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福田公子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ふくだ きみこ
福田 公子
プロフィール
本名 新井 公子
(あらい きみこ)
性別 女性
出生地 日本の旗 日本兵庫県[1]
生年月日 (1932-11-12) 1932年11月12日(91歳)
職業 声優
女優
配偶者 あり
声優活動
ジャンル アニメ
吹き替え
俳優活動
ジャンル テレビドラマ
映画
舞台
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

福田 公子(ふくだ きみこ、1932年11月22日 - )[1]は、日本女優声優。本名は新井公子(旧姓:福田)。兵庫県神戸市出身[1]。旧芸名は尾上さくら(2代)、富士環。特技は日本舞踊バレエ

人物

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神戸市立第二高等女学校(現・神戸市立須磨高等学校)卒業。

1948年宝塚音楽学校に入学し、1949年宝塚歌劇団に入団。36期。同期生に有馬稲子上月左知子南風洋子龍城のぼる木花咲耶御幸沙智子歌川波瑠美らがいる。宝塚入団時の成績は63人中4位[2]。『黄金の林檎/南の哀愁』で初舞台を踏む。星組[2]に配属される。尾上さくら(2代)の芸名で娘役[2]として活動。近所に住んでいた初代・尾上さくら(20期)から芸名を貰う。この芸名は小倉百人一首前中納言匡房の「高砂の 尾上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ」に由来する。宝塚歌劇団在団中から外部作品・映画にも出演した。1957年に宝塚歌劇団を退団。最終出演公演の演目は星組公演『私のアンジェラ/刀を抜いて』[2]

同年松竹に入社する。富士環の芸名で活動したが、その後、本名であった福田公子に改める。1969年劇団欅(のちに劇団昴)に入団、テレビドラマでも活躍する。

出演

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映画

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  • 嵐の中の抱擁 おもかげは遙かなり(1957年、松竹
  • 淑女夜河を渡る(1957年、松竹)
  • 伝七捕物帖 銀蛇呪文(1957年、松竹)
  • 赤城の子守唄(1957年、松竹)
  • 伝七捕物帖 髑髏狂女(1958年、松竹)
  • 七人の女掏摸(1958年、松竹)
  • 江戸群盗伝(1958年、松竹)
  • 清水の佐太郎(1958年、松竹)
  • 夜の波紋(1958年、松竹)
  • 浮世風呂(1958年、松竹)
  • 七人若衆誕生(1958年、松竹)
  • 落花剣光録(1958年、松竹)
  • 橋(1959年、松竹)
  • 弥次喜多民謡道中記 奥州街道の巻(1959年、松竹)
  • 恋愛裁判(1959年、松竹)
  • 流転(1960年、松竹)
  • 黒部谷の大剣客(1960年、東映
  • 遠い一つの道(1960年、東宝
  • 筑豊のこどもたち(1960年、東宝)
  • あばれ駕籠(1960年、東映)
  • 嫉妬(1962年、大映
  • 破れ傘長庵(1963年、大映)
  • イチかバチか(1963年、東宝)
  • ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば(1964年、東宝)
  • 砂の上の植物群(1964年、日活
  • 終りなき生命を(1967年、日活)
  • 西のペテン師 東のサギ師(1971年、東宝)
  • 父ちゃんのポーが聞える(1971年、東宝)
  • 人間革命(1973年、東宝)
  • 扉はひらかれた(1975年、新星映画社)

テレビドラマ

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舞台

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  • 裸足で公園を
  • 三月ウサギ
  • アメリカの日々
  • 医師クノック
  • 昔噺舌切雀
  • 花へんろ
  • からさわぎ
  • ニューヨーク幻想曲
  • ラヴ・パレード
  • 花粉熱
  • ザ・パッション

吹き替え

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ゲーム

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その他のテレビ番組

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主な受賞歴

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脚注

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  1. ^ a b c 福田公子の解説”. goo人名事典. 2022年1月9日閲覧。
  2. ^ a b c d 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』(阪急コミュニケーションズ2014年4月1日)P.45-46。ISBN 9784484146010

外部リンク

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