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各務 鑛三(かがみ こうぞう、1896年3月3日[1] - 1985年12月3日[1])は、日本のガラス工芸家。カガミクリスタル創業者。日本藝術院賞受賞。岩田藤七と並び、ガラス工芸を美術品の領域まで高めた[1]。
岐阜県土岐郡笠原町(現多治見市)出身[1]。1913年、愛知県立瀬戸陶器学校(のちの愛知県立瀬戸工科高等学校)卒業[1]。1914年、東京高等工業学校(のちの東京科学大学)附設工業教員養成所工業図案科選科修了[1]。同期の芹沢銈介、1期下の濱田庄司とは生涯交友を持った。同年同校雇員、1917年、同校窯業科嘱託教員[1]。平野耕輔の移籍に伴って、1920年、南満洲鉄道窯業試験所入所[1]。1927年からドイツ・シュツットガルト美術工芸学校に留学し[1]、ウィルヘルム・フォン・アイフ校長に師事[1]。学生仲間のハンス・モデルとは生涯交友を持った。1929年に帰国後[1]、1930年に独立し[1]、滝野川に各務クリスタル工芸硝子研究所設立。1932年、13回帝展に初入選[1]。1934年、西六郷に各務クリスタル製作所(のちのカガミクリスタル)を創設し[1]、日本初のクリスタルガラス専門の一貫生産工場を整備。同年、15回帝展で特選を受賞[1]。1937年、パリ万国博覧会銀賞受賞。1939年、ニューヨーク万国博覧会名誉賞受賞。1953年、芸術選奨文部大臣賞受賞[1]。1958年、ブリュッセル万国博覧会グランプリ受賞[1]。1960年、日本芸術院賞受賞。1962年、黄綬褒章受章。1966年、勲五等双光旭日章受章。1981年、紺綬褒章受章[2][3][4][5][6]。
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |