第17回衆議院議員総選挙
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(1930年衆議院議員総選挙から転送)
第17回衆議院議員総選挙 | |||
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内閣 | 濱口内閣 | ||
解散日 | 1930年(昭和5年)1月21日 | ||
公示日 | 1930年(昭和5年)1月22日 | ||
投票日 | 1930年(昭和5年)2月20日 | ||
選挙制度 | 中選挙区制 | ||
改選数 | 466() | ||
議席内訳 | |||
有権者 | 満25歳以上の男性日本国民 | ||
有権者数 | 1281万2895人 | ||
投票率 | 83.34%(2.98%) | ||
各党別勢力 | |||
党順 | 第1党 | 第2党 | 第3党 |
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 立憲民政党 | 立憲政友会 | 国民同志会 |
党首 | 濱口雄幸 | 犬養毅 | 武藤山治 |
前回選挙 | 216 | 218 | 4 |
選挙前議席 | 173 | 237 | 4 |
獲得議席 | 273 | 174 | 6 |
増減 | 100 | 63 | 2 |
党順 | 第4党 | 第5党 | 第6党 |
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 革新党 | 社会民衆党 | 日本大衆党 |
党首 | 不明 | 安部磯雄 | 麻生久 |
前回選挙 | 3 | 4 | 新党 |
選挙前議席 | 3 | 4 | |
獲得議席 | 3 | 2 | 2 |
増減 | 2 | ||
党順 | 第7党 | ||
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 労農党 | ||
党首 | 大山郁夫 | ||
前回選挙 | 2 | ||
選挙前議席 | 1 | ||
獲得議席 | 1 | ||
増減 | |||
選挙状況 | |||
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< 1928年1932年 > | |||
第17回衆議院議員総選挙(だい17かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1930年(昭和5年)2月20日に日本で行われた帝国議会(衆議院)議員の総選挙である。
概説
[編集]- 1929年(昭和4年)7月2日に発足した濱口雄幸内閣のもとで行われた総選挙である。濱口内閣および与党立憲民政党に対する信を問う選挙となった。
- 争点は金解禁に代表される濱口内閣の経済政策や、満州某重大事件(張作霖爆殺事件)など外交課題の処理に対する評価、軍縮問題、義務教育の国庫負担の是非(全国町村会が支持)などが争点となった。
- 濱口首相個人の人気も追い風となって、与党立憲民政党は273議席と単独で過半数を獲得する大勝を収めた。これによって、それまで少数与党政権だった濱口内閣の政権基盤を安定させるとともに、本格的な二大政党時代の到来を印象づけることとなった。
- 一方で、立憲政友会は174議席と立憲民政党に約100議席離される敗北を喫し、少数野党となった。
- 普段人前で怒ったような顔をしている濱口が(ライオン、というあだ名で呼ばれていた)、この選挙勝利のときは、笑顔を見せるというエピソードが残っている。
選挙データ
[編集]内閣
[編集]解散日
[編集]公示日
[編集]投票日
[編集]改選数
[編集]- 466
選挙制度
[編集]- 中選挙区制
- 普通投票(男性のみ)
- 満25歳以上の男性
- 有権者 12,812,895
選挙結果
[編集]投票率
[編集]- 83.34%(前回比3.01%)
党派別獲得議席
[編集]会長=武藤山治
委員長=麻生久
委員長=大山郁夫
- 中立(無所属)5議席[1]
議員
[編集]当選者
[編集]立憲民政党 立憲政友会 国民同志会 革新党 社会民衆党 日本大衆党 労農党 中立
*の選挙区は無投票
補欠当選等
[編集]立憲民政党 立憲政友会 中立
年 | 月日 | 選挙区 | 選出 | 新旧別 | 当選者 | 所属党派 | 欠員 | 所属党派 | 欠員事由 |
