十軒町 (瀬戸市)
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十軒町 | |
---|---|
北緯35度15分20.7秒 東経137度3分29.7秒 / 北緯35.255750度 東経137.058250度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 瀬戸市 |
地区[1] | 水野連区 |
町名制定[2] | 1964年(昭和39年)10月1日 |
人口 | |
• 合計 | 413人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
489-0901[5] |
市外局番 | 0561(瀬戸MA)[6] |
ナンバープレート | 尾張小牧 |
地理
[編集]瀬戸市北西端に位置し[8]、東は内田町・本郷町、西は名古屋市守山区大字上志段味、南は北みずの坂3丁目・守山区大字上志段味、北は鹿乗町、北西は春日井市高蔵寺町に接する。
東谷山の東南麓にあたり、町域の大部分が山林である。
河川
[編集]世帯数と人口
[編集]2023年(令和5年)6月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[4]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
十軒町 | 164世帯 | 413人 |
学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]。また、公立高等学校普通科に通う場合の学区は以下の通りとなる[10]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
全域 | 瀬戸市立水野小学校 | 瀬戸市立水野中学校 | 尾張学区 |
歴史
[編集]町名の由来
[編集]大字下水野の字十軒屋(十軒家)による。尾張藩主瑞龍が下水野本郷の農家十軒に命じ、東谷山の東南麓にあたる当地に移り住まわせたことにちなむ[2]。
沿革
[編集]- 1964年(昭和39年)10月1日 - 大字下水野の一部より、十軒町が成立[11][2]。
- 1981年(昭和56年) - 内田町・本郷町との間で境界を変更[11]。
- 1984年(昭和59年) - 鹿乗町との間で境界を変更[11]。
- 2007年(平成19年)5月12日 - 一部が北みずの坂1~3丁目・みずの坂3丁目および5丁目となり、一部を本郷町へ編入[12]。
史跡
[編集]- 尾張戸神社古墳(国史跡、志段味古墳群の一部)
施設
[編集]- 尾張戸神社 - 東谷山頂にあり、守山区大字上志段味にまたがる。当地は神社東側の表参道口に位置する。
- 十軒町公会堂
-
尾張戸神社
交通
[編集]道路
[編集]バス
[編集]- 瀬戸市コミュニティバス 十軒家停留所
その他
[編集]日本郵便
[編集]脚注
[編集]- ^ “連区別町丁名一覧” (PDF). 瀬戸市 (2021年4月14日). 2021年10月24日閲覧。
- ^ a b c “十軒町 - Setopedia”. 瀬戸市 (2016年11月28日). 2023年6月19日閲覧。
- ^ “瀬戸市の標高&海抜”. 標高海抜ナビ (2018年). 2022年11月23日閲覧。
- ^ a b “人口と世帯 令和5年分”. 瀬戸市 (2023年5月3日). 2023年6月19日閲覧。
- ^ a b “愛知県瀬戸市の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2023年6月19日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2021年12月30日閲覧。
- ^ “愛知県瀬戸市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2020年12月12日閲覧。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1899.
- ^ “町名別通学学校名一覧” (PDF). 瀬戸市 (2022年4月1日). 2023年6月19日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2020年10月28日閲覧。
- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 639.
- ^ “広報せと 2007年5月1日号” (PDF). p. 16. 2015年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月22日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2021年12月30日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、十軒町 (瀬戸市)に関するカテゴリがあります。