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日本プロサッカーリーグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミスター・ピッチから転送)
明治安田Jリーグ
Meiji Yasuda J.League
今シーズン・大会:
現在進行のスポーツイベント 2024年のJリーグ
前身日本サッカーリーグ(JSL)
競技サッカー
創立1991年11月
代表日本の旗 野々村芳和チェアマン
開始年1993年
参加チーム60(J1:20、J2:20、J3:20)
国内カップ戦JリーグYBCルヴァンカップ
日本の旗 日本
連盟アジアサッカー連盟(AFC)
前回優勝J1:ヴィッセル神戸
J2:FC町田ゼルビア
J3:愛媛FC
最多優勝J1:鹿島アントラーズ(8回)
J2:北海道コンサドーレ札幌(3回)
J3:ブラウブリッツ秋田(2回)
参加資格Jリーグクラブ
ライセンス制度
参照
テレビ局特記事項参照
スポンサー#協賛団体参照
公式サイトJリーグ.jp
備考
インターネット配信業者DAZNが一次放映権を保有しており、インターネット配信を行うほか、Jリーグが各テレビ局に映像提供を行っている。

日本プロサッカーリーグ(にほんプロサッカーリーグ、: Japan Professional Football League)は、日本プロサッカーリーグ。略称はJリーグ[注釈 1](ジェイリーグ、: J.LEAGUE)。公益財団法人日本サッカー協会(JFA)傘下の公益社団法人日本プロサッカーリーグが主催する。

明治安田生命保険とタイトルパートナー契約を結んでおり、「明治安田Jリーグ」と称している。

概説

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1993年に10クラブで開始し[注釈 2]、1998年までは1部のみの「Jリーグ」として最大で18クラブによって開催された。1999年から「Jリーグ ディビジョン1」(現:J1リーグ/J1)と「Jリーグ ディビジョン2」(現:J2リーグ/J2)[注釈 3]の2部制に移行、2014年に「J3リーグ」(J3)が創設され3部制に移行した。J3リーグは日本サッカーのリーグ構成上、アマチュア最高峰の日本フットボールリーグ(JFL)と同格と位置付けられており、J1・J2とJ3とでは参加要件やスタジアム規定等の面において差別化が成されている[注釈 4]

2024年シーズン開始時点で、日本国内の41都道府県に本拠地を置く60クラブ(J1・J2・J3各階級とも20ずつ)が参加[注釈 5]、また、JFLなどのカテゴリーに属するJリーグ百年構想クラブが4クラブ認定されている。リーグ構成については日本サッカーのリーグ構成 (1種)を参照。

アジアサッカー連盟(AFC)主催のクラブコンペティション(AFCチャンピオンズリーグなど)にはJ1リーグの上位に出場権が与えられている。2024年シーズンの結果に基づく出場枠については、基本的にJ1リーグの上位3クラブ(前年のAFCクラブコンペティションの結果により変動あり)がAFCチャンピオンズリーグエリートに出場する[4]

理念と活動方針

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Jリーグでは、次の3つの理念を掲げている[5]

  • 日本サッカーの水準向上およびサッカーの普及促進
  • 豊かなスポーツの振興および国民の心身の健全な発達への寄与
  • 国際社会における交流および親善への貢献

また、次の内容の活動方針を掲げている[5]

  1. フェアで魅力的な試合の開催
  2. スタジアム環境の確立
  3. 地域交流の推進
  4. フットサルの普及
  5. サッカー以外のスポーツの推進
  6. 障がい者スポーツの推進

この活動方針は、Jリーグの3つの理念を実現するための方法とみなせる[6]

クラブ名称表記

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Jリーグでは地域密着の観点から、チーム名及び呼称に必ず地域名を含めるよう求めている(Jリーグ規約第31条第1項)。また、新規参入クラブがJリーグに加入する際にはその名称について理事会の承認を求めており(Jリーグ規約第31条第2項)、運営母体となった企業名等をチーム名に含めることを原則排除している。一方で、クラブ運営法人に関しては当初より企業名の排除を求めておらず(柏レイソルの運営法人である「日立柏レイソル」、ヴィッセル神戸の運営法人である「楽天ヴィッセル神戸」など)、JSL時代の実業団チームからJリーグクラブへの過渡期においては、日本サッカー協会に登録した正式チーム名について企業名を冠した運営法人名を使用した「読売日本サッカークラブ(読売ヴェルディ)」(ヴェルディ川崎)、「三菱浦和フットボールクラブ」(浦和レッズ)、「東日本JR古河サッカークラブ」(ジェフユナイテッド市原)、「全日空佐藤工業サッカークラブ(ASフリューゲルス)」(横浜フリューゲルス)、「パナソニックガンバ大阪」(ガンバ大阪)、「日産FC横浜マリノス」(横浜マリノス)といった登録名を用いていた時期がある。

このことについて、Jリーグ初期のころ、報道等における企業名排除を求めた初代チェアマン・川渕三郎と、(日本プロ野球のような)企業名を冠するチーム名表記を求めた読売新聞主筆・読売巨人軍会長などを歴任した渡邉恒雄が対立した「川渕・渡邉論争」という問題が起きた。渡邊は「Jリーグの理念は空疎だ」として、企業名を排除し、地域名を重視するのは現実離れしていると主張したもので、実際1994年ゼロックススーパーカップまでは読売新聞系メディアではヴェルディ川崎を「読売ヴェルディ(川崎)」と企業名を出して報道していた。この「川渕・渡邉論争」について、川淵は「あの論争があったからJリーグの理念が世間に広まった。今は感謝の気持ちしかない」と述べている[7]

2024年9月30日に公開されたJリーグ公式YouTubeチャンネルの動画内で第6代チェアマンの野々村芳和と対談した川淵[8]は、チーム名に企業名を記すことを禁じた規約はリーグ発足当初からなかったことに触れ、リーグ発足にあたって読売グループの他、ガンバ大阪の親会社・パナソニックら複数の出資企業が企業名排除に反対していたものの、当時のマスコミの論調に乗る形でチェアマン権限で押し切ったことを明かし、「これ(企業名外し)がなくちゃ、もう絶対成功しない。間違いなく成功しなかった」と述べた[9]。一方で、ジェフユナイテッド市原の名称である「ジェフ」(JEF) が出資元である東日本旅客鉄道 (JR East) と古河電工 (Furukawa) のイニシャルに由来していることは承知しており、「ジェフと言ってもJR東日本と古河電工だって思う人は誰もいない。愛称と言うことで決めた」「例えばコカ・コーラ (Coca-Cola) が参入して、CC何とかというチーム名にするとなったときに、それをコカ・コーラと思う人はいないのと同じ」と、企業名に由来するイニシャル等であっても直接企業を連想させるものでなければ容認して良いのではないかとの私見を披露した[10]

設立経緯

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日本におけるサッカー競技は、アマチュア主体の全国リーグである日本サッカーリーグ(JSL)が1965年に創設され[出典 1]1968年日本代表メキシコ五輪銅メダル獲得もあり、一時的に人気を得たが[出典 2]、その後の日本代表の成績不振もあり、長らく観客動員は低迷した[出典 3]1980年代にプロ化を視野に入れた読売クラブ×日産自動車は観客を集めたものの[出典 4]、総じて日本リーグの人気は停滞し、マスメディアにも大きく扱われるほどの存在ではなかった[出典 5]。JSLや日本サッカー協会(JFA)ではその様な状況を打破しようと、1982年からリーグ主導の試合開催から、各チームが試合を主催する「自主運営」に移行したり[28]1984年には釜本邦茂の後ろ向きヌードポスター『格闘技宣言。』[出典 6]1985年には明石家さんまの上半身裸のポスターを製作するなど[出典 7]、人気回復に向け模索を続けていたが上手くいかなかった[出典 8]。日本サッカーのプロ化としては、1968年に日本代表がメキシコ五輪で銅メダルを獲得した後、当時の日本蹴球協会(日本サッカー協会)会長・野津謙が将来の"プロ化導入"を目指して読売新聞社社主正力松太郎にプロサッカーチームの創設を依頼したり[37]1977年ドイツブンデスリーガで、日本人初のプロサッカー選手となった奥寺康彦が、1986年に帰国し古河電工に復帰する際、森健兒が導入したスペシャル・ライセンス・プレーヤー制度[出典 9]により奥寺、木村和司を始め[出典 10]、翌年からはJSLの多くの選手がプロになっていた[出典 11]。また1986 FIFAワールドカップ・アジア予選で、ワールドカップ出場まであと一歩まで迫りながら、韓国代表に敗れ出場を逃した日本代表の森孝慈日本代表監督が、「(プロ化を先んじていた)韓国に追いつくには日本にもプロを作るしかない」と訴え、長沼健サッカー協会専務理事に自身のプロコーチとしての契約を要求したが拒否され辞任したことがあった[出典 12]

1980年代後半は、プロとアマチュアの選手が混在し、サッカー協会はプロ選手を認めているのにもかかわらず、リーグはアマチュア、日本代表の試合もアマチュア基準に合わせるという歪な状態が続いた[出典 13]

このような流れを受け、翌1988年3月にJSL総務主事・森健兒、JSL事務局長・木之本興三を中心として設置した「JSL第一次活性化委員会」[注釈 6]が、実質的な「Jリーグ」のスタートと見られる [出典 17][出典 18]。Jリーグ公式サイトの「Jリーグの歴史」、J.League x JFA公式サイトの「サッカーで振り返る平成史」でも、この1988年3月「JSL活性化委員会」設置をその始まりに置いている[40]。『サッカー批評』は「JSL第一次活性化委員会」を"実質的なプロ化検討委員会の創設"と評している[57]。「JSL第一次活性化委員会」は、6回目の1988年7月21日に、森が「現状改革を進めながら、トップリーグを商業ベースによる事業化を志向した『スペシャルリーグ』[34](プロリーグ)にすることを検討する」という結論を出し、最終報告書をまとめて日本サッカー協会の理事会に提出した[出典 19][注釈 7]。1988年8月に森の後任として川淵三郎がJSL総務主事となり[出典 20]、同年10月に川淵が「JSL第二次活性化委員会」[注釈 8]を設置[出典 27]。サッカー協会内部では“JSLの活性化”では意見が一致し、長沼健岡野俊一郎ら幹部の中には本音ではリーグをプロ化したいと考える者もいたが[38]ペレのいた北米リーグが失敗した例もあり[出典 28]、まだまだ“リーグのプロ化”に対しては親会社から出向してきた当時の1部リーグに所属する実業団チーム出身の役員達を中心に「プロ化は時期尚早」や「プロ野球の球団ですら赤字経営なのに、サッカーではまともに採算が取れる訳がない」などの意見が「JSL評議委員会」[注釈 9]で大勢を占めた[出典 29]。実業団チームのほとんどは、サッカーを福利厚生の一環と考え「プロ」という言葉に反発を感じる人は少なくなかった[34]。川淵は「活性化委員会」の議論をJSLではなく、日本サッカー協会(JFA)に移さなければ何も始まらないと判断し[出典 30]、翌1989年6月に「JSL第二次活性化委員会」を解散させ、日本サッカー協会の副会長になっていた長沼健に要請し[出典 31]、JFA内に「プロリーグ検討委員会」[注釈 10]が設置された[出典 35]。保守的な日本サッカー協会理事会の承認を得るために「検討」という文字が付いていたが、実際には関係者の間では、既にプロリーグの発足は既定の方針として固まっていた[65]。やりようによってはプロリーグが出来るという段階まで来たのはこの「プロリーグ検討委員会」が設置されたときである[42]。プロリーグ構想は具現化され[出典 36]、1991年7月1日、新プロリーグの正式名称を「日本プロサッカーリーグ」とし、愛称を「Jリーグ」とすることを発表[49]、日本初のプロサッカーリーグの「日本プロサッカーリーグ」(Jリーグ)が発足した[注釈 11]。「Jリーグ」という呼称は、博報堂が提出した複数の案[注釈 12]の中から川淵が気に入り採用に至ったもの[出典 38]。博報堂は「釜本のポスター」からJSLと接点を持っていたが[出典 39]、当時は会社のビジネスではなく、個人のネットワークを生かした手伝い程度の物で[29]電通ペレの引退興行を始め[71]、サッカー協会に深く入り込んでいて入る余地はなかった[出典 40]。しかしプロサッカーリーグに関しては電通は「実現性が乏しい」と判断していたといわれる[出典 41]。Jリーグを博報堂が手掛けることになったのは長沼副会長からのリンクといわれる[73]

