富山清琴
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(富山清翁から転送)
富山 清琴(とみやま せいきん)は地唄・生田流箏曲の家元である。現在は二代目を数える。
初代
[編集]富山 清翁(とみやま せいおう、1913年10月5日 - 2008年9月3日[1])は文化功労者である。
大阪生まれ。本名・八田清治。1歳で失明。4歳で富永敬琴に入門。1926年、富山清琴を名乗り1927年に敬琴が没すると上京、富崎春昇に入門する。1948年、独立し家元。古曲の伝承のほか「防人の賦」(1944)など作曲も多い。1969年に人間国宝、1987年に日本芸術院賞受賞[2]、1988年に日本芸術院会員、1993年に文化功労者。2002年、勲二等瑞宝章受章[3]。2000年、名を長男に譲り清翁を名乗る。作品に「富山清琴 地歌の世界」「富山清琴 箏曲・地歌の世界」「富山清琴 箏・三弦・胡弓の世界」「富山清琴 歌と語りの世界」「富山清琴 端歌の世界」「富山清琴 創作の世界」などがある。
2代目
[編集]1950年6月11日[4]、初代の長男として東京に生まれる。本名・八田清隆。1973年、東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業。1983年、お茶の水女子大学講師を務め現在に至る。1986年、文化庁芸術祭賞受賞(1989年、1991年にも同賞受賞)。2000年、富山清琴を襲名、家元を継承。2004年、日本芸術院賞受賞。2009年、重要無形文化財の保持者(人間国宝)に認定。2011年6月、紫綬褒章を受章[5][6]。
脚注
[編集][脚注の使い方]
- ^ 人間国宝の富山清翁さん死去 地歌箏曲の第一人者 asahi.com(朝日新聞社) 2008年9月6日
- ^ 『朝日新聞』1987年3月28日(東京本社発行)朝刊、26頁。
- ^ 「2002年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2002年11月3日朝刊
- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.515
- ^ 春の褒章、705人24団体が受章:社会:YOMIURI ONLINE(読売新聞)
- ^ “紫綬褒章:受章者 野田秀樹さんら25人”. 毎日新聞 (2011年6月15日). 2011年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月5日閲覧。
関連項目
[編集]日本芸術院賞受賞者 | |||||||||||||||||
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |