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ファイル:杉浦非水(図案家・イラストレーター).jpg|リンク=|代替文=|杉浦非水(出典:[[国立国会図書館]]「近代日本人の肖像」)
ファイル:杉浦非水(図案家・イラストレーター).jpg|杉浦非水(出典:[[国立国会図書館]]「近代日本人の肖像」)
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ファイル:Sugiura Hisui Tokyo Subway 1927 poster.jpg|Poster for 1927 Tokyo Metropolitan Ginza line subway opening.
ファイル:「朝寒」 作者・杉浦非水|雑誌「三越」 第19巻 第11号 |1929年11月| 表紙|.jpg|リンク=|代替文=|「朝寒」(杉浦非水)「三越」(雑誌)表紙|出版 三越 1929年11月
ファイル:「朝寒」 作者・杉浦非水|雑誌「三越」 第19巻 第11号 |1929年11月| 表紙|.jpg|「朝寒」(杉浦非水)「三越」(雑誌)表紙|出版 三越 1929年11月
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2023年11月16日 (木) 04:39時点における版

杉浦 非水
すぎうら ひすい
生誕 杉浦 朝武
すぎうら つとむ

(1876-05-15) 1876年5月15日
愛媛県の旗愛媛県松山市
死没 1965年8月18日(1965-08-18)(89歳没)
墓地 松秀寺東京都港区白金
国籍 日本の旗 日本
教育 東京美術学校
代表作 『非水図案集 第一輯』
『非水の図案』
『非水花鳥図案集』
『しぼりの図案』
『非水月刊図案 第一巻』
『非水月刊図案 第一巻』
『非水百花譜 第一輯』
『非水一般応用図案集』
『非水創作図案集』
『実用図案資料大成』
受賞 日本芸術院恩賜賞(1955年)
紫綬褒章(1958年)
勲四等旭日小綬章(1965年)
影響を受けた
芸術家

杉浦 非水(すぎうら ひすい、1876年明治9年〉5月15日 - 1965年昭和40年〉8月18日)は、近代日本グラフィックデザイナー。本名、杉浦朝武(すぎうら つとむ)[1]。日本のグラフィックデザインの黎明期より活動し、商業美術の先駆けであり現代日本のグラフィックデザインの礎を築いた人物の一人として重要である。  

経歴

1876年愛媛県松山市で、白石朝忠の長男として生まれる[2]。のち杉浦祐明の養子になる[3]

当初日本画家を志し四条派の画家松浦巖暉に師事。1897年の上京後は川端玉章に師事し、東京美術学校日本画選科に入学[4]。この東京美術学校在学中に洋画家黒田清輝より洋画や欧風図案の指導を受け、図案家へ転向する。1901年に同校卒業[5]後は大阪三和印刷所に勤め、図案部主任に就任。しかし翌年同社図案部解散のため退社。この頃から雑誌の表紙などでモダンな欧風の図案(アール・ヌーボー)を発表し話題を集める。1904年には教諭心得として島根県立第二中学校へ赴任[6]。翌年、再び上京し東京・中央新聞[3]に入社。

1908年三越呉服店の嘱託デザイナーとなり『みつこしタイムス』の表紙を担当する。1910年には三越呉服店の図案主任に抜擢され、中央新聞社を退社。1911年、雑誌『三越』を発刊。1913年、外国向けの公式ジャパンツーリスト英文日本案内パンフレットの装丁を手がける。1921年日本美術学校図案科講師。飲料メーカーカルピス社の顧問[3]となる。1922年、絵画・図案研究目的でヨーロッパへ留学。1924年帰国し、ポスター・創作図案研究団体『七人社[3]を杉浦非水、新井泉、久保吉朗、須山浩、小池巌、原万助、岸秀雄、野村昇ら7人で結成し、同年に第1回の展覧会を三越にて開催。この頃からドイツの近代美術表現を取り込む。1927年、月刊ポスター研究雑誌『アフィッシュ』創刊。この頃に「地下鉄開通」のポスターを制作。1929年、帝国美術学校(現:武蔵野美術大学)図案科長に就任。大蔵省専売局(現:JT日本たばこ産業)の嘱託として翌年からタバコのパッケージ図案を任される。1937年、全日本商業美術連盟を結成、委員長に就任。

1934年三越を退社。1935年 同盟休校事件によって帝国美術学校を辞任し、多摩帝国美術学校(現:多摩美術大学)の創設に参加する[7]。同校の校長・図案科主任を兼任する[3]1955年日本芸術院恩賜賞受賞。1958年紫綬褒章受章。1965年勲四等旭日小綬章受章。同年8月18日没。墓所は東京都港区白金松秀寺

家族 

妻・杉浦翠子[8]アララギ派の歌人で、旧姓岩崎。福澤桃介(実業家:福澤諭吉の養子)は妻の兄にあたる。

主なデザイン

著作

  • Poster for 1927 Tokyo Metropolitan Ginza line subway opening.
    『非水図案集 第一輯』(1915年金尾文淵堂
  • 『非水の図案』(1916年星文館)
  • 『非水花鳥図案集』[10]1917年平安堂)
  • 『しぼりの図案』(1918年平安堂)
  • 『非水月刊図案 第一巻』(1918年金尾文淵堂、第二号まで)
  • 『非水百花譜 第一輯』(1920年春陽堂、1922年第二十輯まで刊行)
  • 『非水一般応用図案集』(1921年平安堂)
  • 『非水創作図案集』(1926年文雅堂)
  • 『実用図案資料大成』(共著:渡辺素舟・杉浦非水1933年アトリヱ社)

主な作品収蔵先

関連書籍

  • 月刊ポスター研究雑誌『アフィッシュ』については国書刊行会による復刻版がある(ISBN 978-4-336-05042-7)。

ギャラリー

脚注

  1. ^ 日本出版協同 編『現代出版文化人総覧 昭和23年版』日本出版協同、1947年12月20日、180頁。NDLJP:1123753/96 
  2. ^ 新田宗盛 編『大日本人物史 昭和7年度版』国際聯合通信社、1932年6月15日、268頁。NDLJP:1874933/164 
  3. ^ a b c d e 内尾直二 編『人事興信録 第11版(昭和12年) 上』人事興信所、1937年3月13日、ス43頁。NDLJP:1072916/1188 
  4. ^ 『東京美術学校一覧 従明治30年至明治31年』東京美術学校、1897年11月10日、52頁。NDLJP:813191/142 
  5. ^ 『東京美術学校一覧 従明治34年至明治35年』東京美術学校、1901年12月19日、97頁。NDLJP:813192/179 
  6. ^ 『職員録 明治38年(乙)』印刷局、1905年8月19日、360頁。NDLJP:779789/194 
  7. ^ 『官報』第3118号、昭和12年5月28日、p.872.NDLJP:2959601/13
  8. ^ 鶴橋泰二 編「煙草包装の蒐集 非水 杉浦朝武」『趣味大観』趣味の人社、1935年12月25日、533-534頁。NDLJP:1229231/1029 
  9. ^ https://rnavi.ndl.go.jp/imagebank/data/post-160.html 杉浦非水の『三越』 ‐ NDL(国立国会図書館)イメージバンク
  10. ^ https://rnavi.ndl.go.jp/imagebank/data/post-95.html 非水花鳥図案集 ‐ NDL(国立国会図書館)イメージバンク

関連項目

外部リンク