1986年6月のメキシコワールドカップ開催中の会見で[出典 42]FIFAの第7代会長・ジョアン・アヴェランジェから、1998年2002年をアジアでのFIFAワールドカップ最初の開催地として日本が念頭にあるような示唆を得て[出典 43]、1989年11月、正式にFIFAに2002 FIFAワールドカップ日本開催の意思を伝える[出典 44]。日本がワールドカップを開催するにふさわしい国であることを証明するためにも、FIFAの要求を満たすスタジアムの建設などの他、日本代表のワールドカップ初出場を念頭に置いた強化[注釈 13]とそれに伴うプロリーグ創設、成功が不可欠となった[出典 45]。ワールドカップはオリンピックとは違い、全国展開のため、拠点拠点にFIFAの要求を満たすスタジアムを造らねばならず[42]、ワールドカップの招致とプロリーグ創設を結び付けた[出典 46]。サッカー協会内の慎重論から川淵らを後押しした長沼は[出典 47]、「プロリーグの成功とワールドカップ誘致は、車の車輪であると認識した。同時並行で推進しなければ、片方がつまずけば両方ころぶ。幸いバブル経済の余韻が残っていた時期に、Jリーグのスタートが間に合った」と述べている[30]。また、あれほど弱かった日本代表が、Jリーグ開始前に突然強くなったこともJリーグ人気を後押しした[出典 48]。Jリーグが創設されると川淵がJリーグチェアマンとして、日本代表の強化委員長としてマスメディアに盛んに露出し脚光を浴びたため、Jリーグは川淵が作ったかのようにイメージが付いた[出典 49]。プロリーグの創設は、日本のサッカーを盛んにしたい、強くしたいという多くの人たちの長年の仕事の積み上げにより作られたものではあるが[出典 50]、最後の一歩は川淵のバイタリティ、強引さが大きな原動力になった事も事実ではある。しかし、森健兒木之本興三は、不毛状態が続いた日本サッカーリーグ時代から長きに渡りプロ化を考え、その運営に携わっていて[出典 51]、川淵は日本サッカーに絶望し[84]、一時サッカー界から離れていた時期があり[84]、後から入って来た川淵に手柄を取られたようで面白くなかった[31]。川淵は最初にプロリーグの話を聞いたときも「バカじゃないか」と思ったと話しており[56]、森の後任でJSL総務主事に抜擢された際も、木之本から「プロ化する気持ちがないなら来ないで」と言われたほどで[84]、森は「プロ化の道筋をつけてから川淵さんにバトンタッチした」と述べている[87]。特に木之本にとって川淵は古河電工でのかつての上司でもあり、当初の関係は悪くはなかったが[84]2002 FIFAワールドカップ後、読売新聞に次期チェアマン候補として木之本の名前が出ると、急に木之本と川淵の関係が悪くなった[出典 52]。川淵の後任チェアマンには鈴木昌が就任したが、木之本は「公平な立場でなければならないチェアマンにクラブ出身の社長はまだ早い」と反対したら、鈴木と川淵からJリーグ専務理事・JFA常任理事と、Jリーグ映像他、Jリーグ関連の子会社の社長を解雇され、Jリーグ及びJFAから追い出された[出典 53]。森、木之本の二人と川淵の間に確執が生まれ[出典 54]、この恨みからか『日刊ゲンダイ』などのマスメディアで川淵を批判した[出典 55]

1992年には前哨戦として、ヤマザキナビスコ(現・ヤマザキビスケット)をスポンサーとし第1回のJリーグヤマザキナビスコカップが開催された。

沿革

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クラブ一覧

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加盟要件

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Jリーグ加盟の要件には、スタジアム・経営状況・チーム運営状況などの項目が定められている。チーム運営については、実際にJリーグの試合に参加するチームそのもののみならず、育成組織(下部組織)によるクラブユースチームの運営義務なども規定されている。2013年シーズンよりJリーグクラブライセンス制度が発足し、Jリーグへの加盟可否・加盟可能なディビジョンについての判断を行う制度が更新された。

また2006年から、Jリーグ加盟の基準を満たしているか近い将来満たせそうと判断されたクラブを「Jリーグ準加盟」と認定することを定め、J3発足後の2014年以降は代わって「Jリーグ百年構想クラブ」と呼称するものとしている。

正会員クラブ

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2024年シーズンのクラブ編成[104] に基づく全60クラブの一覧。

  • クラブのカテゴリ並びに掲載順序は2023年12月19日のJリーグリリース[104] における順序による。
  • クラブ名は日本サッカー協会への登録チーム名ではなく、Jリーグにおける「呼称」を示している[104]
  • ホームスタジアムについては2024年時点でJリーグコーポレートサイトにおいて示されているスタジアム[105] について、同資料の表記に基づいて記す。
地域 クラブ名(呼称) 活動区域 / ホームタウン
(ホームスタジアム)
Cat. 加盟
北海道 北海道コンサドーレ札幌
HOKKAIDO Consadole SAPPORO
北海道 / 札幌市を中心とする全道
大和ハウス プレミストドーム〈札幌市豊平区〉)
J1 1998年
東北 ヴァンラーレ八戸
Vanraure HACHINOHE
青森県 / 八戸市ほか3市11町2村[注釈 16]
プライフーズスタジアム〈八戸市〉)
J3 2019年
いわてグルージャ盛岡
IWATE Grulla MORIOKA
岩手県 / 岩手県全県14市15町4村[注釈 17]
いわぎんスタジアム〈盛岡市〉)
J3 2014年
ベガルタ仙台
Vegalta SENDAI
宮城県 / 仙台市を中心とする全県
ユアテックスタジアム仙台〈仙台市泉区〉)
J2 1999年
ブラウブリッツ秋田
Blaublitz AKITA
秋田県 / 秋田市ほか5市[注釈 18] を中心とする全県
ソユースタジアム〈秋田市〉)
J2 2014年
モンテディオ山形
Montedio YAMAGATA
山形県 / 山形市天童市鶴岡市を中心とする全県
NDソフトスタジアム山形〈天童市〉)
J2 1999年
福島ユナイテッドFC
FUKUSHIMA United FC
福島県 / 福島市ほか3市3町[注釈 19]を中心とする全県
とうほう・みんなのスタジアム〈福島市〉)
J3 2014年
いわきFC
IWAKI FC
福島県 / いわき市ほか1市6町2村[注釈 20]
ハワイアンズスタジアムいわき〈いわき市〉)
J2 2022年
関東 鹿島アントラーズ
KASHIMA Antlers
茨城県 / 鹿嶋市ほか5市[注釈 21]
県立カシマサッカースタジアム〈鹿嶋市〉)
J1 1991年
水戸ホーリーホック
MITO Hollyhock
茨城県 / 水戸市ほか10市4町1村[注釈 22]
ケーズデンキスタジアム水戸〈水戸市〉)
J2 2000年
栃木SC
TOCHIGI SC
栃木県 / 宇都宮市
カンセキスタジアムとちぎ〈宇都宮市〉)
J2 2009年
ザスパ群馬
Thespa GUNMA
群馬県 / 前橋市を中心とする全県
正田醤油スタジアム群馬〈前橋市〉)
J2 2005年
浦和レッズ
URAWA Reds
埼玉県 / さいたま市
埼玉スタジアム2002〈さいたま市緑区〉)
J1 1991年
大宮アルディージャ
OMIYA Ardija
埼玉県 / さいたま市
NACK5スタジアム大宮〈さいたま市大宮区〉)
J3 1999年
ジェフユナイテッド千葉
JEF United CHIBA
千葉県 / 千葉市市原市
フクダ電子アリーナ〈千葉市中央区〉)
J2 1991年
柏レイソル
KASHIWA Reysol
千葉県 / 柏市
三協フロンテア柏スタジアム〈柏市〉)
J1 1995年
FC東京
FC TOKYO
東京都 / 東京都
味の素スタジアム調布市〉)
J1 1999年
東京ヴェルディ
TOKYO Verdy
東京都 / 東京都
(味の素スタジアム〈調布市〉)
J1 1991年
FC町田ゼルビア
FC MACHIDA Zelvia
東京都 / 町田市
町田GIONスタジアム〈町田市〉)
J1 2012年
[注釈 23]
川崎フロンターレ
KAWASAKI Frontale
神奈川県 / 川崎市
Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu〈川崎市中原区〉)
J1 1999年
横浜F・マリノス
YOKOHAMA F. Marinos
神奈川県 / 横浜市横須賀市大和市
日産スタジアム〈横浜市港北区
J1 1991年
横浜FC
YOKOHAMA FC
神奈川県 / 横浜市
ニッパツ三ツ沢球技場〈横浜市神奈川区〉)
J2 2001年
Y.S.C.C.横浜
Y.S.C.C. YOKOHAMA
神奈川県 / 横浜市
(ニッパツ三ツ沢球技場〈横浜市神奈川区〉)
J3 2014年
湘南ベルマーレ
SHONAN Bellmare
神奈川県 / 平塚市ほか8市11町[注釈 24]
レモンガススタジアム平塚〈平塚市〉)
J1 1994年
SC相模原
S.C. SAGAMIHARA
神奈川県 / 相模原市ほか4市1町[注釈 25]
相模原ギオンスタジアム〈相模原市南区〉)
J3 2014年
ヴァンフォーレ甲府
Ventforet KOFU
山梨県 / 甲府市韮崎市を中心とする全県
JIT リサイクルインク スタジアム〈甲府市〉)
J2 1999年
北信越 松本山雅FC
MATSUMOTO Yamaga F.C.
長野県 / 松本市ほか4市3町4村[注釈 26]
サンプロ アルウィン〈松本市〉)
J3 2012年
AC長野パルセイロ
AC NAGANO Parceiro
長野県 / 長野市ほか6市5町5村[注釈 27]
長野Uスタジアム〈長野市〉)
J3 2014年
アルビレックス新潟
Albirex NIIGATA
新潟県 / 新潟県全県20市6町4村[注釈 28]
デンカビッグスワンスタジアム〈新潟市中央区〉)
J1 1999年
カターレ富山
Kataller TOYAMA
富山県 / 富山市を中心とする全県
富山県総合運動公園陸上競技場〈富山市〉)
J3 2009年
ツエーゲン金沢
Zweigen KANAZAWA
石川県 / 金沢市ほか3市2町[注釈 29] を中心とする全県
金沢ゴーゴーカレースタジアム〈金沢市〉)
J3 2014年
東海 清水エスパルス
SHIMIZU S-Pulse
静岡県 / 静岡市
IAIスタジアム日本平〈静岡市清水区〉)
J2 1991年
ジュビロ磐田
Júbilo IWATA
静岡県 / 磐田市ほか7市1町[注釈 30]
ヤマハスタジアム (磐田)〈磐田市〉)
J1 1994年
藤枝MYFC
FUJIEDA MYFC
静岡県 / 藤枝市ほか4市2町[注釈 31]
藤枝総合運動公園サッカー場〈藤枝市〉)
J2 2014年
アスルクラロ沼津
Azul claro NUMAZU
静岡県 / 沼津市
愛鷹広域公園多目的競技場〈沼津市〉)
J3 2017年
名古屋グランパス
NAGOYA Grampus
愛知県 / 名古屋市豊田市みよし市を中心とする全県
豊田スタジアム〈豊田市〉)
J1 1991年
FC岐阜
FC GIFU
岐阜県 / 岐阜市を中心とする全県
岐阜メモリアルセンター長良川競技場〈岐阜市〉)
J3 2008年
関西 京都サンガF.C.
KYOTO Sanga F.C.
京都府 / 京都市ほか15市4町[注釈 32]
サンガスタジアム by KYOCERA亀岡市〉)
J1 1996年
ガンバ大阪
Gamba OSAKA
大阪府 / 吹田市ほか7市[注釈 33]
パナソニックスタジアム吹田〈吹田市〉)
J1 1991年
セレッソ大阪
Cerezo OSAKA
大阪府 / 大阪市堺市
ヨドコウ桜スタジアム〈大阪市東住吉区〉)
J1 1995年
FC大阪
FC OSAKA
大阪府 / 東大阪市
東大阪市花園ラグビー場(東大阪市))
J3 2023年
ヴィッセル神戸
Vissel KOBE
兵庫県 / 神戸市
ノエビアスタジアム神戸〈神戸市兵庫区〉)
J1 1997年
奈良クラブ
NARA Club
奈良県 / 奈良市三郷町を中心とする全県
ロートフィールド奈良〈奈良市〉)
J3 2023年
中国 ガイナーレ鳥取
Gainare TOTTORI
鳥取県 / 鳥取市ほか4市[注釈 34] を中心とする全県
Axisバードスタジアム〈鳥取市〉)
J3 2011年
ファジアーノ岡山
Fagiano OKAYAMA
岡山県 / 岡山市倉敷市津山市を中心とする全県
シティライトスタジアム〈岡山市北区〉)
J2 2009年
サンフレッチェ広島
Sanfrecce HIROSHIMA
広島県 / 広島市
エディオンピースウイング広島〈広島市中区〉)
J1 1991年
レノファ山口FC
Renofa YAMAGUCHI FC
山口県 / 山口県全県13市6町[注釈 35]
維新みらいふスタジアム山口市〉)
J2 2015年
四国 カマタマーレ讃岐
Kamatamare SANUKI
香川県 / 高松市丸亀市を中心とする全県
Pikaraスタジアム〈丸亀市〉)
J3 2014年
徳島ヴォルティス
TOKUSHIMA Vortis
徳島県 / 徳島市ほか6市4町[注釈 36] を中心とする全県
鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム鳴門市〉)
J2 2005年
愛媛FC
EHIME FC
愛媛県 / 松山市を中心とする全県
ニンジニアスタジアム〈松山市〉)
J2 2006年
FC今治
FC IMABARI
愛媛県 / 今治市
アシックス里山スタジアム〈今治市〉)
J3 2020年
九州 アビスパ福岡
Avispa FUKUOKA
福岡県 / 福岡市
ベスト電器スタジアム〈福岡市博多区〉)
J1 1996年
ギラヴァンツ北九州
Giravanz KITAKYUSHU
福岡県 / 北九州市
ミクニワールドスタジアム北九州〈北九州市小倉北区〉)
J3 2010年
サガン鳥栖
Sagan TOSU
佐賀県 / 鳥栖市
駅前不動産スタジアム〈鳥栖市〉)
J1 1999年
V・ファーレン長崎
V Varen NAGASAKI
長崎県 / 長崎市諫早市を中心とする全県
トランスコスモススタジアム長崎〈諫早市〉)
J2 2013年
ロアッソ熊本
Roasso KUMAMOTO
熊本県 / 熊本市
えがお健康スタジアム〈熊本市東区〉)
J2 2008年
大分トリニータ
OITA Trinita
大分県 / 大分市別府市佐伯市を中心とする全県
レゾナックドーム大分〈大分市〉)
J2 1999年
テゲバジャーロ宮崎
Tegevajaro MIYAZAKI
宮崎県 / 宮崎市新富町西都市
いちご宮崎新富サッカー場児湯郡新富町〉)
J3 2021年
鹿児島ユナイテッドFC
KAGOSHIMA United FC
鹿児島県 / 鹿児島市
白波スタジアム〈鹿児島市〉)
J2 2016年
FC琉球
FC RYUKYU
沖縄県 / 沖縄市を中心とする全県
タピック県総ひやごんスタジアム〈沖縄市〉)
J3 2014年