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1930 | 3.12 | 福島2区 | 繰上補充 | 新 | 助川啓四郎 | 中立 | 鈴木万次郎 | 立憲民政党 | 1930.2.26死去 |
- | 北海道2区 | (未実施) | 近藤豊吉 | 立憲政友会 | 1930.4.15死去 | ||||
- | 埼玉1区 | (未実施) | 粕谷義三 | 立憲政友会 | 1930.5.4死去 | ||||
- | 佐賀2区 | (未実施) | 西英太郎 | 立憲民政党 | 1930.8.4死去 | ||||
- | 長野2区 | (未実施) | 篠原和市 | 立憲政友会 | 1930.8.14死去 | ||||
- | 福岡2区 | (未実施) | 青柳郁次郎 | 立憲政友会 | 1930.8.18死去 | ||||
- | 京都2区 | (未実施) | 川崎安之助 | 立憲民政党 | 1930.9.21死去 | ||||
1931 | 5.12 | 宮城1区 | 補欠選挙 | 元 | 内ヶ崎作三郎 | 立憲民政党 | 中島鵬六 | 立憲政友会 | 1931.2.18死去 |
新 | 宮沢清作 | 立憲政友会 | 藤沢幾之輔 | 中立 | 1931.4.13任貴族院議員 | ||||
6.11 | 大分2区 | 再選挙 | 新 | 篠崎豊彦 | 立憲民政党 | 高橋欽哉 | 立憲民政党 | 1931.5.13選挙法違反 | |
10.28 | 滋賀全県区 | 元 | 青木亮貫 | 立憲民政党 | 青木亮貫 | 立憲民政党 | 1931.10.10当選無効 | ||
- | 兵庫2区 | (未実施) | 山本平三郎 | 立憲民政党 | 1931.1.31死去 | ||||
- | 新潟4区 | (未実施) | 石塚譲 | 立憲民政党 | 1931.3.19死去 | ||||
- | 東京1区 | (未実施) | 横山勝太郎 | 立憲民政党 | 1931.5.12死去 | ||||
- | 静岡2区 | (未実施) | 庄司良朗 | 立憲政友会 | 1931.6.22死去 | ||||
- | 佐賀1区 | (未実施) | 福田五郎 | 立憲民政党 | 1931.6.23死去 | ||||
- | 神奈川2区 | (未実施) | 小野重行 | 立憲民政党 | 1931.7.30死去 | ||||
- | 長崎1区 | (未実施) | 則元由庸 | 立憲民政党 | 1931.8.6死去 | ||||
- | 高知1区 | (未実施) | 濱口雄幸 | 立憲民政党 | 1930.8.26死去 | ||||
- | 長野4区 | (未実施) | 降旗元太郎 | 立憲民政党 | 1931.9.15死去 | ||||
- | 大阪3区 | (未実施) | 武内作平 | 立憲民政党 | 1931.11.8死去 | ||||
出典:衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。 |
初当選
[編集]- 計125名
- 立憲民政党
-
- 87名
- 立憲政友会
-
- 30名
- 国民同志会
-
- 4名
- 社会民衆党
-
- 1名
- 片山哲(神奈川2区)
- 日本大衆党
-
- 1名
- 松谷與二郎(東京6区)
- 労農党
-
- 1名
- 大山郁夫(東京5区)
- 中立
-
- 1名
- 村田不二三(北海道1区)
返り咲き・復帰
[編集]- 計61名
- 立憲民政党
-
- 37名
- 立憲政友会
-
- 21名
- 中村嘉寿(鹿児島1区)
- 国民同志会
-
- 1名
- 鷲野米太郎(京都1区)
- 革新党
-
- 1名
- 田川大吉郎(東京3区)
- 中立
-
- 1名
- 多木久米次郎(兵庫3区)
引退・不出馬
[編集]- 計68名
- 立憲民政党
-
- 10名
- 立憲政友会
-
- 48名
- 国民同志会
-
- 2名
- 中立
-
- 8名
落選
[編集]- 計96名
- 立憲民政党
-
- 14名
- 立憲政友会
-
- 67名
- 社会民衆党
-
- 3名
- 日本大衆党
-
- 1名
- 河上丈太郎(兵庫1区)
- 諸派
-
- 3名
- 中立
-
- 8名
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。