919, p. 97.
  3. ^ 『寶塚の歌劇少女』橋詰せみ郎著、新正堂書店、1923年12月5日、p. 61
  4. ^ a b 丸尾 1950, p. 71.
  5. ^ 丸尾 1950, p. 72.

参考文献

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