Jリーグ百年構想クラブ

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クラブ名 活動区域 / ホームタウン
(ホームスタジアム)
カテゴリ 承認年度
関東 VONDS市原
VONDS ICHIHARA
千葉県 / 市原市
ゼットエーオリプリスタジアム〈市原市〉)
関東1部 2020年
南葛SC
NANKATSU SC
東京都 / 葛飾区
奥戸総合スポーツセンター陸上競技場〈葛飾区〉)他
クリアソン新宿
Criacao SHINJUKU
東京都 / 新宿区
味の素フィールド西が丘北区〉)
JFL 2021年
東京23フットボールクラブ
TOKYO 23 Football Club
東京都 / 江戸川区
江戸川区陸上競技場〈江戸川区〉)
関東1部 2022年

なお、現在は、Jリーグ参入希望に当たってJリーグ百年構想クラブへの加入は必須とされていない。

過去にJリーグ正会員であったクラブ

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クラブ名 活動区域 / ホームタウン
(ホームスタジアム)
加盟期間
横浜フリューゲルス
YOKOHAMA Flügels
神奈川県 / 横浜市、長崎県、熊本県、鹿児島県[注釈 37]
三ツ沢公園球技場横浜国際総合競技場長崎県立総合運動公園陸上競技場[注釈 37]熊本市水前寺競技場[注釈 37]鹿児島県立鴨池陸上競技場[注釈 37]
1991-1998年

過去にJリーグ準会員、準加盟、百年構想クラブであったクラブ

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脱退等に関する経緯については各クラブの項目を参照のこと。

資格 クラブ名 活動区域 / ホームタウン
(ホームスタジアム)
カテゴリ 承認期間
準会員 鳥栖フューチャーズ
TOSU Futures
佐賀県 / 鳥栖市
鳥栖スタジアム〈鳥栖市〉)
旧JFL 1994-1996年
浜松F.C
HAMAMATSU F.C
静岡県 / 浜松市
本田技研都田サッカー場〈浜松市浜名区〉)
JFL 1997年
準加盟
百年構想
tonan前橋
Tonan MAEBASHI
群馬県 / 前橋市
前橋総合運動公園陸上競技・サッカー場〈前橋市〉)
関東2部 2013-2019年
百年構想 東京武蔵野シティFC
TOKYO MUSASHINO City FC
東京都 / 武蔵野市
武蔵野陸上競技場〈武蔵野市〉)
JFL 2016-2020年
鈴鹿ポイントゲッターズ
SUZUKA Point Getters
三重県 / 鈴鹿市
三重交通Gスポーツの杜鈴鹿サッカー・ラグビー場〈鈴鹿市〉)
2021-2022年
コバルトーレ女川
Cobaltore ONAGAWA
宮城県 / 女川町
女川スタジアム〈女川町〉)
東北1部 2022年
沖縄SV
OKINAWA SV
沖縄県 / 豊見城市うるま市沖縄市を中心とする全県
(タピック県総ひやごんスタジアム〈沖縄市〉他)
JFL 2022-2023年
栃木シティFC
TOCHIGI City Football Club
栃木県 / 栃木市
CITY FOOTBALL STATION〈栃木市〉)
2014-2023年
高知ユナイテッドSC
KOCHI United SC
高知県 / 高知市を中心とする全県
高知県立春野総合運動公園陸上競技場〈高知市〉)
2022年

クラブ数の推移と昇降格制度

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1998年にJ1参入決定戦を実施。1999年からはJ1・J2の2部制への移行に伴い、入替制度を導入した。2012年以降はJ2と下部リーグ(2012年は日本フットボールリーグ(JFL)、2013年のポストシーズン以降はJ3)との入替制度も導入された。

  • 実際に適用されたケースはないが、2012年のJリーグクラブライセンス制度導入までは、Jリーグによる審査でJ1昇格の権利を得たJ2クラブがJ1の規格に満たしていなければJ1昇格が取り消され、J1の16位からJ2降格も取り消される可能性があった。
  • 2012年のポストシーズン(2013年の参入)以降は、J1・J2・J3のリーグに参入するには、クラブライセンス制度により当該リーグないしそれより上のライセンスを取得している」ことが要件となる。
  • 消化できた試合数がその年に予定されていたJ1・J2・J3リーグ全体の試合数の75%に満たない場合や、所属カテゴリでその年に予定されていた総試合数の50%に満たないクラブが発生した場合は、大会は不成立となり昇格・降格は行われないが、2022シーズン終了時点で実際に適用されたシーズンはない。
年度 総数 J1 JFL 備考
JFL降格 Jリーグ参入
1993 10 10 降格
制度
なし
平塚 / 磐田 JFLは旧JFL
1994 12 12 C大阪 / 柏
1995 14 14 福岡 / 京都
1996 16 16 神戸
1997 17 17 札幌
年度 総数 J1 J2 JFL 備考
J2降格 J1昇格 JFL降格 Jリーグ参入
1998 18 18 札幌 - 9クラブ[注釈 38] J1参入決定戦実施
横浜Fと横浜Mとの合併により1クラブ減
1999 26 16 浦和 / 平塚 川崎 / FC東京 10 降格
制度
なし
水戸 自動入替2クラブ
2000 27 京都 / 川崎 札幌 / 浦和 11 横浜FC
2001 28 福岡 / C大阪 京都 / 仙台 12 -
2002 広島 / 札幌 大分 / C大阪 -
2003 仙台 / 京都 新潟 / 広島 -
2004 川崎 / 大宮 徳島 / 草津 J1・J2入れ替え戦の導入
2005 30 18 / 東京V / 神戸 京都 / 福岡 / 甲府 愛媛 自動入替2クラブ+J1・J2入れ替え戦
2006 31 福岡 / C大阪 / 京都 横浜FC / 柏 / 神戸 13 -
2007 広島 / 甲府 / 横浜FC 札幌 / 東京V / 京都 熊本 / 岐阜
2008 33 東京V / 札幌 広島 / 山形 15 栃木 / 富山 / 岡山
2009 36 柏 / 大分 / 千葉 仙台 / C大阪 / 湘南 18 北九州 自動入替3クラブ
2010 37 FC東京 / 京都 / 湘南 柏 / 甲府 / 福岡 19 鳥取
2011 38 甲府 / 福岡 / 山形 FC東京 / 鳥栖 / 札幌 20 町田 / 松本
2012 40 神戸 / G大阪 / 札幌 甲府 / 湘南 / 大分 22 町田 長崎 J1昇格プレーオフ開始
年度 総数 J1 J2 J3 JFL 備考
J2降格 J1昇格 J3降格 J2昇格 JFL降格 Jリーグ参入
2013 40 18 湘南 / 磐田 / 大分 G大阪 / 神戸 / 徳島 22 鳥取 - 讃岐
10クラブ[注釈 39]
讃岐はJ2・JFL入れ替え戦の結果
10クラブはJFLからJ3への参入
2014 51 大宮 / C大阪 / 徳島 湘南 / 松本 / 山形 富山 金沢 11 降格
制度
なし
山口 J2・J3入れ替え戦の導入
2015 52 松本 / 清水 / 山形 大宮 / 磐田 / 福岡 大分 / 栃木 山口 / 町田 12 鹿児島
2016 53 名古屋 / 湘南 / 福岡 札幌 / 清水 / C大阪 北九州 大分 13 沼津
2017 54 甲府 / 新潟 / 大宮 湘南 / 長崎 / 名古屋 群馬 栃木 14 - J2・J3入れ替え戦を廃止
2018 柏 / 長崎 松本 / 大分 熊本 / 讃岐 琉球 / 鹿児島 八戸 J1参入プレーオフ開始
2019 55 松本 / 磐田 柏 / 横浜FC 鹿児島 / 岐阜 北九州 / 群馬 15 今治
2020 56 - 徳島 / 福岡 - 秋田 / 相模原 16 宮崎 降格無し
J1参入プレーオフなし
2021 57 20 徳島 / 大分 / 仙台 / 横浜FC 磐田 / 京都 相模原 / 愛媛 / 北九州 / 松本 熊本 / 岩手 15 いわき J1参入プレーオフなし
2022 58 18 清水 / 磐田 新潟 / 横浜FC 琉球 / 岩手 いわき / 藤枝 18 奈良 / FC大阪
2023 60 横浜FC 町田 / 磐田 / 東京V 大宮 / 金沢 愛媛 / 鹿児島 20 - J1昇格プレーオフ復活
J3・JFL入れ替え戦の導入
2024 20 札幌 / 鳥栖 清水 / 横浜FC 20 栃木SC / 鹿児島 / 群馬 大宮 / 今治 岩手 栃木C J2昇格プレーオフ開始
2025
  • 「†」を付したクラブは入替戦の結果による昇降格。

通算成績

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J1リーグ戦
J2リーグ戦
J3リーグ戦

表彰

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配分金

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Jリーグ各クラブに対しては、Jリーグ規約第122条〔収入の配分〕ならびにJリーグ配分金規程[106] に基づき、(公財)日本プロサッカーリーグの得た事業(付随事業、公衆送信権、その他の事業、パートナー契約)による収益の一部を各クラブに「配分金」として分配している。以下の5種類がある。

