西茨町
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西茨町 | |
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西茨町信号(押しボタン式) | |
北緯35度13分5.7秒 東経137度5分57.7秒 / 北緯35.218250度 東経137.099361度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 瀬戸市 |
地区[1] | 陶原連区 |
町名制定[2] | 1942年(昭和17年)1月9日 |
面積 | |
• 合計 | 0.272099032 km2 |
標高 | 131.4 m |
人口 | |
• 合計 | 472人 |
• 密度 | 1,700人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
489-0884[6] |
市外局番 | 0561(瀬戸MA)[7] |
ナンバープレート | 尾張小牧 |
西茨町(にしいばらちょう)は、愛知県瀬戸市陶原連区の町名。丁番を持たない単独町名である。
地理
[編集]- 瀬戸市の中央部に位置する[8]。西を東権現町、北を幸町・銀杏木町・陶栄町、東を東茨町・萩殿町、南を萩山台・原山台と隣接している[8]。
- 北部は住宅や商店が混在し、南部は丘陵地で南公園や市文化センターが整備されている[8]。
河川
[編集]学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]。また、公立高等学校普通科に通う場合の学区は以下の通りとなる[10]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
全域 | 瀬戸市立陶原小学校 | 瀬戸市立水無瀬中学校 | 尾張学区 |
歴史
[編集]町名の由来
[編集]明治時代、瀬戸南部の砂防大工事の際、この地にはバラ、アカシヤ等とげのある植物が群生していたことから茨町と呼ばれるようになり、その西方にあたるので西茨町と名づけられたと推察される[11]。
沿革
[編集]- 1942年(昭和17年)1月9日 - 瀬戸市大字瀬戸字西茨・東犬塚の各一部により、同市西茨町として成立[2]。
- 1982年(昭和57年)3月1日 - 萩殿町の一部を編入[12]。
- 1985年(昭和60年)3月25日 - 町域の一部を原山台8丁目に編入[13]。
世帯数と人口
[編集]2024年(令和6年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[5]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
西茨町 | 224世帯 | 472人 |
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移
1995年(平成7年) | 442人 | [14] | |
2000年(平成12年) | 370人 | [15] | |
2005年(平成17年) | 516人 | [16] | |
2010年(平成22年) | 534人 | [17] | |
2015年(平成27年) | 499人 | [18] | |
2020年(令和2年) | 481人 | [19] |
世帯数の変遷
[編集]国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 177世帯 | [14] | |
2000年(平成12年) | 149世帯 | [15] | |
2005年(平成17年) | 218世帯 | [16] | |
2010年(平成22年) | 207世帯 | [17] | |
2015年(平成27年) | 198世帯 | [18] | |
2020年(令和2年) | 193世帯 | [19] |
交通
[編集]鉄道
[編集]町内に鉄道は走っていない。最寄り駅は名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅になる。
バス
[編集]- 瀬戸駅前 - 瀬戸口駅 - 山口駅 - サンヒル上之山 - 八草駅 系統 : 文化センターバス停
道路
[編集]愛知県道57号瀬戸大府東海線 : 町の北部から西部に向かって通っている。
施設
[編集]- 瀬戸市文化センター[8] : 文化ホール、文化交流館、瀬戸市美術館の3棟からなる瀬戸市の文化の発信拠点施設[20]。
- 愛知朝鮮第七初級学校 : 1946年(昭和21年)に朝鮮人連盟瀬戸学院として創立。学校法人愛知朝鮮学園が運営[21]。
- 旧・産業技術総合研究所中部センター瀬戸サイト[8] : 1932年(昭和7年)に瀬戸市立窯業試験場として設立し、2001年(平成13年)に現名称になった[22]。陶磁器研究や人材育成に大きな業績を残してきたが、2012年(平成24年)に閉所[22]。閉所後は瀬戸市が国から土地の譲与を受けて以降、活用法を議論してきたが、跡地を含む市有地を住宅や店舗などに用途を限った制限付き一般競争入札で売却することになった[23]。
- せとあかり工房 : 創業95年の歴史ある工房[24]。特有の色味と質感をもつ和紙と瀬戸焼陶を使ったランプシェード作りが体験できる[24]。
- 瀬戸南公園[8] : 瀬戸市文化センターや瀬戸市美術館、瀬戸南公園グラウンド等を有する都市公園。
その他
[編集]町名としての西茨町の茨の字は、正式には下の部分が「次」の字のように書く茨󠄀である[注釈 2]。
日本郵便
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “町丁名一覧【連区別】” (PDF). 瀬戸市 (2023年11月2日). 2024年1月27日閲覧。
- ^ a b 瀬戸市 1942.
- ^ “愛知県瀬戸市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2021年6月21日閲覧。
- ^ “瀬戸市の標高&海抜”. 標高海抜ナビ (2018年). 2022年10月2日閲覧。
- ^ a b “人口と世帯 令和6年1月1日現在” (PDF). 瀬戸市 (2024年1月27日). 2024年1月27日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2021年6月21日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2021年6月21日閲覧。
- ^ a b c d e f 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1702.
- ^ “町名別通学学校名一覧” (PDF). 瀬戸市 (2023年9月16日). 2024年1月27日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2021年6月19日閲覧。
- ^ “茨町 - Setopedia”. 瀬戸市 (2016年11月28日). 2021年6月21日閲覧。
- ^ 瀬戸市 1982.
- ^ 瀬戸市 1985.
- ^ a b 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2021年6月20日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2021年6月20日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2021年6月20日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2021年6月20日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2021年6月20日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2022年2月10日). “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 2022年4月29日閲覧。
- ^ “瀬戸市文化センター”. 瀬戸市文化振興財団. 2021年9月12日閲覧。
- ^ “愛知朝鮮第7初級学校 - Setopedia”. 瀬戸市 (2015年4月6日). 2021年8月16日閲覧。
- ^ a b “産業技術創造研究所中部センター瀬戸サイト - Setopedia”. 瀬戸市 (2015年4月6日). 2022年1月10日閲覧。
- ^ “旧瀬戸サイト跡地、売却へ 民間での有効活用目指す - 中日新聞web”. 中日新聞社 (2023年12月28日). 2024年1月27日閲覧。
- ^ a b “せとあかり工房 - せと・まるっとミュージアム”. 瀬戸市観光協会. 2022年1月10日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2021年6月20日閲覧。
注釈
[編集]- ^ ほとんどが暗渠である。
- ^ 瀬戸市ホームページ人口と世帯のデータでは、町名を外字で作成して図として張り付けてある。
参考文献
[編集]- 瀬戸市 編『昭和17年1月9日施行 町名設定調書(其ノ一)瀬戸地区』瀬戸市、1942年。
- 瀬戸市 編『町名設定調書 萩殿町 及び春雨町、東茨町、宝ヶ丘町、若宮町1丁目の各1部』瀬戸市、1982年。
- 瀬戸市 編『町名設定調書 西茨町、東権現町、萩山台2丁目、八幡台7・8丁目地内』瀬戸市、1985年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 瀬戸市ホームページ
- コミュニティバス利用案内 | 瀬戸市ホームページ
- ウィキメディア・コモンズには、西茨町に関するカテゴリがあります。
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