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2020年8月2日 (日) 21:58時点における版
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第25回衆議院議員総選挙(だい25かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1952年(昭和27年)10月1日に日本で行われた国会(衆議院)議員の総選挙である。
概説
旧衆議院議員選挙法と参議院議員選挙法の統合及び地方自治体の首長、教育委員の公選制導入(この内、教育委員公選制は1956年に廃止)を目的として1950年に制定された公職選挙法に基づいて実施された最初の総選挙である。
選挙の結果、与党の自由党は240議席と過半数(234議席)を辛うじて上回ったが、与野党は伯仲した。また、日本共産党は1950年問題における所感派と国際派の分裂及び51年綱領に伴う非合法行動により支持を失い、公認候補が全員落選し、全ての議席を失った。
またサンフランシスコ平和条約発効による公職追放令廃止により公職追放を解除された政治家が立候補できたため、その多数が当選して国政に復帰することとなった。
選挙データ
内閣
- 選挙時:第3次吉田内閣 第3次改造内閣(第49代)
- 選挙後:第4次吉田内閣(第50代)
解散日
解散名
公示日
投票日
改選数
- 466
選挙制度
- 中選挙区制
- 3人区:40
- 4人区:39
- 5人区:38
- 投票方法
-
- 秘密投票、単記投票、1票制
- 選挙権
-
- 満20歳以上の日本国民
- 被選挙権
-
- 満25歳以上の日本国民
- 有権者数
-
- 46,772,584(男性:22,312,761 女性:24,459,823)
同日実施の選挙等
- 国民投票
選挙活動
党派別立候補者数
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党派 | 候補者数 | 男性 | 女性 | 公示前 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
計 | 新 | 前 | 元 | ||||
自由党 | 475 | 285 | |||||
改進党 | 209 | 67 | |||||
日本社会党(右派) | 109 | 30 | |||||
日本社会党(左派) | 96 | 16 | |||||
日本共産党 | 107 | 22 | |||||
労働者農民党 | 11 | 4 | |||||
諸派 | 69 | 9 | |||||
無所属 | 166 | 4 | |||||
計 | 1,242 | ' | ' | ' | 1,216 | 26 | 437 |
出典:『朝日選挙大観』 |
選挙結果
党派別獲得議席
党派 | 議席数 | 増減 | 得票数 | 得票率 | 公示前 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
与党 | 240 | 45 | 16,810,434 | 47.57% | 285 | ||
自由党 | 240 | 45 | 16,810,434 | 47.57% | 285 | ||
野党・無所属 | 226 | 74 | 18,526,270 | 52.43% | 152 | ||
改進党 | 85 | 18 | 6,453,028 | 18.26% | 67 | ||
日本社会党(右派) | 57 | 27 | 4,057,241 | 11.48% | 30 | ||
日本社会党(左派) | 54 | 38 | 3,450,601 | 9.76% | 16 | ||
労働者農民党 | 4 | 261,190 | 0.74% | 4 | |||
日本共産党 | 0 | 22 | 896,764 | 2.54% | 22 | ||
諸派 | 7 | 2 | 952,501 | 2.69% | 9 | ||
無所属 | 19 | 15 | 2,454,945 | 6.95% | 4 | ||
欠員 | 0 | 29 | - | - | 29 | ||
総計 | 466 | 35,336,704 | 100.0% | 466 | |||
有効票数(有効率) | - | - | 35,336,704 | 98.84% | - | ||
無効票・白票数(無効率) | - | - | 413,019 | 1.16% | - | ||
投票者数(投票率) | - | - | 35,749,723 | 76.43% | - | ||
棄権者数(棄権率) | - | - | 11,022,861 | 23.57% | - | ||
有権者数 | - | - | 46,772,584 | 100.0% | - | ||
出典:総務省統計局 戦後主要政党の変遷と国会内勢力の推移 |
- 投票率:76.43%(前回比: 2.39%)
- 【男性:80.46%(前回比: 0.28%) 女性:72.76% (前回比: 4.79%)】
党派別女性獲得議席
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党派 | 候補者 | 当選者 | 当選率 | 議席率 |
---|---|---|---|---|
計 | 26 | 9 | 34.62% | 1.93% |
出典:『朝日選挙大観』 |
政党
- 諸派:7議席
- 2議席(2団体)
- 1議席(3団体)
議員
当選者
自由党 改進党 社会党(右派) 社会党(左派) 労農党 諸派 無所属
初当選
- 計108名
- ※:参議院議員経験者
- △:貴族院議員経験者
- 自由党
-
- 51名
- 改進党
-
- 10名
- 日本社会党(右派)
-
- 6名
- 日本社会党(左派)
-
- 25名
- 諸派
-
- 2名
- 無所属
-
- 14名
返り咲き・復帰
- 計139名
- 自由党
-
- 54名
- 改進党
-
- 37名
- 日本社会党(右派)
-
- 26名
- 日本社会党(左派)
-
- 14名
- 労働者農民党
-
- 1名
- 諸派
-
- 3名
- 無所属
-
- 4名
引退・不出馬
- 計41名
- 自由党
-
- 26名
- 改進党
-
- 7名
- 日本共産党
-
- 2名
- 諸派
-
- 1名
- 無所属
-
- 5名
落選
- 計133名
- 自由党
-
- 83名
- 改進党
-
- 23名
- 日本社会党(右派)
-
- 2名
- 日本共産党
-
- 18名
- 労働者農民党
-
- 1名
- 諸派
-
- 6名
選挙後
国会
- 第15特別国会
- 会期:1952年(昭和27年)10月24日 - 1953年(昭和28年)3月14日
- 衆議院議長選挙(投票者数:454 過半数:228)[1]
- 衆議院副議長選挙
- 第1回投票(投票者数:455 過半数:228)
- 決選投票(投票者数:453 過半数:227)
- 岩本信行(自由党) :226票
- 佐伯宗義(改進党) :210票
- 白票 : 17票
- 首班指名選挙(衆議院 投票者数:453 過半数:227)
政党
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脚注
注釈
- ^ 社会党分裂により委員長は空席で、書記長の浅沼が委員長代行を務めた。
出典
関連項目
参考文献
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年
- 石川真澄・山口二郎著『戦後政治史』岩波新書、2010年
- 上條末夫 (1990年3月). “衆議院総選挙における女性候補者” (PDF). 駒沢大学法学部研究紀要. 2020年2月閲覧。
- 神田広樹 (2014年6月). “戦後主要政党の変遷と国会内勢力の推移” (PDF). 国立国会図書館. 2019年10月閲覧。
- 佐藤令 (2005年12月). “戦後の補欠選挙” (PDF). 国立国会図書館. 2016年5月26日閲覧。
- 衆議院議員総選挙一覽. 第25回 - 国立国会図書館デジタルコレクション