事業協力配分金
J1リーグおよびJ2リーグに所属するJクラブに対して支給されるもの。
toto交付金
スポーツ振興投票の実施等に関する法律第4条に基づくスポーツ振興投票の対象試合の計画的かつ安定的な開催の確保に資するため、独立行政法人日本スポーツ振興センターからJリーグに支払われる支援経費を原資として、全てのJクラブに対して支給されるもの。
「事業協力配分金」と併せてクラブの所属ディビジョンごとに定額(均等配分金)となっており、2021年度時点ではJ1クラブに3億5千万円、J2クラブに1億5千万円、J3クラブに3千万円が配分されることが明らかになっている[107]
理念強化配分金
前シーズンのJ1リーグ戦の年間順位1位から4位のJクラブに対して最長3年間にわたって支給されるもの。2017年度より支給開始されており、DAZNと結んだ10年2100億円超の放送権料が原資と報じられている[108]。金額については後述。2020年・2021年は配分が停止された[107]
年度毎に理念強化配分金活用計画書における理念強化配分金の活用計画の審査・承認を受ける必要あり。
降格救済配分金
J1からJ2に、およびJ2からJ3にそれぞれ降格した各Jクラブに対して支給されるもの。均等配分金の激変緩和措置として行われる。
2021年時点では降格1年目に降格前所属リーグの均等配分金額の80%を、降格2年目は60%を受け取れるよう、以下のように配分される[107]
  • J1→J2:1年目1億3千万円、2年目6千万円
  • J2→J3:1年目9千万円、2年目6千万円
ACLサポート配分金
支給年度のAFCチャンピオンズリーグ (ACL) に参加した各Jクラブに対してその遠征費等について一定割合を補助するもの。
2021年度出場クラブは1クラブ当たり1億円[107](2020年までは2千万円)。
理念強化配分金の支給額(2019年まで)
順位 理念強化配分金 内訳
年間1位 15億5000万円 1年目5.5億円、2年目5億円、3年目5億円の計15.5億円[注釈 40]
年間2位 7億円 1年目2.5億円、2年目2.5億円、3年目2億円の計7億円[注釈 41]
年間3位 3億5000万円 1年目2億円、2年目1.5億円の計3.5億円
年間4位 1億8000万円 1年目1.8億円

なお、この配分金の構造については、リーグの成長促進を目的として2023年度以降見直されることになっており、特にカテゴリー間の定額配分金の配分比率を5-6倍程度まで段階的に拡大させることが言及されると共に、同一カテゴリー内の配分方法も均等配分中心から競技成績やファン増加等の成果に応じた傾斜配分中心へ段階的にシフトすることが明らかにされている[109]

懲罰

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Jリーグでは各クラブが不正行為や選手・観客のトラブルなどがあった場合に以下の順で制裁処置をとる場合がある。制裁措置についてはJリーグ規約第141条から第143条に定めがあり、裁定委員会もしくは関連する専門委員会の調査結果を踏まえて、チェアマンが最終的な制裁措置の判断を下すとされている。

制裁措置はクラブ、及びクラブに所属する個人に対して行われ、以下のような段階が設けられている。

クラブに対する制裁
  1. けん責
  2. 制裁金(最大1億円)
  3. 中立地での試合の開催
  4. 無観客試合の開催
  5. 試合の没収(得点を3対0として試合を没収)
  6. 勝点減(最大15点)
  7. (リーグカップ戦における)出場権剥奪
  8. 下位ディビジョンへの強制降格
  9. 除名

※中立地開催・無観客試合・没収試合・強制降格は2014年から設けられた。

個人に対する制裁
  1. けん責
  2. 制裁金(最大5,000万円)
  3. 出場資格停止(無期限または最大1年以内の期限付き出場停止)
  4. 公式試合に関わる職務の停止(一定期間、無期限または永久的な公式試合に関わる職務の全部または一部の停止)

開催日時

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リーグ戦の試合は基本的に毎週土曜日または日曜日に開催している。スケジュールの都合で週2試合とする必要がある場合には水曜日に試合を行うことがあるほか、祝日の配列の関係で変則的な試合間隔となるケースもある。

土曜日・日曜日に開催される試合は基本的にデイマッチであるが、各節数試合はテレビ中継に配慮する形でナイトマッチでも行われることがあるほか、夏期(おおむね6月下旬から9月上旬にかけて)のJ1・J2の試合は原則としてナイトマッチで開催される。また、祝祭日以外の平日に開催される試合は原則としてナイトマッチで開催されている(2022年度まで照明設備を必須としていなかったJ3を含め、かつては施設の都合等で平日の開催でもデイマッチを行うことがあった)。

なお、最終節は基本的に全試合の開催日と試合開始時間を統一している。

2008年以降、日本代表の試合のある日は原則として、JリーグカップおよびJ2の試合は組まれない(この間、J1は日本代表に選出されている選手の強化期間としているため、リーグ戦の試合自体が組まれない)。また、試合予定が未定の分で、日本代表の試合が予定されている場合は土曜、日曜両方で開催できるように対応している。

試合日程については、概ね1月中旬に、各クラブのホームゲーム開幕節の試合日程・対戦組み合わせ・試合会場のみを先行で発表し、1月末もしくは2月上旬に残り全試合の詳細な試合日程・組み合わせ・試合会場、並びに前半戦(概ね8月下旬まで J1リーグが2シーズン制となる年は、第1ステージの17試合分のみ)の試合開始時間を、6月下旬または7月初めに後半戦(概ね9月以後 J1リーグの2シーズン制となる年の第2ステージ17試合についても同様であるが、第2ステージの開始時期によっては前倒しとなる場合あり)の試合開始時間について発表される[110]

J1
  • 1部制だった時代(1993年から1998年)も含めて、1993年から2000年までは基本的に土曜日に開催されていた。ただし、1993年から1995年の2ステージ制だった時代は試合数の問題から平日(主に水曜日)にも開催されていた。
  • 2001年以降はスポーツ振興くじ(toto)の導入に伴い、J2と共に土曜日を中心とする開催になった。
  • 2002年、テレビ中継などの日程調整も考慮し、土曜日開催を基本としつつ、原則として1節のうち2試合を日曜日に開催する分散型が採用された。
  • 2012年以後は原則土曜日開催に固定したが、AFCチャンピオンズリーグに参加するクラブについては、週の中間(火曜・水曜)に試合をすることを考慮して、週末の試合を金曜日や日曜日に組んだり、アウェーゲームを国外で行う場合を配慮して別の週の水曜に開催する例もある。国際Aマッチ期間は試合が開催されない。
  • 2018年度からは、DAZNと協力し年間10節程度、各節1-3試合程度を「フライデーナイトJリーグ」として金曜日に適宜開催する。通称「金J」(きんジェイ)。
    • 金曜日に開催することで他の試合との被りを避けて試合の注目度を高めることを目的とする[111]。来場者プレゼントやイベントを開催して新規層を開拓するのも特徴であり、デートや仕事帰り、学校帰りの人に気軽にスタジアムに来てほしい狙いもある。
J2
  • 1999年から2000年の2年間は基本的に日曜日に開催するのが中心だったが、1か月に1-2回程度は木曜日にも開催されていた。
  • 2001年以降はtotoの導入に伴い、J1と共に土曜日を中心とする開催になった(一部は日曜日に開催)。
  • 2012年以降は原則日曜日開催。J1の大半の試合が日曜日開催となる週は土曜日開催となることがある。水曜日開催が行われる週もある。国際Aマッチ期間も、日本代表戦と重複しない範囲で調整しながら試合を開催する(ただし2002年と2010年のワールドカップ期間は試合を行わなかった)。
J3
  • 基本的に原則日曜日の開催に固定している。
  • 2022年度まではJ3クラブのスタジアム基準で現在照明設備が必須とされていなかったことから、夏季にもデイマッチが行われた試合がいくつかあった(本拠地に照明設備があるクラブのホームゲームはナイトマッチも開催される)。
  • 毎年8月から9月は、天皇杯の都道府県予選(J3は都道府県予選から出場)、並びに国体ブロック予選(ミニ国体)が行われるため、3週間から1か月程度のインターバルがある。なおこれについては2017年以降、天皇杯の制度改革によって多少見直されている。

その他、同一都道府県・市区町村を本拠地とするクラブが複数ある場合は、極力同じ節にホームゲームを開催しないように日程を調整している(2011年の場合はJ1のさいたま市神奈川県静岡県大阪府、J2の東京都、神奈川県が該当)。ただし、初期の頃は横浜市の2チームが同じ日にホームゲームをしたことがあった[注釈 42]2011年にもJ1のさいたまと大阪、J2の東京都、さらにJ1・J2それぞれ2クラブずつの神奈川県の2チームが同じ節にホームゲームをする場合があるが、このときでもやむをえない場合を除き原則として、どちらかが土曜日、もう一方は日曜日の開催とするよう配慮されている[注釈 43]

なお、2012年から2016年までJ1とJ2の開催日が分けられていたこと、及びキックオフ時間がずらされていたが、これは当時Jリーグ中継を担当していたスカパー!のチャンネル数や放送時間の制約によるものであったことが、2016年のJリーグとDAZNの契約記者会見の際に明らかにされており、現在は土曜か日曜のどちらを開催日にするかはクラブ側に委ねられているという[112]

アウェイゲームは原則3試合以上連続しないこととなっているが、日程の兼ね合いやその他イベントの影響などでアウェイゲームが3試合以上連続することもある[注釈 44]。特に降雪地では気候的理由もあって開幕直後はアウェイゲームが続くことが多い[注釈 45]

試合入場者数

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歴代入場者数

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年間試合入場者数[113](単位:人)
J1 J2 J3
合計 平均 合計 平均 合計 平均
1993年 3,235,750 17,976 - -
1994年 5,173,817 19,598
1995年 6,159,691 16,922
1996年 3,204,807 13,353
1997年 2,755,698 10,131
1998年 3,666,496 11,982
1999年 2,798,005 11,658 827,217 4,596
2000年 2,655,553 11,065 1,340,820 6,095
2001年 3,971,415 16,548 1,505,722 5,703
2002年 3,928,215 16,368 1,806,392 6,842
2003年 4,164,229 17,351 2,084,185 7,895
2004年 4,551,695 18,965 1,904,172 7,213
2005年 5,742,233 18,765 1,975,340 7,482
2006年 5,597,408 18,292 1,998,648 6,406
2007年 5,834,081 19,066 2,034,543 6,521
2008年 5,875,865 19,202 2,227,570 7,072
2009年 5,809,516 18,985 2,903,607 6,326
2010年 5,638,894 18,428 2,290,082 6,696
2011年 4,833,782 15,797 2,440,695 6,423
2012年 5,375,300 17,566 2,681,881 5,805
2013年 5,271,047 17,226 3,079,181 6,665
2014年 5,275,387 17,240 3,043,948 6,589 440,388 2,224
2015年 5,447,602 17,803 3,152,545 6,824 563,606 2,409
2016年 5,498,222 17,968 3,209,051 6,946 704,953 2,937
2017年 5,778,178 18,883 3,219,936 6,970 705,910 2,595
2018年 5,833,538 19,064 3,256,416 7,049 671,854 2,470
2019年 6,349,681 20,751 3,315,234 7,176 732,567 2,394
2020年 1,773,481 5,796 1,270,808 2,751 348,875 1,140
2021年 2,531,007 6,661 1,806,409 3,910 401,776 1,913
2022年 4,384,401 14,328 2,318,829 5,019 833,042 2,722
2023年 5,811,987 18,993 3,189,591 6,904 1,141,166 3,003
2024年 2,913,415 7,667 1,283,794 3,378
年齢構成分布一覧
(単位:パーセント)
年度 11 -
18歳[注釈 46]
19 -
22歳
23 -
29歳
30 -
39歳
40 -
49歳
50 -
59歳[注釈 47]
60歳
以上
2000年[114] 12.6 11.2 26.0 27.5 14.3 8.2
2001年[114] 12.0 11.4 26.2 28.9 13.2 8.3
2002年[114] 10.8 13.0 26.7 26.9 13.7 8.8
2003年[114] 10.9 9.0 20.8 32.1 17.8 9.4
2004年[114] 8.0 7.3 19.2 34.1 19.9 11.5
2005年[114] 8.0 6.7 17.5 33.9 21.2 12.8
2006年[114] 7.4 7.1 16.3 33.7 21.8 13.7
2007年[114] 6.3 7.1 15.9 33.0 23.6 14.2
2008年[114] 5.9 6.8 14.3 31.3 25.5 16.2
2009年[114] 6.8 6.8 14.8 29.8 24.9 16.9
2010年[114] 5.9 6.1 14.1 29.4 26.3 11.7 6.5
2011年[114] 7.0 5.7 13.1 27.5 26.7 12.6 7.5
2012年[114] 6.5 6.2 12.5 26.4 27.0 13.7 7.7
2013年[114] 6.7 6.5 11.8 23.6 28.4 14.8 8.2
2014年[115] 6.3 5.8 12.0 22.0 28.4 16.0 9.5
2015年[116] 5.4 5.5 11.6 21.1 29.1 17.2 10.1
2016年[117] 5.8 5.5 10.8 19.7 28.7 18.5 11.0
2017年[118] 6.6 6.3 10.7 17.5 28.8 18.9 11.4
2018年[119] 6.5 6.0 11.1 17.3 27.3 19.6 12.1
2019年[120] 5.8 5.5 10.8 16.8 26.9 20.5 13.7
  • Jリーグが実施し公表した「スタジアム観戦者調査」の結果(特定日の調査値)に基づく。J3リーグは調査対象外。なお、2020年から2022年は調査を実施せず、2023年はリーグ全体の集計が行われていない[121]ため、割愛している。

