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福王茂十郎

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福王 茂十郎(ふくおう しげじゅうろう)は、能楽の名跡。

15代目

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十五代目 福王 茂十郎(じゅうごだいめ ふくおう しげじゅうろう、1909年1月8日[1] - 1976年9月25日[2])は、日本能楽師福王流十五世宗家。父は中村弥三郎。大阪府大阪市出身[1]

今宮中学校卒業後、藤沢黄坡に漢学を学ぶ。1938年、福王流宗家第15代当主となる[1]

16代目

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ふくおう しげじゅうろう
福王 茂十郎
福王 茂十郎
文化功労者顕彰に際して
公表された肖像写真
本名 福王 輝幸(ふくおう てるゆき)
生年月日 (1943-10-18) 1943年10月18日(81歳)
出生地 日本の旗 大阪府大阪市
国籍 日本の旗 日本
民族 大和民族
職業 能楽師
ジャンル
活動期間 1950年 -
著名な家族 十五代目福王茂十郎(
福王和幸長男
福王知登(二男
福王忠世三男
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十六代目 福王 茂十郎(じゅうろくだいめ ふくおう しげじゅうろう、1943年(昭和18年)10月18日 - )は、日本のワキ方能楽師福王流十六世宗家、文化功労者本名福王 輝幸(ふくおう てるゆき)[3]

社団法人能楽協会副理事長などを歴任した。

来歴

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生い立ち

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十五代目福王茂十郎の長男。大阪府大阪市出身。慶應義塾大学文学部卒業。

能楽師として

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父に師事。1950年、7歳の時に『岩舟』で初舞台。1976年、福王流家元を継承。重要無形文化財「能楽」保持者(総合認定)。福王能楽鑑賞会主宰。復曲や稀曲にも取り組み、『藍染川』『羅生門』『谷行』『松山鏡』『壇風』『泰山木』を行う。 2003年、紫綬褒章。2020年、文化功労者[3]

家族・親族

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長男が福王和幸、次男が福王知登(ともに能楽師)。三男が福王忠世(サッカー選手)。

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c 『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年、ふ20頁。
  2. ^ 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』日外アソシエーツ、1983年、p.421。
  3. ^ a b c 令和2年度 文化功労者”. 文部科学省 (2020年11月3日). 2020年11月9日閲覧。

関連文献

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  • 片桐登「能界展望(昭和51・52年)」『能楽研究 : 能楽研究所紀要』第4巻、野上記念法政大学能楽研究所、1978年7月、182-190頁、doi:10.15002/00020281hdl:10114/00020281ISSN 0389-9616CRID 1390853649759169280  189頁

外部リンク

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