2010年8月8日、J1およびJ2のリーグ戦における通算のべ入場者数が1億人に到達した。なお、カップ戦やオールスターゲームなどの公式試合を含めた通算のべ入場者は、2009年3月に1億人を突破している。

なお、イギリスのサッカー専門誌『World Soccer』が2009年8月号で掲載した統計によると、世界各国のサッカーリーグで平均入場者数が最も多いのはブンデスリーガの38,975人であり、J1リーグは19,278人(2008年シーズン)で第6位に位置している[122]

スタジアム別入場者数(2019年シーズン終了時点)

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  • 掲載順はリーグ戦ホームゲームの1試合あたり平均入場者数の多いクラブ順による(以下の入場者数にカップ戦及びプレーオフの数値は含めない)。
  • ホームスタジアムの略称、所属ディビジョン、入場者数[123] は、2019年シーズン終了時点のもの(ホームゲーム数:J1が17試合、J2が21試合、J3が17試合)。
  • ホームスタジアムが複数登録されている場合は、座席数が大きいものから記載(ただし本拠登録されていてもJリーグ主催公式試合が行われなかった場合は除外)。
  • 招待券比率は、2019年シーズン中[124] に各クラブ毎の特定のホームゲーム開催日にJリーグが行ったスタジアム観戦者調査(アンケート)の集計結果による(必ずしもシーズン全体の傾向を示しているわけではない)。なお、同調査ではJ3クラブの招待券比率を公表していないため、J3クラブについては割愛する。
  • 入場料収入[125] は、各クラブの2018年(平成30年)度決算の数値(ホームゲーム数:J1が17試合、J2が21試合、J3が17試合)。
クラブ
所属
スタジアム略称
(所在地)
座席数
(席)
平均入場者数
(人)
総入場者数
(人)
招待券比率
%
入場料収入
(百万
画像
1 浦和
J1
埼玉
さいたま市
63,770 34,184 581,135 3.6 1,923
2 FC東京
J1
味スタ
調布市
49,970 31,540 536,187 10.1 947
3 G大阪
J1
パナスタ
吹田市
39,694 27,708 471,034 7.9 1,152
4 名古屋
J1
豊田ス
豊田市
40,000 27,612 469,397 14.6 936
パロ瑞穂
名古屋市
20,000
5 横浜FM
J1
日産ス
横浜市
72,372 27,010 459,168 5.2 1,127
ニッパツ
横浜市
15,454
6 川崎
J1
等々力
川崎市
26,827 23,272 395,619 8.7 975
7 C大阪
J1
ヤンマー
大阪市
47,000 21,518 365,810 14.9 618
8 神戸
J1
ノエスタ
神戸市
30,132 21,491 365,349 10.3 840
9 鹿島
J1
カシマ
鹿嶋市
40,728 21,491 365,349 10.3 840
10 札幌
J1
札幌ド
札幌市
41,484 18,768 319,053 6.5 636
11 松本
J1
サンアル
松本市
20,396 17,416 296,079 7.0 503
12 大分
J1
昭和電ド
大分市
40,000 15,347 260,893 6.8 254
13 磐田
J1
ヤマハ
磐田市
15,165 15,277[注釈 48] 259,709 10.0 638
14 鳥栖
J1
駅スタ
鳥栖市
24,490 15,050 255,845 4.6 678
15 清水
J1
アイスタ
静岡市
20,281 15,043 255,735 16.7 582
16 仙台
J1
ユアスタ
仙台市
19,694 14,971 254,503 13.0 608
17 新潟
J2
デンカS
新潟市
42,300 14,497 304,445 14.9 507
18 広島
J1
Eスタ
広島市
50,000 13,886 236,063 11.3 500
19 湘南
J1
BMWス
平塚市
15,690 12,848 218,424 7.6 480
20 千葉
J2
フクアリ
千葉市
18,500 9,701 203,725 14.2 332
21 大宮
J2
NACK
さいたま市
15,600 9,478 199,040 7.3 339
22
J2
三協F柏
柏市
15,349 9,471 198,887 6.8 449
23 岡山
J2
Cスタ
岡山市
20,000 9,444 198,331 3.2 176
24 山形
J2
NDスタ
天童市
21,292 8,289 174,064 11.6 178
25 甲府
J2
中銀スタ
甲府市
17,000 8,273 173,742 15.9 297
26 京都
J2
たけびし
京都市
20,588 7,850 164,845 18.8 173
27 長崎
J2
トラスタ
諫早市
20,246 7,737 162,476 10.3 407
28 横浜FC
J2
ニッパツ
横浜市
15,454 7,061 148,280 10.6 167
29 福岡
J2
レベスタ
福岡市
22,563 6,983 146,639 34.6 174
30 岐阜
J2
長良川
岐阜市
20,000 6,644 139,526 24.4 131
31 水戸
J2
Ksスタ
水戸市
12,000 6,087 127,824 15.7 84
32 北九州
J3
ミクスタ
北九州市
15,066 6,049 102,831 - 107
33 鹿児島
J2
白波スタ
鹿児島市
12,571 5,785 121,493 12.1 27
34 徳島
J2
鳴門大塚
鳴門市
16,599 5,736 120,460 7.0 135
35 山口
J2
みらスタ
山口市
15,115 5,653 118,718 9.9 212
36 熊本
J3
えがおS
熊本市
32,000 5,533 94,065 - 106
37 東京V
J2
味スタ
調布市
49,970 5,371 112,789 9.1 178
38 金沢
J2
石川西部
金沢市
20,261 5,209 109,386 15.2 69
39 栃木
J2
栃木グ
宇都宮市
15,589 5,148 108,105 13.9 115
40 琉球
J2
タピスタ
沖縄市
10,189 4,953 104,009 24.2 10
41 町田
J2
町田
町田市
16,033 4,718 99,077 8.7 108
42 愛媛
J2
ニンスタ
松山市
21,401 3,780 79,373 26.4 56
43 群馬
J3
正田スタ
前橋市
15,253 3,594 61,098 - 43
44 長野
J3
長野U
長野市
15,491 3,000 51,006 - 46
45 相模原
J3
ギオンス
相模原市
15,300 2,879 48,940 - 35
46 富山
J3
富山
富山市
25,250 2,737 46,535 - 28
47 沼津
J3
愛鷹
沼津市
5,104 2,470 41,992 - 16
48 鳥取
J3
とりスタ
鳥取市
16,033 2,229 37,889 - 34
49 讃岐
J3
ピカスタ
丸亀市
30,099 2,112 35,906 - 74
50 八戸
J3
ダイスタ
八戸市
5,124 1,760 29,919 - 7
51 藤枝
J3
藤枝サ
藤枝市
13,000 1,740 29,581 - 8
52 秋田
J3
ソユスタ
秋田市
18,528 1,576 26,793 - 20
53 盛岡
J3
いわスタ
盛岡市
4,946 1,368 23,249 - 9
54 福島
J3
とうスタ
福島市
21,000 1,242 21,115 - 12
55 YS横浜
J3
ニッパツ
横浜市
15,454 1,095 18,617 - 14

ユニフォーム

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1993年から1996年までは「ミズノ」が全クラブのユニフォーム・サプライヤー(供給メーカー)を一括して受け持っていた。ただ、その契約はリーグ戦のみの契約だったので、天皇杯やJリーグカップなどのカップ戦では各クラブが個別にユニフォームメーカー等と契約して、カップ戦用のユニフォームを着用していた。全面的にミズノと契約したクラブの場合、チームや年度によってリーグ戦と全く同一の場合と、他社契約時と同様にデザインを変えていた場合とがあった。またリーグ戦とカップ戦(チームによってはJリーグカップ・天皇杯など大会ごとにも)でユニフォームスポンサーが異なることもあった他、天皇杯や海外のクラブとの試合などでは、当時変動背番号制だったリーグ戦では存在しなかった17番以上の背番号や、選手名を入れたユニフォームがあった。

1997年にはこれまでの「ミズノ」に加えて、「アンブロ」・「アディダス」・「プーマ」(ヴェルディ川崎は自主制作という形で「ナイキ」)が新たなユニフォーム・サプライヤー(これもリーグ戦限定)として加わり、1998年からは事前にJリーグとユニフォーム・サプライヤー契約を結んでいるユニフォームメーカーなどに限って、各クラブがユニフォームメーカーなどの各社と個別の契約を締結することができるようになった[126]

3rdユニフォームは横浜FMと名古屋がJリーグでは2001年になって初めて採用したが、現在ではその年のACLに参戦をするクラブを中心に数クラブが導入している。また、Jリーグ事務局長の事前承認があれば、「ユニフォーム使用計画」に定めるユニフォームとは異なるユニフォームを着用することができる。なお、Jリーグ年間王者のクラブは、金色のJリーグロゴマークをチャンピオンマークとして翌シーズン、ユニフォームの袖にJリーグのロゴに代えて付けることができる。

国内公式戦(リーグ、リーグカップ、天皇杯)では、ユニフォームの前面胸部と、背番号上部、左袖、トランクスにそれぞれスポンサー広告を付けることが認められている。2016年からは背番号下部、2018年からは前面鎖骨部(左側および右側)に関してもスポンサーを付けることが認められたが、これ以前にもFC東京ガンバ大阪が背番号下部のところに広告を入れた事例がある[127]

2021年シーズンから、視認性の確保(特にカラーユニバーサルデザインの観点から)を目的として、ユニフォームに用いる背番号・選手名表記のフォント及び配色がJリーグ全体で統一された[128]。統一フォントはカールスバーグのビジュアルデザインなどを手がけたデンマークのコントラプンクト社が制作したオリジナルフォントの「J.LEAGUE KICK」(ジェイリーグ・キック)で、フォントで使用可能な色も白・青・赤・黒・黄の5色に指定された。なお、2023年シーズンをもって全チーム統一での使用は終了。2024年シーズンからは各クラブが4年ぶりに独自のフォントを採用するほか、一部チームは引き続き「J.LEAGUE KICK」を使用する。

2024シーズンユニフォーム・サプライヤー

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サプライヤー 使用クラブ
J1 J2 J3
アシックス 神戸 - 今治
アディダス 町田 / 横浜FM / 新潟 仙台 松本
アスレタ 東京V 秋田 / 栃木 -
アドミラル 磐田 - -
アンダーアーマー - いわき 大宮
アンブロ - - 相模原 / 北九州
ケレメ - 群馬 岩手
ゴル - 藤枝 -
ゴールドウイン - - 富山
サッカージャンキー - 水戸 鳥取
JOGARBOLA - 愛媛 -
スクアドラ - - 奈良
スフィーダ - - 琉球
ナイキ 鹿島 / 浦和 / 広島 - -
ニューバランス FC東京 / 鳥栖 - -
ヒュンメル G大阪 千葉 八戸 / 福島 / 金沢
フィンタ - 山口 -
プーマ 川崎 / 京都 / C大阪 横浜FC / 清水 / 熊本 / 大分 -
ペナルティ 湘南 山形 / 岡山 長野 / 沼津
ボネーラ - - YS横浜 / FC大阪
マクロン - 長崎 -
ミズノ 札幌 / 名古屋 甲府 / 徳島 -
ヨネックス 柏 / 福岡 - 宮崎
ラッツォーリ - - 岐阜
(ANGUA)[注釈 49] - 鹿児島 讃岐

背番号

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1993年から1996年までは試合ごとに付ける番号が違う変動背番号制であったが、1997年からはシーズン開幕前やクラブ加入時点で決定される固定背番号制へと変更された[130]

2004年には欠番の解禁など規約が一部改定されたことで特定の番号(12が多い)をクラブ公式にサポーターズナンバーとし欠番とするクラブが出てきた。

2018年5月30日、Jリーグの理事会が開催され、シーズン途中の背番号変更が可能となり、同日から適用された[131]。初適用者は当時ヴィッセル神戸三田啓貴で、8から7へ変更となった。

2023年シーズン現在の主な規約内容は以下の通り。

  • 背番号0は不可。
  • 背番号1ゴールキーパー、背番号2から11まではフィールドプレーヤーが付けなければならない。
  • 背番号12以降は、99まではポジションとは無関係に自由に付けることができる。

なお、2022年シーズンまではユニフォーム要項で「50までは欠番を認める。ただし、51からは連番で番号をつけることとし、欠番は認めない」と定めていた[132]

なお、変動背番号制であった1996年にはG大阪の今藤幸治がGKの番号である1以外の2から11までの背番号を付けた事がある。

固定背番号導入当初、天皇杯では、Jリーグへの届け出とは別に背番号を登録したため、リーグ戦と異なる背番号を着用した例がある。

公式試合球

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Jリーグの試合では、Jリーグの公式ロゴマークが入っているJリーグ公認の試合球(公式試合球)が使用されている。なお、1993年の開幕戦でヘニー・マイヤー(V川崎)が決めたJリーグ第1号ゴールの試合球はJリーグ事務局のチェアマン室に、ガラスケースに入れて保存されている[133]

製造は全てアディダス、提供は全てモルテン

年度 公式試合球
1993年 エトルスコ・ユニコ
1994年
クエストラ
1995年
1996年
1997年
1998年 トリコロール
1999年
2000年
2001年 ガマラダ
2002年 フィーバーノヴァ
2003年
2004年 ロテイロ
2005年
2006年 チームガイスト
2007年
2008年 チームガイストII
2009年 テラパス
2010年 ジャブラニ
2011年 スピードセル
2012年 タンゴ12[134]
2013年 カフサ
タンゴ12コトホギ[135]
2014年 ブラズーカ[136]
2015年 コネクト15[137]
2016年 エレホタ[138]
2017年 クラサバ[139]
2018年 テルスター18[140]
2019年 コネクト19[141]
2020年 ツバサ[142]
2021年 コネクト21[143]
2022年 コネクト21[144]アル・リフラ[145]
2023年 オーシャンズ[146]
コトホギ30[147]
2024年 コネクト24[148]

指導者資格

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第1種チーム(トップ)の監督は日本サッカー協会公認S級指導者ライセンスを保持している者が指導することとされている。但し、不測の事態が認められた場合には、S級ライセンスを持たないコーチがコーチ資格のまま実質的な監督役を務めることができる。一例として、2021年に徳島ヴォルティスダニエル・ポヤトスの代理として10試合の指揮を執った甲本偉嗣は当時S級ライセンスを保有していなかった[149]

一方、第1種チーム(サテライト)は同A級(以上)指導者ライセンス保持者、第2種以下は同B級(以上)ライセンス保持者が監督を務めることが出来る。

審判員

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日本サッカー協会に登録された1級審判員の中から推薦、決定されJリーグ担当審判員となる。2021年シーズンの場合、主審担当者が59名、副審担当者が99名[150]。この中には日本サッカー協会の認定したプロフェッショナルレフェリー (PR) がおり、審判員としての報酬のみで生計を立てている。

2020年シーズンからJ1全試合においてビデオ・アシスタント・レフェリー (VAR) が導入されることが決まっていた[151] ものの、新型コロナウイルスの影響により実施が見送られた。しかし、その後2021年からVARの導入が決まった[152]

フラッグ

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毎試合、Jリーグの試合会場にはJリーグフラッグと対戦する両クラブのフラッグ(旗)が掲げられる。フラッグのデザインは自クラブのクラブカラーを基調とし、自クラブのロゴタイプエンブレムが入っていることが一般的である。また、Jリーグ旗の横や下などにFIFAのフェアプレーフラッグが掲げられている場合があるほか、選手が入場する際には必ずスターティングメンバーのサインが入ったJリーグのフェアプレーフラッグを先頭にしてピッチへ入場する。なお、リーグ戦で使用されるJリーグフラッグは2種類あり、通常の試合会場では主に無地のフラッグが使われている。

  1. 背景は「白」を基調とした無地の柄で中央部にJリーグの公式ロゴマークが入ったタイプ。
  2. 背景は左側から黒で縁取られた「緑」「白」「赤」を基調としたイタリア国旗風の柄で中央部にJリーグの公式ロゴマークが入ったタイプ。

音楽

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特に規約では規定されていない[注釈 50]ものの、リーグ戦では一部クラブ除き選手入場時にアンセムが流れる。1993年のJリーグ開幕時、Jリーグ公式テーマソング「J'S THEME(Jのテーマ)」をTUBEのギタリスト春畑道哉が制作し、開幕のオープニングセレモニーで演奏した。Jリーグに関するイベントやスタジアムなどで使用されている。また、岸利至の作曲によるJリーグの公式アンセム「THE GLORY」も存在し、一部のクラブでアンセムとして使用しているが、多くのクラブがクラブオリジナルのアンセムを作成し、入場時に流している。

なお、Jリーグ開幕30周年の企画として、2023年5月15日のJリーグ開幕30周年を迎えるのを機に、RADWIMPSが、新しいアンセム「大団円」を制作[154]、「THE GLORY」を使用していたクラブの多くが「大団円」に変更している。

ルヴァンカップは専用のアンセム(作曲:☆Taku Takahashi)を使用する。

年度 曲名 作詞 作曲 編曲
公式テーマソング 1993年 J'S THEME - 春畑道哉TUBE
J'S BALLAD
公式アンセム 2003年 THE GLORY 岸利至 岸利至
2023年 大団円 feat.ZORN 野田洋次郎ZORN 野田洋次郎
公式ソング 2003年 飛躍 安岡優 村上てつや 小西貴雄

スローガン

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年度 スローガン
1999年 Join!
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年 Amazing,J.
2006年
2007年 Will Be 見せたい未来がある。
2008年 Will Be クラブサッカーの世界水準へ。
2009年 「SHOUT! for SHOOT!」声、枯れるまで。体、果てるまで。
2010年 極上のライブエンターテイメント
2011年 明日のために 今、走る
チカラをひとつに。-TEAM AS ONE-(東日本大震災復興支援スローガン)
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年 チカラをひとつに。-TEAM AS ONE-がんばろう熊本・九州(熊本地震復興支援スローガン)
2017年 チカラをひとつに。-TEAM AS ONE-(震災復興支援活動を一本化)
2018年
2019年
2020年
2021年
2022年
2023年 よっしゃ いこ!(Jリーグ30周年メッセージ)

アカデミー

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Jリーグに所属するクラブはアカデミー(下部組織、Jリーグの用語では「育成組織」)をもつことを義務つけている。アカデミーはJFAに世代別のチームとして登録され(日本サッカー協会チーム登録種別を参照)、Jリーグの主催する各大会やJFA主催大会などに出場する。

マスコットキャラクター

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Jリーグ

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Mr. ピッチ
  • 読み方は「ミスター・ピッチ」。
  • 1991年11月1日生まれ、出身地は不明。
  • 血液型はJ型。
  • 身長は180センチメートル、スリーサイズは上から200・200・200センチメートル、全身を緑の芝生におおわれているのが特徴。
  • 好きな色はグリーン。好きな言葉は「地球は青かった」、「石の上にも三年 芝の上にも百年」。
  • 趣味はガーデニング。
  • 「Jリーグ百年構想メッセンジャー」として、現在は各地で毎年行われている「ファミリーJoinデイズ」や「Jリーグオールスターサッカー」を始め、積極的に様々なイベントなどに出演している。また、各地の試合会場において、試合の前後やハーフタイム中に電光掲示板などで彼の出演しているビデオ映像を目にすることができる。なお、「百年構想」をPRしているポスターや雑誌の広告などでも、彼がモデルを務めている。
Jリーグキング(J-boy)

Jリーグクラブ

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協賛団体

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Jリーグ(リーグ戦)の公式スポンサーはJ1の試合会場で広告看板を掲示できるほか、新聞や雑誌、放送媒体の広告でJリーグのロゴマークとともに「(企業名)はJリーグの○○パートナーです」、あるいは「(企業名)はJリーグを応援しています」のクレジットを掲載できる。また、各所属クラスに関係なく、試合前後の時間やハーフタイム中に試合会場の電光掲示板や場内放送で企業名を読み上げられる。

2011年度までの協賛カテゴリーは「オフィシャルスポンサー」と、それ以外のスポンサー(用具サプライヤー、90度システム広告スポンサーなど)とに区分されていたが、2012年度から原則として「○○パートナー」に呼称を統一させており、スポンサー・サプライヤーのカテゴリーをよりわかりやすく細分化している。

全ディビジョン共通
  • オフィシャルパートナーの広告設置に関しては、Jリーグ規約[155] 第35条(27ページ)に「スタジアムにはJリーグが指定する位置にJリーグ、並びにJリーグオフィシャルパートナーの企業・団体が所定サイズ・及び枚数の広告看板)を設置・掲出できるスペースを確保しなければならない」とする取り決めによるものである。
  • 日本スポーツ振興センター(WINNER・toto・BIG、2001年より)、DAZN2017年より)のトップパートナー[注釈 51] 以外の形でリーグ戦を協賛する企業の広告横断幕が基本的にバックスタンドの最前列の箇所に設置されている[注釈 52]。なお一部のスポンサーはJリーグカップにも広告看板を掲出する場合[注釈 53] もある。
  • 2008年から2013年まで、メインスタンドから見て左側(原則としてホームゴール裏)にオフィシャルサプライヤー(コンタクトレンズ等提供)のジョンソン・エンド・ジョンソンの小型広告が設置されていた。現在はJ1リーグに限り、メインスタンドから見て両ゴール裏にリーグのタイトルロゴとスポーツくじ(WINNER[156])の小型広告がそれぞれ設置されている。
J1
  • 1993年から1995年の2ステージ制時代は、そのステージの冠スポンサー(1st・サントリー、2nd・日本信販)の広告看板がバックスタンドとゴール裏のそれぞれ最前列[注釈 54] に2枚ずつの合計4枚、他のオフィシャルスポンサー団体は1枚ずつ掲出されていた。それ以後は原則バックスタンドに各社2枚ずつ掲出されている。2015年2ndステージからは1stステージよりトップパートナーが1社増加したため、両サイドの外側にトップパートナーの広告が1枚ずつはみ出る形になり、ランダムに2社の広告が1枚ずつはみ出している(球技専用が多い)場合がある[注釈 55]
  • 2005年から2014年までJ1の各節1試合ごとに電動式回転広告板を導入していた。ただ、導入される試合は各節注目の試合に設置される場合が多い。また、2008年からはこれと併用する形でJ1の各節1試合ごとに三菱電機社製の電光広告板(オーロラリボンビジョン)を導入した。主に、NHK-BSの中継対象試合を中心に運用されている。2015年からは回転広告板を廃止した代わりに、電光広告板を使用する試合は1節に2試合に増加した。
  • 2015年からは、タイトル協賛である明治安田生命の広告を6枚(うち、長方形の通常サイズ4枚を両コーナーとハーフライン付近に各2枚ずつ、コーナー部分に同社商品の正方形の広告が2枚)設置されている(J2・J3も同様)。またJ1ではこれとは別に90度システムの広告幕2枚(各ゴール裏1枚ずつ)を設置している。
J2
  • J2ではJリーグの公式スポンサーの広告看板は2007年まで掲出されなかった(各クラブごとの公式スポンサーの看板がかかっている)が、1996年から1998年のジャパンフットボールリーグでJリーグ準会員だったチームのホームゲーム開催時にはゴール裏部分に各1枚ずつのJリーグ公式スポンサーの広告看板が掲出されていた。なお、2008年から大会名の看板の横に小さめに公式スポンサーの広告が1枚にまとめて載るようになった。
J3
  • 2014年は、J1・J2とは別の独自の協賛スポンサーが制定されており、各会場のバックスタンド最前列[注釈 54]に、タイトル協賛の明治安田生命が4枚、他のJ3公式スポンサーからは2枚ずつの広告看板(横断幕)が設置されていた[注釈 52]。2014年のJ3のスポンサーのうち、日本航空以外の各社はJ1・J2の何らかの公式スポンサーを兼務していたが、2015年度からはJ1・J2を含めて統一したスポンサー体系にすることになり、J2同様、大会名の看板の横に公式スポンサーを1枚にまとめて載せるようになった(なお2014年はJ3公式スポンサー団体を除いたJ1・J2のスポンサー団体の広告は設置しなかった)。
Jリーグカップ
  • 大会創設時よりヤマザキナビスコ→ヤマザキビスケットの企業ロゴ、および同社商品の広告看板(ルヴァンチップスター他)が設置されている。なお創設当初からの最初の3年(1992年から1994年)は、予選リーグの試合(1994年は1・2回戦)に限って、ナビスコの広告と一緒に、通常ゴール裏に設置される各クラブ個別の協賛スポンサーの看板を置いていた。
スポンサースペシャルデー&スペシャルマッチ
  • 1996年にこれまでのステージスポンサーの制度が廃止されてから数年間に渡って、Jリーグでは公式スポンサー企業が特定の節・試合を対象としてスポンサースペシャルデー、ないしはスペシャルマッチを開催した。試合会場ではスペシャルデーのスポンサー企業がキャンペーンプロモーションを展開した。

協賛団体一覧

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協賛カテゴリー種別 契約開始年度 協賛団体名
タイトルパートナー 2015年 明治安田[注釈 56]
オフィシャルブロードキャスティングパートナー 2017年 DAZN[157][158]
トップパートナー[注釈 51] 2005年 アイデム
2015年 ルートインホテルズ
イオン
2017年 NTTドコモ[157][159]
2018年 コナミデジタルエンタテインメント[注釈 57]
2019年 いちご
リーグカップパートナー 1992年 ヤマザキビスケット[注釈 58]
スーパーカップパートナー 1994年 富士フイルムビジネスイノベーション[注釈 59]
オフィシャルエクイップメントパートナー 1993年 モルテン[注釈 60]
2005年 アディダス[注釈 60]
スポーツ振興パートナー 2001年 日本スポーツ振興センタースポーツくじ〔WINNER・toto・BIG〕
オフィシャルチケッティングパートナー 2012年 ぴあチケットぴあ
オフィシャルECプラットフォームパートナー 2017年 楽天グループ[160]
オフィシャルテクノロジーパートナー NTTグループ[157][159]
サポーティングカンパニー 2003年 朝日新聞社
2015年 LINEヤフースポーツナビ[161][162]
2017年 デロイトトーマツ(ファイナンシャルアドバイザリー/コンサルティング[163]
2021年 データスタジアム
IMAGICA GROUP/イマジカ・ライヴ
2022年 サントリーウエルネス
2024年 ニコン
TikTok[164][165][166]
A.T.カーニー
マーケティングパートナー 2014年 電通[167]

過去の協賛団体一覧

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協賛カテゴリー種別 契約期間 協賛団体名
ステージスポンサー[注釈 61] 1993年 - 1995年 サントリー(第1ステージ・チャンピオンシップ[注釈 62]
日本信販(NICOSカード)(第2ステージ)
オフィシャルスポンサー(1993年 - 2011年)
→トップパートナー(2012年 - )[注釈 51]
1993年 - 1995年 岡三証券
資生堂
日清製粉
ボブソン
ミズノ
1996年 - 1997年 アンブロ
1994年 - 1998年 日本生命
1996年 - 1998年 第一勧業銀行
1993年 - 1999年 小学館
1999年 - 2001年 日本コダック
2000年 - 2001年 光通信
トライグループ(家庭教師のトライ)
1999年 - 2003年 武富士
1993年 - 2004年 ダイエーコンビニエンスシステムズ→ローソン[注釈 63]
1993年 - 2007年 サントリー
日本信販→三菱UFJニコス(NICOSカード)
1994年 - 2007年 ジャパンエナジー(JOMO)
2005年 - 2007年 平和[168]
GEコンシューマー・ファイナンス(GE Money)[169]
2008年 - 2010年 マイラン製薬
レオパレス21
プレナス
2011年 東京エレクトロン
2011年 - 2013年 日本マクドナルド
1993年 - 2014年 カルビー
2009年 - 2015年 日本コカ・コーラ
2012年 - 2015年 ジェーシービー
2015年 - 2016年 コロプラ
ECC
2016年 - 2018年 タグ・ホイヤー
1996年 - 2019年 キヤノン/キヤノン販売→キヤノンマーケティングジャパン
2014年 - 2019年 明治安田生命
2017年 - 2020年 マスターカード[170]
2016年 - 2022年 エレクトロニック・アーツEAスポーツ
90°システム広告スポンサー[注釈 64] 2002年 - 2007年 サントリー
2008年 - 2009年 ジャパンエナジー(JOMO)
2004年 - 2010年 NTTコミュニケーションズOCN
2009年 - 2012年 日本コカ・コーラ[注釈 65]
百年構想パートナー 2003年 - 2022年 朝日新聞社
ワールドチャレンジスポンサー 1994年 - 1997年 三和銀行
オールスターサッカースポンサー 1993年 - 1998年 日本コダック
1999年 - 2001年 たらみ
2002年 - 2007年 ジャパンエナジー(JOMO)
ドリームマッチスポンサー 1995年 - 2001年 ジャパンエナジー(JOMO)
ネットワークパートナー 2002年 - 2010年 東日本電信電話
西日本電信電話
オフィシャルサプライヤー 2008年 - 2013年 ジョンソン・エンド・ジョンソン ビジョンケア カンパニー
オフィシャルタイムキーパー 2019年 - 2020年 タグ・ホイヤー
フェアプレーパートナー 2012年 - 2014年 東京エレクトロン
オフィシャルVAR・フェアプレーパートナー 2020年 トップ[171]
アソシエイト[注釈 66][172] 2015年 日本航空[172][注釈 60]
アライアンスマーケティングパートナー 1993年 - 2013年 博報堂DYメディアパートナーズ
博報堂
オフィシャルブロードキャスティングパートナー 2007年 - 2016年 スカパーJSAT
J2サポーティングカンパニー 2002年 - 2003年 大日本印刷
スポーツ振興くじ販売代理 2023年 楽天グループ(楽天toto)
2014年のJ3リーグに設定されていた独自の協賛スポンサーについてはJ3リーグ#協賛団体参照。

海外の提携リーグ

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諸問題

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自治体との関係

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Jリーグは入会を希望するクラブに対して「地域との協力関係およびホームスタジアム、練習場等に関する調査」を行うことになっており(Jリーグ規約第17条)、加えて各クラブがホームタウンと定めた自治体から「全面的な支援が得られること」を求めている(Jリーグ規約第24条第1項第1号)。

また、Jリーグ全60クラブのホームスタジアムの多くは地元自治体が資金拠出して整備し保有する「公設公営」のスタジアムでありながら、Jリーグのホームスタジアムとして利用する際にはクラブライセンス制度に基づいて一定以上の設備要件(屋根の設置、規定数以上のトイレの確保、など)を求めており、老朽化や設備不備に伴うスタジアムの更新に自治体側が難色を示したり[173]、自治体によるスタジアム整備が進まないことでライセンス剥奪の可能性が取り沙汰される事態も生じている[174]。また、ライセンス基準を念頭に整備されたスタジアムにおいても、クラブの成績不振などを遠因として収益が見込めず建設費用の償還が行政の負荷になっているのではないかとの意見もある[175]

こういった点から、Jリーグ(クラブ)の運営がホームタウンとなっている自治体の拠出する税金に依存しているとの批判があり、インターネット上などで「税リーグ」などと揶揄される状況となっている[176][177]

こうした中、全日本空輸 (ANA) のシンクタンク・ANA総合研究所の主席研究員・廣岡信也は2024年8月30日付けで「Jリーグは誰のものか」というレポートを公開[178]。この中で、前述のとおりスタジアムの多くが地元自治体が整備したものであること、ライセンスに関する諸問題があることを踏まえ、「Jリーグの基準を満たすためには屋根を設置するなどコストが掛かる。反面、専用球技場であれば芝の養生のために使用頻度は限られ、多くの収入を見込めないばかりか市民が使用する機会もかなり制限されてしまうのである。これでは本当に(Jリーグクラブのスタジアム整備のために)税金を投入する価値があるのであろうか」と述べ、用地面や費用面、稼働率などの面で優れた「費用対効果の良いBリーグの支援(≒アリーナの整備)を優先させる可能性は高い」と述べている。

一方で、スポーツ庁経済産業省による「スタジアム・アリーナ改革ガイドブック」[179]で示した「スタジアム・アリーナ改革の全体像」によれば、スタジアム・アリーナの新築、改築、改修においては資金面やリスクの観点から公的な資金の提供が不可欠としつつ、民間活力の活用による多様な事業方式(PFIコンセッション公設民営など)・資金調達方式を活用・充実させることが必要と述べ、併せてスポーツで稼いだ収益をスポーツへ再投資することを促し、地域経済とスポーツ関係者が連携しつつ自律的に成長を遂げるための資金循環のシステムを実現することが必要と述べており、スタジアム整備に当たって自治体の関与を必要としつつも、特に資金面に於いて新たな手法の導入を推進している。

選手の海外移籍とJリーグの「空洞化」

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かつて選手の海外移籍は、日本代表クラスの選手でも中心選手に限られていたが、2010年代に入ると日本人選手の海外移籍が増加していき、その流れが加速した末、Jリーグを経ずに海外クラブに加入する事例も生じている。こうした結果、Jリーグ全体でいわゆる「働き盛り」の選手層が薄くなり、Jリーグの「空洞化」を招いているのではないかと複数の関係者から指摘されている[180][181][182]

今後の課題と展望

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Jリーグは2021年4月6日に行われた実行委員会後の記者会見で、リーグの将来像を議論する「リプランニング推進チーム」を2021年4月1日付で創設したことを明らかにした[183]。専務理事の木村正明が中心となって推進するもので、以下の項目について実現可能性の模索、前提となる研究分析を検討していくことが示されている。

選択と集中の意思決定が必要だが、実現可能性を模索したいもの
  • 視聴拡大のための体制強化
  • リーグ内組織の最適化による、さらなる価値向上(人材リソースの最適化)
  • toC戦略の確実な実行(来場者に対する伝える中身・伝える方法)
  • クラブ&企業マッチング機能の充実
  • 23区スタジアム(ロンドンのウェンブリー・スタジアムのような、中立地として使えるスタジアムを整備する構想)
思想レベルの意識転換が必要で、前提となる研究分析を継続するもの
  • 傾斜配分割合の増加
  • ネーミングライツ解禁(クラブ名に企業名称を容認するか否か)
  • 上場解禁(クロスオーナーシップとの整合性)
  • ホームタウン規制緩和(特に東京都内での他クラブによるイベントの可能性)
  • リーグ構造の見直し

このうち、「リーグ構造の見直し」に関しては、2014年の時点でJ1・J2・J3の合計クラブ数の上限を60と設定していることを明らかにし、J3クラブが20クラブに達した時点で以降の形をどのようにするかを検討する内容で2021年9月末までに結論を出す意向であることを明らかにしており[183][184]、一部メディアが報じた、J1リーグよりも上位に位置するいわゆる「プレミアリーグ」を設置する構想[185] については、意見としてはあるものの「一切議題には入っていない」と否定している[183]

また、『上場も考慮した資本流動性の研究』の一環として、「株式異動に関わるルール・規則」については、2022年2月28日にオンラインで行われたJリーグ理事会で決議され、2022年3月1日付で改定された[186][187]。この改定では、現状不可能であるサッカークラブの株式上場がJリーグの新しい成長戦略として挙げられ、資本力のある投資家を呼び込み、クラブの経営管理体制を強化するといったJリーグ自体の発展に加え、価値の向上に反映させていくことが目的とされる一方で、インテグリティの観点によって、サッカークラブの株式保有の禁止対象について、再定義させることになったもの[186]。また、15%未満の保有株式が移行した場合に、Jリーグへの報告義務は廃止となるが、敵対的買収や反社会的勢力などの不適切な株主への対策の一環として、15%以上保有する大口の株主の場合はJリーグの方で審査を行うことになった[187]

2022年11月15日に、Jリーグは、新たな成長戦略として「58クラブが、それぞれの地域で輝く」と「トップ層が、ナショナル(グローバル)コンテンツとして輝く」という2つの成長テーマを掲げ、その上で、「配分金構造の見直し」と「リーグ組織のガバナンス改革」という、2つの「成長戦略を実現するための構造改革」を行うことを明らかにした[188]。「成果創出を後押しし、高みへの挑戦を促す新たな配分ルールへ」を目的とした「配分金構造の見直し」に関しては、「カテゴリー間の配分比率の見直し」と「同一カテゴリー内の配分方法の見直し」を掲げ、また、「リーグ組織のガバナンス改革」に関しては、「より質の高い議論とスピーディーな意思決定を実現する会議のあり方へ」を目的とした「会議等の意思決定構造の見直し」として「理事会の見直し」と「実行委員会の見直し」を掲げ、そして、「クラブの成果創出を実現できる執行体制の強化」を目的とした「リーグ執行機関の組織構造の見直し」として「執行役員の新設」と「変動報酬制の導入」、それに、「経営会議の新設」を掲げている[188]

関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ リーグの定める「用語集(ターミノロジー)」[1] では、「Jリーグ」の語を含め、日本語表記において「J」を全角の「J」を用いることと定めているが、Wikipediaにおいては表記ガイドに基づき半角で表記する。
  2. ^ リーグカップはその前年の1992年から始まっている
  3. ^ 2014年度までJ1・J2のリーグ戦の呼称についてはJリーグ定款でそれぞれ「Jリーグ ディビジョン1」「Jリーグ ディビジョン2」と表記されていたが、2015年よりそれぞれ「J1リーグ」「J2リーグ」に改める。なおJ3については、初年度の2014年から正式な呼称として「J3リーグ」を採用している[2]
  4. ^ リーグ発足当初はリーグエンブレムも別デザインのものが用いられていたが、2022年12月20日より、J1・J2のリーグエンブレムと同様のデザインに統一された[3]
  5. ^ 2016年から2020年まではこれと別にJ3に参加するJ1クラブのU-23チームが3チーム存在した。
  6. ^ 「活性化委員会」の提唱は森健兒[出典 14]。設置時の名称は「JSL活性化委員会」である。現在これを「JSL第一次活性化委員会」と呼ぶのは、川淵が森の後、総務主事に就任し、森らに倣い再開させたものを「第二次活性化委員会」と名付けたため、森が総務主事だった時代に開催されたものを後に「"第一次"活性化委員会」と分けて呼ぶようになった[50]。「第一次活性化委員会」のメンバーは、森健兒、木之本興三の他、森と木之本が、石井義信森孝慈小倉純二、村田忠男(JFA)、浅野誠也(読売)、杉山隆一佐々木一樹[28]の7人を選んだ[出典 15]。委員長には森健兒が就くのが自然だったが、森は名古屋転勤で忙し過ぎたためとバランスや企業説明を考え、森が小倉純二を委員長に指名した[出典 16]。「活性化委員会」は、短期間に6回の会合をもち、日本リーグの現状分析、他国のプロリーグの調査、日本にプロリーグをつくる可能性を模索した[42]
  7. ^ この10ヵ月後にまとめられた「第二次活性化委員会」の報告書もこれを踏襲し、これがほとんどそのままJリーグの骨格となる[58]
  8. ^ 「第二次活性化委員会」のメンバーは、森健兒、木之本興三を含む、「第一次活性化委員会」と同じメンバー9人と、プロ化に乗り気でないチームの実行委員・阿部豊(NKK)、有村宏三郎(ヤンマー)、泉信一郎(全日空)に、川淵を加えた13人で[出典 21]、「第二次活性化委員会」でも委員長には引き続き川淵が小倉純二を指名した[出典 22]。「第二次活性化委員会」は「第一次活性化委員会」が出した結論をさらに検討させた[出典 23]。川淵は、当時の日本リーグのレベルが低いばかりでなく、アンフェアなプレーが横行していたこともあり、当初はリーグのプロ化には反対だった[出典 24]。しかし「活性化委員会の真剣な議論に参加しているうちに、根本的な改革が必要であることを思い知り"失うものは何もない"とプロ化推進に傾いていった[出典 25]。「第二次活性化委員会」は1988年10月3日から翌1989年3月13日まで8回の会合を開き「1992年スペシャルリーグ・スタート」という提案を出して解散、以後の検討をJFAの「プロリーグ検討委員会」に委ねた[出典 26]
  9. ^ 「JSL評議委員会」は、JSLの最高議決機関。主に加盟チームが自ら選出した評議員で構成されていた。親会社で立場のある取締役クラスの人が選出されることが多く、会社の意向を尊重する傾向があった[34]。「第一次活性化委員会」~「第二次活性化委員会」のメンバーは、各チームを実質的に切り回していた人たちではあったが、親会社に戻れば会社の経営方針に直接タッチできる役職には就いていなかった[48]。「JSL評議委員会」の議長は日産自動車副社長の細川泰嗣。他のメンバーも各チームの代表者であり、親会社での地位は「活性化委員会」のメンバーよりはるかに上だった[48]
  10. ^ JFA内に「プロ対策本部」(本部長は長沼健)が作られ[出典 32]、1990年10月、その中に「プロリーグ検討委員会」(委員長は川淵三郎)が設置された[出典 33]。「プロリーグ検討委員会」は1991年1月まで6回の会合を重ね、リーグ参加条件の決定、当該団体への参加意思確認とヒアリング、アドバイザーボードの開催などを行う[出典 34]
  11. ^ 1991年11月1日、新リーグが「社団法人日本プロサッカーリーグ」として法人化されることが決定した[出典 37]
  12. ^ 「Jリーグ」という名称の提案は、当初 Jipang League(ジパング・リーグ)の略称として提案された[66]
  13. ^ 未出場の国がワールドカップのホスト国となった先例はなかった。
  14. ^ ロゴ等で用いられている表記は「明治安田生命 J.LEAGUE
  15. ^ ロゴ等で用いられている表記は「明治安田 J.LEAGUE
  16. ^ 八戸市十和田市五戸町三戸町田子町南部町おいらせ町階上町新郷村三沢市七戸町六戸町東北町野辺地町横浜町六ヶ所村
  17. ^ 盛岡市北上市宮古市大船渡市花巻市久慈市遠野市一関市陸前高田市釜石市二戸市八幡平市奥州市滝沢市雫石町葛巻町岩手町紫波町矢巾町西和賀町金ケ崎町平泉町住田町大槌町山田町岩泉町田野畑村普代村軽米町野田村九戸村洋野町一戸町
  18. ^ 秋田市由利本荘市にかほ市男鹿市潟上市
  19. ^ 福島市会津若松市伊達市国見町桑折町川俣町
  20. ^ いわき市広野町楢葉町富岡町川内村大熊町双葉町葛尾村浪江町
  21. ^ 鹿嶋市神栖市潮来市鉾田市行方市
  22. ^ 水戸市日立市ひたちなか市笠間市那珂市小美玉市常陸太田市北茨城市常陸大宮市高萩市茨城町城里町大洗町大子町東海村
  23. ^ 2013年に退会し2014年に再加盟。
  24. ^ 平塚市厚木市伊勢原市小田原市茅ヶ崎市秦野市平塚市藤沢市大磯町寒川町二宮町鎌倉市南足柄市大井町開成町中井町箱根町松田町真鶴町山北町湯河原町
  25. ^ 相模原市海老名市座間市綾瀬市愛川町
  26. ^ 松本市安曇野市山形村塩尻市大町市池田町生坂村箕輪町朝日村高森町麻績村
  27. ^ 長野市須坂市中野市飯山市千曲市坂城町小布施町高山村山ノ内町木島平村野沢温泉村信濃町飯綱町小川村栄村佐久市
  28. ^ 新潟市聖籠町長岡市三条市柏崎市新発田市小千谷市加茂市十日町市見附市村上市燕市糸魚川市妙高市五泉市上越市阿賀野市佐渡市魚沼市南魚沼市胎内市弥彦村田上町阿賀町出雲崎町湯沢町津南町刈羽村関川村粟島浦村
  29. ^ 金沢市野々市市かほく市津幡町内灘町
  30. ^ 御前崎市菊川市掛川市袋井市森町磐田市浜松市湖西市
  31. ^ 藤枝市島田市焼津市牧之原市吉田町川根本町
  32. ^ 京都市宇治市城陽市京田辺市向日市長岡京市木津川市亀岡市南丹市京丹波町福知山市舞鶴市綾部市八幡市宮津市大山崎町久御山町京丹後市精華町
  33. ^ 吹田市茨木市高槻市豊中市池田市摂津市箕面市
  34. ^ 鳥取市倉吉市米子市境港市
  35. ^ 山口市下関市山陽小野田市宇部市防府市周南市美祢市萩市下松市岩国市光市長門市柳井市周防大島町和木町上関町田布施町平生町阿武町
  36. ^ 徳島市鳴門市美馬市吉野川市小松島市阿南市松茂町板野町藍住町北島町
  37. ^ a b c d 1992年から1995年に「特別活動地域」として九州地方の3県をホームタウンとほぼ同権限の地域と位置づけた。
  38. ^ 仙台・山形・大宮・FC東京・川崎・甲府・新潟・鳥栖・大分の9クラブ。
  39. ^ JFLから9クラブ(秋田・福島・町田・相模原・YS横浜・長野・金沢・藤枝・琉球)、地域リーグ東北リーグ)から1クラブ(盛岡)。
  40. ^ 2017年と2018年の成績による支給分は1年目10億円、2年目4億円、3年目1.5億円
  41. ^ 2017年と2018年の成績による支給分は1年目4億円、2年目2億円、3年目1億円
  42. ^ このときは横浜Mが三ツ沢、横浜Fは九州への「遠征」、あるいは国立での開催などがあった。
  43. ^ ゴールデンウィークお盆等年数回の平日に行われる場合でも、どちらかが火曜日、もう一方は水曜日。
  44. ^ ラグビーワールドカップの影響で8連続アウェイゲームとなった2019年のFC東京など。
  45. ^ 開幕から4連続アウェイゲームとなった2021年の秋田など。
  46. ^ 10歳以下は調査対象外となっている。
  47. ^ 2009年までは、60歳以上の区分はなく、50歳以上に合わせて集計されていた。
  48. ^ 平均入場者数がスタジアムの収容人数を上回るのは、エコパでの開催分があるため
  49. ^ 特定のブランドではなく、株式会社Jリーグ三菱商事ファッション株式会社が共同で取り組むユニフォーム協働制作プロジェクト。2021年シーズンに鹿児島が初導入[129]
  50. ^ Jリーグの試合実施要項[153] 第4条第2項で「ホームクラブは、試合の前後およびハーフタイムに、次の各号の事項を行うことができる」とあり(第3号に「音楽放送」の記述あり)、必ずしも義務づけられているわけではない。
  51. ^ a b c 2011年までのオフィシャルスポンサーに当たるリーグ戦最上位スポンサーカテゴリー(なお2015年度からは明治安田生命保険がJリーグ全体のタイトルパートナー(特別協賛)に就任するため、スポンサーカテゴリーとしてはタイトルパートナーが最上級、トップパートナーはその次のクラスに当たる)。
  52. ^ a b J3に関しては2014年度にJ3独自のオフィシャルパートナーがあった名残で、日本スポーツ振興センター、スカパーJSAT、アディダスジャパンの広告はバックスタンド最前列に2枚ずつ張り付けてある
  53. ^ 2014年予選ではコカコーラ、コナミ(ウイニングイレブン)、東京エレクトロンの3社。
  54. ^ a b 陸上競技場の場合は、バックスタンドはトラック部分、ゴール裏はフィールド競技が行われる箇所に設置
  55. ^ 陸上競技場は場所によってバックスタンド一列で掲示する場合もある
  56. ^ 2014年度はJリーグ全体のトップパートナーであるとともに、J3リーグのタイトルパートナー(特別協賛)であったが、2015年度はJリーグ全体のタイトルパートナーに昇格させた(Jリーグチャンピオンシップを含む。トップパートナー契約は2019年まで兼任)。
  57. ^ 1999年から2014年まで以来のトップパートナー復帰
  58. ^ 2016年8月までの社名は「ヤマザキナビスコ」。
  59. ^ 2021年3月までの社名は「富士ゼロックス」。
  60. ^ a b c 2014年J3リーグのオフィシャルスポンサーも務めた。
  61. ^ 公式スポンサー兼務
  62. ^ 1997年から2004年のチャンピオンシップにおいても冠スポンサーとなっている
  63. ^ この期間中、関連会社のローソンチケットがJリーグオフィシャルチケットステーションの業務を担当していた。
  64. ^ 2012年をもって廃止。
  65. ^ 2015年まで掲出は継続。
  66. ^ アソシエイトとは、Jリーグ・アンダー22選抜チームと、それが出場するJ3リーグをサポートするための協賛カテゴリーである

出典

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  1. ^ 用語集(ターミノロジー)”. 日本プロサッカーリーグ. 2020年1月7日閲覧。
  2. ^ 明治安田生命保険相互会社とJリーグタイトルパートナー契約を締結』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2014年12月16日。2024年2月9日閲覧
  3. ^ 明治安田生命とのタイトルパートナー契約更新について』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2022年12月20日。2024年2月9日閲覧
  4. ^ 2025/26シーズンAFCクラブ競技会の出場枠について(修正版)』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2023年12月19日。2024年2月9日閲覧
  5. ^ a b About Jリーグ”. Jリーグ.jp. 2017年3月21日閲覧。
  6. ^ 忠鉢信一 (2013年4月11日). “スポーツの自立を目指して Jリーグ20年”. nippon.com. 2017年3月21日閲覧。
  7. ^ 正平調 2023年5月16日”. 神戸新聞. 2024年2月11日閲覧。
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  9. ^ 【Jリーグ秘話】川淵三郎が激白「クラブ名から企業外し」はどうやって実現したか「許していたら成功はなかった」”. アサ芸プラス (2024年10月5日). 2024年10月22日閲覧。
  10. ^ Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎さん、チーム名へ柔軟な姿勢示しネットざわつく「企業名も認める方向?」「ジェフ許されていた」”. 中日スポーツ (2024年10月2日). 2024年10月22日閲覧。
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出典(リンク)

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参考文献

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外部リンク

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